12
カタタン、カタタン、と夜の電車に揺られてようやく家に着いたというのに、エリが一人で寛げる瞬間はまだ遠かった。
エリの家は金鉄嬉志駅の隣、古壱駅の旧外環状線側にある。
こんな日くらいはさっさと自室で休みたかった。そんな思いなど知る由もないミンギュがニコニコと目の前に座り、母の勧めるキムチをつついている。
「いやー、
「まったくこの子ったら口ばっかり達者で!ミンギュ〜、ちゃんと出世しなさいよ。キムチなんて褒めなくていいの。褒めるなら上司にしなさい」
「あ〜あ〜! わかってないなぁ・・・上司なんて褒めたって、幸せにはなれないんですよ。本当においしいものを作ってくれる人に、(ここでミンギュは真剣な顔つきを作り)心からの感謝を伝えることがね、大事だと思うんですよ」
たっぷり5秒は真面目な顔で見つめ合うと、2人は同時に吹き出す。
ゲラゲラと笑う母、ヨジョンとミンギュを横目でチラッと見遣り、エリはきゅうりを口に放り込む。
ぱりぽり、ぱりぽり、エリの口の中できゅうりが響く。まったくアホくさい。こんな茶番はきゅうりの音でかき消すに限る。
「エリヤ!あんた、もうちょっと愛想よくしなさいよ、昨日着替えと風呂を貸してくれて!送ってまで来てくれたミンギュを!もてなすとか!せめてその仏頂面をなんとかしなさい!」
ぎゃんぎゃんと甲高い母の声が机を跨いで飛んで来る。
「昨日のお礼なら、私が
応えるのもバカらしい。エリは蒸し鶏を口に入れた。ほら、もう口が忙しいから喋れないぞ。咀嚼に集中する。
「しゃしゃってくる!?しゃしゃってくるですってよ。おーーー!いやだこの子ったら、憎まれ口ばかり達者だよ!」
「いやいやお母さん、エリの言う通りなんです。」
ミンギュが割って入る。
「昨日の礼は、本当にエリにしてもらう約束なんですよ。今僕がここにいるのはね・・・恥ずかしい話、お母さんのご飯が恋しくなっちゃって。すみません、こんなの図々しいですよね。」
「図々しい!?何を言ってるの、あんたは息子よ、む・す・こ。いつ食べに来たっていいんだからね!」
「
「みぎゅなーー!」
こんなのつきあっていたらいくら時間があっても足りやしない。
食卓劇場は終わってはいないが、エリはそそくさと退散した。
エリが自室で湿布を換えていると、ミンギュが戸をノックした。
「開いてるよ」
エリは戸の方を見もせずに答える。
湿布を剥がした下から、腫れて一回り大きくなった足首が現れた。
「・・・あーやっぱり。痛いと思った」
エリは苦々しく顔を歪め、使い終わった湿布を丸めてドアの方に向かって放り投げる。今日は少し動き過ぎたようだ。
「おいこのノーコン、ゴミ箱から外れてるぞ」
顔に向かって飛んできた湿布玉をミンギュは器用にキャッチし、ネトつく湿布をゴミ箱に落とした。
「で、足の具合は?」
「まぁ1日じゃあ治んないよね」
エリはため息混じりに言い、濡らしたタオルで足を拭く。
「ミンギュ何しに来たのよ、母さんのキムチ恋しさになんて、誰も信じないからね。あれ、玉手のパックキムチなんだから」
玉手はエリの母キム・ミギョンが勤める安いで有名なスーパーマーケットだ。
ミンギュは笑いながら肩を竦める。
「まあ、本音を言うとだな・・・藤伊寺の電気屋に行って来たから帰りに寄ったんだ。そんだけ。」
「ふん、そんなこったろうと思ったわよ。母さんの料理が美味しくないのは娘の私がよーく知ってるわ」
エリはミンギュに目を遣って、ニヤッと笑った。自分に会いに来ているだなどとは、みじんも思っていない。
独特の匂いを漂わせる袋から出したばかりの真新しい湿布がエリの手にぶら下がって揺れる。エリはそれをわざわざ間近で嗅ぎ、顔をしかめる。
「なあ、エリ明日大学行くの?」
「行くよー」
エリは足が乾いたことを確認して、新しい湿布を貼っていく。
「送ってってやろうか。明日午前中にまた電気屋行くから、帰り掛けに大学まで乗せてけるけど」
言いながらミンギュはエリが剥がし終わった湿布の裏のシートを受け取り、こちらも几帳面にゴミ箱に入れる。
「うーん、何時くらい?私、明日お昼には行ってたいんだよね。」
「電気屋は午前中に行ければいいから合わせるよ。昼食はゼミで弁当?」
「明日は二食!」
「へー・・・。じゃあ昼にコピ《コーヒー》奢ってもらうかな!」
ミンギュは湿布を貼り終えたエリに手を差し出す。
「はいはい。」
エリはにっこりと口角を上げてミンギュを見上げ、手を取った。湿布の匂いだ。
ミンギュはエリの手をぐっと引っ張り上げて立たせ、
「明日の10時半に来るから。寝坊すんなよ」
と、言い残し帰って行った。
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