第8話 記憶


記憶は羚が四歳の頃にさかのぼる。

当時のレビアは小国との戦争を終えたばかりで治安は安定していた。

ディアン・スネーカーはこの時の実績を讃えられ二騎隊の十二代目隊長に昇進した。

どんな敵でも真正面から飛び出し、いかなる攻撃も払いのける戦いは上空から攻める天使のようだと。

「おめでとう。ディアン」

二騎隊隊長の証である白いマントが国王から直接手渡された。

「光栄です。名に恥じぬよう、これからも精進いたします」

深々とお辞儀をして受け取ると、レバンは堅苦しくするなと笑った。

レビア軍第二騎隊は飛び道具を得意とするレビアで唯一剣技の許されだ部隊だ。

この隊で名をあげることは容易ではない。

それほどディアン・スネーカーの剣技は素晴らしかった。

「父ブラウンに似てとても優秀だ。今後の活躍に期待しているよ」

レバンは優しい笑みで語る。

早くに亡くした父を讃えてくれることは何よりうれしいことだった。

「早速会議が入っているな……書類を…渡さねば」

予定を記した手帳には確かに会議の事が記されているというのに、キョロキョロと見渡すが書類がない。

「しまった。書庫に忘れてきたようだ。すまんが、とってきてもらえるか?書庫の一番奥の机にあるはずだ」

司書に催促されながら困ったように笑う。

「分かりました。一番奥の机ですね」

王が忙しいことは分かっている。

快く引き受けたディアンに礼を言って、レバンは席を立った。





王の部屋から書庫までは長い廊下がある。

レバン王は読書を好まれ、毎日のように書庫や図書室を利用していた。

国民の共同図書館を利用することもある。

「珍しいものだ。一国の王が国民と並んで読書をなさるとは」

一人呟きながら書庫に入る。

古く錆びかけた扉は<ギギギギギギ>と独特な音を立てた。

とたん

「うわっ!」

小さな叫びと<ドサドサ>という落下音がなる。

何事かとディアンが駆けつけて見ると子供が一人大量の本の下敷きになっていた。

一瞬戸惑ったディアンだったがその金糸の髪を見て

「っ!レイ様ではありませんか!」

大急ぎで本をかき分けた。

幸い怪我はしていなかったようだ。

「一体何をしていらしたのですか?」

パタパタと埃を払う。

「本が…読みたかったから…」

叱られると思い目線を下の方に向けていた。

「本なら図書室にあります。何故書庫に?」

レイの部屋から近いのも図書室であり、書庫まで来るには何か理由があるのだとディアンは考えた。

「図書室に行くと…絵本しか渡してくれないから…」

レバンの影響か、にも幼い頃からよく本を読んでいた。

たった4つでも難しい書物を読んでいた。

レイが持っている本もなかなか難しそうである。

「このような難しい書物をお読みになるのですか?」

『戦時記録』

と書かれた本はざっと千数百ページはあるだろう。

「だって、他の本は読んじゃったから…」

当たり前だというように答えた。

「流石、ですね」

ディアンは優しく微笑んだ。

「怒らないの?」

確実に叱られると思っていたレイは目を丸くしていた。

「怒らなければならない理由がありますか?それとも、私はそれほど怖い顔をしているのでしょうか?」

シワを寄せた眉間に人差し指をあて考える仕草をみせる。

じっと見ていたレイは首を傾げた。

「怖そうには見えないけど…父さんは…書庫に勝手に入るなって」

レイはここに入るなと言われていた。

けれど子供の好奇心は抑えられないものである。

「仕方ありませんね。私が書類を見つけるまでに本を選んで下さい。」

微笑むディアンに喜ぶレイは直ぐに数冊の本を取り出した。

ディアンは書類を手にすると、

「ここで会ったことはレバン様には内緒、ですよ?」

人差し指を口に当てて、

「次は夜に忍び込みましょう」

と、子供のように笑うのだった。

「うん。ありがとう……えっと…」

名前を呼ぼうとしたレイだが、レイは名を知らなかった。

直ぐに気付いたディアンは

「ディアン・スネーカーです。」

「!ありがとうディアンさん。あと、二騎隊隊長就任おめでとうございます」

父からディアンのことは聞いていたようだ

驚いたディアンは、少し照れたように

「ありがとうございます」

と頭をかくのだった。

その後、二人は何度か書庫に忍び込んでいた。

もちろんレイもディアンもそのことを誰にもしゃべらなかった。

レイがディアンに最後に会ったのは仁国戦の3ヶ月前、先陣の二騎隊が無事に帰ることを約束し、ディアン・スネーカーは戦場に赴いた。

主従よりは友人、互いが知らないうちに肩書きとは少しばかりずれた絆が生まれていた。

それは、再会の日に気付いたこと、いや、それはディアン・スネーカーの限りない忠誠心によるものかもしれない。





仁国戦の勃発からわずか半年、ラーバール大陸最強を誇っていたレビア王国が危機となる。

その時を予知してかレバン王は妻アルシアとレイをレビアの奥地グラマドへ逃がした。

「アルシア…レイを頼んだ」

幼いレイはなぜ家を離れなければならないのか幼いながらに悟っていた。

「…あなた。気をつけてくださいね」

涙ぐむ母をよく覚えていた。

「レイ…元気でな」

父の大きな手がフワリと頭に乗る。

「父さん…また、会えるよね?レビアは負けないよね?」

繰り返し訪ねるレイに

「お前が信じれば…レビアは負けやしない」

悲しみをしまい込んで笑うのだった。

馬車に乗り込む頃、急に寂しさが押し寄せる。

小さくなっていく父に身を乗り出して叫ぶ。

「父さん!絶対迎えにきてよ!父さん!」

何度も何度もその姿が見えなくなるまでずっと。



グラマドは田舎町だ。

緑の多い穏やかな土地だった。

レイとアルシアはそこでひっそりと暮らしていた。

その一年後早すぎる敗戦が告知された。

レイはそれを母アルシアに伝えなかった。

アルシアは病を患い寝たきりになっていたからだ。

毎日毎日

「きっともうすぐ、父さんが迎えに来てくれるわよ」

と呟いていた。

とても、残酷な運命をレイは恨んだ。


ある日、レイは水瓶が空になっていることに気付いた。

「母さん、俺、水汲んでくるよ」

バケツを手に外へ出ようとした時だった。

母がゆっくり起き上がり、レイに語り始めた。

「レイ、運命には神の意志があるの。神は世界を均等に保つために見方する人を選ばれる。クレイバーはリシャベル様を通じて神と交わりを持ってきた。私達は均衡を守ってきたわ。この運命はきっと、あなたの為にあるの。憎まないで。信じなさい。母さん、信じているからね」

何かが胸に刺さったような感覚に襲われる。

「…ぅ…うん。分かってるよ。俺は誰も憎んだりしないから」

先程まで恨んでいた神は自分の神ではないと言い聞かせ、母に微笑めば母は安心して眠りにつく。

それを確認すると、レイは物音をたてぬようそっと家を後にした。

さらさらと流れる小川で一杯の水を汲み家へ帰ろうと振り向いた時だった。

何やら家の方が騒がしい。

「…母さん……!!」

バケツをひっくり返し、あわてて戻る。

そんなに距離はないが荒れた山道だ。

何度も転びそうになる。

必死になって走る間レイは母の無事以外何も願わなかった。

やがて声が近くなる。

何かもめているのが分かる。

「アルシア様を守りぬくのだ!」

グラマドの者たちの声と「殺せ」と言う叫びが聞こえる。

仁国の者がアルシアを殺しに来たのだ。

繰り広げられる殺戮に幼いレイは身動きできなくなってしまった。

心臓が張り裂けんばかりに脈を打ち嫌な汗が頬を伝う。

やっとの想いで足を動かすと裏の道を真っ直ぐ走り家へ入った。

裏口からアルシアの部屋に行くと幾つかの人の影がみえた。

それは一つを残して順に倒れていった。

「………ウィルおじさん」

血をまとったその人がアルシアとレイの世話をしてくれていたウィルだと気付くのにかなり時間がかかった。

ウィルが戦う姿など見たことがなかったからだ。

ウィルはレイに視線を合わせた。

「レイ様、すぐにここから逃げなさい。直ぐに新たな追手が来るでしょう。あなただけでもお逃げください」

ウィルはレイに言い聞かせる。

「あなただけがレビアの望みなのです。早くお逃げください」

声が、色が、臭いが恐怖を膨らませる。

決して逃げる事の許されない運命だ。

「おじさん……母さんは…」

震える喉で精一杯の声で問えば、ウィルがそっと微笑む。

「レバン様の元に旅立たれました」

涙が流れた。

紅い血と、無色の涙が交互に流れ落ちる。

同時にレイの瞳からもこれ以上ない程の涙が溢れた。

「早く!裏から逃げなさい!決して振り返ってはいけません。真っ直ぐ走りなさい!」

全力で地を蹴った。

ウィルの声が聞こえなくなっても走り続けた。

行くあてもないというのに真っすぐ真っすぐ、ただ、真っすぐに。




三日というのは早いものである。

牢から連れ出された二人はドーム状の処刑場に引っ張られた。

まわりは観客がすきまなく座っている。

「っは。物好きな事で…」

相変わらず勝ち気な笑みを浮かべる羚に少しばかりルシファーは不安になっていた。

「まさか、本当に処刑されるおつもりですか?」

ここまで来てしまったら逃げ道はない。

しかし、羚は冷静で、

「なに、計画通りさ」

と、呟いた。

場内に出ると何にたいしてのブーイングか、無言で石やゴミが投げつけられた。

警備の者が止めるわけでもなく幾つかは羚やルシファーに当たった。

「無様なものだな」

隣で縄を持っている兵が呟いた。

「そうか?これがブーイングとは限らないだろ?」

何か意味有り気に笑う羚にわずかに戸惑う。

中央の台に磔にされ正面で刀が構えられた。

「言い残す事はないか?」

問いに躊躇なく答える。

「『残すもの』はない。俺たちは死なないからな」

何処までも仁国をバカにした言い方だった。

「ならば、後悔するがいい。仁国を敵にまわしたことを」

刀が真っ直ぐ喉に向かう。

何時になくゆっくりと感じられた。

一瞬、兵の目にニヤリと笑う羚が見えた。

何か後ろに大きな力があるかのような強い眼をしていた。

次の瞬間、刀は弾かれ体は地に叩きつけられる。

<何が起きた?>

会場にいた誰もがそう思った。

「ほらな。俺たちは死なないと言っただろ?」

得意気な羚の前に立っていたのはルシファーだった。

「バカな…いつの間に縄をほどいた?」

目を丸くしている兵にルシファーは種明かしをする。

「実は、観客の中に親切な人がいましてね。こんなものを包んでくれました」

黒っぽい紙を捨て去ると、彼の右手に小型のナイフが握られていた。

「では、始めましょう!」

合図と同時に観客席から複数の影が会場に降りてきた。

土色のマントをはおるその者たちは次々と兵を銃で打ち中央に集まった。

「おい、早くほどいてくれないか?」

未だ解放されない両腕をギシギシいわせる羚に

「何も言わずに出ていった罰じゃない。」

怒りを隠した清々しい笑みは周りを凍らせた。

「り、リリィ…悪かった。敵を騙すには味方からって言うだろう?」

あせる羚に追い討ちをかける言葉があった。

「だからって、許せないよなぁ。ルシファーや斬頼には話していたくせにさ」

赤いハチマキがなびく。

黒い銃から発射した弾丸は器用に縄だけを突き抜けた。

「…海夷」

「再開を喜ぶ時間はないね。仁国の兵力は俺が一番理解している」

海夷がにらむ先からぞろぞろと仁国の兵士が出てくる。

「よっしゃ、いっちょヤりますか!」

海夷から投げ渡されたのは白い銃だ。

パシッとつかめば羚本来の眼が戻る。

「あぁ、派手にやり合おうじやぁないか!」

ワァーっとあげる雄叫びは会場中を震わせた。

「ルシファー、はい。あなたの大剣。」

リリィがルシファーに渡したのは身の丈程もある大きな刀は、若くして二騎隊の隊長に選ばれたディアンの唯一の武器だ。

「リリィ。ありがとう。」

「ほんと、持ってくるのに苦労したんだからね」

ルシファーに怒っているリリィの後ろで

「自分で持っていくって聞かなかったくせにさ…」

と海夷が呟いていた。

「さぁ、お遊びはここまでですよ。羚様。場内は我々に任せて、先にお進みください」

一人が話せば他の者が続ける。

「狙うは蛇蔵の首ですよ!」

「我らの思い、突きつけてやってください!」

威勢の良い、気持ちの良い声援だ。

羚は真上に銃弾を放ち

「海夷、リリィ、ルシファーは俺と共に蛇蔵の元に向かう。他の者は場内で足止めを頼む」

光ある指揮官の姿を見せた。

「死ぬことは許さない。」

睨みに応える笑みは固く誓った印は、言葉にせずとも通じる思いだ。

場内には仁国の兵が集まってきた。

「あ~あ、羚がのんびり話しているから…集まっちゃったよ」

海夷がのんびり口を開く。

「大丈夫よ。あんなの私たちの敵じゃないわ」

リリィがライフルを構えた。

彼女の武器は連射可能な小型のライフルだ。

連なった銃弾が微かに揺れる。

標準を合わせようとしていると

「いえ、リリィ、ここは私が道をつくりましょう」

横から止めたのはルシファーだった。

「雑魚相手に連射は弾の無駄使いですよ」

構えられた大剣はより大きく見えた。

「皆さん、しっかりついてきてくださいね」

皆の脳裏に蘇る二騎隊隊長、風の如く走る軽やかな剣さばき、一振りで数人を斬り倒す技術はあの頃のままだ。

「すげぇ…」

思わずこぼした海夷の後ろから

「早くしろ」

「置いてくよ?」

と、羚とリリィが駆け抜けた。

あっという間に三人との距離は離れ、あわてて追いかける。

海夷はこれからの戦いに喜びを覚えていた。

目の前にそびえる国の象徴が、ただただ遠く感じた事を除けば、それは確実なものとなったはずだ。



仁王蛇蔵は塔の最上階からその様子を見ていた。

塔といっても何十階もあるわけではない。

四階建ての本館から突き出た長い柱のような塔でありてっぺんは十階である。

その為、王を守るために四天王である四人が同じ塔に部屋を持っている。

つまり蛇蔵の元へたどり着くには四天王を倒す事が絶対なのだ。

走りながら羚は説明する。

四人を倒したうえで蛇蔵を追い込む。

海夷の頭から剋嶺大佐の事が離れない。

確かに今は敵だが昔は師であった。

黒牙の名を大佐が受け継いだ以上、倒さなければならない敵だ。

「それぞれ俺が言った相手を頼む」

羚に言われたのは黒牙だった。

知っていて選んだのだろう。

(俺が大佐を殺れるわけないだろ)

海夷の表情は曇ったまま、それをわずかだが羚は感じていた。

眼を合わせようとしない事から確信した羚が

「海夷、黒牙をお前に当てたのはお前の為だ」

リリィやルシファーには聞こえないよう小さく話す。

「今回の戦いは戦力はこちらが上だと知らしめる為。相手の生死は関係ない。お前の好きなように勝てばいい」

やっと振り向いた海夷を、羚は真っ直ぐ前を向いていた。

「サンキュー…羚」

なんだかんだ、ちゃんと解ってくれているのだと海夷は安心した。

本館までたどり着いた四人は扉の前で止まった。

幸い兵は場内に集まったらしく数人しかいない。

数秒で門番を片付けるといよいよ突入だ。

「緊張するぅ。久しぶりに大きい戦いだもん」

楽しそうなリリィ

「必ず勝ちましょう」

優しい笑みのルシファー

「もちろん勝たなきゃな」

やる気満々の海夷

「これが終わったら全員で宴だな」

笑った羚

そうだ。全員で帰るのだ。

そう気付かせた。

目的は蛇蔵を倒す事だ。

けれど、誰一人仲間を犠牲にしてまでは望んでいない。

「うん。皆で飲もうね」

リリィは嬉しそうだ。

「必ず、生きて帰ってこい」

扉が開く。

四人の眼は先にある未来を見据え、光ある決意に満ちていた。

たとえこの扉の向こうに、紅き血の闇が待ち構えようとも生きて帰るのだ。

それがこの任務における絶対条件だ。



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