王女が暗殺者を護衛に雇いました

羊men

短編

 王都ウィリング。国名と同じ名前の首都ウィリングの街中は非常に活気あふれ、毎日が祭りかのような賑わいを見せる。

 しかし、光あるところに影はある。輝かしい街の裏側にはスラムと呼ばれる貧民街が隠されており、街を鮮やかなカラーとすればスラムは色褪せたセピア色。

 まさに別世界と呼ばれるにふさわしいそれらの光景を国王は知りながらも改善の手を打たない。いや、打てないと言った方が良いのだろうか。


 スラムには簡単に手を付けられない国内最大の強大な犯罪組織が隠家として跋扈している。もしそのスラムに権力を持って手心を加えようものなら隠家を失った犯罪組織が直ちに王の首を狙おうと動き出すかもしれない。

 この国は兵力がお世辞にも高いとは言えず、スラムを根城にする犯罪組織より数段劣る。真っ向から迎え撃とうとすれば忽ち全滅に追いやられてしまうだろう。そのため最高権力を持っているのは王であるにもかかわらず、犯罪組織に命令されればその指示に従わなければならない。実質的な決定権は犯罪組織が持っていると言える。


 手を打てない理由は犯罪組織だけではない。王都に住まう一部の貴族は貧民を汚らわしい者共と毛嫌いしている。同じ人間であるのにかかわらず自身が高潔な一族であると信じて疑わず、街中にスラムの人々がいる事を何より嫌う。現状、スラムの人々が町中を歩いていることを目にするだけで有無を言わさず殺してしまうほどだ。

 そんな現状を抱えているというのにスラムの人々を王都の町に迎い入れればどうなってしまうかは想像に難くない。

 勿論、そんなのは一部の貴族だけであり大半の貴族は平民と同じくスラムの人々に対して差別意識を持っていない。お金さえ払えば商人だって彼らには優しい。

 しかし、厄介なことにその一部の貴族たちはウィリングの兵力に大いに貢献している。その貴族たちだけで大半の貴族が抱えてる兵士の合算値の半分に相当する。

 スラムを街に迎い入れようとすれば反旗を翻し、王都を攻め落としにくる可能性もあり得ないことじゃない。


 スラムの環境を変えようとすれば犯罪組織が、スラムから非犯罪者の人々を脱出させようとすれば貴族が黙っていない。

 八方塞がりなこの現状に頭を悩ませ続けた国王はついには他界してしまい、王妃も二度目の出産した時に耐えきれず亡くなられてしまった。

 子を二人しか産めず、一人は十を迎えたばかりの王子だった事もあって王宮の実権は長女アイ・ウィリングに宿る事となった。

 短く切りそろえたショートカットの金髪に幼いながら凛々しい顔立ちのしたお嬢様。しかしそれでも成人を迎えてすらいない子供で間違いなかった。


 幸い、彼女は勤勉且つ早熟な子であったために十五という若さで政治経済について完全に理解していた。

 だが彼女は知であり、武を兼ね備えてはいなかった。武術の時間の全てを知識に割いてしまったために彼女は国王、女王に必須の武術を全く扱うことが出来なかったのだ。いや、武を完全に捨てたからこそ十五という若さで知を身につけられたとも言える。

 そんな彼女に護衛という存在は必須であり、しかし国の兵士を派遣させるのは現状を考えるとあまり得策とは言えなかった。そのため彼女は外部から護衛を雇うことにした。彼女を守るだけの力を持ち、貴族や犯罪組織の思惑に左右されない護衛を。

 彼女が前国王の書類などを読み漁ると、前国王よりも更に前。二代、三代も前から御用達の暗殺者が存在したようだった。

 彼女はそのことを知るとすぐさまその暗殺者に連絡を取り、護衛の依頼と相応の金額を提示した。

 古くからの仲ということもあり失礼を働かれた事例も特になかったため、依頼は二つの返事で引き受けられた。


「この度はご依頼ありがとうございます。《幻影》第十一代目継承者でございます」


 幻影と名乗ったその少年は王宮の玉座に座するアイ・ウィリングの前で跪き頭を下げた。

 肌を一切見せない白いコートを身に纏い、フードを深く被っているせいで顔の造形は全く窺えない。外見は驚くほど軽装で仕事用の武器すら携えていなかった。隠しているのかもしれないが、どこに隠されているかは皆目見当もつかない。


「こちらこそ依頼に応えて戴いたこと感謝するわ。それで、貴方の名前は幻影でいいのかしら?」


 彼女が疑問に思ったのは当然と言える。彼女が見つけた書類の暗殺者名義はどの代にわたっても幻影であった。


「幻影とは組織名であり、我ら幻影が属する組織は固有の名を持ちえません」

「じゃあ貴方を何と呼べばいいのかしら。幻影っていうのも少し味気ないわ」

「……好きな名で呼んで構いません。護衛の任に支障をきたさない限りは」

「うーん、じゃあアルフォードなんてどう?護衛らしくてカッコイイわ」

「かしこまりました。これからはアルフォードと名乗らせていただきます」

「それと別にアルフォードはこの国に仕えているわけじゃないでしょう?畏まらなくていいわ。普通でいて普通で」

「失礼があってはいけないですのでそれは……」

「いい?これは雇用主命令よ。まさか従えないわけじゃないでしょうね?」


 顔の造形が全く分からない様、隠している筈のアルフォードからそんな無茶な、と顔を顰めている様子が外からも感じ取れるほど滲み出ていた。しかし、そんな様子なんて知らん事かとアイはその言葉を撤回する気は全くなかった。


「わかりました。善処します」

「そう?まあ直ぐには難しいでしょうし、徐々にでいいわ」


 結局アルフォードの方が折れることになり、アイは勝ち誇った顔でニコリと笑った。



 @@@



 その日の夜、早速城内に侵入した暗殺者が一人、姿を現した。


「ケヒヒ、ガキ殺すだけで大金貰えるたぁ楽な仕事だぜ」

「そうですね。こんな雑魚を倒すだけで大金が貰えるんですからかなり優良な職場です」

「!?だ、誰だ!?」


 暗殺者の男が声の主を警戒し、腰に携えた短剣を構え、足場を蹴ってその場を離れる。

 暗殺者が逃げると同時に数本のナイフが迫りくるが仮にも暗殺者。そんなちゃちな攻撃を華麗に交わし、声の主を睨み付ける。


「幻影でございます。護衛の任をもって貴方を捕縛。その後殺害させてもらいます」

「幻影だと?はっ、そんな大層なやつがここにいるかってんだ。パチモンなんかに誰が捕まるかって……!?」


 辺りが暗闇に包まれているせいか見えづらく、男が気づいた頃には数本のワイヤーにがんじがらめにされていた。糸の先を見るとナイフの柄にくくりつけてあった。男はアルフォードが捕縛すると告げたとき既に捕まっていたのだ。


「チッ、だが尋問したって俺は吐かないぜ!」

「ええ、吐いてもらう必要はありません。他に情報を仕入れる方法がありますから」


 そういうとアルフォードは短剣で静かに男の首を跳ねた。

 アルフォードの護衛初日は問題なく終了するのだった。



 @@@



 アルフォードがアイに仕えて半年が経過した。その間、アイは前国王の役職引継ぎに追われ、慌ただしく城内を駆け回る姿がよく見られるようになった。


 対してアルフォードは護衛の任務を完璧にこなし、アイを消そうと動く同業の暗殺者を一人残さず対処、捕縛、殺害をしていった。

 王宮に侵入できるのは限られた実力を持った暗殺者だけであったが、今後の危険を考えアルフォードは王宮に侵入すらできなさそうな暗殺者さえも殺害していった。


 今までのウィリング王家はアルフォードの所属する幻影を政策を妨害する者の暗殺にしか起用することが無く、幻影を護衛として雇ったのはアイが初めてだった。

 しかしこれは理にかなっていた。


 代々受け継がれている幻影は組織内で一番暗殺技術の高いものが継承者として任命され、他の幻影は幻影の名を名乗ることが許されない。そのため当代で一番技術力が高いとされるアルフォードは暗殺の方法、タイミングなどを熟知していた。

 つまり、アルフォードという壁を超えるには彼の暗殺技術を上回る力を保持していなければならず、並みの力量では手も足も出ない。

 しかも幻影は国内最大の暗殺組織と呼ばれており、数多くの暗殺者を抱えている。その中でトップのアルフォードを超えるというのは殆ど不可能に近い。アイは運よく国内最難関の護衛を手に入れたと言える。


「アル、何処にいるの?はやく出てきて」


 王の仕事は激務であるが休憩が無いという訳じゃない。そのためアイは休憩に入る度自室に戻り、アルフォードを呼び出すと他愛無い雑談を始める。

 アイの年齢は城内の平均年齢と比べると大きく下回る。やはり王権を継承するには些か早く、彼女の周りには同年代の子供は一人も存在しなかった。

 そんな彼女の雑談相手に同年代の少年であるアルフォードが抜擢されるのはもはや必然と言える。


「はい、ここにいます」


 何処からともなくアイの前に姿を現すアルフォード。彼の様な暗殺者を護衛として雇っていれば民衆や城内の醜聞は悪くなる。前国王だって暗殺者の存在はたとえ妻の王妃であっても隠していたほどに暗殺者という存在は忌避される。

 そのためアルフォードは基本的に身を隠し、アイに危険が迫った時、また彼女に呼ばれた時のみ姿を現すようにしている。


 雑談を重ねる度にアルフォードの口調は和らいでいき、完全とは言えないものの砕けた口調となっていった。そうなるとアルフォードはアイにとって友達的ポジションに近くなり、自然と愛称で呼ぶようになった。


「そういえばアルっていつも顔隠しているけど、どんな顔をしているの?」

「見ますか?」

「うん、おねがい」


 アルフォードは片手でフードのつばを掴むと静かに剥いで顔を拝ませる。その顔立ちはアイの予想していたものとは全く別物だった。

 露になったのはウルフカットの純黒な髪に、十人が見て十人が美人と答える様な可憐で美しい美貌であった。

 中世的な顔立ちだがどちらかというと女寄りで、初見なら女に間違われること間違いなしだろう。そんなアルフォードだが、彼は正真正銘男であり、整形をした痕跡は全くない。


「アルってば案外かわいい顔してたのね」

「いいえ、これは僕本来の顔じゃありません。これは幻影を創設した初代のご尊顔です」

「え?」

「説明しやすくするために話を変えます。まず幻影とは従来の暗殺者の様に隠れて殺すではなく、潜んで殺すを生業としています」

「それって何が違うの?」

「隠れて殺すとは物陰に隠れ、機を伺い暗殺することを指します。逆に僕たち幻影は隠れずに殺します」

「どうやって?」

「こんな風に《変幻自在ディスガイズ》」

「わっ!?」


 アルフォードはフードを被りなおし、顔を両手で覆い隠す。そしてフードを再び剥ぐと現れたその顔にアイは衝撃を受けた。

 何故なら今さっきまで映っていたアルフォードの面影は欠片もなく、アイ自身と髪、肌、瞳などの要所が全て同じになっていたのだから。


「僕とアイは身体が似たり寄ったりだからわかりにくいですけど、顔だけじゃなく体格や服装、声帯までも同じにすることが出来ます」

「それって……魔術?」

「はい」


 魔術とは超常現象を引き起こす力であり、才能である。万人が扱えるわけではなく、百人に一人くらいの確率でしかこの才能は発現しない。

 しかし魔術は発現さえしてしまえばどんな魔術だって扱える。だが、扱える魔術の種類は一つであり、火の魔術を扱えば風や水の魔術を一生行使することが出来なくなる。

 これは先人が見つけた法則であり、絶対不変である。それに加えて魔術は才能があろうともフィーリングで扱うことは出来ない。先人が導き出した手段を経なければ扱えないため、教えを乞う相手のいないスラムの人々は才能がある事を自覚することなく命を無くすケースが多い。


 その事実を連想したのかアイは少しばかり顔を顰めた。彼女は現状を変えたいと強く思っている。人類はみな平等であるべきと。

 しかし今の彼女は引継ぎが忙しく、そういった政策に手を出せないでいる。そのことを彼女は度々嘆くのだが、あと半年の辛抱だと忍耐強く耐え、自身が王権を完全に手にした時やりたい政策をちょくちょく雑談会で披露している。

 

「幻影はこの魔術を駆使して標的の身内などに変装し、潜み暗殺します」

「へぇ、それで初代さんの顔と何が関係あるの?」

「幻影のこの魔術は初代が開発した“変幻の魔術”というもので、初代が二代目継承者に対して技術と共に初代のご尊顔を受け継がせたことが伝統となって当代まで渡り、継承者は初代のご尊顔を自身の顔として扱う様になりました」

「ふーん、なるほどね。じゃあアル自身はどんな顔をしているの?」

「それは申し訳ありませんが見せることが出来ません。幻影の仕来りなので」

「そう?残念」


 アイは身に着けたドレスをふわりと舞わせ、自室から出ていく。雑談をしている間に休憩時間は終わっていた。

 その後姿を見ながらアルフォードは今の自分の顔である初代のご尊顔を優しく触れる。

 アルフォードは自身の過去の顔を覚えていないことに気付いた。



 @@@



 あれから一年半の月日が流れ、アイは十七となった。

 王権の引継ぎは一年前に既に完了しており、今は彼女が実権を握って国を動かしている。


 あまりに膨れ上がった税金の引き下げ、無駄にたまった国財で少なすぎた街灯を設置などなど行うことで犯罪率は前年よりも大幅に低下し、結果的にスラムの人々の苦しい生活事情を改善することに繋がっていた。

 スラムの人々の苦しい税金搾取緩和やスラム環境の改善。貴族と犯罪組織の二大勢力が動き出すか出さないかの瀬戸際。

 国が大きく変わったわけでもないため今回二大勢力は動かなかったが、もう少し手を加えれば動き出した可能性も十分にあり得た。そんなギリギリな政策を行う度胸をアイは備えていた。


 そんなアイであるために暗殺者が狙いに来ることは多々ある。しかし幾度となく失敗に終わる暗殺に疑念を抱くのは当然のため、国の王として座した当初よりは暗殺件数は格段に減った。

 数が減ろうともアルフォードに容赦などという言葉は辞書になく、いつも通り対処、捕縛を成していた。諸事情により殺害することは無くなった。


 アイに雇われてから約二年の月日が経ち、アルフォードは数多くの暗殺者を殺害してきた。しかし、今までの殺しはすべて防衛の末にあり、自発的に誰かを暗殺したことは一度たりともなかった。

 アイは護衛として雇ったアルフォードに暗殺の依頼を出すことは無かったのである。


 何故?アルフォードがアイに尋ねるのにそう時間はかからなかった。


「何故って?だってアルは子供じゃない」


 さも当然かのように答えるアイの言葉にアルフォードは疑問を持たずにいられなかった。


「子供?」

「そう子供。アルは私より一つ年下でしょ?それなのに殺しなんて物騒なことさせないわ」

「だけどそれが任務で……」

「アルの任務は私の護衛!殺しじゃないわ!!」


 弟を叱るようにアルフォードを睨みつけるアイは怒り慣れて無いのか少し不自然な表情をしていた。


「何処の世界に弟の様なアルに殺しをさせる人がいるというの?私が金輪際ぜっったいにアルに殺しなんてことさせないわ!!アルも自分から殺しに行かないこと!!わかった!?」


 だが、その声には力があった。決意があった。有無を言わせぬ気迫があった。そんなアイの必死な言葉にアルフォードは静かにうなずくしかなかった。



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 それから数日後、王家と貴族で大規模なパーティーが開催されることとなった。国の治安が前年度度よりも格段に良くなったことを祝う事、そして今後の方針を話し合う目的で開催された。

 しかしこのパーティーの表側に潜んだ別の目的が隠されていたりする。


 例えば賄賂。貴族同士で個人的に会うと相応の理由が無ければ足がついてしまい、横領などがバレてしまう危険があった。しかし、数多くの貴族が行き交うパーティーならば赴いたという痕跡が消え、周囲に雲隠れし秘密裏に賄賂の受け渡しが容易い。

 他にも野心を抱き、王家に媚びを売る機会として利用するなど数々の思惑をそれぞれが抱いてこのパーティーに参加していた。


 勿論そんな思惑に気付いているアイにとってパーティーを開く事は賛同的ではない。しかし、先の機会を失うことは貴族たちにとって当然容認し難く、不満が募る事だろう。

 そうなれば、折角今まで危険を恐れず瀬戸際を歩んできたというのに全てがパアになる可能性もある。

 彼女は渋々この不純なパーティーを開くしかなかった。


 パーティーだとしてもやはりアルフォードは身を潜めていた。近場の使用人などに変幻の魔術で変装することも悪くないが、有事の際、すぐさま身を動かし暗殺者としての正体を現さなければならず、そのデメリットを考えると普段通り城内に潜伏することで落ち着いた。


(暗殺者の気配はない。毒物や罠といったものも無さそうだ。今日も問題なく終われそうだな)


 アルフォードは周囲を警戒しながら異常なしと判断する。

 巨大なホールに目移りしそうな豪華な食事とチカチカと目が痛む煌びやかな装飾品。伊達に王家主催のパーティーということもあって貴族たちは皆綺麗な正装で着飾っていた。


 そんな貴族たちを端目で覗いているとアルフォードはふと怪しい挙動を取る男の存在に気付いた。

 私腹を肥やした達磨の様な外見に、夏場でもないにも拘わらずギトッとした汗を額に垂らす金髪の男。


(あれは貴族間でも悪名高いケリー伯爵。何故このような場でオドオドとしている?)


 アルフォードの疑念通り、ケリー伯爵は賄賂などの行き交うパーティーには頻繁に参加していた。こういった場での経験が浅い貴族たちが挙動不審になることはまだわかる。暗黙の了解と化しているようなこの場で、もしもの事を考えてしまうのは経験の薄さゆえだろう。告げ口をすればどんな報復が待ち受けているかも知らないため、そういった行為を行わない貴族はまず出席すらしない。

 しかし、ケリー伯爵は違う。先に言った通り彼はこのような会合には頻繁に出席しており、場慣れしている。アルフォードだってそういった現場を何回か目撃し、敵を作らないために見過ごしている。


 そのため、今現在の様な挙動不審なケリー伯爵は普通、ありえないのだ。まるで他の貴族にすら知られたくない企みがあるかのようなその仕草にアルフォードは疑念を抱かずにいられなかった。


(アイには僕以外にも騎士がついている。少し席を外しても問題ないだろう)


 アルフォードはアイが無理やり押し付けられた国家騎士団所属の正規な護衛達に彼女の護衛を任せ、ホールを後にしようとするケリー伯爵を追うのだった。



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 ケリー伯爵がたどり着いた場所。それは昔、来客の応接間として扱われていたが傷がつき、物置部屋と化してしまった王家の一室。

 物置部屋だが仮にも王の城の一部。王家使いの使用人や清掃員が度々訪れ、誇り一つ残さぬよう定期的に整理整頓を行うのだが、城内の使用人は料理人、清掃員問わず全てホールに出張っており、人影一つとして存在しない。


「待たせ過ぎだケリー。こんな小汚いとこに私をいつまでも置いとくでない」

「す、すみませんアランドロン様」


 その筈だった倉庫には眼鏡をかけた青髪の男が一人佇んでいた。

 プライドの高いケリー伯爵が申し訳なさそうに頭を下げていることからケリー伯爵より立場が上なことが見て取れる。しかし、アランドロンの様な貴族は国内に存在しなかった。

 だがアランドロンは貴族の様に煌びやかな衣装を身に纏っている。使用人や平民というには身形が贅沢過ぎだし、ケリー伯爵が頭を下げるとも思えない。

 つまり、このアランドロンという男は消去法で他国の者ということになる。


「それより早くブツを渡せ」

「へい」


 ケリー伯爵は他国のアランドロンにウィリングの国家機密や他国には秘匿している技術などの情報や物品など渡していたのだ。

 ケリー伯爵は貴族にも犯罪組織にも実権を握られているようなウィリングに見切りをつけ、他国に媚びを売る事で自分だけ安全に亡命しようと企てていた。

 国家の情報が他国に渡れば領土を手にしようとする他国が加わり敵対勢力が増え、ウィリング壊滅に拍車をかける事だろう。

 だが、亡命を企てているケリー伯爵にとって国の存亡など既にどうでもいい。国が落ちようとも落ちなくても彼にはもう関係ないのだ。


 ケリーは懐から紐に括られた分厚い紙の束を取り出し、それをアランドロンに手渡した。


「今回は要望通りウィリングを保護する魔術障壁の解除法、保持する兵力、秘密の侵入経路などなどでございます。それで……私の処遇は……」

「フッ、いいだろう。亡命後、貴様の待遇もよくしてもらうよう王に進言してやろう」

「ありがとうございます!」


 アランドロンは紙束の内容を見分しようと紐を解き中身を覗かせたとき、瞳をギョッと丸め驚愕の表情を露にする。その顔は徐々に憤怒の表情へと移り変わり、ケリー伯爵に怒鳴り掛けた。


「!!?どういうことだケリー!!」

「へ?」

「これは何も記されていないただの紙ではないか!!」

「えぇ!??」

「アランドロン様!お待たせして誠に申し訳ありません!!」


 そこで大きく扉が開かれ、贅肉を顔に張り付けたようなケリー伯爵が姿を現した。その手には紐に括られた紙束が握りしめられていた。

 しかし、ケリー伯爵は既に旧応接間に存在している。つまりこの場には二人のケリー伯爵が実在することとなる。

 二人を注意深く見ようともその姿、形、衣装すべてが同じで、仕草すらも一緒。違いなんてないと言えるほど完璧な鏡映しだった。


「わ、わわ、私が二人??」

「き、貴様何者だ!!何故ケリーと同じ容貌をしている!!」


 アランドロンが最初に疑いかかったのは後から旧応接間に侵入した二人目のケリー伯爵だった。

 それは当然と言えた。渡された物は白紙であったものの、ケリー伯爵にしか伝えていないはずのアランドロンの要望を一人目のケリー伯爵は答えている。一人目のケリー伯爵が露見されぬべき物を奪われている事実は嘆かわしい事だが、本物がどちらかと言われれば一人目にケリー伯爵に軍配が上がる。


 まさか自分に疑惑の矛先が向くと思っていなかった二人目のケリー伯爵は驚いたように身じろぎし、しかし、自身が本物と照明せねばならないと手に持っていた紙束の紐を解き、情報を見せつけた。


「私こそが本物でございますアランドロン様!!指示通り機密情報を記した書類を持ってまいりました!!」


 二人目のケリー伯爵が掲げた紙束には多くの文字が羅列しており、目を凝らしてみればアランドロンが要求した情報だということが見て取れる。

 こうなるとどちらが偽物でどちらが本物かアランドロンにはわからない。少しでも違いがあれば不意に気づくことが出来るだろうが、何もかも一緒な彼らを判別することはアランドロンでなくとも不可能だ。


「私と全く同じ、まさか……幻影の手の者か!!」

「いいや、幻影自身だ」


 ハッと気づいた頃にはもう遅く、ケリー伯爵の首に一閃が伝い、背後に回られた男の手によって刹那の間に命を刈り取られた。

 背後を取っていた一人目のケリー伯爵は既にケリー伯爵の顔ではなく、純白のフードを深く被ったアルフォードに姿を変えていた。


(アイごめん。約束は守れない。殺しが無ければこの国ウィリングはやっていけないんだ)


 心からの謝罪を思うが、約束を破後にした影響かアルフォードの心中に強烈な痛みを覚えた。

 暗殺者となった日から私情は捨て、最低限の感情以外は置いてきたつもりだったアルフォードの心はアイによって少しずつではあるが絆されている様だった。


「き、貴様幻影だったのか!!し、しかし情報自体はケリーが持っていた。何故私達しか知りえない情報を仕入れている!?」

「それは僕が当代いや、歴代最強の幻影だからだ」

「そんなの関係ない!!ケリーは隠匿の魔術を持っている!ケリー自身が開示しようと思わなければ内容を知ることは出来ないはずだ!!」

「だから言ってるだろう?僕は歴代最強の幻影だ。幻影の魔術は変幻の魔術。姿を変えるだけの魔術だ。だけど僕は自分で言うのもなんだが天才だった。だから姿を変えた相手の記憶を知る魔術を開発できた」


 アルフォードは暗殺のみならず知られざる魔術を開拓する才能も持っていた。彼が幼いながらも幻影の継承者に成れたのは暗殺技術と言うより魔術の影響が大きい。それほどまでに彼の魔術は絶大だった。

 潜んで殺すを生業とする幻影は潜む相手の情報を仕草まで完璧に調べ上げなければならず、その労力を完全に無視し、情報の精度を誤差無しにできるアルフォードの魔術はまさに最強と言えた。

 アルフォードの魔術さえあれば尋問の必要が無くなる。相手の姿を真似れば情報を仕入れられるのだから。

 行使する際、近距離でなければならない且つ他者の記憶を取り込む動作によって三秒ほど無防備になるため暗殺者の情報を仕入れるには捕縛の過程が必要だったりするが、メリットと比較すれば欠点など無いようなものだ。


「な!?だ、だが幻影!!私に手を出せばこの国は終わるぞ!?」

「あぁ、わかってる。しかし、お前を殺したところで僕が成り代われば済む話じゃないか?魔術を看破する技術がこの時代にない以上、僕を見破るなんて不可能だ」

「ひ、ひぃぃぃぃ!!」


 自身が主導権を握る立場でないことを即座に理解したアランドロンはその場で尻もちを着き、股下を黄色く染めながら小さく悲鳴を上げる。


「だから僕のこれは命令だ。これ以上この国に手を出すな。手を出せば、今度こそお前を殺す。方法なんて簡単だ。さっき言ったように魔術を使えば造作もない」

「は、はぃぃぃぃ!!!」


 ケリー伯爵の首を落とした黒い短剣を突きつけると、腰の抜けたアランドロンは地面を這うように急いで旧応接間から退出していった。

 それを見届けたアルフォードは死体となったケリー伯爵を片し、地面に着いた血痕を綺麗に拭う。


(アイ。君の約束は守れない。だけど君に心配はかけないよう暗殺するよ)


 そう心に決めるとアルフォードは旧応接間から静かに姿を消すのだった。



 @@@



 王城のホールに戻るとアイの姿は無かった。既にパーティーで幾人もの貴族の対応に疲れ、自室で休憩を取っていたようだった。

 アルフォードがアイの自室にたどり着くと不機嫌そうな表情で頬を膨らませた彼女が待ち受けていた。


「何度も呼んだのよ!!どこ行ってたの!?」

「すみません、少し花を摘んでいたもので」

「///!?そ、それは仕方ないわね」

「はい、申し訳ありません」

「いいわ。私もあなたの事情を考えなかったし」


 相応な理由があったのだと納得したのかアイは機嫌を直し、普段通りアルフォードと他愛ない雑談を交わすのだった。


 後日、アルフォードの情報撹乱によりケリー伯爵が夜逃げを行った姿が目撃された。理由は不明ではあるものの、彼の屋敷を調べ上げると数多くの不正な行いをしていた事実が判明し、暴かれる危険に耐えかねて夜逃げしたのではないかという結論に人々は至った。



 @@@



 あれから月日がさらに三年経ち、アイは二十歳を迎え、無事成人を迎えた。

 アイは数多くの政策や事業を行い、その悉くを成功に収めていった。


 平民や貧民を兵士として徴兵し、貴族派の兵士比率を大幅に改善。アイは平民にも貧民にも慕われる存在だったからこそ彼らが徴兵に応えてくれたと言える。

 そして兵力差の制圧を手段として無くした一部の貴族は力を失い、アイは貴族制度の廃止を促した。

 勿論、この政策には多くの貴族が反対した。しかし、彼女の手腕とアルフォードの助力によりなんとか成功を収め、権力を国民に細かく分配し、民主制という国民の総意によって改革を行う政策へとシフトチェンジさせた。


 他にも多くの政策を行い、国中は潤い、さらに活気あふれる場所となっていった。それは勿論スラムにだって適用した。

 しかし、アイは何時でも瀬戸際を歩んでいた。少し踏み誤れば瓦解してしまうような崖の上を躊躇することなく。そんな状況が続けば続くほど慣れも来るだろうが油断も一緒に訪れる。

 そう、彼女は踏み外してしまった。一瞬の油断。ちょっとした裁量ミス。それによって犯罪組織の尾を彼女は踏んでしまったのだ。


 それによって今王都は犯罪組織に攻め込まれている。五年前より兵力は大きくなり信頼も置けるものとなったが成長するのは犯罪組織も同じこと。

 最初は何とか拮抗を保っていた。攻め落とされることなく防衛線としては上々の結果で終わろうとしていたのだが一人の男によって状況が覆された。


「ガハハハッ!!雑魚ども時間かけすぎなんだよ!城っていうのはこうやって崩すもんだ!」


 男が手に持った巨大な鋼鉄の棍棒を振るうと先まで耐え忍べていた城門があっさり切り崩され、数多くの犯罪集団が攻め込み、籠城は困難を極めている。

 全ては犯罪組織の頭首のガイアスと呼ばれるものが原因だった。

 灼熱の様に赤い髪を逆立て、顔に古傷を何本も入れる厳つい男。この男一人だけで状況をひっくり返せる戦力だった。棍棒を振るえば挑む兵士は瞬く間にやられ、弓矢や鉄砲などの遠距離攻撃をしようにもダメージが見られない。

 一人だけで城を落とすことも可能なのではと思えるほどの戦力をその身に宿すガイアスはなんと交渉を持ち出した。


「この国の王、アイだったか?そいつを命を俺様に捧げれば雑魚たちを引かせてやろう。一時間後、お前らの城に再び訪れる。どうするかは話し合って決めるんだな!邪魔や抵抗するってんなら容赦なくぶち殺してやるよ!!」


 その声のせいと言えばよいのかお陰と呼べばよいのか、犯罪集団の進撃は止まり、城内では大臣などを集め会談が行われることとなった。

 円卓を囲んで大臣たちの間で交わされるのは今後の方針。国家の命運についてだった。


「どうする?やはり奴に従うべきか?」

「いいや、ここで奴に従えば犯罪組織に屈した国として他国になめられ、攻め込まれる可能性がある」

「しかし、我らの兵があのデカ物に勝てるとも思いません。我らの命を考えるならアイ女王様を差し出すしか……」

「アイ女王様はウィリングの希望であるぞ!そうやすやすと決められることでは……」

「やめなさい!!!」


 服従派と抵抗派で分かれ、重ね絡み合う意見を断ち切るが如き怒声がアイの口から飛んでくる。


「私が、私が犠牲となりましょう」

「し、しかしアイ女王様……」

「いいのです。私一人の命で皆を救えるならそれで。ですがお願い、今は一人にさせてもらえないかしら」

「わ、わかりました」


 会談を行っていた大臣たちは続々と部屋から退出していき、アイは一人席に残される。

 そして確かに一人であることを確認すると、普段通り、いや、普段よりも若干震えた声色でアイが一番信頼を寄せる友人であり弟のような存在である一人の男を呼ぶ。


「アル。いるんでしょう?出てきて」

「はい。アイ」


 それからは普段通り他愛無い雑談が交わされた。交わされれば交わされる程時間は流れ、約束の刻限は刻一刻と迫りくる。

 時間が経てば経つほどアイの声は震え、涙がこぼれ始める。

 雑談は既にままならなくなっていたが、アルフォードは心が落ち着くよう紅茶をアイに出し、彼女が紅茶を飲み干す様子を眺めながら次の言葉を待つ。


「……ありがとう。それでね、それで……あの猫ったら面白くって……ヒグッ……あれ、何て言おうとしたのかしら」

「猫が面白かったようで」

「あ、そうよ。驚いたようにビョーンって飛び上がってね……それが、本当に面白くって……ヒグッ」

「それはよかったですね」

「うん……こんな平凡な日はもうこない……のよね」

「そうですね」

「ねぇアル」

「はい」

「私はね、多くの人に恨みを買ってるの。ここで死ななくてもいつかはいなくならないと国が保て無くなる。だからいなくなって、弟のルディに国の政治を渡すつもりだったの。あの子も私ほどじゃないけどすごいのよ。頭もよく回るから国を任せられるの」

「この国は未来も安泰ですね」

「そうなの。だから、私が居なくなることは……想定の範囲で……」


 再びアイの口は閉ざされてしまった。瞳には涙をため、鼻はヒクつき、唇は小刻みに震えている。

 感情をどうにかせき止めようとアイは自身の身体に抵抗するが、波が強すぎた。彼女の感情制御能力は脆かった。当然だ、まだ二十歳を迎えたばかり。他の子どもよりずっと早く大人の道を辿ってしまっただけの少女が死の恐怖を抱くにはあまりに速すぎた。死ぬ覚悟などできるはずもない。

 アイの感情制御を突き破った恐怖、悲哀、懇願など幾数もの感情は一つの言葉となって彼女の口をこじ開けた。


「まだ、死にたくないよぉ……」


 切なげに声を漏らしながらアイは表情をグシャグシャに歪め、アルフォードにしがみついた。

 だが、護衛のアルフォードにはガイアスを倒すことが出来ない。。

 アルフォードはガイアスの動きを城内から覗き見た時、自身が勝利することのできない相手だとすぐさま察した。歴代最強と呼ばれるアルフォードであるが、それは暗殺者という枠組みに限られた場合だけである。

 無論、並大抵の相手ならば真っ向からねじ伏せる実力をアルフォードは持っているが、ガイアスは戦士という部門で上位に食い込むであろう実力者。真っ向から渡り合うことはまず不可能だ。

 暗殺者と戦士では相性が悪い。加えて、暗殺者に最も重要な陽動、奇襲の起点となる飛び道具がガイアスには全く通用しない。何かに跳ね返されているかのように。

 この現象はガイアスの魔術によるものだろうが、攻防に魔術を転用できないアルフォードは不利でしかない。


 アルフォードはアイを静かに見下ろした。

 一緒に五年間も過ごしたアルフォードはアイに少なからず好感を抱いている。彼女が死ぬことが簡単には容認できないほどに。確かに彼女の言う通りアイが死ねが国の秩序が保たれるかもしれない。しかしそれを容認できるかと聞かれればアルフォードに是は無い。

 手が無いわけじゃない。だがその手を使えばアルフォード自身は代償に死んでしまう。

 ただの護衛依頼に赤の他人が命までかけて雇用主を守る者がいるだろうか。普通はいない。


 しかし、アルフォードはアイをもう赤の他人とは思っていなかった。彼女がアルフォードの事を弟の様に思っているように彼もまたアイを家族のように思っていた。

 彼女と触れ合うたび、アルフォードが暗殺をすることによる痛みは増していった。彼女のやさしさが、誠実さがアルフォードにはまぶしかったが心地よかった。

 すでに失われた喜びや悲しみの感情は徐々に取り戻されていった。アイの温かさが取り戻してくれた。


 だからこそアルフォードは彼女の最後の言葉を聞いたとき、覚悟が決まった。


(僕は……君を信じて命を断とう。だから……)

「アイ」

「……なに?」

「君は僕を信じて……死んでくれ」

「え?」


 アイの手に持っていたティーカップがスルリと手から零れ落ち、地面に叩き付けられ、割れる。

 アイ自身も力を失ったようにその場で崩れ落ち、瞼がだんだんと重くなっていることを感じていた。


「ごめんアイ。こうするしかなかった」

「ア……ル?」


 彼女の最後の瞳に映ったのは大きな円卓とアルフォードと同じ格好をした茶髪の見慣れない青年の姿だった。


 アルフォードはそんなアイの姿を見届けると、幻影の配下を一人呼び出し、彼女を片付けるよう手配する。そして、その場を後にするのだった。



 @@@



 王城のホール。三年前、パーティーが開かれた会場であるこの場はすでに装飾の類や家具の一切を取り払われ、天井にシャンデリアがぶら下がるだけのただ広いだけの空間となっていた。

 そこで待ち受けるのは巨躯な肉体に城落としの戦力を宿す赤毛の男、ガイアスだった。

 鋼鉄の棍棒をその手に携え、隙の無い姿勢で一人待つ。


 暫くすると時計の針が一周回り切り、約束の刻限が訪れる。

 すると、ホールの扉が大きく開かれ、アイが姿を現す。背後に護衛の影は無く、間違いなく単独でガイアスの前に訪れたとわかる。


「おやおや、本当に命を捧げに来るたぁ勇敢だなぁ」

「えぇ、国民のためですもの」

「ほお、流石は皆の女王様だ。なら早速お前の命、戴こう!」

「待って」

「あん?」

「私が命を捧げれば貴方は国から手を引いてくれるのよね?」


 言葉を耳にするとガイアスは目をパチクリと瞬かせ、言葉の意味を理解したのか今度は豪快に嗤い始めた。


「ガハハハッ!!そんな約束守るわけねぇだろ?馬鹿か?手を引く希望を与え、そこから死の絶望に突き落とす瞬間を楽しむための嘘に決まってるじゃねぇか!!」

「……やっぱり」

「あ?もしかしてわかっててここに来たのか?護衛もつけずに?ガハハハッ!!こいつは傑作だ!!こんな阿呆が王として君臨してるなんて世も末だなぁ!!」

「黙れ」

「あん?」

「護衛なんて必要ない。僕自身が護衛だから」


 そう告げるとアイは忽ちアルフォードに姿を変え、懐に隠し持った四本のナイフを両手で放る。その後、地面を強く蹴りこみ、瞬間的にナイフを追い越し、ガイアスの死角へと潜り込むと漆黒の短剣を抜き放つ。ガイアスがアイを偽物と知った瞬間にできた隙があったからこそできた芸当だった。

 並みの相手ならばこの瞬間を持って戦闘が終わる。前から急所を正確に捉え迫ってくるナイフに死角からの奇襲。たとえ奇襲に気付いたとしても両方を対処することは不可能であり、どちらかを放置すれば致命傷となる初手必殺の二連の一撃。

 であるにも関わらず、ガイアスは死角にまわったアルフォードに視線を落とし、鋼鉄の棍棒を大振りに振う。


 ガイアスに致命打を与えるチャンスだが、巨躯な肉体から繰り出される一撃をまともに受ければアルフォードとてただでは済まない。

 奇襲をあきらめ、再び地を踏みしめるとアルフォードはその場から後退する。

 だが彼が退こうともナイフが止まることは決してない。初速より更に加速した鋭利な刃物はガイアスに突き刺さるかに思えた。しかし、ガイアスに直撃する一歩手前の所でナイフは速度を失い、地面に転がり落ちる。まるで何かに阻まれたかのように。


「近くで見てよくわかった。風の魔術だな」

「ガハハハッ!よく見破ったな!そう、俺様の魔術、《外野は黙ってろエリアジャマ―》」


 そう、ガイアスは自身の魔術をその身に纏っていたのだ。

 ガイアスの魔術、エリアジャマ―は不規則に流れる暴風をその身に薄く纏い、飛び道具がその層に触れた瞬間、対象の向かう先と逆方向に強力な風を送り込み、相殺する。

 近接攻撃には一切効果を成さないこの魔術であるが、魔術保持者自身が近接戦闘を得意とする場合、どの魔術よりも強力無比の魔術と成る。


「しっかし、お前が王の護衛と噂される幻影か。だが歴代最強と呼ばれるお前だって分かってんだろ?俺には勝てないって」

「……」

「暗殺者と戦士ってだけでも不利なマッチアップってのに幻影が扱う魔術は戦闘に全く使えないものときた。何故ここで命を懸ける?お前なら国を見捨てて逃げることだってできたはずだ」

「……言ったんだ」

「あん?」

「アイが、彼女が死にたくないと言ったんだ。だから僕はお前を食い止め殺し、彼女の望む安寧を捧げる」

「……プッ!!ガハハハッ!!最強と呼ばれた暗殺者が惚れた腫れたか!!くだらねぇ。心底くだらねぇ。一時の感情で命を溝に捨てるたぁ落ちたものだな、幻影!!」


 鋼鉄の棍棒を軽々と振り回し、辺りを抉り、砕き、壊しながらガイアスはアルフォードへと歩を進める。

 アルフォードは暗殺者の持ち味である俊敏で身軽なことを生かし、ガイアスの一撃を紙一重で躱す。

 疲れを知らないガイアスの棍棒は遠心力が加わり、振るわれるたびに早く、重くなっていく。


 隙を縫ってガイアスに接近すれば無闇矢鱈と振るわれる棍棒がアルフォードを捉え放たれる。出鱈目に見えてその軌道は計算されていた。いつアルフォードが接近しようとも対応できる位置に棍棒は振るわれていたのだ。


「オラオラオラオラァ!!どうした!?俺を殺すんじゃなかったのか!?」

「クッ!!」


 次第に早く、重くなる棍棒による打撃にアルフォードの方が対応できなくなり、隙を縫う余裕すらなくなっていた。

 気付くとアルフォードは壁際に寄せられていた。ガイアスを対処するのに注意を割きすぎたせいで、周囲の意識が散漫になっていたのだ。

 ガイアスの懐に踏み込まなくとも攻撃は訪れ、その場を退こうにも逃げ場はない。応戦する以外選択肢はなく、アルフォードは追い詰められていく。


 棍棒と短剣が交差し火花が散る。金属のすり減る音がホール内で響き渡るが長くは続かない。

 両者の武器は用途が全く違う。素材が同じであろうと、切り裂くために細く鋭く作られた短剣と叩き潰すために太く固く作られた棍棒がぶつかり合えば結果は明白。

 アルフォードの持つ短剣の刃は欠け零れ、短剣としての用途を果たせない姿に変わっていった。


 今の短剣では応戦できないと見るや否やアルフォードは予備の短剣をすかさず取り出そうと試みるが、そんな隙をガイアスが見逃すはずもなく、アルフォードの横腹に鋼鉄の棍棒が直撃する。

 あばらを砕き、内臓を傷つけながら遠く遠くへと吹き飛ばされた。


「グハッ!!」


 アルフォードの破れた肺から血が噴き出し、唾と絡みながら空気に押し出され、血反吐となって吐き出される。

 その様子を愉快そうにガイアスは眺め嗤い、一歩、また一歩とアルフォードに歩みを進めていく。


「終りだなぁ幻影?俺を殺せず、惚れた相手も守れず、お前は結局何がしたかったんだ?」

「ハァ、ハァ……ディ、《変幻自在ディスガイズ》」


 アルフォードは魔術名を告げるとその姿は目の前のガイアスと成り変わる。


「おいおい、俺様の真似をしたところで何になる?まさか俺様が自分の顔なら攻撃できないとでも思ったか?舐められたもんだな!!」


 ガイアスの顔をしたアルフォードに本物のガイアスは容赦なく蹴りを加える。

 何度も、何度も、何度も。飽きるまで踏み、蹴り飛ばすつもりで顔を中心に甚振っていく。


「ガハハハッ!!天下の幻影もこの程度か!!ガハハハ……!?」


 心底心地よさそうに目先のアルフォードを甚振っていたガイアスの動きが突如止まる。ガイアス自身の表情は困惑に包まれ、言う事のきかない身体と踏みつけられていたアルフォードを交互に見やり、怒鳴り散らす。


「身体が……動かねぇ!!お前、俺様に何をしたぁぁ!!?」

「同期、完了」

「あぁ!?」

「ガイアス、お前の敗因は僕を殺しきらなかったことだ」

「まだ負けてねぇだろうがよ!!」

「いいや、負けだ。言っただろう。食い|止め殺す(・・・・)と」


 アルフォードはガイアスの顔のまま自信満々にそう告げる。その目は勝利を確信した瞳だった。


「お前が今動けないのは僕の魔術《変幻自在ディスガイズ》によるものだ」

「はぁ!?お前の魔術は姿を変えるだけの魔術だろうが!!!」

「あぁ、そうだ。だが、この魔術はお前のエリアジャマ―と違って未完成だったんだよ」

「未完成だと?」

「そう、未完成だ。本来この魔術は人を真似る。外面のみならず内面まで。魔術の出力を上げれば相手しか知りえない記憶すら読み取る。そして、出力を上げ続け、相手とすべてが同じになった後も上げ続ける。すると、身体は真似た相手と同期する。真似は次第に本物と成り変わる。姿も記憶も、魂でさえ」

「……まさか!?」


 ガイアスの顔色が見る見るうちに真っ青に変り果てる。アルフォードの言いたいことが理解できてしまった。


「片方の魂が潰れれば同期されているもう一つの魂も余波で潰える」

「……やめろ」

「アイのため、僕が命を断つことでこの魔術は完成する」

「やめろ!!」

「だから新たに名付けよう。この魔術の名は」

「やめろぉぉぉぉぉおおおおおお!!!!!!!」

「《不惜身命アイ・ウィリング》」


 アルフォードが魔術の名を告げると自身の心臓に予備の短剣を突き立て、心臓の奥へと突き刺した。

 最後にニヤリと笑みを浮かべたアルフォードは出力を下げたディスガイズでアイの姿へと成り変わり、命を落とした。

 アルフォードの奇行を何とか止めるため、耳の割れる様な大声で訴えかけていたガイアスだが、アルフォードが息を引き取った時、身体の自由を取り戻した。

 しかし喜びも束の間。数舜が経過すると胸の内に耐え難い強烈な痛みを覚え藻掻き苦しんだ後、白目をむきながらその場で倒れこみガイアスは死んだ。



 @@@



 アイが目を覚ますと城よりは質感の悪い寝具の上に眠らされていた。

 そこは辺鄙の宿屋。アルフォードの指示によって幻影の配下により彼女はこの宿屋で横にされたのだ。


「……アル、出てきて」


 アルフォードからの返事は無く、姿を現す様子もなかった。


「早く出てきてアル」


 返事はない。


「ねぇ、またお花でも詰みに行ってるの?」


 返事はない。


「待ってればまた来てくれるわよね」


 アイは不意に設置された机の上に無造作に置かれる一枚の手紙に目が言った。 

 小さな便箋には文字がぎっしり詰め込まれていた。そして、その文字に彼女は見覚えがあった。


「アルの字……」


 呼び出しても出てこないアルフォードの字そのものだった。五年もの時を共に過ごした彼女が間違えるはずもない。

 しかし、手紙を残して何処かへ行くといった行動をアルフォードがとったことは一度たりとも無かった。

 アイは訝しみながらその手紙を読み上げる。


『アイへ

 君がこの手紙を読んでいる頃には僕は恐らく死んでいるはずだ。ガイアスを倒し、君を助けるには僕が死ぬしか方法が無かった。君は僕の魔術で社会では死んでいることになっている。これで君に恨みを抱く者たちの矛先は行き場なく消える事だろう。犯罪組織の方も僕の配下に頼んで殲滅してくれている。君の望んだ平等な国にいずれなる。だから約束してほしい。アイ、これからこの国で自由で縛られず、君の築いた最高の国で生涯を終えてくれ。僕は君の護衛を果たせないけど、いつでも君を見守るよ。

 byアルフォード』


 アイが手紙を読み終えると手紙は濡れていた。アイの瞳から頬を伝って流れた涙で手紙は文字がにじむ程びしょ濡れだった。


「ねえアル。私、アルが殺しを辞めてなかったこと、実は知ってたんだよ?だっておかしいじゃん。私が何か起こすたびに不都合の人たちやあくどい人たちが皆失踪したり辻斬りにあったり。それに、アルは嘘が下手だもん。突然いなくなったと思ったら帰ってきていつも悲しい顔をしてる。隠す気ないんじゃないかって思えちゃう。だからね、アル、貴方が約束を守らなかったように私も約束を守れない。私はアルの事、どうしても……忘れられないから」


 五年もの時を過ごしているうちにアイのアルフォードに対する感情は親愛から恋慕へと移り変わっていた。

 だからアルフォードを失った彼女は気持ちを伝えることが出来ず、いつまでもアルフォードへの想いに縛られ続ける。アルフォードを想う気持ちに縛られ、アイの望む恋に自由はない。

 アルフォードが死してなお残した約束は決して果たされることのない呪縛となったのだった。



 @@@



「ハッ!?あ、あれ?夢?」


 どんな夢を見たか愛は覚えていなかった。しかしその夢が途轍もなく苦痛で絶望に満ちていた悪夢であるということが彼女の感覚が教えていた。


「嫌な感じ……」

「お目覚めですか?」

「!??」


 辺鄙の宿屋の固い寝具で目を覚ました彼女は寝起きということもあり、急な声に驚きながら声の主の方向に視線を向ける。

 そこには平民の普段着を身に着けた茶髪の青年が椅子に腰かけながらアイを見据えていた。

 その青年に見覚えは殆どない。しかし、茶髪という点だけは彼女が眠りこける直前に見たアルフォードの服を来た者と一致する。鈍感なものでない限り、それがアルフォード本人だと気づくだろう。

 瞼が閉じかけていて容姿をハッキリ見ることが叶わなかったアイであるが、目の前の青年こそ今までアルが隠してきた本当の顔ではないのかと期待を膨らませた。


「もしかして貴方、アル?」

「……アル、というのは第十一代目継承者幻影のことでしょうか?もしそうなら、幻影継承者は城で行われたガイアスとの戦闘の際、亡くなられ世代交代されました。今は十二代目の方が幻影として仕事を全うしています」

「え?うそ……貴方はアルじゃないの?」

「はい」


 アイは絶望に突き落とされたような表情になった。寒気がし、胸が苦しくなる感覚が先に体験した悪夢に似ていることから、さっきの悪夢もあるが死んだ夢で、これは正夢なんじゃないかと愛は思い始めていた。

 そこに救いの手が差し伸べられる。


「アルと言う幻影は確かになくなられました。しかし、幻影の魔術は真似した相手の記憶を読み取れるほどに進歩していました」

「……え?」

「そのため、先代幻影は近場の小石に自身の変幻の魔術をかけ、肉体、仕草、記憶何もかも同じの複製を作り出しながら息を引き取りました。その複製が僕であり、過去のアルフォードです」

「え?」

「ごめんねアイ。もう少しからかうつもりだったけど、アイがそんな悲しげな表情をするとは思わなくて」

「え?え?えぇぇぇぇぇぇええ!???あ、アルなの!?本当にアルなの!!?」

「はい」


 それからアルフォードは泣きじゃくりながら抱き着くアイを宥めながらこれまで起こった事や起こしたことを包み隠さず伝えた。

 変幻の魔術でガイアスを倒したこと。そして、変幻の魔術の能力とその代償。

 犯罪組織は幻影の時に命令した配下たちが根絶やしにしてくれているということ。元は小石で、複製クローンとなったアルフォードは幻影じゃなくなったということ。

 アイは生きてるがアルフォードがアイに成り変わった死体を残すことで社会的には死んだことになっているということ。恨みまれ報復される心配はない事。などなど。


 アルフォードが全てを伝え終える頃にはアイは既に泣き止んでおり、からかわれたことに拗ねてしまっていた。


「ふーんだ」

「ごめんってアイ。この通り」


 アイに向けてアルフォードは誠心誠意の土下座を披露し、アイの言葉を待った。

 流石のアイもいつまでも続けるアルフォードに観念したのか許しの言葉を告げた。


「もう、わかったわ。許してあげる。でも今度からは絶対にしないでね!!」

「わ、わかった。あ、そうだ。アイ、一緒に街でも回らないかい?前はお忍びでしか来れなかったけど今度からは堂々といけるんだし」

「おごってくれる?」

「え?」

「買い物のやつ、全部おごってくれる?」

「え、あ、はい!!奢ります!」

「そう。じゃあ行きましょ!!」


 アイは元気を出すとアルフォードを差し置いて宿屋の扉を豪快に開き、外に飛び出そうとする。それをアルフォードは必死の形相で止めにかかる。


「まってアイ!!君は先に髪を染めて髪型も変えないと!!これだとすぐ偽装死体ってバレるよ!!」

「そうだったわ」


 アルフォードの言葉を聞き入れるとアイはその場で踵を返す。

 そんなアイのお転婆さに焦燥感を抱きながら手に市販の髪染め用品を持って準備を始めるアルフォード。


「綺麗にしてね」

「わかりました」

「あ、そういえばアルの魔術って真似した相手の記憶が読み取れるんだっけ?」

「はい、そうですよ」

「じゃあこれから私の真似するの禁止!!」

「なんで!?」

「なんでもよ」


(だって恋してるなんてバレたくないもん)


 そんな乙女心を二十歳になってもなお抱き続けるアイはやはりまだ子供だった。


 アイの髪を綺麗に染め上げ、髪型も変えるとアルフォードと共に町へ繰り出した。


「アル、王様の時は見逃してたけど、これからは絶対に殺しはやらないでね?」

「え?バレてたの?」

「バレバレよ。うふふ」

「あははは」


 二人は笑いながら町を歩く。もう誰にも邪魔されない。何者にも縛られない。

 二人は一生一緒に笑いの絶えない日々を送るのだった。

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王女が暗殺者を護衛に雇いました 羊men @hitujisan

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