第46話

「おい、入るぞ……。いない? 部屋の明かりもつけっぱなしでトイレか?」


 小一時間ほど前に部屋に戻ったと思っていたがもぬけの殻である。

 大河は首を傾げて部屋を見回す。

 ここしばらく持ち歩いていなかったカイルの杖がなく、布団も跳ね除けた後がある。

 そういえばたった今、入ってきた襖は開きっぱなしだった。


「どこへ行ったんだ。あの馬鹿は」


 意外と部屋はすっきりと片付いている。

 開けっ放しのトランクは中々、綺麗に整頓されているし、大量の書類や資料らしき紙束も彼が握りつぶしたらしきもの以外は綺麗だ。

 布団が跳ね除けられているのは気になったが、何か理由でもあるのだろうと大河は黙殺する。


「言い方も存在も大雑把な割に綺麗好きだな。褒めてやらんでもない」


 一人納得したかのように大河は頷くが、ふと足元に見おぼえのある紙人形を見つけて拾い上げた。


「やれやれ。奴か……」


 ぐしゃりとその紙人形を握りつぶす。

 近いうちにちょっかいをかけてくるだろうと予想はしていたが、早かったと大河は呟き庭の先、神社の外の方を見た。

 カイルのことだ。

 いないということは、何かしらあって外に飛び出して行ったのだろう。

 土地勘もないというのに。


「仕方があるまい。奴に会うのは少しも気が進まんが……」


 迎えに行ってやろうと思う自分に苦笑しながら、神社を出たのであった。







 一方、カイルはまだちょろちょろと逃げる毛玉を追いかけていた。

 住宅地のど真ん中。

 小さな神社へと辿り着く。

 すでに体力は限界だ。

 走り回りながら魔力を使ったのだから、当然といえば当然である。


「クソッ……待てって、言ってんだろ、が……」


 毛玉は一度、カイルを振り返ると、神社の中に飛び込むかのように姿を消した。

 まるで、儀園神社のように。

 どうやら毛玉は結界の向こうへ通り抜けたらしい。


「追いかけねェわけが、ねェだろ!」


 と、カイルもまた結界を通り抜けた―――瞬間だった。

 前のめりにカイルは倒れこんだ。

 あると思っていた地面がなく、浅く細い川が流れていてその場所に落ちたのである。


「多重結界ってやつか……? ここまででくりゃもう異界だっつーの」


 浅いとはいえ水に落ちたことで少し、頭が冷えて冷静さを取り戻した。

 川から上がると右手側に鳥居が見えてカイルはそこまで移動した。

 振り返れば石造りの橋。

 目の前には遥か上まで明かりの燈った灯篭と階段が続いている。

 その鳥居の真下に、追いかけまわしていた毛玉は杖を持って立ち止まっていた。


「とっととオレの杖を返せ。このクソ毛玉!」


 手を伸ばし、毛玉を捕まえようとしたが、突然毛玉は姿を消した。

 カラン、と杖が音を立てて階段に転がり毛玉のいた場所には白い紙が一枚、落ちている。


「紙……? クソっ、一体どうなってやがるんだよ」

「お待ちしておりました」


 不意に声をかけられてカイルは階段の上を見た。

 童子である。

 おかっぱ髪に白い狩衣……少なくとも、ただの子供ではない。


「カイル・シュヴェリア殿。主がお待ちです」


 どうぞ、ついてきてくださいと一礼し、童子は階段を上り始める。


「何が待っていた、だ。テメー何が目的だ。ここは一体、どこなんだよ」

「ここは異次元と現世の狭間に構築された主、安倍晴明様の管理地区。一条戻り橋と晴明神社です。主があなたに会いたいとのことで、式神のワタボウシを案内に遣わしたのです」


 胡散臭い。

 あんなものは案内とは言わないと言えば童子は、ワタボウシは鳴き声以外の言葉を発しない故に、カイルの杖を持ち出し連れ出したと説明し、慇懃に「お許しを」と一礼する。

 淡々と言ってのけ、階段を上がっていく童子にカイルは苛立ちを抑えきれない。

 何故、自分の周囲には自分を腹立たせるものばかりなのか。


「帰る」

「帰れません」


 カイルは踵を返そうとしたが、童子がそれを止める。


「ここはすでに狭間の世界。目に見える場所が出入り口ではありません。勝手に歩けばあなたはここで一生彷徨うことになります。主があなたを呼んだ理由は、今、あなたが部屋を借りている儀園神社のことに他なりません故」


 気に入らないが、カイルは童子の後についていくことにした。

 さすがに狭間の世界で一生彷徨うような状況は避けたい。

 どうせなら安倍晴明とやらの顔に一発いや、二十発くらい拳を叩き込んで、新しい服を出させてとっととこの場所から抜け出る方がいいだろう。

 長い階段を上った正面は神社になっていた。

 濃い紫の布地に五芒星が染め抜かれた垂れ幕や、随所に五芒星が刻まれている。

 童子は神社には入らず右手側の奥へと向かっていった。

 オレンジに燈る提灯が一つ。

 暗くてよく見えないが和邸がそこに佇んでいるらしい。

 屋敷の中は暗い。

 ただ、外と同じように提灯がいくつか灯っているだけだ。

 童子が立ち止まったのは、一際明るい部屋の前である。


「主はこちらの部屋でお待ちです。どうぞ、ごゆるりと」


 そこまで言うと、童子の姿が消える。

 まるであの白い毛玉と同じように。

 カイルは案内された部屋の前に立ち、頭を掻いた。

 ここまで来た以上話をしなければならないだろう。


「どうぞ、お入りください」


 部屋の中から、涼やかな声が聞こえてきた。

 カイルは一つ息をつくとゆっくりとその障子を開くと、部屋は大量の書物が積み上げられていた。

 その奥に、洋服の溢れる時代には見かけない格好をした青年が一人座っていた。

 黒々とした髪をきっちりと結い上げ烏帽子を被っているが、水干は軽く着崩している。


「テメーが安倍晴明とかいう奴か?」

「ワタボウシに挑発されてまんまと出てくるなんて、律儀なんですね。どうもはじめまして、カイル・シュヴェリアくん。私が現代の安倍晴明です」

「あのクソ毛玉がオレの杖を持ち出したんだよ。つーか一発……いや、気が済むまで殴らせろ。腹立つから」


 年の頃は、カイルより少し年上だろう。

 だが無礼な大人に礼儀など必要ない。

 とにかく今は、目の前の涼やかな顔を殴ってやりたい。


「まぁまぁ。落ち着いてくださいよ。このイケメンの顔をボコボコにされるのはちょっと具合が悪いので。今、お茶でも出しますから」


 儀園神社のことでとあの童子は言っていた。

 目の前の彼―――安倍晴明は何を知っているというのか。

 カイルは晴明を見据えながら、その場に座ったのだった。

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