7
なんとか、1日が終わった。酷い1日が。
とっぷりと暮れた田舎道を駅に向かって走る芸バスに揺られながら、今日何度ついたかもかも分からない深い息を、こっそりと吐き、ソンジェは窓の外の暗闇に目を遣る。田んぼに張られた水に、すれ違う車の光や外灯の明かりがゆらゆらと滲んでいる。それを眺めるソンジェにも、じんわりと疲労感が滲んでいて、とにかくベッドに横になりたい。
あんなに走り回ったのにも関わらず、結局、演習には遅刻してしまった。
ずぶ濡れのまま息急き切って、走りに走り演劇演習場に直行したソンジェは、中で始まっている学生たちのウォームアップと、音響のチェックをするキム教授を即座に目に捉えた。荒く息をしながら、こんにちはー、こんにちは先輩、と後輩たちから一斉に飛んでくる声に応えるのもそこそこに、キム教授の下に駆け寄る。すると、実にあっけらかんと、テヒョンが教授のポーチとデータを届けてくれたのだと、告げられたのだった。
なんだ、よかった、見つかったのか。まずは心底安堵する。これで学生たちが困らずに済むと。
ぷしゅうううううううと、風船から空気が抜けるようにソンジェが脱力してることにキムリナは気づかず、辺りをきょろきょろと見回して眉を顰め、なにか生臭いわねと言い出した。それを聞くやいなや、ソンジェは即座に自分の池の水の臭いだと察し、するっと場を離れ、後輩の一人にコソッと声をかけて着替えを借り、本日2度目のシャワーを大急ぎで浴びてから演習の補助に戻り、自分の任を全うしたのだった。何と忙しない。
あの時リトグラフの部屋に入っていったテヒョンは、リトグラフ部屋に面した通りに落とし物がなかったか尋ねに行ってくれていたのに違いない。女子と戯れに行くなんて薄情だなどと思ってすまなかったと、心の中で手を合わせる。
学生用の最終バスが出た後もテヒョンは実習室の鍵を閉めて回る為、まだ大学に残っている。友思いなだけでなく、働き者じゃないか。実は。
目線を上げると吊革を握る自分の、骨張った手と腕が目に入る。くるぶしからふくらはぎも、寒い春の夜の空気に肌を晒している。後輩の着替えの丈が短くて、上背のあるソンジェの体を十分に覆えていないのだ。バスの中の空調が地肌に当たっているせいか、寒い。
足元に置いた鞄にはうどんを被った一揃いと、池の水を吸ったもう一揃いがずっしりと詰まっている。これを持って、いよいよ自分でクリーニング屋に行くべきか。行ってみるかな。ぶるっと背筋を震わせて、ソンジェはまた、窓の外を眺める。
うどんを頭から掛けられ、探し物に時間を取られ、カエルを食おうとしてる奴に池に落とされ。こう羅列してみると、悪い冗談のような1日だった。疲れ切っているのに、今日の出来事の場面が強烈に思い起こされ脳裏をよぎって行く。
ふと、池に落ちる間際に反射的に握ってしまった手首の細さと、あっけなく腕に収まった軽さを思った。チョンエリだったな、名前は。無事家まで送り届けてもらえたのだろうか。
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