トライポフォビア

キャラクターの掟

「キミ、やってくれたねぇ」

　目（め）の前（まえ）には中（ちゅう）年（ねん）の男（おとこ）が座（すわ）っている。まるで取（とり）調（しらべ）室（しつ）にでもいるようだ。

「おっさん、誰（だれ）だ」

「私（わたし）が誰（だれ）か、そんなことはどうだっていい。自（じ）分（ぶん）で何（なに）をしたか、覚（おぼ）えてないのか？」

「⋯⋯人（ひと）を殺（ころ）した。7人（にん）だ。」

　男（おとこ）がため息（いき）をつく。

「殺（さつ）人（じん）は構（かま）わない。何（なん）人（にん）葬（ほうむ）ってもキミらしさがあるからそれでいいのさ」

　――こいつは何（なに）を言（い）っている？　頭（あたま）の中（なか）を疑問符（ハテナ）が巡（めぐ）る。

「それよりもキミはとんでもないことをした。第（だい）四（し）の壁（かべ）を破（やぶ）ったんだ。」

「壁（かべ）⋯⋯？」

「ここに来（く）る直（ちょく）前（ぜん）、何（なに）をしたか覚えてるだろう？」

　――確（たし）か、警（けい）察（さつ）に追（お）われ続（つづ）けてるうちに、常（つね）に視（し）線（せん）が刺（さ）さっていることに気（き）が付（つ）いて――

「そうだ！」

　俺（おれ）は椅（い）子（す）から立（た）ち上（あ）がり、机（つくえ）に手（て）をついて男（おとこ）に強（つよ）く主（しゅ）張（ちょう）する。

「この世（せ）界（かい）には監（かん）視（し）者（しゃ）がいる！　俺（おれ）らを見（み）て嗤（わら）っている汚（きたな）い人（にん）間（げん）たちが！　あんたも刑（けい）事（じ）だか何（なん）だか知（し）らないが、どこからか視（し）線（せん）を感（かん）じたことがあるだろ？　見（み）られてるんだよ、俺（おれ）たちは！」

　俺（おれ）の熱（ねつ）弁（べん）を聞（き）いて、男（おとこ）は眉（み）間（けん）に皺（しわ）を寄（よ）せた。

「それが駄（だ）目（め）だと言（い）っているんだ！　⋯⋯いいか、キミら“登場人物（キャラクター）”にとって、第（だい）四（し）の壁（かべ）を破（やぶ）るというのはこの上（うえ）ない禁忌（タブー）だ。読（どく）者（しゃ）はいついかなる時（とき）も“安（あん）全（ぜん）な傍（ぼう）観（かん）者（しゃ）”でなくてはならない。その安（あん）全（ぜん）を、キミは脅（おびや）かしたんだ。」

　呆（ぼう）然（ぜん）とする俺（おれ）に、男（おとこ）は尚（なお）も言（こと）葉（ば）を続（つづ）ける。

「私（わたし）が誰（だれ）かと問（と）うたな、答（こた）えるなればそれは“誰（だれ）でもない”が正（せい）答（とう）だ。キミら登場人物（キャラクター）と私（わたし）は異（こと）なる存（そん）在（ざい）。キミらにとって私（わたし）は誰（だれ）でもない、何（なに）者（もの）でもない。」

　男（おとこ）が右（みぎ）手（て）で合（あい）図（ず）を出（だ）すと、途（と）端（たん）に俺（おれ）の体（からだ）は硬（こう）直（ちょく）した。

「こいつはまだ使（つか）えそうだ、第（だい）六（ろく）記（き）憶（おく）処（しょ）理（り）室（しつ）へ連（つ）れて行（い）け」

　視（し）界（かい）もすぐに暗（くら）くなった。二人（ふたり）の人（にん）間（げん）に担（かつ）がれる感（かん）覚（かく）。

　そこで記（き）憶（おく）は途（と）絶（だ）えた。