第41話 先輩、オレじゃダメですか



「なんか、ごめんね。急にこんなことになっちゃって」

 二人きりになった部屋の中、先輩の声が妙に響きます。


「先輩……。辞められるって、本当だったんですね」

「うん。あの人に、ついて行くことにしたから……。だからもう、ここも辞める」

 先輩がそっと触れた左手には、キラリと光るものがありました。

「結婚、されるんですね……」

「うん……。なんか、こういうの恥ずかしいね」


 実際恥ずかしそうにしながらも、それはそれは愛おしげにその指輪を撫でるのです。先輩、こんな顔もされるんですね。

 きっと今この瞬間も、それを贈ってくれた人のことを想っているのでしょう。


「寿退職、って感じになっちゃったけど……。こういうの、まさか自分がなるって思わなかったな。しかもこんな、急だしね……」

「はい……。オレも、驚きました」

 それでも先輩は、決めてしまわれたんですね。大切な人のために。


 ずっと大切にしてきたこの職場を離れてでも、もっと大切なその人のそばにいたかったから。

 オレには何も言う資格はないけれど。辞めないでほしいとか、思う資格もないけれど。

「先輩、あの……」

 先輩がいなくなってしまった後のことを考えると、オレは言葉に詰まりました。


 でも、最後にこれだけは、ちゃんと言っておかないと。

「いろいろとお世話になりました。本当に、この一年間、ずっと……」

「ううん。ごめんね、もう研修のこととか、いろいろ、見てあげられないけど」

「いや、謝らないでくださいよ。そんな……オレなんかのことは、いいですから」


 結婚し、この第4部隊を去ってしまう先輩は、すでにその準備を始めていて。少しモノが減った座席周りが、なんだか物悲しいです。

 この一年の思い出も、あと数日で、その机の上から全て消えてしまうのですね。

「なんか……、寂しくなりますね」


 オレも寂しいけど。でも、オレのことはいいんです。

 だけど、きっと、貴女は……。



 その時、背後でドアの開く音がしました。

「あ、先輩。お疲れさまです」

「あれっ、ミリア。どしたの?」

「ん、様子見に来てあげたの。荷造り全然進んでないだろうなーって」

 入って来られたのはオレの天使、エイミリア先輩でした。


 あ、ちなみにさっきまで話していた『先輩』は、オレと同じF小隊の先輩騎士として入隊以来ずっとお世話になってきた、アイリーン先輩です。

 近衛兵団に勤める婚約者の方が、国境警備に配属されることが急に決まって、スティングスを退団してついて行くことになったそうです。このところお忙しそうだったのは、そのためだったのですね。

 え、ややこしい? そんなことないでしょう。だってあれがエイミリア先輩だったらオレ、二本の脚で立っていられませんよ。何なら息の根止まっちゃってるかもですよ。


「じゃあオレ、席戻ります」

「うん、ありがとコーディ。ごめんね、時間取らせちゃって」

「いえ。何かオレに手伝えることあったら、言ってください」


 オレが部屋の反対側にある自分の席へと戻る間に、エイミリア先輩は近くの空いていた椅子にちょこんと座って、

「出発、もうすぐだねぇ……」

 なんて言いながら、荷造りをするアイリーン先輩にもたれかかっているのでした。

 先輩それ、思いっきりジャマしてるような気がします。


「うん。ここ来れるのは、明後日までなんだよねぇ……。あ、だから早くこれ片付けないといけないの! ヒマなら手伝ってよ」

「えーヤダ。ヒマじゃないし」

「あんた何もしてないじゃん。むしろジャマしてるだけでしょ?」

「アイリと話すのに忙しいもん」


 先輩が……、クールでドSなあの先輩が、駄々っ子に!? ……か、可愛い。

 同期のアイリーン先輩は、おそらくこの職場内で一番気を許している相手で。勤務時間外で二人の時なんかには、こんなふうにじゃれたり甘えたりとかしちゃうんですよね。


「てかそのスライム、いつの間に持って来たの!?」

「いま出した」

 その言葉通り、先輩はいつの間にか緑スライムくんを両腕に抱えていて。

 あ、『出した』ってことはアレですね? 会議室に応接セット出しちゃった、例のあの魔法ですね。

 あの時は氷の女王の威厳を放ち、戦闘部隊のお偉いさんたちを凍り付かせておられた先輩ですが、今は……。


「ねえ、アイリィ……」

 ああっ! オレもそんな声で甘えられたいです。

 他の人がいるところではなかなか聞けない、貴重なお声。……まあ一応、部屋の隅っこのほうにはオレもいたりするんですけど。完全にアウトオブ眼中ってやつですよね、コレ。

 いつもなら先輩にはオレだけを見ていてほしいところですが……。この甘えん坊さん先輩は、アイリーン先輩と二人でいるときにしか出て来ない、非常に稀少な存在です。

 ここは逃げてしまわないよう、オレは気配を消して部屋の隅に潜んでおきますね。


 そんな先輩ウォッチャーがひっそりと見守っていることなどつゆ知らず、先輩は抱えていた緑スライムくんを差し出して、

「コレ、あげるよ」

「えー、要らないよそんなの。あんたのヨダレついてるやつでしょ!」

 それオレ、めっちゃ欲しいです。

「むぅー。ひどいなあ。コレをボクのかわりと思って、大事にしておくれよぉ」

 緑スライムくんがしゃべってるみたいに、クッションの顔のところをフニフニ揉んじゃって。うわあ、もう、天然記念物級です。


「要らないっての! だってあんたソレ、必要でしょ? それがないと昼休み熟睡できないとか言って、グズグズ寝ぼけてるじゃない。あんた寝起き悪いから、起こすの大変なんだからね!」

 え、そうなんですか?

 先輩、寝起き悪くていらっしゃるんですか? それって、ハーブティーを温めようとして間違ってカス人間に火つけちゃう感じのやつですか? それとも、まだ眠いのに起こされて、起こした相手を罵倒しちゃうとか?

 ああ、どっちもされてみたいです。

 それともやっぱり、グズってなかなか起きられなくて、「キスしてくれなきゃ起きないもん……」なんて、言っちゃって……えへへ、えへへへへ。


「だからあんたはソレ使って、昼休みはちゃんと寝て、シャキッと仕事するの! ただでさえ毎晩帰るの遅いんだから」

 ……なんかコレもう、同棲カップルの会話に聞こえてきましたが。

 え、違いますよね?

 同性で同棲で、とか、そういうんじゃないですよね?

 アイリーン先輩、結婚されるんですよね? 先輩がこんなに気を許して甘えちゃってるのとか、そういう意味のやつじゃないですよね?

 ここへ来て最強のライバル登場とか、ないですよねえ!?


「でもさ、ミリア」

「んー?」

「……あんまり頑張りすぎちゃ、ダメだよ?」

「うん」

「あんたすぐムリすんだからさ。こっちが心配するっての」

「うん。……ありがと」

 ああ、やっぱりアイリーン先輩は、よくわかっていらっしゃるんですね。

 だから先輩も、こんなに気を許しちゃえるわけなんですね。

 先輩、オレも、心配してますよ。アイリーン先輩ほどつき合い長くはないけれど。

 いつも貴女を見ています。

 だから、オレに気付いて。……あ、いやダメだ。いま気づかれたらダメです。


「ねえ、なんかちょうだい?」

「は? なんでよ」

「そしたら荷物減るじゃない。ほら、コレとかもう使わないでしょ」

 はうっ、先輩のおねだり!? オレも何かあげたいです! ほらほら、こっちの水は甘いですよー?

「あーもう、わかった。あげるよ」

「やった」


「ていうかミリア、そんなことしてるヒマあったらホント手伝ってよね。借りてた備品とかあって、もう何から手つけていいかわかんないし。あんた、こういうの得意でしょ?」

「やだ」

 あらら。おねだり成功したのに、あっさり断っちゃうんですね。

「え、それひどくない? ねえコーディもなんとか言ってやってよ!」

 え!? オレですか?

 ひっそりと隠れていたつもりが突然被弾して、オレが草むらから慌てて飛び出している隙に、先輩はぽつりとつぶやいておられたのです。

「……片付け終わったら、行っちゃうでしょ」


「もう! コレ終わったら遊んだげるから。ほら、コーディも手あいてるなら手伝ってよ! あたしマジで、あと3日でこれ全部片づけなきゃなんだからね!」

 アイリーン先輩の『遊んであげる』の一言に、先輩はケロリと立ち直って、

「じゃあやってあげよう。あ、ちなみにアイリ、書庫の本は4冊借りっぱなしだからね。返してよね」

「ゲッ、そんなに!? やば、どれだっただろ」

「仕方ないなあ。ボクの力を貸してやろう!」

 あ、また緑スライムくん登場。


 先輩の腕の中で、スライムくんが淡い光に包まれると、そのお告げによって次々と4冊の本が現れました。

 まあ、実際にはエイミリア先輩が指示した場所からアイリーン先輩が探し出した、ということなんですけどね。

 アイリーン先輩はその4冊をきちんとそろえると、

「はい、じゃあこれは書庫係さんに返却します!」

「え、ダメだよ。自分で書庫まで返してきなよ」

「だってあたしまだ片付けあるし」

「えー。じゃあコウくん返してきて」

 え、オレですか?


 まあ先輩にお願いされたら、そりゃあやぶさかではないというか。いや別に、ご褒美とか期待してるわけじゃないですよ? でもご褒美くださるというのなら、それはもう。

「コラ! 後輩に押し付けないの。もう、わかったよ。ちゃんと返してくるから、かして」

「えー、じゃあついてく。どうせアイリじゃ、棚のどこに返すかわかんないでしょ?」

 あれ。先輩もしかして、アイリーン先輩と一緒にいたかっただけじゃないですか?

 書庫に返しに行っている間の、少しの時間も惜しかったんですね。もう、可愛いんだから。

 だけどオレだって、少しでも先輩と一緒にいたいわけで。

「じゃあ、書庫に返しに行くのはあとにして、先に片付け進めませんか? オレも手伝いますから」

 ちゃっかりと『片付けのお手伝い』という共同作業をゲットしたのです。



「そういえば先輩、新人オリの時にファーガウスのエロ本見つけたのも、さっきの魔法使ったんですか?」

「え、それ何の話!?」

 と聞いてきたのはアイリーン先輩だけじゃなく、当事者のエイミリア先輩まですっかり忘れていらっしゃったようで。

 オレが説明するうちに、ああそんなこともあったねと、ようやく思い出されたのでした。


「……で、オリエンテーション終わってからみんなで確認してみたら、ホントに2つ目の引き出しから出てきたんですよ!」

「え、ホントにあったの? あれ、カンだよ。だって、探索魔術はどんなものかわかってるやつじゃないと探せないし」

「ていうかアイツ、初っ端から職場にそういうの持って来るって、どうなのよ!?」

「だよね。……あ、そういえば、来年度は書庫担当とるんだって。ファーグになったりするのかな? ちょっと困るかも」

「あーっ、たしかに。それはヤダね。あたしが辞めるぶん、武器庫担当も新しくとるはずだけど……。薬品庫は、去年とったでしょ? てことは、あとは……どこだろ?」

「あ、その書庫担当とか武器庫担当とかって、2年目から担当決まるやつですよね?」


 エイミリア先輩が書庫担当であるように、武器庫や薬品庫など第4部隊の付属設備にはそれぞれ数人の責任者が割り当てられています。他にも行事担当とか、美化担当とか、いろいろあるらしいですけど。

 入隊からもうすぐ1年になろうという我々は、そういった担当があることと、2年目からいずれかの担当に割り当てられるという程度のことをようやく理解してきたところです。

「うん。だからコーディたち、来年度からどっかに当たるよ。担当は基本的にずっと変わらないから、仕事多いとこに当たると大変だよー?」

 果たして誰がどこの担当になるのか。最近同期が集まればもっぱらその話題になります(いえ、もちろん、研修課題の話とかもしていますよ)。

 そんなわけで共通目的のもとに結束した我々は、担当について先輩方からそれとなく聞き出して、集めた情報を共有しようという協定のもと密かに諜報活動していたのです。


 なるほど、来年度は少なくとも、書庫と武器庫の担当が我々の誰かに与えられるということですね……これは同志にいい土産ができました。

 ええ、オレがやっているのは情報収集です。お手伝いするふりして少しでもエイミリア先輩とお近づきになろうなんていう、下心じゃないですからね。全然、違いますからね。

 なんて心の整理をしていると、そのエイミリア先輩のお口から新たな情報がこぼれ落ちました。

「ねぇあれってさ、年度末の大掃除の担当が、そのままなるよね」

「え? ああ、うん、そうだね」

 えっ!? 担当の決め方……コレって重大情報!? 詳しく! そこを詳しくっ!!


「どういうことですか? 大掃除って?」

「うん、来月、大掃除があるんだけどね……」

「あーっ! あたし、今年の大掃除は参加できないわぁー。ごめんねぇ、みんなぁ」

 いや、アイリーン先輩、そんな嬉しそうに言われましても。

 ていうか、そんなことはどうでもいいです! それで、担当がどう決まるんですって?

「それで、その前に1年目だけ呼び出されて、大掃除でどこやるか決めるの。今年だったら5か所、場所だけ指定されて、誰がどこをやるかは自分たちで決めてって」

 お二人が1年目のときの大掃除では、そうやってエイミリア先輩が書庫掃除、アイリーン先輩が武器庫掃除になったそうです。そして年度が替わると、それぞれ書庫係、武器庫係に指名され、他も大掃除で担当した場所とどうやら関連しているらしいと。


「これって、あんまり言っちゃダメみたいだから、他のみんなには内緒にしてね?」

 ナイショにして、だなんて……。

 そうですね、オレと貴女、ふたりだけのヒミツにしちゃいましょう。オレに気を許して、うっかり大事なヒミツをポロリしてくれちゃったんで——あうっ!?

 その時オレの脊椎に平手打ちがクリーンヒットして、脳内に咲きかけていたお花畑を吹き散らしてくれました。

「そっ! だからさ、みんなには黙っといて、コーディがやりたい担当をサクッととっちゃいなよ。大掃除で書庫やっとけば、書庫担当になれるよ!」

「え!? いや、そ、それはあの……! え、ていうかオレ、騎士ですよ?」

「ああ、それは関係ない。騎士が書庫とか薬品庫やっても、魔道士が武器庫やっても、そのへんの縛りはないから」

 えっ!? そうなんですか?

 ていうことは……オレも書庫担当になれる? 先輩と同じ書庫担当になれる!?


 そうしたら、薄暗い書庫の中、先輩と二人きりで作業して……どんな作業するのかは、わからないですけど。

 それでオレも、新入隊員を前に書庫説明とかしちゃうんですかねえ。

 あの日の貴女のように……。


 先輩、オレはあの日のこと、一つ残らず覚えていますよ。どんなくだらないことも覚えていますよ。

 だって、念願かなって貴女と再会できた、特別な日だったから。

 貴女にとってオレは、毎年入ってくる新人の一人にすぎないだろうけど。


 でも先輩、アイリーン先輩が借りっぱなしだった4冊は、どんな本なのか全部覚えていたんですね。それは貴女が書庫担当だから? それとも、アイリーン先輩のことだからですか?

 先輩、今この時間にオレといることは、覚えていてくれますか。

 アイリーン先輩との思い出の、ほんの隅っこのほうでいいから。オレのこと、覚えていてくれませんか。


 あと3日したらアイリーン先輩いなくなっちゃって、寂しくなりますね。


 ねえ先輩、かわりにオレじゃ、ダメですか?


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴女はオレの天使です ~クールで美しい先輩魔道士の取扱説明書(クドキカタ)~ 上田 直巳 @heby

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ