第39話 先輩、貴女の盾となりましょう


「エイミ! オレが風よけになるから、右側行って! コウちゃんはエイミの反対側!」

 レンスラート先輩は前傾姿勢で進みながら、暴風に負けじと声を張り上げます。

 オレも怒鳴るように返事して、しっかりと大地を踏みしめながら、エイミリア先輩の右側へまわりました。


 さすが、名にし負う『風哭ふうこくの谷』。エイミリア先輩なんて、さっきから何度も華奢なお身体を吹き飛ばされそうです。

 どこかへ飛んで行ってしまわれないよう、オレがしっかりと引き留めなければ。


「洞窟だ! とりあえず、あそこ目指そう」

 襲いくる風圧に耐えながら、レンスラート先輩が指したほうへ顔を向けると、なるほど岩肌にぽっかりと大きな穴が開いています。風哭の谷にはこうした洞窟がたくさんあって、その一部は強い風を吐き出していて、谷に風が絶えない原因と言われています。

 でも大半はそうした「風穴」と呼ばれるものではなくて、休止状態なのだそうです。幸い、辿り着いた洞窟も中は無風。ようやく身を休めることができて、ホッとひと息ついたのですが……。


「レン、腕」

「ん? あー、やっぱさっき、切れたかな」

 レンスラート先輩の左上腕の後ろ、騎士服が裂けて血がにじんでいました。

 外を歩いている間、強風と共に木の枝やら石やらがたびたび飛来していて。風上にいたレンスラート先輩は、そういうのを一番受けていたのでしょう。


 それでも、治癒魔法を発動しようとしていたエイミリア先輩の右手を制して、

「こんくらい、大丈夫だから。あんま消耗すんなよ」

「これくらい、すぐ済むから」

「いいって」

 ヘラヘラとした表情や声音とは裏腹に、頑固に拒むレンスラート先輩。エイミリア先輩は困った眼差しを、そっと斜め下に移されました。

 右腰に差された剣。レンスラート先輩は、左利きなのです。


「あ、じゃあ、オレが応急処置を」

「おっ、サンキュー。……え、治癒魔法? コウちゃんできんの!?」

 キズ薬とか包帯とか、そういうのを想像していたらしいレンスラート先輩は、オレが傷口に手をかざすのを見ただけで妙にはしゃぎだしました。

 いや、おとなしくしててくれないと、やりづらいんですけど。

「すっげー、治った! 見た? エイミ、いまの見た? コウちゃん、すげー!」

 あと、治癒後は安静にしてください。そんな興奮ぎみに報告されると……照れるじゃないですか。


 剣を持つ己の右腕を治癒できるように――先輩からそう教わって、左手で治癒魔法を練習しているうちに、なんかコツがわかってきたというか。右手でやるときも、前より上手くなったと、我ながら思うのです。

 まさかそれで、レンスラート先輩の利き腕を治癒することになるとは。


 けれど、エイミリア先輩は全くご覧になっていませんでした。まあ、そうですよね。もっと大事なことが、ありますもんね。

「これ……私設団の人たちかな」

 洞窟の少し奥まったところには、焚火のあとと携帯食の残骸。明らかに食い散らかした痕跡があったのです。

「だな。かなり新しそうだし」

「休憩に立ち寄ったのでしょうか? それとも……このまま奥に」


 広い空間の先に一か所だけ、人が通れるくらいの岩の裂け目があります。足元には靴跡らしきものも見えるけれど、何度か行き来した様子で乱れていて。覗いてみただけなのか、入って行ったのかはよく分かりません。

「確かめてみるしかねえな」

 レンスラート先輩が、深い闇を睨んで言いました。




 一時間前。

 我々スティングス第4部隊は、実地訓練に訪れた『風哭の谷』の入り口で隊長から訓戒を受けていました。


「……というわけで、2年目の諸君にとっては、これは研修の総仕上げだ。この2年間での己の成長を、二人三脚で歩んできたチューターと共に確認し、やり残したことがないか今一度振り返ってくるように」

 そんなわけで、今回ばかりはトーリス先輩もアンセラ先輩のほうに同行です。オレとしてはむしろ、心置きなく他の先輩の指示を仰げるので有難いですけどね。


 他の1年目も今回の訓練では全員、経験のためにチューター以外の先輩と組むという特殊ルールが適応されて。不安と期待を抱きつつ、隊長の向こうに広がる谷を見つめていました。


「1年目諸君も、まもなく研修の折り返し地点。これまで学んできたことを存分に活かして、残り半分の研修も有意義なものとなるよう、各自の課題を見つけて帰ってきてほしい。指示にはよく従い、くれぐれも無茶はせぬようにな」

「あー、やっと出発できるー」

 隣にいたレンスラート先輩が、ボソッとつぶやいた時でした、


「――そもそも、この『風哭ふうこくの谷』は王都の鬼門とも呼ばれ、実際に魔獣の出現が多い地である。しかしながら、入り組んだ地形に瘴気、強風などの悪天候から、なかなか掃討には乗り出しにくく……」

 えー、まだ続くのー!? という心の叫びが皆の頭上に湧き上がります。


 そんな隊長のありがたーいお言葉を遮ったのは、谷の奥から現れた一人の騎士でした。白地にゴールドの縁取りの、やたらカッコイイデザインの制服――の残骸をまとった彼は、

「あのっ、すみません! もしかして、スティングスの方たちですか!?」

 息せき切って駆けてきたその服はボロボロで、まるで過酷な戦場をかいくぐって来たかのようです。


 聞けば私設団の一員で、最近風哭の谷で珍しい魔獣が目撃されるというので調査に来ていたそうです。ところが、目的の珍獣を見つける前に在来種にすら歯が立たず、メンバーは散り散りになってしまったとか。

 魔獣討伐は地方に行くほど相場が高く、流れ者の騎士や魔道士、あるいは無資格者までが、じゅうぶんな知識のないまま私設団を立ち上げることはよくあるらしいんですよね。

 その後始末をするのも、王立機関である我々スティングスの辛い定めです。


 そんなわけで第4部隊の実地訓練は急遽、遭難した私設団の捜索活動に切り替わりました。

 組分けは当初の予定通り、オレはレンスラート先輩とペアを組んでF小隊の魔道士数人とともに捜索を開始したのですが――なんということでしょう! 運命の神様のお引き合わせにより、途中からエイミリア先輩たちと合流することになったのです。


 それからなんやかんやあって、エイミリア先輩とレンスラート先輩が本隊から分かれて奥地の捜索を続行することになり、オレもそれにくっついて来て今に至ります。ええ、オレはどこまでも貴女について行きますよ!


 ……でも、改めてそばで見ていると、やっぱり息の合ったお二人というか。この一年を思い返しても、いつも最前線で共に戦ってきた二人なんだなと、そんなお姿ばかりが浮かんできます。

 運命の神様が引き合わせた相手は、オレのほうではなかったのかな……なんて。


「……じゃあ、行ってくる。レンとコーディアスはここで待機して」

「いや、待てよ! この場合、分かれるならコウちゃんとエイミがセットだろ?」

 洞窟の奥へ向かおうとするエイミリア先輩を、レンスラート先輩が即座に引き止めていました。

 外にも見張りが必要で。そして何があるかわからない洞窟の奥へ、1年目のオレを連れて行くわけにはいかないというのが、一致した意見のようです。


「でも、レン1人では危ないし」

「ちょっと見て来るだけだって。ヤバかったらすぐ引き返す」

 結局、エイミリア先輩が押し切られました。騎士と魔道士で組むのが原則であることは間違いなく、そして先輩は、無駄な問答に時間をかける人ではないのです。

 もっとも、レンスラート先輩では力量不足だと判断したら、問答無用でご自身が行かれるのでしょうけれど……。


「レン、待って」

 装備の確認を終えて、いよいよ洞窟の奥へ向かうレンスラート先輩を、エイミリア先輩が呼び止められました。

 それから、ローブの袖をちょっと引き上げられます。露わになった白く美しい手首には、赤・緑・青の3色の玉飾りがついた革ひものブレスレットが。

 さっきから風にあおられたときなんかにチラ見えして、ちょっと気になっていたんですよね。先輩がそういうのされているのは、なんだか珍しいなって。


 先輩はそのブレスレットをするりと外すと、レンスラート先輩の右手首につけかえて、

「これ、持ってて」

 細い指先が、ブレスレットをしっかりと結わえます。

「何だよ、お守り? そんな心配しなくても、大丈夫だって」

 ニッと笑ってみせるレンスラート先輩に、エイミリア先輩はあきれたような視線を向けられただけで。それから少し距離をとると、ローブの中から何かを取り出されました。


 それはブレスレットとお揃いのヒモで、同じ3色の玉をつなぎとめたシンプルなチャームでした。

 念を込めるとチャームが淡い光を放ち、続いてレンスラート先輩の腕にはめたブレスレットも、同じ色の光に包まれます。

 2つの光は共鳴し合うように同じ波動で揺らめいて、それからお互いの方向を指し示すように、小さな光の突起を伸ばしました。


「うわっ。なんだコレ、すげえ! へぇー。これでどっちにいるかわかんのか」

 レンスラート先輩が面白がって腕を振り回すと、エイミリア先輩の手元から伸びる光がそれを追いかけます。

「うん。方向だけじゃなくて、術者のヴィジョンにはだいたいの位置までわかるよ。レンが迷子になったら、わたしがこれでみつけてあげる」

 光が消え、エイミリア先輩は再びレンスラート先輩に歩み寄りました。


「玉は、それぞれ別のヒモに通してあって、玉と結び目の間で切ったら他は解けないようになっているから。すぐに応援が必要なときは、ここを切って、赤い玉を外して」

 エイミリア先輩の指先が、レンスラート先輩の手首の上、赤い玉とそのすぐそばの結び目を交互に指します。

「捜索対象を発見したら緑。それから、あとは……」

 青い玉飾りの上で静止して。珍しく、迷っていらっしゃるように見えました。


 それでもレンスラート先輩は相変わらずで、

「エイミのお守りなら、すげえ効きそうだな。ありがとな」

「だから、お守りじゃないって。ちゃんと聞いてたの? 助けが必要なら、赤だよ」

「わかったわかった。いってきまーす!」

 ブレスレットをつけた右腕を勢いよく突き上げて、軽快な足取りで岩の裂け目へ向かいました。


 通路はすぐに折れ、レンスラート先輩が手にしたランプの光は、たちまち暗闇に飲まれます。見送るエイミリア先輩のお顔は、オレの位置からは見えないけれど。

 ひとつだけ、オレにわかることは——レンスラート先輩はきっと、赤い玉だけは切らないでしょう。




 雨が降り始めていました。

 オレたちは私設団の人たちが残していった焚火のあとを再利用して、暖をとることにしました。もちろん、奥に入っていったレンスラート先輩がいぶされてしまわないよう、空気の流れは確認済みです。


 他の人たちは、今頃どこを捜索しているのでしょう。雨風の音が全てを遮り、人間にしろ魔獣にしろ、周囲に気配はありません。

 まるで、この世界に二人だけ取り残されたかのように――なんてのん気なことを考えているのは、オレだけですよね。先輩は炎を見つめたまま、向かいに座るオレに、そのお心はまるで測れません。


 先輩、寒くないですか?

 先輩、お疲れではないですか?

 どうやって声をお掛けしたら良いのでしょう。もちろん、お話したいことはたくさんあるんですけれども。言いたいことも、お聞きしたいことも、たくさん溜まっているんです。

 でも、只今お仕事真っ最中ですし……。


 そんなことを考えながら、じっと見つめ過ぎてしまっていたのでしょうか、先輩がふいに目を上げられました。あわわ。

 ……って、思わず視線を逸らしてしまいましたが、今のは感じ悪かったですかね。いえ、あの、違うんです。無視したとか、そっぽを向いたとか、そういうことじゃないんです。ああ、どうしよう。

 けれど視線を戻した時には、先輩はもう元通り、焚火を眺めていらっしゃいます。その炎の中に、何が見えるのでしょう?


「先輩……。レンスラート先輩なら、大丈夫だと思いますよ」

「うん、わかってる」

 わかってる…‥。なんかそれ、一番聞きたくない言葉かもしれないです。

 だったらどうして、さっきから何度も、手の中のチャームが光っているんですか。


 入り口のほうへ目をやると、分厚い雨のカーテンの向こうからゴロゴロと不穏な低音が響いてきました。そういえば、まだ昼間なのに外がずいぶん暗くなってきたような。

 暗い気持ちでいると、暗いものを引きつけてしまうのでしょうか。

 なんか、すみません。

 こんなオレじゃ、ダメですね。


 負のループに陥った思考を切り裂くように、突然外が眩しく光りました。続いて、ピシャッと叩きつけるような激しい落雷音。

「うわ。今のは近そうで――」

 言いながら正面に向き直ると、それでも先輩は、外の様子を気にすることもなく焚火を見つめていらっしゃいました。


 そう、思ったけれど。

 態度や表情に、明らかな何かが見て取れたわけではないけれど。

 ほんの少しの違和感に、オレの脳裏を過ったのは、秋の薬草採取のことでした。

 急な雷雨に見舞われて、避難した小屋の中。あの時アイリーン先輩にくっついていたのは、寒かっただけじゃなくて、もしかして……


「先輩、もしかして、雷が……」

 ハッと見上げた先輩のお顔を、炎が照らします。

 その時、一陣の風が雨粒と共に吹きこんで来て。先輩はギュッとチャームを握りしめました。


 オレは立ち上がって、エイミリア先輩のそばまで行くと、入り口側へ並んで座りなおしました。

 先輩、やっとオレのほうを見てくれましたね。

「オレが……」

 風よけになる、と言おうとして引っ込めました。さっきのレンスラート先輩の二番煎じだと気付いてしまったからです。

「オレが貴女の盾となります」


 剣となり、盾となる――それは騎士の誓いの一節です。

 貴人にお仕えする騎士は、主となる人の足元に跪いて「あなたの剣となり、盾となります」と誓います。近衛兵団やスティングスなら「民の剣となり、盾となる」。

 騎士学校の卒業や、スティングスの入団の際、幾度となく繰り返してきた、騎士にはお馴染みのフレーズです。


 どうせなら盾よりも、全方位カバーのフルアーマーになって、貴女をすっぽり包み込んで、この雷の光も音も、全部遮ってあげられたらよかったのですが。

「クッキー、美味しかったよ。ありがとう」

「えっ?」

 突然のお言葉を、オレは上手く聞き取ることができませんでした。いえもちろん、先輩のお言葉を聞き逃すなんてもったいないことはしませんけど。


「あ……、えっと、前にもらったクッキー。ホーリーライトの……。お礼言うの遅くなっちゃって、ごめんね」

「ええっ、食べてくれたんですか!?」

「え、だって、クッキーだもん」

 だもん、って……。


「いや、だって……、ずっとデスクに置きっぱなしだったし。先輩、ホーリーライト嫌い……じゃなくて、えっと、好きじゃないって、言ってたし。オレてっきり、迷惑だったかと……」

「あっ、あれは……、なんか、食べるの……もったいなくて……」

 膝を抱えた腕の中に、お顔が半分沈んでいきます。もう、何なんですか、可愛いなあ。頬を赤く染めちゃって。

 いや、炎がね。炎に照らされているからですよね? オレもなんだか、ちょっと、熱くなってきた気がします。火に当たっているからね。ハハハ。


「それに、ああいうハードクッキーって、けっこう日持ちするでしょ。だから……」

 なんだ。

 なんだ、そうだったんだ。

 じわじわと、あったまって。心も、顔も、緩んでしまいます。

 この焚火、ただの火炎魔法で起こしたものだと思っていたのに。貴女のステキ魔法でもかかっているんですか?


 けれど、そんなオレの隣ではまた、先輩の手元が光っていました。

 隙間からのぞく3つの玉が、光の突起を伸ばします。

「あれ、戻ってきてる。私設団の人たち、見つけたのかな?」

「緑の玉は?」

 たしか、捜索対象を発見したら緑の玉を切るんでしたよね。出発前の取り決めを思い出しながら先輩に尋ねます。


「ううん。でも、レンは忘れてるかもしれないし……あ」

 その時突然、緑の玉だけがフッと輝きを失いました。

「もしかして今のが、切ったってことですか?」

「ふふ、今頃思い出したのかもね。もう、レンは――」

 嬉しそうに笑う先輩の手を、オレはとっさに握りしめてしまいました。


「だったら、もう力使うのやめましょうよ」

 重ねてみた手は思ったよりも小さくて。このまま包み込んで、オレの中に閉じ込めてしまいたい。

「戻ってきたら、また怒られますよ?」

 探索魔法は、使うたびに向こうのブレスレットも光るんですよね? 簡単な治癒魔法さえ拒んだレンスラート先輩、ブレスレットが光るたび、どんな思いをしているでしょう。……それに、オレだって。


「でも……」

「レン先輩なら、大丈夫だから」

 わかっています。帰り道に危険がないわけじゃない。油断しているところを襲われることだってありますよね。

 だけど、先輩。そんなにチャームばかり構ってないで……こっちを向いてくださいよ。



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