第25話

 紫月に連れ出されたカイルは、疲れた顔で境内に置かれた椅子に座り込んだ。

 今まで境内の中を見て回ったことはないが、それなりの広さがあった。

 初めて、隅から隅までを見たような気がする。


「何だい。もうへたり込んでしまうのかい? 若者がこの程度でくたくたに疲れ果ててしまってどうするんだい。寒いからこそ運動するんだろう。あ、でもボク、寒いの大嫌いだけどね」

「若者でもオレぁ人間なんだよ」


 酔っ払いだったクセに、化け物並の体力―――いや、“人”ですらなかった、とカイルは毒づく。


「“人”だからとか“人ならざるモノ”だからとか関係ないよ。そういえば魔術師なんだって?」


 紫月がカイルの隣に腰を下ろすと、ふんわりと、香の良い香りがした。

 高すぎず低すぎない彼女の声は、聞いていると何とも心地が良くなってくる。

 だが同時に、また不安が押し寄せてくる。

 彼女の着物の色……赤は血を、黒は死を、彷彿させる。


「キミのイメージは正しいよ」


 まるで心をすべて見透かされているようだ。


「とはいえ、ボクは赤と黒が好きでね。深い意味はあまりないよ。それより、魔術師なんだよね?」

「あ、あぁ。まだ見習いだけどな」


 紫月の目を見ていると、すべて、何もかもを吐露してしまいそうになる。

 目を逸らしつつカイルは慎重に答える。

 何しに日ノ国へ? と問われたら、仕事で、と。

 仕事は楽しい? と問われたら、それなりに、と。


「その割には、楽しくなさそうだね」

「は?」

「目的のために、必死なだけ。心に余裕が少しもない。そんな心持ちで仕事をしていたら、続かないよ?」


 まただ。

 カイルは思う。

 神といい、祭といい、暢気過ぎる。


「ましてや、キミは神さんに杖を封印されちゃってるし」


 何もできないよね、と軽く笑う彼女に、カイルは拳を握りしめた。

 彼女に、彼らに、自分の何がわかる。

 両親を知らず、目の前で弟がゴーストに襲われたのに何もできなかった自分のことを。

 世界の何もかもが面白くなくて。

 腹立たしくて。

 憎々しくて。

 杖も封印されて何も出来ずに焦っている自分の、何がわかるというのだ。

 楽しいなんて感情は今、いらない。

 この仕事―――かつて弟を襲い、魔術協会が逃がしたゴーストを退治して弟を目覚めさせるまでは、そんな気持ちになどなっていられない。

 今この神社で余計なことに振り回されながら無駄な時間を過ごしてなんていられないのだ。


「ねぇ、カイルくん」


 今度は静かな声で、紫月は話しかける。


「ボクは魔術のことなんて少しも知らないけれど、“人ならざるモノ”の力の使い方は知ってる。多分、それは東洋西洋魔術だろうと何だろうと関係なく、同じなんだと思う」


 カイルは俯き、何も答えない。

 だからといってこの場を去ることもできなくて、ただ紫月の話の続きを待つ。


「キミはすごい力を持っているよ。ちゃんと力を使いこなせるはずさ」


 そんなこと、魔術協会では何度も聞いた。

 すごい力だと。

 同世代よりも自分は出来るのだから、それ以上に努力をすればいいと。

 師匠の厳しい修行にだって耐えた。

 それ以外にも自分で出来る修行は、血が滲むほどやってきたつもりだ。

 杖を、封印されてしまうまでは出来ると思っていたのだ。


「でも、心に余裕がない」

「言ってる意味が、よく分かんねェよ」

「だから、心に余裕。キミは今、一杯一杯なんだよ。もっと気楽に、肩の力を抜いたらいい。心を閉ざしていると、行き詰ってしまう。何も楽しくないし、何も感じない。せっかくの力も十分に発揮できず、空回りを続けて挙句の果てに何も思わなくなってくる。杖、というか媒体がなくても力を振るえるのは、何故だと思う?」

「そりゃー師匠クラスになれば……?」

「はい、不正解」


 廊下に立ってなさい、と悪戯っぽく紫月は笑う。


「キミは自分を許していない」


 もちろんだ。

 弟をあんな目に遭わせてしまったのは、自分に力がなかったからだ。


「今というものは過去から繋がっているから、過去のことを考えるのは当然だけれども、その実、君は今任された仕事をこなすことも出来ないことで一層焦り、心が一杯一杯になっている」


 一つ、一つ、紫月は言葉を続ける。


「何も出来ない、結果を出せない自分を許せず、けれども何も出来ないから焦っている」


 焦らないわけがない。

 任務を受けたのに、何も状況が進んでいないなど。

 本当なら早く見つけ出して、早く退治し、帰国していてもおかしくないはずなのだ。

 どれほど強大な敵であろうとも自分なら出来ると。


「でも、今、ここのドタバタした暮らしも、ちょっとは悪くないと心のどこかで思っていないかい?」

「え……? オレが?」

「他の誰かに同じことを言われただろうけれど、休みを取ったと思って、ゆっくりすればいいと思うよ。キミの仕事は、多分、なるようになるさ。今はその時ではないだけ。もし、急ぎなのだとすればキミはもう、ここにはいない。キミは戻ってこいと言われ、キミではない代わりの優秀な魔術師がすぐに来ているだろう」


 考えてみれば、そうだ。

 先日、ようやく仕事は少しも進んでいないと報告した。

 帰ってきた返事は一言、続けるようにと。

 不意に、紫月が立ち上がる。

 振り返り、風に踊る着物の袖が、裾が、まるで蝶の羽のようであった。


「媒体があるから力が使えるんじゃない。心の余裕がキミを支え、キミがキミ自身を信じるから力が働くのさ。キミは杖がなくとも力を振るえるよ。キミは一応、自分の力を信じている。まだ足りないけれど。心の余裕も出来てくれば、キミは前に進めるよ。さて、戻ろうか。そろそろお昼の時間だしね。それに寒くなってきちゃった」


 寒いのは嫌いだから先に戻っているよ、と紫月は手をひらひらと振りながら、先に母屋へと入っていった。

 残されたカイルは詰まっていた息を吐く。

 何だか悩んでイライラしている自分が馬鹿らしく思えてきた。

 確かに、紫月に言われた通り、悪くないと思っている自分がいるのだ。


「信じろって……それで、なるように、なんのかよ」


 リトも、同じようなことを言っていた、などとしみじみと思い返す。

 とりあえず自分も戻ろう。

 カイルが部屋に向かうと、すでにカイルの分は祭と神によって食べられている所であった。


「この……クソ親子狐が! やっぱ毛皮剥いでやる!!」


 とドタバタとカイルが祭と神を追いかけまわしている間、紫月はお茶を飲み、大河と煉は粛々と風呂場を完成させつつあった。


「大河。止めんでいいのか?」

「あぁ。いつものことだ」

「あはっ面白い面白いっ」

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