第13話 血筋


『さぁ……時は満ちた。

新たな歴史を築くのだ。

愛しきロイの血を受け継ぐ者よ』

<チリン、チリン、チリン>

鈴の音が響く。

純白の一頭の竜が天を見上げた。


「で、紫炎はどうするんだ?やっぱり、殺しちゃう?」

海夷が羚にかけよりこそりと尋ねた。

羚は全く目を合わさず

「放っておく」

と答えた。

「相変わらず気まぐれかよ」

両手を頭に回して思い返す。

「別に良いだろ?」

不機嫌に呟き、足を進める。

先には仁王蛇蔵への扉続く階段を三段ほど上がったところで、上を見上げていた海夷ははっと気が付いた。

「おいおい!止血もしないで行く気かよ?」

まだ、左の傷は開いたまま、血は流れている。

「止まっていても仕方ないだろ?わざわざ出てくるのを待つわけじゃないんだ」

灰色の目は未だその意志を失ってはいない。

「だからってなぁ…羚は…」

海夷が追いかけようとした時だ。

入り口から声がした。

「羚~!海夷~!」

戦場に似合わない女の子の声だ。

「リリィだ!良かった~。無事だったんだ」

海夷はほっと一息つくと入り口に向かった。

ヒョコっと顔を出したリリィを見つけると、羚の表情も穏やかになる。

リリィはいつもの笑顔だ。

絆創膏や包帯で覆った傷もあまり深くはないように見える。

「海夷、怪我してない?大丈夫?」

パンパンと肩を叩いて確認すると

「俺の相手は剋嶺大佐だったからね」

頭をかきながら無事を伝えた。


すると、リリィの奥から歩いて来る人影が目に入る。

「よぅ、海夷。羚は死んじまったか?」

不敵な笑みを浮かべ、自分より大きなディアンをなんなく連れてきた斬頼がいた。

ディアンの体にはしっかりと包帯が巻かれている。

「斬頼!来てくれたのか?『俺は行かねぇ』って言ってたくせに」

羚なら無事だと伝わると不満げな表情をもらした。

扉のすぐ近くにディアンをおろし、煙草に火をつける。

白い煙がフワリと立ち上る。

その一連の動作を羚は少し高い階段の先にある次の扉の前で見ていた。

(良かった。皆無事だったんだな)

ディアンもなんとか呼吸をしているようだ。

それに、斬頼は一応医者だ。

彼がいるならば命の保証はできそうだ。

ほっと気を緩めた。

ようやく安心できる。

そう、つかの間の事だったが、荷が降りた気がした。




<ガタンッ>

「くぁっ…」

突然、羚の声が響いた。

何が起きたのかと海夷が振り向けば、蛇蔵に十字のペンダントを引っ張られ首を絞められている羚がいた。

最後の抵抗か、部屋で羚の戦いの一部始終をのぞいていた蛇蔵が自ら攻撃を仕掛けてきた。

一瞬羚の意識が他へ向けられた隙をついたのだ。

「羚!」

とっさに銃を構える海夷だが

「やめておけ。お前の腕じゃ羚に当たる」

斬頼の一言に発泡はかなわなかった。

右腕の銃を蛇蔵に向けようとする羚だが、ナイフを手にした蛇蔵の腕に押さえつけられている。

左腕は全く動かない。

「ククク…王家クレイバーと言えども、こうなってしまえば身動きはとれまい」

勝ち誇ったように笑う蛇蔵の視線は羚を過ぎると動けなくなっている炎神に向かった。

「お前らには失望したよ。紫炎。お前も修水もこういう時の為に存在しているというのに…負けたうえに情けまでかけられるとは」

炎神はぐっと唇を噛みしめ、視線を反らした。

刀を握ろうとする右手はまだ、細かく震えていた。

「さぁ、終わりにしようじゃないか。レイ・クレイバー!」

突き立てられたナイフが銀の十字の上に紅い雫を垂らす。

「くそっ!羚!まだ右腕は動くんだろ?首飾り切れよ!」

海夷が叫ぶ。

首飾りごと撃ち抜けば、最悪の事態は避けられるかもしれない。

しかし




ままならない呼吸のままその光景を見ていたディアンは思う。

なぜ、あの十字を切れようか。

ただの飾りならば容易なことだ。

けれど、あの十字は誓いの証だった。

背負い続けた誓いを簡単に切れるはずがない。

あれは、ディアンがレイと再会した数ヵ月後のことだった。



ガルデア街中に銃声が響いた。

「レイ様!」

あわてて後を追ったディアンが目にしたのは、銃を握り壁にもたれ掛かるレイとその正面に横たわる二人の死体だ。

「これは…お一人で?」

たった十二歳の少年が大人二人を容易く殺すことなど信じられなかった。

いくらレバン王の血をひく者だとしてもだ。

「俺を狙う奴なんてたくさんいるさ。このくらい…いつもの事だ」

その目は死体を見つめ、涙を浮かべていた。

なぜ、王家に生まれたというだけなのにレイが心を痛めなければならないのか。

この歳で死を見つめなければならないのか。

ディアンはレイにかける言葉を見つけられなかった。

「ディアン…」

「は、はい」

不意に声をかけられ、ディアンの声は裏返っていた。

「父さんは…ずっとこんな世界にいたのか?」

俯いたままの幼い瞳にディアンはなんと答えればいいのか思考を巡らせる。

「レバン様とは…その…状況が…」

話を反らそうとしたが、いずれは話さなければならないことだと気づいた。

今、レイが苦しんでいるならば今話しておくべきだと、聡いレイならば、王の意志をくみ取れるだろうと。



「王でありながら、常に先頭に立っておられたレバン様は何よりも命を大切にしていらっしゃいました」

ディアンの脳裏に、戦う王の姿が蘇る。

いつでも国民の事を考えて、そして、無駄な戦いは一回だってしたことはなかった。

「味方はもちろん、敵ですらも…その戦いで、どれ程の人が救われたか」

上に立つ者としては優し過ぎたかもしれない。

しかし、その心故の信頼だ。

受け継がれるべき想いだった。

「いつか、その心が、レイ様の強さとなる日がくるのでしょうね」

そっと視線を下げれば真剣な瞳が見つめている。

「…強さ」

グレーの瞳はやはりクレイバーの血を感じさせる。

幼くとも、何か力のある瞳だ。

「ディアン…十字を背負おう」

思いがけない言葉にディアンは驚いた。

「十字…ですか?」

「俺は、父さん程意志が強いわけじゃないから…形にしたいんだ。父さんに近づきたい。十字は魂を宿すと聞いたから」

その眼は決して人に頼るような眼ではない。

「今は無理でも、必ず、心を守る戦いをするんだ。敵も、仲間も…その魂を背負える戦いを」

重なるモノは父レバンだ。

ディアンが仕えるクレイバーの意志だ。

幼き命にしっかりと受け継がれた天女リシャベル様の意志だ。

「はい。共に…」

自然と頭を下げていた。

やはりかなわなかった。

レイが掲げるならば同じ道を歩くことを望む。

魂も未来も心も全てを誓い、形にした銀と黒の十字だ。

前を進む者と、その者を守る者の誓いの十字なのだ。




羚は未だ首飾りを切れず、ジリジリと絞まる首に銀の鎖が擦れ、血が滲む。

息もままならない中で何を考えるか。

生きる方法ではない。

今まで、自分は何を守ってきたのか。

相手の心も、仲間も、守れなかった。

背負った十字に込めた誓いも、父に近づきたい思いも、何一つだ。

心が晴れないのは、自分の戦いができないからじゃない。

自分を守る戦いしかできないからだ。

力の入った右手が動く。

噛み締めた口から血が流れた。


乾いた音が響いた。


時が止まったように感じられた。


蛇蔵も


羚も


海夷も


リリィもディアンも斬頼も紫炎も


流れと音が


全て飲み込まれた。


動かしたのは十字だ。

映し出された深紅の血を背景に、

「羚!!!」

海夷の声がこだました。




(流れる血が止まらない

息ができない

もう、背負うこともできないんだ

父さん…あなたの元へ行きます)





ポタポタと紅い雫が落ちる。

蛇蔵がとらえた羚はぐったりとし、首から大量の血液を流していた。

それをとらえる蛇蔵も肩から血を流していた。

「コイツ…自分ごと撃ったのか」

羚が放った銃弾は十字の鎖と羚自身の首だ。

そして蛇蔵の肩を貫いた。

ズルリと床に倒れ込んだ羚を蛇蔵が踏みつける。

「ククク…ハハハ…これでクレイバーは滅びた!」

<バシッ>

「なっ!?」

高らかに笑う蛇蔵の足下に一発の銃弾が音を立てた。

「…領炎寺」

海夷の銃から煙が上がる。

「こんなところで終わらせるなよ!お前が前に行かないでどうするんだ!」

海夷が叫ぶ。

「海夷」

涙を溜めたリリィが海夷を見つめた。

「意地でも生きろよ!俺達の光になってくれよ!」

声は確実に羚に届く。

『ひかり…』

ガルデアで男が呟いた。

『太陽みたい』

夕日の中でリリィが言った。

『輝いていたから』

助けてくれた少女が話した。

(どいつもこいつも俺を光呼ばわり…)

それほど強くはない。

光をくれるのは回りの人間なのに、握られた拳に最後の力をこめて突き飛ばした床が酷く重たかった。

体は階段を転がり落ちる。

「羚!」

リリィが駆け寄る。

「この死に損ないが!」

ナイフを投げつけようとする蛇蔵だが二発目の発泡に遮られた。

「チッ…」

蛇蔵はそのまま奥の部屋へと消えていった。

「羚!羚!」

リリィが羚を抱え呼び掛ける。

しかし、反応はない。

海夷はゆっくり銃をおろした。

(どうして…当たらないんだ)

狙ったのは床でもナイフでもなかった。

ぐっと目を閉じ、次に開けた時は羚とリリィの元へ走った。



「……うっ…」

ディアンが立ち上がろうとしたが痛みが走り、力が入らない。

「動くな」

止めたのは斬頼だ。

この状況にもかかわらず煙草をふかしている。

「普通の傷だと思ってんのか?」

巻かれた包帯はその傷の重さを伝えている。

「しかし…私は羚様のそばにいなくては…」

その言葉に呆れた斬頼が煙をはいた。

「それは生きてなきゃ意味がないだろ?」

「えっ?」

意味がわからない言葉に戸惑うディアンだが、次の言葉にホッとする。

「心配するな。奴はこのまま死なせねぇよ」

ニヤリと笑う斬頼は決して味方とは言えないが、嘘をついているようではない。

「斬頼!早く来てよ。血が止まらないよ」

リリィの声が斬頼を呼んだ。

(さぁて、このまま放っておくのもいいが、生かしておいた方が面白そうだ

もう少し苦しんでもらうぞクレイバー)

口から離れた煙草が床に落ちた。


ピチャン…ピチャン

水が落ちる音が聞こえる。

暗闇の中に羚は立っていた。

「……ここは…どこなんだ?」

もしかしたら黄泉の国かもしれない。

あの出血では助からないだろう。

考えることもやめようかと思うと、どこからか鈴の音が聞こえた。

チリン、チリン、チリン…

それは徐々に大きくなり羚の後ろから近づいてきた。

ゆっくり振り向けば、そこにいたのだ。

「…白い、竜」

薄黄緑色の美しいたてがみと金色の角、吸い込まれそうなほど澄んだ瞳は

「…リシャベル、様?」

直感が教える。

竜は応えるように羚に触れた。

『聞こえるか?レイ・クレイバー』

脳に直接響く声は温かい。

『愛しき人の血を受け継ぐ者よ』

優しい瞳が羚を見つめた。

『私は待っていた。お前が来る日を』

穏やかな空気は白竜から放たれ、羚を包み込む。

『歴代全ての主を見守った。もちろん、お前の父レバンも、そして…お前も』

ただただ驚く羚に白竜は続ける。

『だが、レイ、お前にはまだやるべき事がある。

心を守る戦いをするのだろう?

ならば生きて示せ。

光であり続けてみせろレイ・クレイバー』

手は震えている。

「光?」

なれはしない。

『そう。彼らの光となれ』

無理な話だ。

「しかし!」

想いは叫びに変わる。

「俺の瞳は、もう、その純粋さを失ってしまっているのですよ?」

人の道を外れ、獣の道を選んだ自分が、再びクレイバーの、レビアの、人の道に戻れるなど思いもしなかった。


目を丸くした白竜はふわりと笑う。

柔らかく温かな瞳を残し、一瞬、その姿が消えた。

鈴の音と共に再び現れたのは黒く長い髪の少女だ。

トンと水面に立ったその姿は、紛れもないリシャベルの姿だ。

『失ったのならば、取り戻せばいい』

歩みよるリシャベルがゆっくりと語る。

『お前はクレイバーの正統な血を持つのだ』

その顔がぐっと羚にちかづく。

『ロイの意志を宿した者だ。出来ないはずがない』

純粋で優しい明るい笑みだった。

ギュッと抱き締めると鼓動を聞くように目を閉じる。

『感じるよ。お前の中に流れる温かい血潮を』

それは確かに温かく、竜であった事が嘘のようだ。

リシャベルは続ける。

『その瞳は私の贈り物なんだ。ただの瞳じゃない。心を見る瞳だ。相手の心を掴み、惹き付ける。人には主導者が必要だ。それは自分だけを信じてはならない。かと言って、信じ過ぎてもならない。』

かつての王のように人を信じなければ、やがて、滅びる。

信じ過ぎてしまえば、上に立つ意味がない。

『信じればいい。自分を。お前が信じる道を進め。信じるべき人は見えるはずだ。自分を信じれば必ず分かる』

リシャベルの目にはロイが映る。

『お前が守りたいと願うなら、私は守ろう。お前がそう、信じてくれるのなら』

神として世界を見渡す白竜は薄れゆく人々の信仰心に悲しみを覚え、地に足を着けた。

そこで出逢ったロイは最後までリシャベルを信じた。

『伏せてしまえばそれまでだ。お前は前に進まなければならない』


リシャベルが示した先から何かが聞こえる。

それは“声”だ。

『聞こえるだろ?お前を呼ぶ声が。』

暗闇に立つはずなのに、何もないはずなのに、目の前に道があるようだ。

『歩き続けろ。声が届く限りに』

姿は消えた。

鈴の音だけが鳴る。

「…声」

踏み出した足は水面を揺らす。

声は少しずつ近くなり、淡い光が先に見えた。

(俺が信じた道は…いったい何だ?ここまで、何を信じ、何を目的に生きた?)

光は強い。

その光を直前に足が止まる。

『何でもいい。過去を問うな。レイ。』

聞こえた声は懐かしく。

『未来を信じなさい。』

「…父さん」

誰よりも尊敬する父親の声だ。

『私達の心はお前と共にレビアにあるのだから』

右手が左腕の紋章に触れた。

リシャベルに導かれ、父に促され、手を伸ばした。

光は強さを増し、闇を照らす。

吸い込まれる羚が振り向いた先に、穏やかな笑みを浮かべる父と母が立つ。

『お前は自慢の息子だよ』

羚は光と共に闇を抜けた。

消えた光のあとに、一粒の雫が落ちた。




痛みが体に戻ってきた。

身体中が痛い。

やはり、生きているのか。

羚の耳に声が聞こえる。

泣きじゃくっているのはリリィだ。

うるさく叫ぶのは海夷だ。

少し離れて噛みしめるように呟いているのはディアンだ。

この身体は戦えるのだろうか。

せめて、信じる者を守るだけの力が残っているといいのだがと、重い瞼をこじ開ける。

目の前が霞む。

開いてもうまく光をとらえられない。

「羚!よかったぁ」

ぼんやり見えたのは赤い三角に声を振り絞るも、

「……海夷」

上手く声が出ない。

消えそうな羚の声は届いただろうか。

「まだ、動かないでね。斬頼が手当てしてくれているから」

何だかんだ、斬頼には助けられてばかりだと思い返す。

息をするのも辛いが、生きている事を実感できた。

「あぁ…本当に…よかったです」

ディアンは泣いているようだ。

声が震えている。

「輸血用の血液を持ってきて正解だった。普通ならショック死でもしそうだが、コイツの身体は鈍いらしい」

確かに、酷い出血だった。

死の覚悟もした。

それでも、羚は生きている。

リシャベルの力なのか、そういう運命なのか。

いずれにせよ、彼は生きるべきらしい。

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