第46話 先輩……好きです


 年度末が迫るある日、仕事終わりに我々F小隊は、近くの居酒屋に集結していました。

「今年もF小隊、お疲れさまでしたぁー!」

「お疲れっす! 2年目は研修修了も、お疲れー」

「ありがとうございます。お疲れさまです」

 交わされる賑やかな声と、グラスの合わさる軽やかな音。あと数日で「このF小隊」も終わりです。


 もうすぐこの中の誰かは、他の小隊へ異動になるかもしれないんですよね……。それに、新年度には新しい隊員も入ってきます。

 そうでなくても、アンセラ先輩はスティングスを辞めるので、こうして一緒に飲むのも最後でしょう。そう考えれば、たった一年の付き合いのオレでも、なんだか感慨深いものがあります。


 そして、もう一人。

「えぇー。じゃあアークロードって、まだ雪積もってるんですか?」

「そうそう。まあ、言っても積もってるのはほんのちょっと……こんくらいかな」

 遠い国境の町アークロードへ行ってしまっていたアイリーン先輩が、最終的な手続きやなんかのために一時的に王都に戻ってきていました。


「こんくらいって、それ、じゅうぶん多いっすよ。この時期でそれだったら真冬どんなんすか? そうだ、バナナで釘打てる?」

「打てる打てる! 余裕」

「どうやって冬過ごすんですか? 外出れなくない?」

「ホントにねー。どうすんだろ? ミリアだったら、寒すぎて動けないんじゃない?」

「うん。アイリの筋肉、わけてもらわないと」

 エイミリア先輩は、アイリーン先輩の上腕をつまんでフニフニと遊び始めました。いいなあ。オレも上腕二頭筋、鍛えようかな……。


 ちなみに、F小隊の飲み会にどうしてエイミリア先輩がいらっしゃっているかと申しますと、オレの目の保養のため……などではもちろんなくて。第4部隊を去ってしまうアイリーン先輩とアンセラ先輩のために、それぞれ同期の方たちにも参加してもらっているのです。


「いや、それよりムダ肉もらってほしいわ! ほれほれ、このおニクもあげる」

「じゃあ、燻製にして非常食にする」

「ぶはっ。なんすか、それ。ミリア先輩サイコー! アニキのお肉、脂身少なそうすねぇ」

「うっさい、ファーグ! もおー、あんたはホンットに……」

 同期の方たちで、水入らずで――そう思って、オレも遠くから眺めるだけで我慢しているのに。ファーガウスめ。なんでアイツがエイミリア先輩たちと楽しくおしゃべりしているんですか!?

 オレも交じりたいです。


 でも実際、エイミリア先輩も、なんだか楽しそうで。

 あの日……あの討伐任務の日、アイリーン先輩がいてくれたら何か違っていたのかな……なんて。やっぱりちょっと、考えずにはいられません。


「コーディくん。次、何飲むー?」

 あ、そうでした。オレがあっちのテーブルに近づけないのは、この為もあったのです。

「カーリア先輩は、アイリーン先輩たちと話さなくていいんですか?」

 Q小隊所属のカーリア先輩も「アイリーン先輩の同期として」今回参加されているはずなんですけれども。なのになぜか、オレと2人で小さなテーブル。


 人数が中途半端で大テーブル2つに収まりきらないからと、お店のほうで用意してくれた席ですけど。運ばれてくる料理もわざわざ2人ぶんを別皿にしてくださって、離れ小島にポツン。これでは2人で食べに来たみたいです。

 いやむしろ、今日のメンバーの中では一番関わりが浅いであろう、ファーガウスとオレの2人がこの席にすれば、ちょうどいいくらいだと思うのですが。


「えー、別にいいよ。ウチら先月も同期飲みしたし、アイリンが向こう行く前に。あ、あたしこれ飲みたい。コーディくんも、一緒に飲も? すみませーん!」

 それなら、この飲み会に参加してもらっている意味とは……? なぜでしょう、さっきから妙にエネルギーが削がれていってる感じがします。

 おっといけない。こんな時こそ、天使様観賞で急速チャージせねば!


「でも大変そう。国境警備って、任期何年ですか?」

「最低4年くらい? 長い人だと10年以上になることもあるらしいよ」

「僻地勤務ってたしか、永久凍土の最終試練なんですよね?」

「そうそう。『山越え』って呼ばれて、過酷な僻地での勤めを無事に終えたら、あとはだいたい本部で安泰なんだって。エリートコース確定、ってこと」

「じゃあアニキ、玉の輿じゃないっすか!」

「おっほほほほー、まあねぇ!」

 アニキことアイリーン先輩の豪快な惚気も、温かく見守るエイミリア先輩。ああ、その笑顔で永久凍土も溶けちゃいそうです!


 ちなみに永久凍土というのは、アイリーン先輩の婚約者さん――ではなくて、最近旦那さんとなられたウィルさんが所属する『近衛兵団』の長くツライ下積み時代のことを指すそうで。いくらアークロードが北の国境沿いに位置する寒い地域とはいえ、夏でも氷点下ということはありませんので、ご安心ください。


「それに、特例であたしもアークロードの警備隊に編入してもらえることになったんだ。だから来月からは、旦那と同じ職場」

「へぇ。なんか、いいなあ。そんなことってあるんすね」

「一応、スティングスでの勤務経験もあるからね。アークロードって、山奥のほう行くとけっこう魔獣いるみたいだし」

 そういえばファーガウスは、以前から職場恋愛に憧れるとか言っていました。


「でも、同じ職場って、何かやりにくくないですか? あたしはビミョーかな」

「別れたら地獄だよねー。でもアイリンさんのとこは、その心配ないから大丈夫でしょ」

「そうそう。カーリア先輩とか見てると、やっぱ羨ましいなって思いますよ」

「騎士と魔道士っていうのがイイですよね! 職種違うから、そんなに干渉しないし。お互いに支え合って……みたいな」


 先程から微笑みを浮かべて聞いていらっしゃるエイミリア先輩は、その辺りどうなのでしょうか。やっぱり、いいなって思われるのでしょうか。先輩に、そういう存在がいれば……この前のようなことにもならなかったでしょうか。

 少し前までなら、考えるのも嫌だったけれど。今はどちらかといえば、願ってしまいます。


 いつも独りで戦っている貴女に、誰か、心強い味方ができることを。

 孤高の空を飛び続ける貴女が、誰かの腕の中で、いっとき翼を休められることを。


 どうか……誰か、この人を救ってください。

 オレじゃダメなんです。オレには守れない。オレには何も、できないんです。




「じゃあ、アイリン先輩。お元気で」

「王都戻ってきたときは、連絡くださいね!」

「アンちゃんも。またスティングス遊びに来てよ?」

 別れは案外、あっさりしたものなのですね。

 来週には何人かが去り、それでもF小隊は、次の日からも通常業務が続くのでしょう。今まで学生だった間は春休みがあったので、その感覚はオレにはまだよくわかりません。


 今日も実質、いつもの飲み会とそんなに変わらなかったような。

「じゃぁー、俺はエイミィを送ってくな。他に同じ方面のやつ、いねえよな?」

「はい、カルロス先輩。お疲れさまです!」

「おう、みんなオツカレ!」

 いつものように、方面別に解散になって。


「先輩、送り狼しちゃダメですよー?」

 誰かが軽口を叩きます。

 そうか。いつも一緒に帰ってるアリアンナ先輩は、小隊が違うから今日はいないんだ。レンスラート先輩は……仕事だっけ?


「ねえ……大丈夫なのかな、アレ」

「たしかに。カルロス先輩って、最近ロコツにエイミ先輩のこと狙ってる感じしますよねえ」

「えぇー、なんかヤバくない?」

 ……え? そうやって笑って、なんで何もしないんですか?


「じゃ、あたしらも行こっか。アンちゃんとコーディくんも、同じ方面だよねー」

 いや、だから、

「あ、あの! オレ……今日、6区に住んでる友人のところに泊まることになってて」

 気づけばオレは、そんな感じのことを口走っていました。


「えーっ! それってもしかしてカノジョ?」

「いや、そういうのじゃなくて……」

「はぁ? 誤魔化すなよ、コイツ! 女の子にうつつ抜かしてないで、ちゃんと研修やれよなー?」

 トーリス先輩、オメエニイワレタクネエヨ。

「あ、6区なら、一緒に行きなよ。……先パーイ! カルロス先輩、彼もそっちですって!」

 誰かに背中を押されて。オレは、先輩を追って夜道に足を踏み出していました。



「いやホント、今日エイミィちゃん来てて助かったー! なんか俺さ、今の小隊あんまり馴染めないんだよなあ。やっぱ、K小隊のほうが俺に合ってるよな」

「もう一年になるんですよ? いい加減慣れてください」

「あーあ、来年、K小隊に戻してもらえねぇかなあ。また一緒の小隊になりたいよな?」

 もしも~魔法がぁ~使えた~ならぁ~……オレはコイツぶっ飛ばしたいです。

 対人魔法は禁止されてる? あ、大丈夫です、人と認識してないんで。

「で? おまえ、どっちだよ?」

「へ?」


「いやほら、そろそろ6区だろ」

「あぁ……」

 マズい。オレ先輩の家知らない。適当に言って全然違う方向だったら、オレが先に二人と別れることになるし……。

「えっと……、オレは……」

「じゃあ、あとはわたしが彼を送って行きますから、ここで失礼しますね」

 オレが回らない頭で考えているうちに、先輩がオレの隣に並んでいらっしゃいました。


「え? いやいや、それ逆じゃね? 女の子なんだし、俺がちゃんと送ってやるから。こんな時間に危ないだろ?」

 いやいや、アンタに送らせたほうがよっぽど危ないだろ。

「わたしなら大丈夫ですよ。それより先輩、早く帰らないと奥さん心配されるでしょ」

「う……。いやまあ、そうだけど。そんな冷たいこと言うなよ。もうちょっと一緒にいたいしさあ?」

「さっさと帰ってください、先輩。では、わたしたちはこれで」

「ええー、なんかひどくない? 俺はエイミィちゃんのこと……うわあっちぃ! わかった、わかったから、火しまって!」


 それで、オレは先輩に連れられて、知らない道を歩いてたんですけども。

「……あの、ごめん、勝手に引っ張ってきて。わたしの家はそこだけど、コウくんは? お友達、どの辺?」

 なんで先輩、謝るんですか。オレはもともとそのつもりだし。貴女を無事に家まで送り届けたら、そのまま自分の家に帰るつもりで……。

「あれ、ウソですよ」

「え?」

「べつに、この辺に住んでる友人なんていません。ちょっと、心配だったから」

「ん……? どういうこと?」

「すみません、先輩。オレちょっと酔ってるみたいで。……水、もらえませんか」



 なんか、先輩らしい部屋。シンプルだけど、オシャレで、無駄がなくて。でも所々にある小物とか、なんか貴女らしい。

 あと、スライムくんのクッションも。こっちのは黄色なんだ。

「コレ、二日酔いにも効くハーブティーだから、よかったら。……今日、けっこう飲んでたよね」

 そうだよ。いっぱい飲んだ。いっぱい流し込みながら、ずっと貴女のこと見てた。貴女は知らないでしょ。

「……ありがとうございます」


「頭痛いとかは、ない? 大丈夫?」

「はい、大丈夫です。……すみません」

「気分はどう? しんどかったら、横になっていいからね」

「いえ、だいぶラクになりました。美味しいですね、このお茶」

「ん、よかった。何かほしいものあったら言ってね」


 貴女がほしいよ――そんなことオレが思ってるなんて、考えもしないでしょ。

 だから平気で男を部屋にあげて、かいがいしく世話してくれて、おまけに、すぐそばのソファに腰かけて顔を覗き込んできたりするんだ。


「ねえ……どしたの? なんかあった?」

 なんか、先輩も気だるそうですね。お酒入ってるから?

 けど先輩、そうやって可愛らしいクッションとか抱えてホワンとしていたら、そんなの襲ってくれって言ってるようなもんじゃないですか。


「なんで、オレを部屋に入れたんですか」

「……え?」

「オレ、一応男なんですよ? そう思ってないだろうけど、でも、ちょっと無防備すぎませんか」

「え……、でも……」

「後輩だし、面倒みなきゃだし、断れなかったんでしょ。どうでもいいヤツでも、頼まれたら突っぱねられないんでしょ!」


 あの時だってそうだった。「頼むから抱かせて」なんて、馬鹿げた言葉を一蹴できなくて。

 仕事仲間だし、先輩だし、あんなふうに「頼む」とか「お願いだから」とか言われたら、断りづらかったんでしょ。


「オレ、本当は断ってほしかった。……こんな時間だし、独り暮らしの女の人の部屋にだなんて……、そんなの非常識だって、追っ払ってほしかったんですよ!」

「え、ちょっと、落ち着いて。だって……、酔ってたし、水ほしかったんでしょ? ここまで送ってもらったんだし、家まで遠いだろうから……、だから」


 貴女を前にして、落ち着けるわけないでしょう! 惚れた女を前にして、落ち着いてられる男なんていないんですよ。

 なんでそんなことわからないんですか。

 これがアイツだったら、たぶん、貴女は、今頃もう……!


「なんでわからないんですか……! 水一杯飲んで、それだけで済むって、なんで思えるんですか!」

 ダメだ、止まらない。こんなこと言いたくないのに。先輩、怖がってるのに。

「水がほしいって言ったら水出してくれて、しんどくて動けないって言ったら、泊めてくれて、一緒に……寝てほしいって言ったら、寝るんですか!?」

「えっ……? いや、そういうこと言い出したら、それは……、魔術で、眠ってもらうかな……」

「……どうだか」


 現にこうやって、オレが押し倒そうとしても、貴女はまだ迷ってるじゃないですか。

 黄色スライムくん。……なにソレ? そんなクッションごときで、ガードしてるつもりですか?

 ほら、簡単に奪われちゃうでしょ。

 そうしたら次が何か、わかってます……?


 貴女は高嶺の花で、ガード堅そうって思われてるけど。本当の貴女は寂しがり屋で、お人好しで、頼まれたら断れない、押しに弱い人で。

 それに気づいたどこかの誰かが、いつかあっさり貴女を手折ってしまうんじゃないかって……オレはずっと、気が気じゃなかった。

 他の男に奪われたくなかった。気づいてほしかった、貴女の振りまく優しさが、こんなにもオレを不安にしていることを。

 オレは、他の誰よりも貴女を大切に想っているということを。

 こんなにも貴女が好きだということを。


「先輩、……好きです」

 本当に、どうしようもなく好きなんです。

 貴女にとっては、しょうもないガキかもしれないけど。眼中にもないだろうけど。

 でも、オレは……!


「……そっ、ういうの……、酔った勢いで、言うことじゃ、ないと思う」

「そんなに、酔ってないです。……酔ってるけど。でも、勢いとかじゃなくて。ずっと前から、好きでした。本当に」

 だから、そんな怯えないでください。

 だから、逃げないでください。

「ごめん、……そういうの……ほんと、無理……」

「先輩、待っ――!」


 ごめんなさい、先輩。

 先輩、なんか泣きそうな顔してたけど、もしかしてちょっと泣いてた? もうコクーンに閉じこもってしまってわからないけれど。

 それに、すごく震えていた。

 ごめんなさい。オレのせいで。

 こんなことするつもりじゃなかったんです。そんな顔させたかったんじゃないんです。


 天使の微笑みを、遠くから見つめて満足していれば良かったのに。

 それなのにオレは、それ以上を求めてしまった。もっと近づきたいと、もっと知りたいと願ってしまった。

 オレの欲で、貴女を傷つけてしまった。


 ごめんなさい。

 オレなんかで、ごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。


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