第32話
早朝、カイルはもはや日課となってしまった境内の掃き掃除をしていたが、少しも身が入らなかった。
溜息をついては階段に腰を下ろして空を仰ぐ。
「……い、おい」
「! あ? 何だよ」
「ぼぅとしているが体の調子が悪いのか?」
「いや。別に」
「……進歩がないから落ち込んででもいるのか?」
あながち間違いではない。
結局、自分では何もできないと思い悩んでいた。
悔しくて必死にしてきたけれど、まだ足りないのかと。
「“人”の生など、一瞬だ」
境内を掃きながら大河は言葉を続ける。
「出来ることなど高が知れている。それでも足掻き、諦めないのが“人”なのだろう? ならば、進歩がなくとも自分が出来うる限りとことんやってみるしかない」
「分かってるっつーの」
「いや、分かっていないな。余計なことばかり考えているから、上の空になるのだ。貴様のやりたいことは、決まっているのだろう?」
やりたいこと……。
そうだ。
「弟襲った奴を倒して、弟を助けること、だな」
「ならばそのために今は自分を許し、信じてやるべきことを少しずつやっていけばいい。辿り着きたい場所が決まっているのなら、どんな道であろうと歩いていけばいつか必ず辿り着ける。俺はこれでも“神”で、貴様よりは長生きだからな。アドバイスをくれてやる」
ホウキを動かしながら大河が言う。
彼に言われた瞬間、カイルはその言葉がストンと胸に落ちたように感じた。
「お前、急にいい奴になったな」
「龍神が言っているんだ。感謝しろ」
一言多いが、彼の言う通りである。
今まで師匠の修行を耐えきったのだ。
あの頃と比べるとヤトはまだ優しく教えてくれている、ような気がする。
このまま頑張ればいい。
そうすれば必ず、結果はついてくる。
「大河、ありがとな」
「礼なら賽銭でいいぞ。一万円でも十万円でも入れておけ。むしろ百万円以上入れてくれるに越したことはないな。家計の足しにしてやる」
「入れねェよ! 何だよその法外な金額は! いいこと言ってんのに台無しじゃねェか!」
自分を許し、信じる。
脳裏にあの日の記憶が蘇る。
あの頃、今よりも自分は子供だった。
十歳になるかどうかで、弟は二つ下だ。
「冗談だ。どうした? また黙り込んで。まだ掃除は終わっていないぞ?」
「いや、そういや祭は?」
ホウキを杖替わりに、立ち上がりながらカイルは大河に問う。
今朝は姿が見えなかった。
いつもなら、自分達と一緒に掃除をしているはずなのに、今日に限って姿が見えなかった。
「祭なら……」
「カーくーん! 大河ー!」
母屋から祭が走ってくる。
いつもの笑顔で。
それが、何故か弟とダブって見えて、カイルは突如、目を押さえて片膝をついた。
動悸が激しく、もう一度視界を確認しようとしたが目の前が揺れて見える。
立ち上がろうとするが立ち上がれないくらいに全身が酷く痛み、両目は疼くような痛みが走る。
「どうした?」
だんだんと顔色が真っ青になるカイルに、大河は肩に手を置いて問いかけるが、カイルは何も答えない。
否。
答えられるほどの余裕がないのだ。
走ってきた祭が首を傾げる。
「大河、カーくんどうしたの?」
「わからん。おい、大丈夫なのか?」
「っ、何でも、ねェよ。少し、落ち着いたら……こんなのすぐに治るんだよ。クソ……」
祭がカイルに触れようとした時、カイルはそのまま倒れこんでしまった。
気絶したらしい。
声をかけても何の反応もなく、呼吸が荒いままで顔色など蒼白だ。
「カーくん! どこか悪いの? ねぇ、汗びっしょりだよっ。大河、どうしようっ」
大河は自分の肩を貸してカイルを立たせる。
「祭、ヤトさんにこいつが倒れたことを伝えてくれ」
「うんっ」
祭はすぐさまヤトに貸している部屋へと走っていくのを見届けると、大河はカイルを抱えて彼の部屋へ連れていく。
すばやく布団を敷くと、水を持ってきてカイルの汗を拭いてやる。
元気がないとは思っていた。
だがカイルのことだから、すぐに立ち直ると思っていたのだ。
人間にしては強いと大河は思っていたから。
「まったく。龍神に看病をさせるとは、つくづく手のかかる奴だな」
原因は一体何なのか。
神気を分けてやれば、少しは持ち直すだろうか。
何だか一人の人間にこんなことを考える自分が少しおかしくて、けれども放っておけなくて、そんな自分に大河は戸惑いを隠せなかった。
だがどうしてか見捨てられないのだ。
大河はしばしカイルの顔を見つめた後、彼の心臓の辺りに両手を重ねて置き、息を吹き込むように手から気を送り込む。
「この俺が、貴様に神気を分けてやるんだ。受け取れ」
それを数回繰り返す。
もういいだろう。
顔色を窺ってみれば、先程よりは幾分、生気が宿ったように見える。
呼吸も少しは落ち着いた。
カイルの体の中で何が起きているのか。
大河は眉をひそめて彼の顔を見ながら、祭がヤトを連れてくるのを待つのだった。
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