第42話 先輩、貴女の一番近くに(1)
季節は春へと向かう中、スティングスにビッグ・イベントがやって来ました。
「椅子、持ってきましたー!」
「ありがとう。重かったでしょ」
「全然! 余裕っす」
今年度最後の見せ場とあって、気合も入るというものです。
「ふふ。ファーグはすごいね。じゃあ一脚はそこに、残りはこっちにお願い」
「ハイッ!」
元気よく返事して、椅子を抱え直してエイミリア先輩のもとへ駆けていくファーガウス。オレも負けてはいられません!
「ミリア先輩! 薬草、ここでいいですか?」
「あ、うん」
……あれ? それだけ?
なんだか先輩、オレには冷たくないですか? ファーガウスの時は、天使の微笑みという豪華特典付きだったのに。
椅子のほうが重くて大変だから? くうぅ。こんなことなら、やっぱり椅子運びを譲るんじゃなかったです。
ファーガウスはこのところ、チビッ子軟弱魔道士のイメージを払拭すべく奮闘しているようで。「目指せコーガ先輩!」なんて言って、まあ目指すのはいいですけど、魔道士として目指す方向性ちょっとズレてないですかね?
オレはもちろん、いつだって目標エイミリア先輩です!
目標っていうのはつまり、そこに少しでも近づきたいとか、あるいは場合によっては手に入れたいとか、そういう……
「おーい、遊撃隊集合だってさ。ミーティング」
「はい。すぐ行きます」
はい、すみません。今は任務中でした。仕事に集中しないと。
春近しといえど、空はどんより曇天です。
設営を終えた救護テントから外へ出ると、空模様は相変わらず。風がないからか、基地周辺の風景もさっきからほとんど変わりません。
「同じ場所とは思えないすねえ。こないだは風ビュンビュンだったのに」
我々第4部隊は、先日実地訓練で訪れた『
常に強風吹き荒れることで知られる風哭の谷ですが、不思議なことに春と秋のそれぞれ1日だけ、ピタリと風の止む日があるそうで。そんな日が任務に選ばれたのです。
前回は、第4部隊の実地訓練のはずが遭難した私設団の捜索になってしまいましたが、今回探すのは私設団ではありません。そう何度も遭難されても困ります。
我々はスティングスですから、もちろん相手にするのは魔獣。
あの私設団はそもそも、谷に現れる珍しい魔獣を調査していました。彼らへの聴取と、洞窟の奥で謎の体験をしてきたレンスラート先輩の報告と……諸々を勘案して、とある珍獣の可能性が浮上したそうです。
「にしても、陰獣って……ホントにいんのかなあ? オレ、伝説とかだと思ってた」
「そうだよね。ほとんど、創作物の中の存在みたいなものだよね」
フッフッフ、オレにはわかっていますよ。エイミリア先輩はこのように仰っていますが、ご存知ないはずありません。
「オレも、そう思ってました。でも調べてみたら、スティングスでも目撃例があるんですよね? 過去の報告書に載っていました」
「すごい、よく知っているね。あれって、三十年くらい前だったでしょう?」
えへへ、お褒めの言葉、いただきました!
年中発情中なオレたち人間とは違って、ほとんどの魔獣は発情期が決まっています。ところが、他の生物を強制的に発情状態に陥らせる魔獣がこの世には居るのだとか。中でも恐ろしいのが、人間にその作用を及ぼすもの――狭義の「陰獣」と呼ばれています。
もっとも、その存在は長年確認されていなくて、ファーガウスの言う通り今では伝説的な扱いの幻の魔獣。創作物の格好の題材にはなるワケです。
ちなみに、小説等の創作物では「淫獣」と表記されることが多いですが、教科書や正式な書類に掲載するには相応しくないという大人の事情で「陰」があてられているとか。
「それより、なんでファーグまでついて来るんだよ? 遊撃隊じゃないだろ」
「えー、いいじゃん別にぃ。社会勉強?」
「社会勉強より、社会人としてちゃんと自分の仕事しろ!」
「うん、いいと思うよ。準備はひと通り終わっているし、こういうミーティングの見学も、勉強になるよね」
ええっ!? 先輩、オレよりファーガウスの味方なんですか?
「では、作戦の確認だ」
遊撃隊全員(および見学者)が集合すると、早速隊長が切り出しました。今回は陰獣という特殊な魔獣を相手にするぶん、作戦の要点も常とは違います。
「遊撃隊は、戦闘部隊の要請に応じて出撃する。主に想定されるのは、怪我人への対応が必要な場合や、多数の魔獣が出現して対処しきれない場合――あちらさんも、今回は出撃メンバーを絞っているからな」
これも陰獣対策です。不用意にみんなで出かけて行って、陰獣の術にかかってみんな仲良く発情状態……なんてことになったら、目も当てられませんからね。選抜メンバー以外は、基地から一歩も外へ出ないようにとのお達しです。
「黄色の
「「はいっ!」」
そうしてひと通りの確認が済むと、自然と話題は捜索対象のほうへ。
「でも陰獣なんて、本当にいるんですかね」
「レンさん、この前の訓練のとき見たんですか?」
「いや。オレが私設団見つけたときは、もう魔獣はいなかった。まあ、そいつらが……けっこうヤバかったんだけどな」
「隊長はたしか、戦ったことがあるんですよね?」
「えっ、そうなんですか!?」
「う、うむ……。かつて一度だけ、対峙したことがある」
低くうなった隊長は、
「あれは、恐ろしい魔物だった……」
太い指先で口ひげをしごきながら、ポッと頬を赤らめて。一体、どんな体験をされたのですか、隊長!?
「というわけで、遊撃隊諸君はくれぐれも……く・れ・ぐ・れ・も! 解術魔法の確認を怠らぬように」
陰獣の術によって発情状態に陥った場合の対処法はただ一つ。状態異常を解く汎用魔法――いわゆる「解術魔法」が有効だとされています。
そう、されているのであって、実際どの程度有効なのか保証の限りではありません。何しろ相手は、幻の魔獣ですから。
そして、それこそが遊撃隊に選ばれるための条件でした。一定レベル以上の解術魔法が使えること。もしくは、経験値の高い隊員であれば、解術魔法が使えなくても、他の使えるメンバーの側を離れないことを条件に免除されることもあります。新米騎士のオレは、もちろん前者のほうですが。
ええ、そりゃもう必死で練習しましたよ。
遊撃隊が出動した先で、エイミリア先輩の周りで誰かが陰獣の術にかかってしまったら。あまつさえ、エイミリア先輩が……いえいえ、先輩に限ってそんなことはないと思いますけれど。でも、もし、もしもですよ……もしも万が一、先輩が術にかかったりなんてしちゃったら……?
その時には、何としても、誰よりもオレが先輩の一番近くにいなければ!
意気込んでみたものの、遊撃隊が出動するのは、あくまで戦闘部隊からの要請があったときだけ。その戦闘部隊も出撃していくと、基地内はなんだかのんびりです。
そう、我々第4部隊――通称「支援部隊」の役割は、怪我人の救護や戦闘による破壊の抑制など。任務開始までは作戦基地の設営とか、いろいろ準備で忙しいですけど、一旦始まってしまえば戦闘が本格化するまでは割とヒマなんです。しかも今回は、戦闘部隊にもお留守番隊員が多いから、基地内は人手過多で。
それでは、オレはこのスキに。
「あの、ミリア先輩。もしよかったら……付き合ってもらえませんか」
「ん?」
はうぁっ!? 小首傾げてそんなふうに可愛らしく見上げられたら、別の「付き合って」に変更しちゃうじゃないですか! ダメダメ。今って任務中ですよ? いつものクールな先輩はどこへ行ってしまわれたのですか。ほら、仕事仕事!
「あ、えっと……解術魔法を、もう一度確認しておきたくて。隊長もさっき仰っていましたし」
「うん、もちろん」
ああ、この微笑み。やっぱり仕事はいいですね。仕事を盾にすれば、貴女はちゃんとオレを見てくれるから。
だけどオレは、貴女に正面から向き合えません。お手本の魔法を見せてくれる、その美しい指先に見惚れてしまって。
「やっぱり、先輩、キレイですよね……」
「え?」
「この光。オレのはなんか、くすんだ色で。先輩のは、エメラルドみたいな、すごく綺麗な緑なのに」
以前、コーガさんや他の魔道士たちが話していました。同じ魔術を使っても、エイミリア先輩は魔術のとらえ方が違う、レベルが違うって。……きっと、こういうことなんですね。
「あっ。それは、えと……」
あれれ? どうしたんですか、先輩。急に慌てたみたいに。可愛いなあ……って、すみません。マジメに仕事します。
「練習して……」
「へえ? 先輩でも、そんな練習したんですか」
なんとなく、エイミリア先輩は最初から完璧に使えたんじゃないかって思っていました。オレでも短期間で一応カタチになったくらいの、基本的な魔術みたいだから。
「オレも練習してもっと上手くなれば、綺麗な緑色になりますかね?」
「違うの!」
え、違う? オレごときが練習したところで、ドブ川カラーが関の山?
「そうじゃなくて。だから……ホントは、本来この魔法は、くすんだ緑なの。それで合ってるの。でも、なんか、あんまりキレイじゃないじゃない? それで、せっかくならもっと綺麗な光がいいなって。最初にこの魔術習った時に、そっち方面にばかり練習して……」
わお。やっぱりレベルが違いました。
最初から使いこなせたばかりでなくて、さらにその上を行っていらっしゃったとは。
「今でも、そのクセで」
はにかむように、顔をそらす先輩……ああもう! オレを強制発情させて、解術魔法の特訓ですか? 治癒魔法の練習に、オレの腕をスパッと切ってくださったときのように……フフフ、思い出してもゾクゾクします。
「イイですねえ」
「ん?」
「あ、いや! オレもそんなふうに、キレイな魔法使えたらいいなって。剣技でも、基本の型がキレイなのって、案外大事ですからね」
ああ、落ち着けオレ! せっかく魔術を教えていただいているのに、ここで剣技のハナシを出すなんて。
「もちろん、今すぐってわけじゃなくて。今日のところは、いつ魔獣に遭遇してもいいように、ちゃんと解術魔法を使えるようにしておかないとですよね」
いえ、オレは決して、解術魔法を使うような状況を期待しているわけではないですからね。
「それは、どうかな」
「え? それは、どういう……」
ポツリとこぼれたお言葉の意味を確かめようとしたその時、ポーンと音が響いてきて、見れば遠くの空に黄色い狼煙が。遊撃隊への出動要請です。
「行こう、コーディアス」
「あっ、はい!」
急にお仕事モード全開の先輩。オレも気が引き締まります。
他の遊撃隊メンバーと合流し、駆けつけた先には、数名の戦闘部隊員に囲まれて明らかに異色の一人がいました。その特徴は、白地にゴールドの騎士服――って、もしかしてあの時の私設団!?
「なんでまた、こんなところに……」
「知らねえよ。さっさと連れ帰ってくれ」
「なんで一般人が入ってきてるんだ。使えねえなあ、支援部隊!」
戦闘部隊のみなさん、お怒りモードです。無理もありません。スティングスの討伐作戦がある時は、緊急の場合を除いてあらかじめ周辺に立入禁止が通達されます。王立機関であるスティングスのそれは国家命令も同然。たとえ魔獣に慣れた私設討伐団であっても、従わねばならないはずです。
ちなみに、事前通達や立入規制は第4部隊の業務ではないんですけれども。
そんな不届き者にも、変わらず丁寧なのがエイミリア先輩。
「お怪我はありませんか? 他に、お連れの方は?」
「あ、いえ……」
側へ寄って確認されますが、私設団の騎士は畏縮してしまっている様子。無理もありません。オレだって天使様にそんな優しく気遣われたら……と言いたいところですが、これはたぶん、戦闘部隊のみなさんにコッテリ絞られた後なのでしょう。
汚れの目立つ白を基調としたデザイン性重視の騎士服は、それだけで戦闘ガチ勢には嫌われそうなものです。ええ、地味なんですよね、スティングスの制服って。
その戦闘部隊員たちはというと、我々遊撃隊への引継ぎもロクにしないうちに本隊へ合流すべく去っていきました。
「うわー。使えねえなあ、あの戦闘狂ども」
「今回、魔獣少ないみたいだから焦ってるんでしょうね」
何人かが苦笑交じりに、そのあとを眺めていると、
「こっちも来るよ!」
「流れ弾だ、戦闘準備!」
流れ弾――すなわち、奥で討伐を開始した戦闘部隊が討ち漏らした魔獣が、こちらへ逃げてきたのです。それではオレは……私設団の方の護衛に徹しておきますね!
とはいえ、相手は小物二匹。対するこちらは選抜メンバーです。オレが端っこで大人しくしている間にすぐカタが付いていました。
けれど、その頃には、
「……なんか、急に魔獣増えてきてねえか?」
「さっきまで全然いないくらいでしたよね」
「あの人たちがおびき寄せているんだよ」
一同が警戒を強める中、エイミリア先輩だけは冷ややかなご様子で、
「見ればわかるでしょ。あれは固有種じゃない。この谷には元々、飛行型の魔獣はほとんど棲息していない」
なるほど、奥へ目を向ければ、戦闘部隊が進攻している辺りの上空に黒い影がうごめいています。一年のうち363日くらい強風吹き荒れているこの谷では、すぐに吹き飛ばされてしまいそうですね。
「今日は年に二回の『特別な日』。そんなこと、ここの住人たちが一番よくわかっているはず」
住人たち、というのは谷に住む魔獣のことでしょうか。なんだか先輩らしい言い方です。
「陰獣は、元来臆病な生き物だとされている。もしもこの谷に住んでいるとしても、今日は奥のほうで息をひそめているんじゃないかな」
「そうか……。風がないから行動しやすいっていうのは、人間側の都合で。魔獣がそれに合わせてくれるわけじゃないですもんね」
言いながら、オレは何か引っかかるものを感じていました。先輩がおっしゃっているのは、それだけじゃない気がして。
けれど、それを確かめるヒマもなく、
「あ、あの……!」
声をあげたのは、それまでずっと大人しくしていた私設団の方です。
「仲間が……あっちのほうに」
その指がさした先は、ちょうど魔獣たちが飛んでいるあたり。
「マジか。それ早く言ってくださいよ」
「あの辺なら、さすがに戦闘部隊が気付くでしょ。大丈夫じゃないですか?」
「でも、戦闘を避けて別のルートをとった可能性も……」
なんだか荒れ模様ですね。
その横でエイミリア先輩は、
「教えていただきありがとうございます、イアソンさん。あとは我々のほうで対処いたしますので、人数や特徴を教えていただけますか?」
なんと、オレを差し置いて
い、いえ、仕事ですからね。わかっていますよ。しかも先輩、いつの間にか名前まで聞き出しちゃって。心なしか、ここだけ穏やかな風が吹いています……? オレも、もっと頑張らねば。
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