第45話 先輩、貴女は美しい
「申し訳ありませんでした」
オレの目の前で、美しいホライゾンブルーの髪がサラサラと流れます。
先輩、どうして貴女が謝られるのですか?
そしてもっと訳のわからないことに、デスクの向こう側ではK小隊長が怒鳴り散らしています。
「まったく。始末書書かされる俺の身にもなってみろ! 余計な仕事増やしやがって!」
けれどエイミリア先輩は、キュッと口を結んでしまわれて……。
あの時、小屋のドアが急に開いたのは、エイミリア先輩が攻撃魔法でカストロスを気絶させたからでした。バリア系の魔法は、術者が意識を失えば効力を失う――そんなこと、先輩は最初からわかっておられたのです。
「カストロスは仲間だぞ? 間違って攻撃魔法を当てるなんて、初歩的なミスもいいとこだろうが!」
「はい」
「でも、小隊長――!」
大人しく叱責を受ける先輩を見かねて、オレは口を挟もうとしたけれど、ダメでした。先輩が、オレの袖を引いて止めるのです。デスクの陰の、小隊長から見えないところで。
だけど、オレが忘れるはずないでしょう? あの小屋の中で、オレの袖をそっとつまみながら、貴女がどんなお顔をされていたか……。
先輩は間違って攻撃魔法を当てたわけじゃないです。ただの正当防衛です。先輩が初歩的なミスなんて、するわけないじゃないですか。そんなこと、先輩と付き合いの長い小隊長ならわかるはずなのに、
「前に合同作戦会議で、なんか派手なパフォーマンスやったらしいけどなあ。そんなことしてるヒマがあったら、ちゃんと基礎からやり直したらどうだ。ホンット、どいつもこいつも肝心のことができてねえんだよ。俺らが若手の頃はなあ……」
そしてまた、話がループしだします。
オレだって、知っているんですよ。
昨春、オレが初めて参加した討伐任務で、基地の守備についていたK小隊長。魔獣が襲来して手に負えなくなったところを、戻ってきたエイミリア先輩に助けられていたじゃないですか。
当時のオレはまだ何もわかっていなくて、部下たちにテキパキ指示を出しているものと勘違いしていたけれど……。「ここは任せた」とか言って、あれって結局、エイミリア先輩に丸投げでしたよねえ!?
「どんなパフォーマンスか知らんが、戦闘部隊の連中ちょっと驚かせたからって、いい気になるなよ。なんか、椅子とか出したって? そんなもん俺らからすればママゴトみたいなもんだ。基礎もできてない若造が」
春の合同作戦会議で、エイミリア先輩が戦闘部隊のお偉いさんたちに一泡吹かせた件は、隊長から
「まったく、どいつもこいつも、ヒトの仕事増やしやがって。そんなパフォーマンスみたいなことしてるヒマがあったらなぁ……なっ、何だこれは!?」
突然の焦り声に、睨みつけていた床から視線を上げると、小隊長のデスクに光の筋が浮かび上がっていました。
それはやがて美麗な魔法陣を描き、中央が暗く
「ご所望のようでしたので」
涼やかな先輩のお声とともに現れたのは、淡いグリーンとベージュのストライプに、繊細な金糸で彩られたソファと、木目も美しいローテーブル。それはまさしく、あの合同作戦会議の折に戦闘部隊の皆様を『ちょっと驚かせた』応接セット――
「ただし、サイズは器に合わせて調整しておきました」
――の、ミニチュアだったのです。
「は? ……どういう意味だ? おい、これは一体……」
「そろそろ掃除を始めなければならないので、失礼します。シルヴィア先輩が会議でご不在のため、書庫はわたしたち二人だけですから」
そう言い捨てて、颯爽と部屋を出て行くエイミリア先輩。オレも慌てて追いかけます。
そうなんです。今日は通常業務を早めに切り上げて、第4部隊みんなで年度末大掃除の日。各々が持ち場に向かう中、オレもいそいそとK小隊の部屋へ先輩をお迎えにあがったところで、K小隊長に呼び止められたのです。
呼ばれたのはエイミリア先輩だけだったんですけど、用件を知ったオレは半ば強引に同席させてもらいました。オレだって、一応関係者というか、目撃者ですからね。
でも、何のお役にも立てませんでした。
先輩は、あの時何が起きたのか、一度も、誰にも、話そうとしないのです。だから「エイミリア先輩の攻撃魔法でカストロスが気絶した」という、事実のほんの一部分だけが、えぐり取られるように取り沙汰されて。
対人魔法は厳格に規制されている――そんなこと、業界人でなくても知る常識です。回復系ですら人に対しての使用には多くの制約がつくくらいですから。まして攻撃魔法など、魔道士資格の剥奪もあり得るほどの禁忌。
国際情勢の安定が長く続いている昨今、オレたち騎士も対人戦闘術はほとんど学びませんが、魔道士の場合はそれとは次元が違うのです。それだけ魔法というものは、便利な反面、危険なもの。
――そんなヤツ、さっさと強烈な魔法でぶちのめしてくださいよ!
あの小屋の前で、何もできない無力なオレが、無責任に願っていた間も、先輩はまだ躊躇していた。ギリギリまで。……本当に、ギリギリまで。
でも、もしも「ギリギリ」を越えていたら?
嫌でもそれを考えずにはいられません。それでも先輩は、黙って責任を負わなければならないのでしょうか。
オレは悔しくて悔しくて。
「先輩、なんで本当のこと言わないんですか」
足早に書庫へ向かう先輩を追いながら、つい責めるような口調になっていました。
「本当のこと? 本当のことしか言ってないつもりだけど」
けれど先輩は、いたってクールなまま。大掃除にとりかかっている隊員たちの間をスイスイと進んで行かれます。
「だって、全部アイツが悪いんじゃないですか。アイツが、先輩のことを――!」
「コーディアス、冷静に考えて」
先輩が急に足を止めて振り向かれました。そうでなければ、オレは何と言おうとしていたのでしょう。
「わたしは、攻撃魔法を人に向けて放った。それで相手を気絶させた。それはどんな事情があっても、やっちゃいけないことなんだよ。わかっているでしょう?」
「だけど……っ」
オレだって、貴女を責めたいわけじゃないんです。
だけどこれじゃ、あんまりじゃないですか。エイミリア先輩が何も仰らないのをいいことに、カストロスのほうが被害者かのようなツラをして。
「任務中にあんなことしておいて、無罪放免でいいんですか!? 任務中じゃなくたって、許されることじゃないですよ」
「コウくん」
急に呼び方が変わって。しかも、そんなふうに優しく呼ばれたら……
「掃除、始めよう?」
「はい……」
すでに書庫に着いていました。
そこには三種の神器、雑巾・バケツ・はたきがお待ちかねです。オレも今は、気持ちを切り替えて目の前の仕事をしないと。
「こういうのって、魔法で掃除するのかと思っていました」
「部分的には、使うけどね。本を傷めちゃうこともあるから」
「へえ、そうなんですね」
「それに、手でやるほうが丁寧でしょう? いつもありがとうって、感謝を込めて拭くんだよ」
なるほど、そっちが主な理由ですか。
では雑巾&バケツセットのほうが力仕事っぽいので、先輩ははたきをどうぞ。むしろそれで、オレの頭の中の雑念もはたいちゃってください。
けれど、小人閑居して不善をなす、とはよくいったものです。作業に慣れてくると、また雑念が降り積もり、周りが見えなくなっていました。
「先輩、何かオレに出来ることはありますか?」
「あ、テーブル拭き終わったら、本棚お願い。本は基本的に拭かなくていいから、目立つ汚れのあるところだけで」
「いや、そうじゃなくて」
もちろん、それもやりますけど。先輩も本棚のお掃除をされているので、丁度いいですし。書庫に二人きりとはいえ、込み入った話をこの距離ではできないですからね。
「本当に、このままでいいんですか? 貴女が言わない――言えないのなら、オレが見たことを報告するとか」
でも、それで結局、貴女を傷つけてしまうことになりはしないかと、それが怖くて。オレも今まで黙っていたのです。
あそこまで行って、全てを目にしていながら……オレはまた、何もできなかったと後悔するだけなのでしょうか。
「なんとか、上手いこと話しますから。言ってほしくないことは、言いません。スティングスにそういう委員会あるみたいだから、そっちに言っても。さっきの感じだと、K小隊長に言ってもダメそうですよね」
オレもいろいろ考えて、調べてはいたのです。何か一つでも、手札になればいいけれど。
「それか、先に他の先輩に相談してみるのはどうでしょう? 誰か、仲のいい女性隊員とか」
誰にも弱音を吐かない先輩が、相談できる相手――オレには見当つきません。今も黙ったままのエイミリア先輩を、ヒントを求めて振り向くと、
「……まだ、その話したい?」
その横顔が、すごく悲しそうで。
ああ、そうか。嫌なことを思い出させて、オレがこの人を傷つけているのだと……愚か者は、ようやく気付きました。
そりゃあ、オレだって。あんなカスだかクズだかわからないゴミの話なんて、したくないですよ。
今日は先輩と二人きりで書庫の大掃除だって、何日も前から楽しみにしていて(一緒に書庫担当のシルヴィア先輩が、会議でご不在だと知っていたわけじゃないんです。存在をすっかり忘れていただけです、すみません)。二人で一緒に掃除しながら、どんな話をしようかなって。マジメ系の話題から、ちょっとプライベートに踏み入ったものまで、練りに練って各種取り揃えて準備してきたんです。きっと、すごく楽しい時間になるはずだって、数分前のオレは信じ切っていたんです。それなのに……。
今からでも、まだ間に合うでしょうか?
「そういえば、先輩は、どうして書庫担当になられたんですか?」
あ、しまった。
この話題を出すとブーメランになって、オレが書庫掃除になった経緯を暴露しなければならなくなるかもしれないのに。オレの
「え? うーん……、みんながやりたくなさそうだったから、かな?」
「それって、なんか、自己犠牲みたいですね」
貴女はいつもそうだ。自分さえ我慢すれば丸く収まるとか、そんなこと考えてるんですか? それって、なんか……ズルいです。
「でも、わたしは別に、嫌じゃなかったから」
「え、そうなんですか? 書庫って、みんな嫌がるのに」
武器庫や薬品庫なんかと比べると、書庫の蔵書はケタが違います。それだけでも管理の大変さがうかがえるというものですが。
「嫌の基準って、人それぞれじゃない? わたしは、武器庫のほうが嫌かも。武器とか、重そうだし」
「えぇ? 何ですか、それ。本だって、けっこう重いのあるじゃないですか」
可愛いなあ。もしも貴女が武器庫の担当だったら、重いの全部、オレが運んであげますよ!
「それに、コウくんだって、嫌じゃなかったんでしょう? 書庫って、やっぱり魔道士のほうが関りあるから、みんなが嫌がったら最終的には魔道士の中でジャンケンとかで決めることが多いみたいだけど」
あわわ、やっぱりオレに返ってきました! そりゃあもちろん、貴女が一緒だと思えばオレは、たとえ火の中書庫の中……
「でも、あなたで良かった」
「えっ……」
「エイミちゃん!」
そこへ突然、マンドレイクよりも不快な音が割って入ってきました。
「小隊長に呼び出されたって? 何か言われた?」
そしてあろうことか、先輩に近づいてくるのです。
先輩。この分厚いハードカバーの魔術書で、ソイツ殴っていいですか?
でもそれは書物に申し訳ないので、丁重に棚に戻しておきましょう。オレは雑巾と
何かに阻まれている様子で、カストロスは立ち往生しています。
「何してるんですか。先輩、ここの掃除じゃないでしょう?」
このまま、追い出してやろうと思ったけれど。
「コウくん、掃除」
「あ、はい!」
そうですね。今はこんなヤツに構っているより、二人でお掃除という共同作業にいそしみましょう。
「半径2メートルくらいに、バリアを張ったの」
うわあ、天使のささやき声! ごちそうさまです!
先輩のお側に戻ると、オレにだけこっそり教えてくださったのです。
「わたしの半径2メートル。それ以上離れるときは、声かけて」
「離れませんよ」
ほとんど反射的に、言葉が口をついて出ていました。
「オレは、貴女のそばを離れません」
先輩の白く細い手が、はたきの柄をキュッと握りしめたように見えて……オレは急いで目を背けました。
オレは貴女の盾だから。盾には目も、ましてや腕もないはずだから。
たまに敵に体当たりしたり、薙ぎ払う武器としても使うようですが。今はただ、貴女の横に突っ立って、目障りなものを遮っておきます。あ、ここの棚に汚れが……ゴシゴシ。って、ただの木目でした。
常日頃から先輩によってキチンと管理されている書庫は、汚れを探してみてもなかなか見つかりません。それでも先輩は、隅々まで丁寧にはたき掛けをされていて。オレもここを動くわけにいきません。
だってオレの横では、最も排除したい大きな汚れが、
「ごめんな、エイミちゃん。ホントごめんな! 俺、何でもするから。許してくれるよな、な?」
「許すわけないでしょうっ!」
すみません、盾に徹するにはオレの忍耐力が足りませんでした。
一生懸命謝罪しているフリをして、どうせ中身は1ミリも反省していないくせに。
「ハア? 誰もお前に言ってねえっての。関係ないヤツは黙ってろ」
「関係なくはないです。オレは――」
そうだ。オレは部外者ではない。目撃者なのです。
それは、せめてこれ以上先輩に近づかせないようにするための、交渉材料にはなるんじゃないでしょうか。脅し? ……まあ、そうとも言いますね。
「オレ、知ってるんですから。全部見て――」
「コウくん!」
腕まくりしていた袖が、クイッと後ろに引かれました。
「……それ終わったら、棚の上、水拭きしてくれる? わたしだと、脚立に乗ってもあんまり見えなくて」
「あ、はい!」
なるほど、オレの身長で少しは貴女のお役に立てることもあるのですね。両親に感謝しなければ。
一年目の魔道士2人は、どちらも先輩より背が低いですから。先程仰っていたように、オレが書庫の担当になって良かったということです。フフフ、裏工作の甲斐がありました!
なんて浮かれている隙に、
「俺のこと、許してくれる? 何でもするから。この通り!」
「もういいですから、早く出て行ってください。掃除の邪魔です」
「よかった、ありがとう! ホントごめんな!」
先輩の言った『もういい』がどういう意味だったのか、オレにはわかりません。
少なくともカストロスは、それを自分の都合のいいように解釈したようで。晴れやかな顔で去っていきましたが……。
「許したわけじゃ、ないですよね?」
オレはハラワタ煮えくり返りそうです。むしろ気持ち悪いくらいに
けれど、ナマコのように内臓を吐き出すことのできないオレが、代わりに吐き出せるものといったら、
「どうして何も言わないんですか? ちゃんと罰せられるべきじゃないですか! 貴女が我慢して、背負い込んだところで、一つも好転しない。アイツはますます付けあがって、余計ヒドくなるだけですよ!」
ああ、マズい。
先輩を責めるなんて、筋違いもはなはだしいのに。怒鳴らないように気をつけていても、だんだん語気が荒くなるのを自分でも止められません。
けれどオレがいくら一人で勝手に荒ぶっても、先輩は少しもそれに毒されることはなくて。至極冷静なまま、穏やかな口調のままで仰いました。
「組織で働くっていうのは、諦めどころを覚えるってことだと思う」
「諦め……って、じゃあ、あんなの放置するんですか? 組織のことを言うなら、それこそあんなヤツ邪魔じゃないですか。他にもいろいろ問題起こしてるし、仕事はできなくて、いつも先輩に手伝わせて……それだって、手伝わなければいいのに!」
「もうそれは何度か試みた。でも意味なかった。結局、頭の悪い人たちに言い聞かせるより、わたしが仕事片付けるほうが早い」
「でも、それじゃ先輩が……」
「でも、ありがとう。そういうマトモな感覚を持ち続けるのって、難しいし、大事だと思う。それを忘れないでね」
突然、お礼なんて言われたものだから、返す言葉が見つかりません。オレが何をしたでしょう? ただ自分の中の不満を、不条理にも貴女にぶつけてしまっただけなのに。
それを怒ることもなく、崇高な天使は、あくまでその高みから降りてはいらっしゃらないのです。オレは今、高い脚立の上から先輩を見下ろしているはずなのに。
「だからわたしは、ここを乗り越えて先へ行く。ああいうのを相手して、立ち止まっているヒマなんてないの」
「それは……事態を変えられるような、上のほうの立場になるまで、ずっと我慢するってことですか?」
「うん……。簡単に言えば、そういうことかな? でも、ただ我慢して、年功序列で上の立場になったところで、目の上のたんこぶは落とせない。だから……」
そこで言葉は途切れ、さらなる高みを見据える眼差しは、ふいに
「ん、何でもない」
一転して儚げな微笑みに、オレの胸はえぐられます。許されるなら今すぐこの脚立を飛び降りて、貴女の側へ駆けつけたい。けれどオレには、近づくことができません。
「諦めどころを覚えるっていうのは、そういうことだよ。全部を諦めるわけじゃない。どれが必要で、どれが大事か見極めて、余計なことに足引っ張られて時間取られないように、そこはきっぱり諦めて先へ進めるようにするの。……そうじゃなきゃ、一番大事なことを守れない」
美しい人だと思いました。
この人は、強く気高く美しい人なのだと。
でもその美しさは、繊細なガラス細工のようなもので。
磨き抜かれた硬質な輝きは、光を跳ね返して、中の脆さを隠すため。いくつものヒビを抱えて、いつか耐え切れずに砕け散ってしまう瞬間まで、きっと貴女は美しいのでしょう。
壊されるのを見るくらいなら、この手で壊してしまいたい。
「先輩……」
「うん?」
「バケツの水、替えてきます」
「あ、浄化しようか?」
「いいですよ。手でやるほうが、丁寧なんでしょう?」
これ以上一緒にいたら、貴女に怒鳴ってしまいそうだから。
そうでなければ、貴女を抱きしめてしまいそうだから。
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