第10話 狂者
リリィが白流と戦っている間も羚たちは上を目指し走り続けていた。
「…なぁ、リリィ、大丈夫だよな?」
海夷が羚に問いかけた。
「あぁ。戦闘には負けても、リリィなら大丈夫だ」
ただ前を向いて走る羚
「…意味わかんねぇ…」
「心配いらないってことですよ」
後ろを振り向く海夷を遮るようにルシファーが声をかける。
「………」
少し黙った海夷だったが、
「なんか、ルシファーって、このしゃべり方似合ってるよね」
と、無駄話を始めた。
「そうですか?」
「うん、妙に合ってる」
二人が和やかな雰囲気になったころ、先導していた羚がしびれを切らした。
「お前ら、しっかり前を見ろ!」
振り向いた羚を見ると、
「うん、ヤッパ、羚はそうでなくっちゃ」
と、笑うのだ。
それが海夷の気配りだった。
ディアンは羚の顔を見て思わず笑みをこぼす。
階段を上がりきると四階にたどり着く。
さらに上を目指すには広間を抜けて別の階段を探さなければならない。
しかし、その広間に待ち構えていたのが
「ったく、待ちくたびれた。これだけ待たせたんだ、楽しませてくれよ?」
肩をならしている青川だ。
見せつけるように刀をなめる。
背に扉の隠してだ。
「…青川・修水」
ディアンが呟く。
「彼は、私に任せてください」
刀を構え青川に向ける。
「『銀髪の悪魔』、か。厳山のオヤジを殺ったやつだな」
人差し指を突きつけて言うのだ。
「オヤジを殺ったからって俺はお前の実力は認めねぇ。あんな老いぼれ、殺す価値すらネェからな」
その目が睨むのはディアンだけではないだろう。
「羚様、海夷、先に進んでください」
剣を構え、青川を睨んだままのディアンがささやく。
羚たちはただ黙って二人を見ていた。
「すぐに道を作ります」
ニコリと笑うディアンだが、緊張し続けている海夷に対し羚は少し心配をしているようだった。
「ディアン、無理は…」
羚がそこまで言うと遮るようにディアンが話す。
「羚様、あなたは先に進まねばなりません。たとえその先に闇が広がろうとも。誰よりも先に」
握り直した刀が真っ直ぐ伸び、銀の刃がキラリと光る。
一瞬俯いた羚だったが
「早くしろよ。羚!」
海夷の言葉に促され足を踏み出した。
「させるかよ。全員俺の刀の餌食にしてやる」
細長い青川の刀が走る二人に向けられた。
だが、それはたった一瞬のことだ。
すぐにディアンの剣が青川の行く手を妨げる。
<キンッ>と、羚にとっては聞き慣れない金属のぶつかる音が響く。
扉を抜ける頃、羚の眼は真っ直ぐ前を向いていた。
それを確認した海夷はホッとして振り向いた。
ディアンが青川の刀を受けながら
「迷わず進みなさい!リシャベル様の御加護があらんかぎり!」
と、叫ぶのが聞こえたからだ。
ゆらゆらと揺れる扉の向こうに二人が進んだ事を確認し、青川を弾き飛ばす。
その好きに扉の鍵を閉めた。
ここには青川とディアンがいるだけだ。
「ちっ……まぁいい。逃がした分はお前で楽しむとしよう」
不敵な笑みはぞっとする。
空腹の獣のように血を求める眼は誰よりも悪魔に近いものだろう。
「理由無き争いを続ける者にヘビの牙は防げませんよ?」
言うまでもなく、ヘビとはスネーカーを指す。
誇りと忠誠心に満ちた刀は鋭く光る。
だが、青川は鼻で笑った。
「そんな迷信、まだ信じていやがるのか?全くバカな野郎だ。」
不快な笑いが部屋を包む。
「神だとかリシャベルだとかヘドが出る。そんなもんを信じて何になる?」
青川の喋りはディアンを明らかに見下していた。
「忠誠?正義?そんな言葉は世界に要らねぇ。国民を見てみろ!正義がどこにある?忠誠?違う。力ある者にひれ伏すだけだ。」
その威勢のよさは気持ちのいいくらいだった。
彼のなかに信仰はない。
戦いの本能にのみ従順な瞳だ。
「まったく、あなたのような人は苦手です。」
右目は常に青川を睨む。
「苦手で結構。俺は戦えればそれでいい」
獲物を目の前にした獣のような表情を見せる。
ここ数日、この城で過ごしたせいか、青川は血に飢えていた。
血を好む秋水が訪れる戦場は赤い川のようになるという。
そして、誰一人として、その川からあがることはできないと。
「二人を行かせてよかった」
ディアンがぼそり呟く。
この戦いは荒れるだろう。
そして、決着の行方が全く見通せない。
最悪の場合、羚の恐れる結果となるだろう。
「私はあなたを倒します。それが、今回、私に与えられた使命です」
左目に宿る迷い無き忠誠心、レビアで唯一剣を許された誇り高き隊だ。
「レビア軍第二騎隊隊長、ディアン・スネーカー。リシャベルに敬意を表し、いざ栄誉あらん闘いを」
唱えたのは古くからのまじない。
敵軍に乗り込む際には必ず行う儀礼だった。
天女リシャベルを崇拝し、クレイバーに忠誠を誓ったスネーカーの敬意の儀、国を守る結納ある伝統。
それを苛ついた目で見つめる青川がくだらない、と言わんばかりのため息は辺りにゆっくり広まる。
充満した呆れた空気は微かではあるもののズシリと重く感じられる。
「そういう錆びれたセリフが、俺は嫌いなんだよ!」
勢いよく仕掛けたのは青川だった。
言葉は怒りに満ちているようだったが、表情は実にイキイキしている。
<<ギンッ>> 鉄と鉄とが擦れキリキリと不快な音を作り出す。
鉄はついては離れ、離れてはぶつかり何度も不快な音を響かせた。
「ハハッ。いいじゃねぇか。流石、二騎隊の隊長だ。」
青川は口を動かしながらも重い刀を振るう。
刹那、ディアンの剣が頬をかする。
ピタリと互いの動きは止まり、深紅の血が時間をかけて滑り落ちる。
「意外、ですか?私の剣が貴方に触れることは」
金色の目が光る。
青川は冷たい視線を向けるとすぐに笑った。
「ハハハッ。上出来だよ。これでこそ戦いの意味がある。さぁ、楽しませてくれ!」
両手を拡げる青川は無防備だ。
だが、ディアンは動かなかった。
否
動けなかった。
凄まじい威圧、並の者ならば腰を抜かしてしまうのではないだろうか?
「どうした?まさか怖じ気づいたんじゃねぇだろうな?まだまだ楽しみはこれからだ!」
長い刀を自在に振り回す青川の戦いは雑だった。相手も青川自身も血にまみれるような。
「お前だって同じさ。いや、お前だけじゃない。レビアの人間は俺と同じなんだよ」
強い殺気をその体に纏い、獲物を縛り付ける冷徹な目を向けたまま大きく刀を振り下ろした。
その直後、瞬間的にディアンの視界から青川が消えた。
「!!?…何!?」
次に捉えた時青川はディアンの左側に迫っていた。
「オラッ!気ぃ抜くなよぉ」
ギラリと光った瞳にディアンはとっさに剣を振った。
刀がぶつかった反発力で間をとったディアンの左肩から赤い液体が流れる。
「…っく」
しかめた顔から汗が噴き出す。
青川は浴びた返り血をペロリと舐めた。
「ククク……いいねぇ。やっぱり血は流れてなきゃぁ面白くねぇよなぁ?」
獣の瞳はニタリとディアンを捕らえていた。
「っぐ……死角を…狙ってきましたか…」
左目に傷があるディアンの視界は狭い。
青川は容赦なく死角を狙ってきた。
《奴に正々堂々なんて無駄だぞ》
ディアンの頭に残る斬頼の声が蘇える。
忠告は受けていた。
勝つ為には手段を選ばない戦い。
『サタン』とは合わない正当でない無茶苦茶な戦闘なのだ。
「卑怯か?違うな。生きるか死ぬかの戦いに、卑怯も卑劣もありはしない。生きた者が勝ち。ただ、それだけさ!」
大きな声はビリビリと振動した。
納得いかなかった。
守る意外に戦う理由などない。
人であろうと、物であろうと、自分自身であろうと、守るために戦うのがレビアだ。
なのに、青川の戦いは傷つけるだけだ。
できれば、無駄な戦闘は避けたい、早く、羚に追いつきたかった。
「何ボサッとしてんだぁ?まさか、もう動けねぇなんて言わねぇよな?」
本当に、楽しむだけの戦いなのだろうか。
「まさか。まだ、始まったばかりなのでしょう?」
そうは言っても、やはり左肩はズキズキと痛い。
なんとか左の死角をカバーしなければならなかった。
「何考えてんだ?思考なんて棄てちまえよ。この戦いには必要ないもんだ」
「ただの獣と同じにしないで頂きたい。レビアの民は思考なくして戦いません」
右腕ならば、動く。
たとえ、左肩を切り落とされても、戦うつもりでいた。
ディアンの息は徐々に落ち着きを取り戻した。
肩に刀をかけている青川はニヤニヤと笑っている。
「レビアだって同じだろ?戦いにとり憑かれた獣の国だ。何が違う?常に戦場に立てば自然と獣に近づいていく。鎖なんて取っ払えばいいんだよ!」
吐き捨てた青川をディアンの右目はじっと青川を睨み付けていた。
「違う!レビアは獣の国ではない。人間[ヒト]の国です」
そう、言い放つと右腕だけで大剣を振ってみせた。
「あぁあ、そうかい。なら、その国の為に死ねばいいさ。死角のあるお前が俺に勝てるはずがない」
言い切った青川に初めてディアンが笑みを見せた。
「べつに、見えない訳ではないのですよ?」
明らかに?が浮かんだしかめっ面を剣が指した。
「レビアの民は王家を信頼し成り立っていた国です。神よりも王を信じる人が多い」
剣の柄に描かれたレビアの国旗がきらりと光る。
うっすら笑うディアンの意は青川には伝わらない。
「それがどうした?」
痺れを切らした青川は肩をならしていた。
「私は、信じていますよ?神の存在を」
表情は実に優しいものだった。
「はぁ?……ハハハ!傑作だ!何を言い出すかと思えば。」
青川が顔に手を当てて笑う。
「馬鹿もいい加減にしろよ?何を根拠に信じるんだよ?この場を神が助けてくれるとでも言うのか?」
ぐっと刀を握りしめ、素早くディアンの左側に潜り込む。
(捕えた!)
青川でなくとも、普通の者なら誰でもそう思っただろう。
しかし、ディアンの剣は確実に刀を捕えていた。
「!!?……何だ?その眼は」
驚くのも無理はない。
あれほどの傷の下にある眼球が無事であるはずがないのだ。
にも関わらず
「すぐに、疲れるんですよ。この眼は…」
開かないはずの瞼の下にあったのはまるで血で染め上げたかのように赤い眼だった。
「あり得ねぇ!」
青川は叫んだ。
「あんだけ深い傷を受けておいて、無事なものか!」
乱暴な言葉はビリビリと響いた。
「えぇ。私も信じられません。しかし、これが事実です」
ニコリと笑った。
歯を噛みしめる青川は何も言わなかった。
しかし、紅い眼は正常に景色を映し出さない。
赤いセロハンを透して見るように視界が赤に染まる。
これが神経は良くない。
疲れることもあるが、それ以上に精神が狂いそうになる。
金の目が人の眼とすれば、赤の目は捕食者の眼と言うべきか。
とにかく、抑えきれない衝動が沸き起こる。
(のみ込まれる前に…)
捕える獲物はもちろん青川だ。
次はディアンが仕掛ける番だった。
「いきます」
小さな声は確実に響き、左肩の血を置き去りにして一気に間を詰める。
これが隊長時代の戦いかた。
真っ直ぐ走るディアンを斬ろうと青川が刀を振れば急に飛び上がり上空から剣を突き立てた。
ヒビの入った床が悲鳴をあげる。
<ポタッ、ポタッ、>
少し間を開けて赤い血液が床を濡らした。
「…クソが…」
青川の目は怒りに充ちている。
捕食者は尚も剣を振りおろそうとしている。
「何度も喰らうかよぉ!」
鈍い音を立てて二つの鉄は引き離される。
二つ荒い呼吸が部屋を満たした。
ディアンは一言も発しない。
青川は何やらぶつぶつと呟いていた。
斬られない自信があったのか。
特殊な眼への嫉妬なのか。
青川は苛ついていた。
「その眼、もう一度…潰してやる」
呼吸を整えるとすぐにディアンへと斬りかかった。
傷のせいでたいした速さはなかったが気迫だけは圧倒的だった。
左目が使えるディアンに、そんな攻撃は見切れる。
しかし、彼の傷もまた、浅くはない。
右手のみでなんとか耐えるもののおされているのは一目瞭然だ。
徐々に壁へと追い詰められた。
ディアンの背が壁と擦れ合い、もう一歩もさがれなくなった。
青川はニヤリと笑い、ザクッと一突き、脇腹を刺した。幸い内蔵は避けることができたが、
「う゛っぁぁ…」
短い唸り声がした。
青川はその声を楽しむかのように叫ぶ。
「どうした?さっきまでの威勢は何処にいったぁ?眼に体がついていかねぇじゃねぇか!」
刀を振り上げた時だった。
ブワリと下から風が吹いたのだ。
赤と黄の目が光る。
目には無数の血の粒が映し出された。
剣は天井を指したままずいぶん長く感じられた。
赤は急に速度を上げて吹き出した。
「な………にが…」
青川の体は斜めに深い切り込みが入り、ゆっくりと後ろに倒れていった。
血液が剣をなぞる。
<ポタッ、ポタッ・・・>
一粒一粒が音を立てて落ちていった。
青川は目を見開いたまま倒れた。
「これが、レビアの力です…」
息を切らしながらゆっくりと口を開く。
決して無事とは言えない傷がディアンを苦しめていた。
「……早く…いかなければ」
グラグラする頭を少しでも鎮めようと左目を閉じ扉に目をやった。
この時、ディアンの頭は早く羚に追い付きたいことで一杯だった。
まだ 敵の息があるにもかかわらず…
「まだ、終わらせねぇ!」
油断したディアンを下から斬りつける。
その攻撃は防ぐ間を与えなかった。
いや、もう、防ぐ力などなかったのかもしれない。
紅い血は再び舞い上がった。
二つの影は同時に地に落ちていった。
出血により青川の息はすぐに絶えた。
ディアンは僅かに残る意識を扉に向けた。
「羚……様…」
赤い部屋は静まり返っていった。
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