第6話 捕虜


『サタン』で宴が行われた数週間後の事だ。

海夷はまだ悩んでいた。

『サタン』が起こす仁国への戦いに参加しないとは言ったものの羚やリリィの事は気がかりだし、自分が抜けたからと言って戦いがなしになるわけではない。

国に知らせなくては母国の知り合いが死ぬことになる。

しかし、『サタン』の仲間を裏切りたくもない。

この数週間考えることは同じだった。

考えに考え抜いて頭を痛めたが、答えは一向に出てこない。

「大佐、大佐だったら、どうしますか?」

天井に向かい海夷は過去を思い出した。

真っすぐ、仁国を信じ、国を護る兵士になることを夢見て生きてきたころのことだ。



『領炎寺』とは代々国王直属の軍に仕える兵士の一族だった。

海夷の父親も軍では優秀だと称賛される自慢の父親だった。

父のようになりたいと毎日の稽古は欠かさない。

海夷も12になれば軍に入るはずだった。

10の時、父に連れられて行った軍の稽古場で出会った人にこっそり稽古をつけてもらうのが彼の日課になっていた。

名を剋嶺[コクリョウ]という。

その剣技はむだのない動きで軽く、海夷が尊敬する『大佐』だった。

その日もいつも通り大佐の元に向かう予定だった。

「あぁ。せっかく大佐から稽古の誘いがあったのに…親父のバカ野郎!!」

その日は珍しく大佐から稽古の誘いがあった。

いつもなら海夷が頼まなくては見学すらさせてはくれないため、誘いがあったことに喜んでいた。

それなのに父親の用事でだいぶ遅れてしまい、全速力で軍に向かっていた。

「大佐怒ってるかなぁ…」

規律に厳しいことで有名だった剋嶺は時間を守らなかったことを良くは思わないだろう。

バタバタと軍の廊下を走る。

その途中、いつもはどの扉も固く閉ざされているはずの、ただ一つ古びた音を立てて開いている扉があった。

裏口に近いこの場所は人通りが少ない。

海夷の足は自然に止まる。

以前、大佐や父に頼んだがうやむやにされてしまった、その扉が開いているのだ。

好奇心が足を動かす。

少しくらいなら、そんな軽率な考えで手を伸ばす。

その一時の好奇心が海夷の運命を変えることとは知らずにいた。




「大佐?どうしたのですか?」

稽古場で先に始めていた者達が剋嶺の怒りに気付く。

約束の時間は一刻ほど過ぎていた。

「いや、気にしなくていい。続けてくれ」

顔は笑っているが大佐の後ろには鬼が見えるような黒い靄がでていた。

部下達はこれから来るであろう海夷の事を思うと可哀想でならない。

「……し、失礼します…」

恐る恐る叩かれたノックに皆の視線が集中する。

入って来たのはもちろん海夷だ。

「海夷……約束の時間は過ぎているが?」

そこにいる全ての者が同じ事を思った。

《お、鬼だ…》

「あ、相変わらず爽やかな笑顔ですね、剋嶺大佐…」

誤魔化そうと笑って見せたのだが、

「おい、誰か私の刀をもってきてくれ。今日は真剣でやりたいらしい」

もちろん黒い笑顔だ。

「じょ、冗談ですよ!すみません。父に呼び出されてしまって…」

必死に頭を下げた。

大佐はその様子をみて、

「分かっている。冗談だ。さ、稽古を始めるぞ」

一転して優しい笑顔をみせる。

気が一気に軽くなる。

「……おい、何時サボっていいと言った?」

海夷と大佐の会話を聞いていた者はあわてて稽古を再開した。

「もうすぐお前も立派な兵士だな」

激しい打ち込みの後、剋嶺と海夷は茶屋に来ていた。

バテバテの海夷に比べ、剋嶺は涼しい顔で茶をすする。

「大佐、まだ早いですよ」

海夷は苦笑いでこたえる。

何やら思い悩んでいるような表情に剋嶺はすぐ気付いた。

「何か言われたのか?」

「えっ?あ、いえ…父には何も、言われては…」

視線を落とした先に小さな蟻が右往左往している。

「……俺達は、何の為に…戦うのかな…って」

蟻は砂糖菓子を見つけ、群がり始めた。

「…ふむ……それはお前が決める事だろう?」

剋嶺は飲み終えた湯呑みを隣に置いた。

「私が隊の者を守るために戦うように、お前にもそれなりの理由があるはずだ」

「それなりの…理由、ですか」

蟻が列を作る。

向こうで子供達が石を置いて遊んでいる。

「俺は、まだ理由が分からないです…」

蟻をじっと見つめる海夷は自分を蟻と重ねていた。

「大佐はどうして軍に?」

「ん?私か?父に憧れてね。はじめはそんな理由だった。でも、軍は憧れが通るほど優しくはない。すぐに、私は護る為の戦いをしなくてはと悟ったよ。今ではそれが私の全てだ。」

剋嶺は空を見上げた。

「今日はいい天気だ」

晴れ渡る空。雲一つない。

「そう……ですね」

海夷も空を見上げた。

頬を風が撫でる。

見慣れた町並みにもこんな場所があった。

「風が気持ちいいですね」

海夷は先程までの悩みを忘れ、眠ってしまいそうだった。

「おいおい、眠ったお前を連れていくのは私かい?」

「あっ…すみません」

何とか目を開け、立ち上がる。

剋嶺はその様子を面白そうにみていた。


別れ際、剋嶺が海夷を呼び止めた。

「海夷、私は明日から仕事で町を出る。戻るのは2ヶ月後だ。」

「……2ヶ月」

肩を落とした海夷に優しい笑顔をみせる。

「これをお前に。少し早いが、私の隊の者達からだ」

渡された真っ赤なハチマキだ。

「うわぁ。真っ赤…ってどうしてハチマキ?」

手に取り眺めると、青い空に赤いハチマキが綺麗に映る。

「いつも髪が目に入ると言っていただろ?それで止めればいい」

「あ、ありがとうございます」

深々と頭を下げ、早速つけてみる。

蒼い目の上にきれいな赤がよく似合った。

道の真ん中を走ると、風を受けたハチマキがなびく。

途中振り返り大きく手を振れば、大佐も小さく手を振った。




「あの、2週間後か…親父が死んで、俺が国を捨てたの…」

父は戦死だった。

国の為に戦って死んだのだから栄誉のある死だと誰もが言った。

灰色の天井は暗く広がっている。

「俺は国の為なんかに死ねない。あんな物見ちまったらなおさらだ…」

手で顔をふさぐと思いだされるのは大佐をはじめとする軍の人たちだ。

「…大佐が守る国を……この手で崩せって言うのか?」

大きなため息が部屋を埋める。

自分が仁国の人間であることは変えようもない事実で、大切な人がその国にいることも確かだ。

それなのに、レビアで生まれた絆を断ち切ることはできない。

それどころか過去の過ちを無視することもできない。

「羚は…何がしたいんだ?」

少し休もうと目を閉じた。

まさにその時だった。

大きな爆発音と共に何かが崩れる音がした。

海夷は飛び起き慌てて外に出る。

「一体何…が…」

目の前をたくさんの人が駆けていく。

それすらもただの背景のように思えたのはヒタリと喉元に突き付けられた剣先のせいだ。

「……!!?」

これ以上にないくらいに目を丸くした。

今、その刃を自分に向けているのは、

「剋嶺…大佐?」

「久しぶりだな。海夷」

その顔に昔の笑みはない。

心臓がバクバクと音を立てる。

「…どうして…大佐が?」

怯える海夷に剋嶺は静かに告げる。

「悪いが、人質になってもらう」

肩から引っ張られ、強引に連れて行かれる。

周りを見れば同じように数人の人が捕まり抵抗をしていた。

(大佐!!?人質?まずい…羚が…みんなが…)

必死に抵抗をするが掴まれた手を離すことができない。

ホルダーに手を伸ばすも、肝心の銃は部屋に置いたままだった。




向かった先は大広間だった。

既に仁国軍と『サタン』がにらみ合いをしている。

「!!!!海夷!」

真っ先に気付いたのはリリィだった。

サッと銃を構えるが、グリフに止められた。

「やめろ!捕まったやつらに当たったらどうする?」

「っ……でも…」

泣きそうなリリィを見て、海夷は歯を噛みしめた。

(情けない…情けない…どうして捕まった?どうして周りを見なかった?)

自己嫌悪、それ以外何もなかった。

「ボスを出してもらおうか?」

ルシファーが前に出る。その姿は実に堂々としていたが

「もう一人いるだろう?レビアの主が…」

突きつけられた刃が喉に当たり、一筋の鮮血が流れた。

ざわつく場内に不安が押し寄せる。

この空気に海夷は戸惑った。

剋嶺が何を言っているのか分からないからだ。

「どうやら、仁国もバカじゃないらしい」

ルシファーの後からゆっくり歩いてきた羚に『サタン』の不安が最高潮に達する。

「羚!自滅行為よ?」

リリィが叫ぶ。

「お戻りください、羚様!」

皆口々に羚を止めた。

しかし、羚は声に答えない。

「羚様、よいのですか?」

隣で囁くルシファーに

「あぁ」

たった一言で返す。

うっすら見える灰色の眼は寂しいものだった。

「用件は何だ?わざわざ人質までとったんだ。楽なものではなさそうだな」

先程とは一転し、睨み付ける眼は鷲のようだ。

「『サタンのNo.1とNo.2を連れてこい』それが今回我等に与えられた任務」

剋嶺の言葉に羚は小さく笑った。

「そうか。用があるのは俺とルシファーだけか…」

「どうする?コイツを見殺しにするのか?」

息をするのも恐ろしい程にぐっと力が込められる。

「かつての部下を殺すのか?」

羚は海夷から剋嶺の話しは聞いていた。

(羚……ダメだ)

「裏切り者に情はいらない」

シンとした空気のなか、二人の声だけが響く。

(ダメだ…頼むよ)

「あなた方が抵抗をするのなら、容赦はしません」

先頭の兵が刀を構えた

「望むところだ!かかって来やがれ!」

「卑怯な輩にレビアが屈するものか!」

さわぎだす場内は今にも糸が切れそうだった。

「静かにしろ」

たった一言が、騒ぎを止めた。

振り返った羚の眼に、誰もが息をのんだ。

「羚様…覚悟は…」

「十分だ」

その笑みが何を意味するのかは分からないが、決して負けを認めたものの表情ではなかった。

(羚!気付いてくれよ!やめてくれ)

一瞬


時が止まったように


皆は固まり


音も消えた。


長い間続いたようだった。

「用件を受け入れよう。ただし、ここにいる者に手をだすな」

その瞬間、海夷の蒼い瞳から、数えきれない涙が溢れ落ちた。

「いいだろう。約束は守ってやる。だが、次に国から命があった場合は保証しない」

兵士が羚とルシファーを囲んだ。

「かまわない。後はコイツ等が何とかするさ」

瞳は閉じられた。

海夷ら人質は解放される。

すれ違い際、一瞬だけ開かれた眼と合う。

捕まった身にも関わらず羚もルシファーも堂々としていた。

「羚!ルシファー!」

リリィが泣いていた。

これが羚の意志によるものだから皆、手を出すことができなかった。

(バカ野郎…俺なんか…助けるなよ)

皆去り行く兵を後ろから見ているしかなかった。






「さぁ、幕は上がった。どうする?リシャベル」

吐きだされた煙は高く蒼い空へと吸い込まれていった。


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