第17話

 上機嫌で祭は鍋の蓋を開ける。

 瞬間、部屋中に異臭が立ち込めた。

 さすがに大河もその臭いに顔を引きつらせて、そっと障子を開いて外の空気を部屋の中へ入れた。

 ご機嫌だった神も、鍋の中に入っているモノを見つめ、妙にダンディーな表情で腕組みをする。

 これは、何という料理なのか。

 鍋といえば鍋、なのだろう。

 中に浮いているものは見たことがある食材だろうけれども。

 聞きたくないが、聞かずにはいられない。

 そんな物体である。


「……。祭ちゃん。何を、入れたの、かな……?」


 冷や汗をダラダラ垂らしながら、神は勇気を出して愛息子に問う。


「えっとね~」


 と祭は入れたものを列挙する。

 油揚げ、生クリーム、キャベツ、イチゴ、ヨーグルト、納豆、味噌、しょう油、ツナ、マヨネーズ、カイルがそそくさと台所を去った後にモモの缶詰を開けて全部入れたらしい。


「パパの大好物ばかり入れたんだよっ」


 美味しそうでしょう? と問いかけてくる祭に、神は首を縦に振ることも、横に振ることもできない。

 そもそも彼を拒絶することなど、父親として出来ないのだ。


「さ、さすがはパパの愛息子、祭ちゃん! ……ところでそこに座っている大河クンにカイルくん。一緒に……」

「遠慮します」

「さっき自分のものだから一口たりとも絶対やらねェって言ってたしな」

「そうですね。ご自分の言葉は守っていただかないと困りますね」


 二人は外の空気が最もよく入る場所に、並んで座っている。

 やられた。

 神は二人に一杯食わされたことにすぐさま気付いた。


「いや、ほら。やっぱり皆で食べた方がお鍋? は美味しいかなって」

「オレ、さっき飯食った所で腹いっぱいなんだよ」

「おやつ以外の間食はしない主義なので」


 どうあっても二人を巻き込むことができない。

 先程、絶対に一口たりともあげないと言った自分が恨めしい。

 今思い返してみれば、数年前にも似たようなことがあったことを、ようやく神は思い出した。

 神が恐る恐る祭を見ると、期待に満ちた表情で、神が食べるのを今か今かと待っている。

 腹をくくって食べるしかない。


「パパ、食べてくれるよねっ」


 神のために。

 神のためだけに作ったのだと。

 これはもう不可避だ。


「あ、あはっ。そ、そうだよねぇ! 自分の言葉を守れないパパったらいけない子さんっ。じゃ、じゃあ祭ちゃん、いっただっきまぁ~す……」


 鍋の中身をお玉で掬いお椀に移し、次から次へと口の中へとかきこむ。

 美味しい、美味しい、と言いながら神は滂沱の涙を流し、時折、血を吐きながら祭が作った何とも言えない料理をすべて、食べきった。


「よかったぁ~。あれ? パパ~? 耳としっぽが出てて、涙がすごく出てて、口からは血が出てるよ?」

「……あはっ。これも、狐術だよっ。パパはやることができちゃった。祭ちゃん、お皿を洗ってきてくれないかな?」


 頷き、やはり上機嫌で祭は神が食べた食器を持って台所へ向かっていった。

 彼の姿が見えなくなるや否や。

 神は真っ青な顔で、それはもう、般若のごとき表情で大河とカイルを睨み付けた。


「で……二人は知っていたのかな?」

「何の話でしょうか」


 大河はとぼけるように答えた。


「嘘つき! じゃあカイルくん!」

「知るかよ」

「二人とも知ってたんでしょ! パパの祭ちゃんが……ぐぼっ……危険なお料理、してたこと……うっぷ……」


 血を吐きながら神は腹をおさえて恨みがましく二人を見る。

 しかしカイルと大河は知らぬ存ぜぬを決めこむ。


「とにかく、俺達はパパ上に晩ご飯のリクエストを聞きに来ただけですし」

「それより、とっとと退場した方がいいんじゃねェか? クソ狐」


 神はわなわなと体を震わせて


「カイルくんと大河クンの、バカぁぁああああ! パパ拗ねちゃうもんねっ。今回は負けたけど、げぼっ、次からは絶対ぜぇったい何があっても勝つんだからね!」


 そう言い捨てて、神は血を吐き泣きながら脱兎のごとく部屋から走り去っていった。

 やや離れた所で倒れる音がした。

 どうやら、部屋に戻る前に倒れてしまったらしい。

 カイルと大河はお互い、ニヤリと笑ってガッツポーズをし、ハイタッチをしたのであった。


「やったな」

「ああ。これで平和が訪れてくれれば万々歳だな」


 たった数日前に出会ったばかりではあるが、着実にカイルと大河は仲が良くなりつつあった。

 ひとまずここまで仕返しは成功した。


「放っておいて後で何かされたら面倒だ。布団にでも転がしておこう。パパ上が吐いた血も片付けんとな」


 大河は仕方なさそうに雑巾を持ってくる。

 カイルは部屋にこもった異臭を、障子を開け放つことで逃がす。


「つーかよ」

「何だ?」


 二人は後始末をし、部屋の前で倒れていた神を抱えて布団に転がし話す。


「あの異臭、何で人間より鼻がいいだろうと思われる狐の祭は気付かねェんだ?」

「……いくら何でも祭とて、鼻がきかんということはないだろうが……」


 今思えば不思議だ。

 あれほどの異臭、作っている本人も気付かないはずがない。


「いや、深く考えないことにしよう」

「そーだな。とりあえず」


 平和が訪れますように、とカイルと大河は神が吐き散らしたものを片しながら、心の底からそう願ったのであった。

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