第36話
この一週間、そして倒れた時も師匠が泊まる部屋で寝泊まりをしていたから、自室には滅多に戻らなかった。
それがいけなかったとカイルは部屋の前で頭を抱えた。
「あのっ……悪徳クソ狐がぁぁああああ!!」
たかだか一週間。
なのに、何故か部屋には蜘蛛の巣が張り巡らされ、床にはゴキブリとケムシ、イモリの串刺しがいくつか畳に刺されていたのである。
幸い、荷物には手出しをしていないようではあるが、部屋の中は足も踏み入れたくないほど。
怒りに震えるカイルの横を、神がわざとらしく通り、言うのだ。
「あっは~。部屋、大変なことになってるね~。カイルくん」
「テメーがやったんだろ!?」
「パパ知ーらないっ。カイルくんが悪いんだよ」
頑張って片付けてね、などと言いながら。
今から大河特製の昼ご飯だと呟き、カイルに今すぐ部屋を片付けなければ昼ご飯は抜きだと言い渡すのである。
「っざっけんなぁぁあああ! クソっ。やってやるよ! やりゃいいんだろコンチクショー!!」
カイルは半泣きになりながら、必死に部屋の中のモノを外に放り出す。
ゴキブリを捨て、ケムシを捨て、蜘蛛の巣を取り、イモリの串刺しは一匹ずつ枝から体を抜いてやり、かわいそうだったので庭の片隅に埋めてやる。
枝を刺されて穴が開いた畳も放り出す。
途中、昼ご飯の支度をしている大河に頭を下げて畳を買う許可をもらい、何とか畳以外は部屋を元通りにする。
昼ご飯も食べず、部屋の修復および片付けは夕方までかかった。
空腹を抱えて夕食にあり付けたかと思えば、神からはまた情け容赦のない言葉が降り注ぐ。
極め付けは、風呂洗い付きの特典がついた最後の風呂。
案の定、風呂の中にはお湯がなく、蛇口はこれでもかという程の力で閉められている。
疲れ切ってふらふらと部屋に入るとカイルはすぐさま布団に倒れこむ。
これも大河に頼んで新品である。
「本当、もう無理……」
いつまでもこの場所にいたくない。
息を吐いて、カイルは幻視の瞳を開く。
「オレの視間違い、じゃねェよな……もし、このゴーストの渦がアイツのものだったら……。いや、でも確証がねェ」
首を振って瞳を一度閉じ、いつもの目に戻す。
神社を取り巻くゴーストの渦は、初めて視たあの日よりも強大になっていた。
大河はどれほど長年棲んでいるかは分からないが長くいればさほど気になっていないのではないかと思われる。
また、ヤトもこの神社の空気がおかしいことに気付き調査をしていたのは知っている。
ただ、何も収穫がないことも。
これは自分が頼まれた仕事だ。
何としてでも仕事を成功させて、弟を目覚めさせてやりたい。
十歳にならない内に眠ることになってしまった弟。
あれからもう十年近く。
自分は二十歳目前だ。
「自分の魔術だって、まだ十分に制御できてねェし」
それでも何としてでも自分の力でやり遂げたい。
今考えても分からないことは、考えても分からない。
そのままカイルは、布団を被ることなく眠り込んでしまったのであった。
****
翌朝。
やはり疲れ切ったまま、カイルは大河達と境内を掃除する。
「貴様、本当に大丈夫なのか?」
「カーくん、顔が死んじゃってるよ?」
大丈夫ではない。
と言い返したい所だが、言い返す気力もない。
「相当疲労が溜まっているようだな」
「ねぇ大河。カーくん、どうしたら元気でるかな?」
彼の師匠ヤトが立ち去った後、彼の部屋は、それはもう悲惨なことになっていた。
その上、神からの悪戯は留まることを知らず。
今日の朝方にもカイルの部屋にはどこからともなく入った蜘蛛が這いまわっていた。
二人はもう一度、死にそうな顔で掃除をしているカイルを見る。
「祭。人間には何がいいのか俺達は知らん。してやれることは見守る以外、何も出来んだろう」
「でもでもボク達種族は違うけど友達だもんっ。カーくんが辛そうだと、心配だし……」
一番は、神からの悪戯がないことだろう。
数日でもいい。
彼が出かけてくれるのがいいだろうが、恐らく神は出かけないだろう。
掃除が終わり、大河はカイルに休憩を言い渡す。
さすがにふらふらの状態で台所にいても迷惑だ。
「いや。あいつらと待ってる方が疲れるしよ」
台所に行くというのだ。
考えてみればそうかもしれない。
大河は仕方がない、と台所の邪魔にならない所に椅子を置いてやる。
「俺は別に貴様の心配をしているわけではないからな」
「あー、そー」
カイルに覇気がない。
「……。まだ何か余計なことでも考えているのか?」
朝食の準備をしながら大河はカイルに問いかける。
しばし間を置いてカイルは「別に」と言葉を返す。
大体、大河や祭には関係のないことだ。
魔術を制御するのだって、毎日練習すれば少しずつでも出来ていくだろう。
自分が立ち向かうべき相手は自分達、魔術協会が取り逃がしたハデスである。今どこにいるのか。
そして気になるのはやはりこの神社の空気だ。
何度視ても、ゴーストの渦は消える気配がない。
「ここの神社のことでも考えていたのか?」
「は?」
「ヤトさんが言っていた。この神社は何かおかしいとな」
「テメーは何も感じねェのかよ」
神曰く、まだまだ子供の龍神とはいえ神様だ。
清浄ではない空気と、清浄な空気の違いが判るはずである。
「俺は、これが当たり前だと思っていたからな。パパ上も、祭も“人”ではない。神社住まいとはいえ神気のないモノが巣食っていればこの場所が清浄な空気になるはずもないだろう。この神社のことに関しては今、そう思い悩む必要はないのではないか?」
すぐに解決する問題ではないだろう。
大河は鍋をかき混ぜて少し小さめのお椀にそれを入れるとカイルに渡した。
「! これ……」
「ありがたく思え。今朝は貴様の望んでいた洋食だ。パンとコーンスープを作ってやった」
味見用に渡してくれたのである。
カイルはしばしコーンスープを見つめると、渡されたスプーンで口に入れる。
とろとろとしていて、コーンの粒は歯ごたえがあり少し甘めな温かいそのスープが、優しく胃に、心に染み入る。
大河は食パンを軽くトースターで焼くとその上にカリカリに焼いたベーコンと半熟の卵を載せた。
「大河」
「なんだ?」
「本当、お前やっぱり出来る若奥様だな」
「誰が若奥様だ。貴様、その首落とされたいのか。……とはいえ、元気が出たか?」
「あぁ」
「そうか。では、運ぶか」
珍しい朝食に、神と祭が驚きつつも喜んで食べる。
「さっすが大河クン! このベーコンも卵もいい感じだよっ」
「すごいね大河っ。ボク、コーンスープ大好きだよっ」
大河がまだおかわりがあると告げると、神と祭は我先にと鍋に飛びつく。
「テメーらオレの分も残しとけよ!」
「残念でした~儀園神社の若奥様謹製コーンスープは住人であるパパと祭ちゃんのものだよっ。居候は指をくわえていなよねっ」
お椀から溢れそうになるほど、なみなみと神と祭はスープを注ぐ。
一方の大河はというと、とろみと甘みをもう少し、改良の余地があるな、今度はパンも自家製にしてみるか……などと呟いている。
「だぁぁああ! 残り一杯はオレのもんだ!」
「甘いよっ。カイルくんっ。鍋ごともらっちゃうからねっ」
「させるか!」
「カーくんっ、カーくんっボクにも少しちょうだいっ」
そんなこんなで、朝食の席は賑やかなものであった。
「……次はカボチャのスープもいいな。いや、ニンジンというのも有りか。む、なるほど。熱々でなくとも冷蔵庫で冷やした冷製スープも夏ならば特にいいだろう」
次の食事に向け思い悩んでいる大河であるが、心なしかウキウキとしているのは見間違いではないだろう……とカイルは後片付けをしながら思ったのであった。
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