序章 (3)

 アシュタルテはティンが残した松明たいまつくわえ、右手に金色の剣を、左手には敵から奪った短槍を持ち、待ち構えた。


 松明たいまつの列が近づいてくる。


 駆け寄せる足音が、洞窟の壁に響いて膨れあがる。


 広い洞窟ではない。空洞を埋め尽くすように、ある者は宙を飛び、別の者は地を這い、一斉に兵士たちがアシュタルテに襲い掛かった。殺気に血走った眼。わずかに笑みを浮かべている。


 松明たいまつの光が届く輪の中に兵士たちが姿を現した瞬間、その眉間にアシュタルテの剣が突き刺さった。八人がほぼ同時にほふられた。


 即死を狙った正確な剣だったが、後続の兵士たちは死んだ仲間の身体を盾にして押し寄せる。ある者は短槍を突き出し、別の者はなたのような刀『パラン』を振り下ろした。


 アシュタルテは盾になった死体の脇の下から相手の胸に短槍を突き入れ、そのまま槍を手放してパランを奪った。下から突きあげてくる槍をパランで薙ぎ払い、二名の首筋を切り裂く。その間に、背後の敵がアシュタルテの首や背にパランを振り下ろしたが、アシュタルテの長い髪がバラリと広がり背を覆うと、パランは金属音を立てて弾かれた。


 死体が地面を埋め尽くし、その数は二十名以上となった。だが、死を恐れぬ兵士たちは次々と湧き出し、仲間の死体を盾にアシュタルテを押し包む。


 アシュタルテは死体の盾の隙間を探し、的確に剣を突き入れ、パランを打ち下ろした。時には奪った短槍で死体ごと相手を貫き、無理矢理包囲を切り抜けた。


 だが短槍にももを貫かれたのを機に、アシュタルテの動きは鈍くなった。表情も変えずに敵をたおし続けたが、腕や足に傷を負うようになった。傷口からどろりと流れ出す血は赤黒く、人よりもずっと濃い色をしていた。


 五十名以上をたおした時には、アシュタルテの身体は傷だらけだった。頭と胴体は守られていたが、左手と右足がちぎれかかっている。


 だが、積みあがった死体が狭い洞窟を塞ぎ、兵士たちも一斉に襲い掛かることが難しくなっていた。



「仕上げはおれがしよう!」



 がらがら声が銅鑼どらのように響き渡った。兵士たちの動きがピタリと止まる。殺気が消え、気が抜けたように無表情になる。


 死体の小山の上から、巨大な男の顔が見下ろしていた。ギョロリと目玉が飛び出しそうな怒った険しい顔。逆巻く赤い髪。色鮮やかな宝石で彩られた金の鎖を、ジャラジャラと首に何重にも巻き付けていた。この地で古くから信仰されている雷神バロンの姿だった。



「かつて崑崙こんろん山脈の山上に置き去りにされたことがあったな。あの時の恨みを晴らしてやる」


「その後、助けてやったろう」



 アシュタルテの開いた口から松明たいまつが落ち、身にまとう茶色い布に火が移った。



「五十年後にな。成層圏へ飛ばされないか冷や冷やしたわ!」



 油が浸み込んだ布はあっという間に燃え上がり、アシュタルテの全身を炎が包んだ。ちぎれかけた左手と右足が溶けるように繋がっていく。


 バロンの眉間に皺が寄る。



「小賢しい真似を! だが、おまえのために三百人の兵を用意した。ただの兵ではないぞ。おれが神経系を操作した死を恐れぬ強(狂)兵だ。逃げ切れると思うな」


「わたしのため?」



 血しぶきを浴びた白い顔は無表情のまま、小首をかしげる。



「気付かなかったのか? おまえは戦争に邪魔なのだ。うっかり大将を暗殺されて戦況をひっくり返されては興が削がれる。戦争は人間同士が死力を尽くすから楽しいのだ」


「相変わらずだが、わたしには理解できない」


「つまらん奴め!」



 バロンの背後からぶわっと黒い影が飛び出した。それは兵士たちが投げた数十本の黒い鎖だった。鎖の先には小さな鉄球が付いている。


 アシュタルテは炎をまとったまま宙に飛んだ。的を外した鎖が足下そっかに交差する。


 その間に別の兵士たちがアシュタルテの周囲に回り込み、更に鎖を放つ。


 空間を埋め尽くす鎖からは逃げられず、数本がアシュタルテの身体に絡まった。



「安心しろ。太子は殺さん。戦う相手がいなくては戦争にならんからな。正統な世継ぎでないラチャイには、このくらいの差でちょうどよかろう」



 バロンの頭が白く光り、バリバリと稲妻がほとばしった。

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