第48話

 大河が踏みつける障子から何とかカイルは這い出る。


「テメー来て早々クソ師匠と同じことしてんじゃねェよ!! いっ! テメッ!」

「知らんな。そんなところにいた貴様が悪い」


 足元のカイルを踏みつけながら、大河はさらに鋭い眼でお茶を飲んでいる晴明を睨み付けながら口を開いた。

 何故、カイルだけでなく自分もこの場所に呼びつけたのか、と。


「いやぁ、あのアホ狐にかわいい大河が汚されていると思うといても立っても……っと」


 即座に晴明は、狭い部屋の中で抜かれた白刃を器用に避ける。

 壁にすっぱりと斬れた跡があった。

 床に伏したままのカイルは思わず、ぞっとする。

 立っていれば大河に斬り殺されていた。


「俺は貴様のような“人”が一番、嫌いだ」

「おや? 全員、ではなく? 神様のわりに“人”想いがないですねぇ。将来が不安ですよ、それ」

「少なからず、この馬鹿程度ならいても構わんがな」


 ちらりと大河は足元のカイルを見下ろす。


「大河、お前……」

「勘違いするなよ。そこらの“人”に比べたらマシだと思ってやっている程度だ」


 邪魔だと大河はカイルを蹴って部屋の外へと追い出す。

 対峙するのは目の前で余裕ぶっている陰陽師。


「晴明。俺とこの馬鹿を誘い出して何が目的だ」


 今にも晴明を一振りで斬り殺しそうな雰囲気の大河だが、一方の晴明は口元に余裕の笑みを浮かべたままである。

 それがさらに大河の気に障る。

 抜き身の刀がピタリと晴明の首筋に触れるか触れないかで止まるも、それでもなお晴明は余裕の笑みを崩さない。


「答えろ」

「嫌ですね。神様がこんな物騒なモノを突きつけるなんて、感心しません」


 水干の長い袖に隠れていた晴明の手が、一枚の札を手にスルリと大河の刀身を撫でた。


「っ!」


 一瞬、青い電気が走って散った。

 それは廊下に放り出されたカイルの目にもはっきりと見えるほどで、大河は刀を離さず、しかし、たたらを踏んで飛び退った。

 今のは一体、何が起こったのか。


「っぅ! 今のは……」

「やれやれ。この程度が効くなんて龍神であるキミも堕ちたものですね。大河」


 心の動揺を知られまいと大河はさらに鋭い瞳で刀を構える。

 一歩、晴明が近付く。

 その度に大河も一歩下がるが、広くない廊下はすぐに尽きる。

 カイルはただその成り行きを見守るだけであった。

 何故なら、今、晴明が何をしたのかすぐに分かったからである。


「オイ。今のって」

「さすがカイル」


 大河、と声をかけて晴明はもう一歩近付くと大河の刀を持っている手を抑え込んだ。

 何かおかしい。

 まったく動けないほどではないものの、自分の体が痺れたように上手く動かないと感じた大河は、ただひたすら正面の晴明を睨み付けながら何故だと考えていた。


「大河。もしあなたが少しでも穢れを纏っていないのならば、この程度の痛みを感じるわけがないんですよ」


 さらに、腕を捻りあげるといとも簡単に大河は手にあった刀を落とし、苦しそうな表情で、床に押し付けられた。


「オイオイ。晴明、やりすぎじゃねェのか? いくら何でもそれ以上は―――」


 カイルが止めに入るが晴明はその手を離さない。


「カイル。こういうのはちゃんと、気付いてもらわないと。大河が“人”であれば、私もここまでしませんよ。あ、でも大河をあんなことやこんなことできるのは魅力的かもしれません。こういうのも結構、燃えますよね」

「っ、貴様、離せ……!」

「なら、龍神の力を出せばいいじゃないですか。この札には穢れを浄化する呪が込められています。普通なら、穢れもない清い神様であるあなたのこと。この程度で痛みを感じるはずがありません。逆に私を一瞬で殺せるほどの龍神の力を発揮できるはずです」


 それが出来ない。

 今まで感じたことのない痛みと痺れ。

 腕を抑え込まれたまま、大河は唇を噛みしめる。

 ただ安倍晴明という名前を代々受け継いだだけで、自分などよりも年若い人間ごときに龍神である自分がいとも簡単に抑え込まれたのが腹立たしい。


「分かります? 大河。今のあなたは穢れに侵されているんですよ」

「そんなわけがっない、だろう……!」


 神や祭がいることで確かにあの神社はけして清浄な場所ではない。

 だからといって自分の身が穢れるほど―――不意に、大河は思い出した。

 祭が何者かに襲われ、穢れが酷く残っていた日のことを。

 カイルが追っているハデスのことを。

 カイルも言っていた。

 あの神社に、ハデスがいるのだとすれば……今の自分に穢れが移っていてもおかしくはないと急激に理解した。


「ま、虐めるのもこの辺にしておきましょう」


 抑え込んでいた手を離して晴明は大河から離れる。

 なかなか立ち上がらない大河にカイルは手を貸してやる。


「オイ。貴様、あの神社で何を視た」


 単純に、大河はカイルだけでなく晴明にも問う。


「私はそこまで詳しくは視ていませんけど、多分―――」

「ゴーストの渦だって言っただろ。多分、いや、やっぱり間違いねェ。ハデスのもんだ」


 それ以外に考えられない。

 ではあの空間の一体どこに身を隠しているというのか。

 自分達に、特に龍神である自分、先日訪れた大河の父親や母親からも気配を悟らせずに。

 このことは、祭はともかく神は知っているのか。

 そもそもレイキ会は?


「とはいえ、しっぽの先も何も視えませんしね。カイル。それから大河。今宵のこと、そしてあの神社にいるだろう存在―――カイル曰くハデス―――については、あのアホ狐の親子には漏らさないようにしてください」


 理由は簡単だ。

 何か知っていれば藪蛇になる。

 準備も何も整えていないうちに引きずり出しても自分達の身に危険が迫るだけだ。


「カイルは自分の魔術協会に話をしておいた方がいいかもしれません。レイキ会には私から言っておきましょう。何か知っているのなら最悪……あの親子は処分の対象になるでしょうがね」

「何故、祭にも言ってはならんのだ。パパ上はあの性格だから何か知っていて隠している可能性はあるが、祭は襲われただけだ。何も知るはずがないだろう」


 だが晴明は首を振って釘を刺す。

 言わないようにと。


「祭の奴、口が軽いからうっかりあのクソ狐に話しちまうだろ」

「……。仕方があるまい。オイ、しっかり支えろ。この役立たずが」

「支えてもらっといて誰に口に聞いてんだ! テメーこそしっかり歩けよ」


 晴明は式神の童子を出すと、二人を外に案内するように指示を出す。

 その童子の後をついていきながら大河とカイルは口喧嘩をしながら晴明神社を出たのであった。

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