第33話 先輩、貴女はやっぱり天使です



 窓から差し込む陽光の中、エイミリア先輩が、ゆっくりとこちらへ歩いてこられます。

 ホライゾンブルーの髪は朝日を浴びてキラキラと輝き、慈愛に満ちた眼差しは、悩める衆生を見渡して。柔和な微笑みで、地上の全てに祝福を与えながら。

 ああ、先輩。やっぱり貴女は、オレの天使です……。


「先生、出来ました!」

「はい。見せてくれる?」

 呼び止められて、天使様はとある学生の元へ降り立たれました。

 インターン。王立騎士学校ロイヤルアカデミーの学生たちが、スティングスを訪れています。今はそのうちの、異職種体験のお時間。騎士学生たちは治癒魔法の基礎を実習しています。


 8人ほどを1つの班として、エイミリア先輩もそのうち1つをご担当で。完璧すぎるデモンストレーションをご披露になったあとは、こうして学生たちの間を回りながら、その挑戦を温かく見守ってくださっているのです。

 もちろん、腕をサクッとお斬りになったりはされていません。


 実習で使うのは「鬼切草おにぎりそう」という植物。肉厚の大きな葉をつけるのが特徴です。

 その葉に切れ込みを入れたのを、魔法で元通りに治すというのが、魔道士学校でも行われる初心者向けの治癒魔法の練習だそうです。


 鬼切草はそれ以外にも、食用にもなり水分を多く含むなどの特性から、非常食や水分補給、ウェットティッシュ、湿布、凍結魔法をかけて保冷剤、さらにはフニフニの手触りでストレス解消グッズとしても……とにかくいろんなものの代用に大活躍。

 名前の由来は、携帯食として優れているからとも、鬼にまつわる悲しい伝説があるからとも言われますが、その汎用性の高さから「代草ダイソー」という別名もあるようです。


 騎士学生たちといえば、小さな切れ込みさえもロクに塞げないへなちょこ魔法の使い手がほとんどですが、それでも先輩は辛抱強く、それぞれのレベルに合わせて丁寧に指導されて。

 ああ、いいなあ。オレも学生に戻りたいです。


 でもそうすると、また距離が遠のいちゃうんですよね……。やっぱり、このままでいいです。

 だけど、やっぱりちょっと、羨ましいです。自分が治した鬼切草を、そんなに近くでのぞき込んで、優しく指導してくださるのなら。ほら、あの学生だって……。


 いや、見惚れている場合じゃないだろ! ちゃんと学業に集中しろよ! ていうか先輩も、近い。近いですから! もうちょっと離れた位置からでも、ちゃんと指導できますって。

「うん、きれいにできているね」

 えーっ、そぉですかあ? オレのほうが、それよりずっと上手くできますよ。


 けれどそれを聞いた男子学生は、調子こいて「やった」と隣の席の学生に自慢しています。

 いや、今のはお世辞だから! 先輩はホメて伸ばすタイプの方だから! ていうか、よそ見してんじゃねえええええ。

「でも、よく見ると……」

 ほら来た! 先輩、けちょんけちょんに言ってやってください。


 思えば、オレが初めて天使に出会ったのもこの場でした。2年前、まだ学生だったオレは、インターンでスティングスを訪れて。治癒魔法の実習で、オレの班を受け持ってくださったのがエイミリア先輩だったんですよね……。

「コーディくん、聞いてる? そっちの子、みてあげて」

「あっ、はい!」

 ちなみに現在のオレは、エイミリア先輩とは別の班を担当しています。ええ、さっきからずっと、よそ見してました。ごめんなさい。


「へえ、先生って、騎士のクセに治癒魔法上手いっすね」

 オレが説明しながら実践しすると、学生は感心したように言いました。「クセに」っていうのは、余計だと思うんですけど。でも、先生と呼ばれるのはなんか、むず痒いですね。

「みんなみたいに、頑張って練習したからね」

 主に先輩のために、ですけどね。

「魔道士でもないのに? もしかして魔道騎士とか目指してるんすか」

「騎士でも、簡単な治癒くらいはできると、任務のときにも便利だよ」

 これも、先輩の受け売りですけどね。


 それでも騎士学生は、感心したようにオレが治した痕を観察しています。そうするうちに、

「じゃあ各班、キリのいいところで15分休憩に入ってくださーい」

 総監督のシルヴィア先輩のアナウンスで、みんなバラバラと休憩に移行しました。

 最初の頃こそ、どう「休憩」していいかわからない様子だった学生たちも、少し慣れてきた様子で。友達と売店に向かったり、施設内の探検に出掛けたり、部屋に残っておしゃべりしたりしています。

 彼らのうちの、何人かは将来スティングスに入って……そのうち1人か2人は、この第4部隊に来るのでしょうか。……かつての、オレのように。


「おまえの班の先生って、美人だよな。いいなぁー」

「だろ? しかも教え方とかすっげえ丁寧で、優しいし!」

 さっきの学生は、通路を挟んで向かいの、エイミリア先輩の班の学生と話しています。

 オレも最初はたぶん、あれくらいの感覚だったんですよね……。


 褒められたのが嬉しくて。もっと話をしてみたくて。気づけば剣術稽古よりも何よりも、この時間が一番の楽しみになっていました。明日は何を質問しよう、なんて、毎晩一生懸命考えて。

 一週間が終わって、もう「先生」に会えないのだと思うと……最後の一週間、剣術稽古のためにスティングスに通いながら、偶然にも貴女のお姿を見かけることはないだろうかと、淡い期待だけがオレの支えでした。


 そしていつの間にか、誰に相談するでもなくオレの目標は「スティングス第4部隊に入る」に定まっていて。卒業まで残りの1年余り、必死に勉強して、剣術に打ち込みました。時々は、治癒魔法を練習しながら。

 あの頃からずっと、貴女がオレの道標みちしるべです。


 同じ職場の仲間になりました。知らなかった一面も、たくさん見えてきました。

 でも、先輩にとってのオレは……もしかしたら、ここにいる学生たちと、そんなに変わらないのかもしれません。

 初めての討伐任務のとき、人垣の外からそのお姿を見つめることしかできなくて。歓迎会のとき、遠くのテーブルから眺めることしかできなくて。そして今は……。

 今でもオレは、先輩の「その他大勢」なのでしょうか。


 エイミリア先輩は休憩時間まで部屋に残って、学生たちの奮闘の痕を見て回っておられます。中にはこの時間も練習を続ける熱心な学生もいて、先輩は「休憩していいんだよ?」なんて優しく声をかけながら、逐一アドバイスも施してくださいます。

 いいなあ。オレも戻りたいです。ええもちろん、オレも当時は居残り練習組でしたよ。


 そんな天使様の巡回は、次第にオレの元へと近づいてきて――途中で、学生に呼び止められてしまいました。

「先生、若いよね。何年目? カレシとかいるんすか?」

 なっ……、そこの学生!? ちょっとそれは、馴れ馴れしすぎです!

「ふふ、どうなんでしょうね」

 ああ、もう! 天使様ったら。イジワルな貴女もステキです。


 休憩時間が終わると、学生たちはまた鬼切草の治癒に取りかかりました。そのうちエイミリア先輩が、ひとりの女子学生に注目されて、

「ここを治したの? 上手だね、見せてもらっていい?」

「あっ、はい!」

 珍しい、先輩のほうからのお声掛け。そして身を屈めて覗き込まれるお姿に、周囲の学生たちも――見惚れてんじゃねえええ。自分の実習に集中しなさい!

 え、オレですか? オレは先輩を、指導のしかたを勉強しているのです。


「ほら、葉脈がちゃんと合っているでしょう? 傷口を閉じるだけじゃなくて、こういうのが大事」

 そうそう、オレも学生のとき、あんなふうに褒めていただいたんですよね……。

「なぁーに見惚れてんだよ!」

「えっ!? いや、オレはべつに……!」

「あの子、美人だよなぁ。背も高いし、モデルみたい。ミリア先輩より高いんじゃね?」

 え? ああ、なんだ。ファーガウスが言っているのは、学生のほうだったんですね。


 その女子学生は、たしかにスラッと背が高くて、目立つ感じです。そのぶん近づきにくいオーラがあるのでしょうか、さっきの休憩時間は、ひとりポツンと席に残っていたみたいですけど。

「みんなも、レティシアさんのを見せてもらってね」

 天使様がそう言い残して離れていくと、同級生たちに取り囲まれて、戸惑いながらも自分の鬼切草を見せたり、質問に答えたりしています。


「……ていうか、ファーグ!? 何してるんだよ、こんなところで」

「ん? オレらのほう、ちょうど休憩入ったとこだから。ちょっと偵察!」

 日が経つほどに慣れてくるのは、学生だけではないようですね。




「やっぱ若いよねえ、学生は」

 すべてが終わった金曜の午後、オレたちにはもうひと仕事残されていました。セミナールームに集まって、インターンの総括です。

「ホント、そぉですよねえー。お肌ピチピチでえ、羨ましいですぅ」

「いいですよねえ、学生って」

「ハンナちゃんは、ちょっと前まで学生だったじゃない」

 そうなんですよねえ。オレも1年前にはまだ学生だったなんて……。遠い昔のことのようです。


 あ、もちろん、これが総括の内容というわけではなくて。

 1年目は、学生たちから回収したアンケートの集計。そして先輩方はレポートという名のほぼ感想文に目を通しながら、事後ミーティングに備えているわけですが。

 でも、みんな集まって書類作業をしていると、どうしても口のほうが忙しい人もいるもので……。


「それ考えると、うちらも年取ったよねえ」

「いやぁっ! それ言わないでくださいよぉ、カーリー先ぱぁい。ひどぉーい!」

 アリアンナ先輩が突然ハイトーンボイスで叫んだものだから、周囲の注目を集めます。これにはカーリア先輩も、

「え……、何? あたしが悪いの? べつにアリアちゃんのこと言ったつもりないんだけど」

 若干引いた様子で、ハンナに同意を求めます。わわ、穏やかに行きましょうよ、ね。


「でもぉ、あたし学生の頃にはぁ、研修終わるまでに絶対結婚するって思ってたんですよねえ」

「むしろアリアちゃんならそのまま寿退職しそう」

「えぇーっ。そんなふうに思ってたんですかぁ? ひどぉーい」

「え、べつに悪く言ったつもりないんだけど」

 またカーリア先輩の声が少し低くなりました。ちなみにこの「ひどぉーい」と「すごぉーい」は、アリアンナ先輩の口癖のようなものらしく、エイミリア先輩とお話し中にも頻出します。


 そのエイミリア先輩はというと、少し離れた窓際の席で、先ほどからひとり静かに学生のレポートをご覧になっていました。

 周囲に惑わされず、手元のお仕事に集中されるお姿は麗しくて。何だかそこだけ、世界が違うような……あれ、心なしか後光もさしています?

 オレも頑張ろうっと。


 手元に意識を戻したところで、アンケート用紙を抱えたファーガウスが入って来て、オレの隣に座りました。

「コーディ、終わった? こっちも手伝ってよ。オレらのほうが1人少ないじゃん」

「いや、カイルが他の手伝いに行ってるから、人数は一緒だろ」

 むしろハンナがあの状態だから、オレ一人でやっているような……? まあ、いいです。オレは自分の仕事をやるまでですね。


 けれど、そこは条件一緒のようで。ファーガウスと共に入ってきたルーウィリアは、アンケートそっちのけで早速おしゃべりに加わっていました。

「わたしも、就職したらすぐにカレシつくるつもりだったんですよ! でも研修とか忙しくって、全然それどころじゃないっていうか」

「なんかぁ、ルイリちゃんは、結婚願望とか強そうだよねえ」

「あ、それはなんかわかるー!」

 どうやら今度は、仲良く意見一致のようです。女性同士の関係って、傍から見ているとよくわからないですね。


「ハンナちゃんはぁ、あんまり気にしなさそうー!」

「え、そうですかぁ?」

「あーでも、そうかも。なんか、そこにこだわらない感じ?」

 キャッキャと楽しそうです。

 そういえば、先輩はその辺どうなのでしょう? あんまりそういう話、されないですが……。

 おっと、いけない。また視線が窓のほうへと吸い寄せられていました。お仕事しないと。


「でもさあ、このまま一人でサン・レヴィ祭は寂しいよね」

 あうっ。痛いところ突きますね。そんな人、たくさんいると思うのですが……。

「わたしは去年、卒業試験とか忙しくって、直前で別れちゃったの! 今年は絶対、サン・レヴィ祭までにカレシつくる。それで、ホーリーライトのリング買ってもらうの!」

「いいなぁ。あたしはブローチが欲しい」

「あっ、そぉだあ! サン・レヴィといえばあ……」


 サン・レヴィといえば、王国でポピュラーな『三神教』の最高神のことですが、若者の宗教離れが深刻化する昨今、その生誕祭は「年末休暇の目玉イベント」という扱いですね。

 ちなみに『ホーリーライト』は、真っ赤なハートに白い羽が生えたもので、サン・レヴィ祭のシンボル的なモチーフです。

 何年か前から、恋人同士でサン・レヴィ祭にホーリーライトのリングを贈り合うというのが流行っていて。さしずめ「私のハート気持ちを受け取ってください」みたいな感じでしょうか。


 オレもいつかは、贈ってみたいものですね。王道ベタなのも、たまにはいいものじゃないですか?

 サン・レヴィ祭の夜、キレイな夜景の見えるオシャレスポットとかで――先輩、オレのハートを受け取ってくださいますか!? ……なんちゃって、ムフフ。仕事仕事。


 それはともかく、アリアンナ先輩が持ち出したのは、この時期限定で開園しているというテーマパークの話でした。ここまでパンフレットを持ってきていたようで、みんなに披露しています。

「ちょっと遠いとこだけどぉー、王都から送迎の馬車も出てるみたいなんですぅ。ねっ、ねっ、すごくないですかぁ? みんなで行きません?」

「あたしもコレ知ってます! 毎年大人気なんですよね?」

「わあ、楽しそう! アリリン先輩、わたしも行きたいです!」

 あの、今って、仕事中ですよね……?


「うんうん! ルイリちゃんもハンナちゃんも、一緒に行こぉ? 先輩もよかったらぁ――あ、でもカーリー先輩は、トルルン先輩がいますもんねえ」

「トルルン先輩?」

「トルファウス先輩のこと」

 ファーガウスにコソッと聞かれて、耳打ちを返します。同じQ小隊の騎士と魔道士でお付き合いされているというのは、わりと有名な話です。


 でも実は、本人はその呼び方があまり好きではないらしくて。後輩男子なんかがうっかりそう呼んでしまうと、すごい目で睨まれるそうです。だから、関わりの少ないファーガウスなんかは、ピンとこないんですよね。

 一部の女性隊員の間でその呼び方が広まっている原因は、他でもないカーリア先輩のようですけれど。恋人には、かえって訂正しにくいものでしょうか。それとも、特別に許しちゃうんでしょうかね。


「大丈夫だよ。さすがに、サン・レヴィ祭の当日じゃないでしょ? だったら、うちらも参加したいな。トルルにはあたしから言っとくね」

「ホントですかぁ? やったあ! ねえねえ、コーディくんも、ファーグくんもぉ……」

 オレたちの返事を待つことなく、アリアンナ先輩の視線は次のターゲットに移っていました。

 窓辺では相変わらず、天使様が泰然自若としてお仕事を続けられています。周囲のノイズなど、その高みまで届かないのでしょうか、先ほどから何度チラ見しても優美なお姿に変化ありません。

 もちろん、先輩がご参加されるのであれば、オレは天地がひっくり返っても行きますよ!


 ところが、その視線を追ったカーリア先輩は、

「あーでも、エイミは最近……ね?」

 含み笑いでアリアンナ先輩と見交わします。

「え、あのウワサ、やっぱりホントだったんですか?」

「ナニナニ? なんのウワサっすか?」

 すぐに食いつく1年目たち。ていうか、ファーガウスまで!? 隣にいると思っていたのに、いつの間にそっちに行っていたのですか。


「先輩、最近、けっこう早く帰られる日があるみたいでね……」

「そうそう! 勤務時間終わったら、もうソッコーで出て行っちゃうの! ミィ様、聞いてもちゃんと教えてくれなくてぇ。絶対カレシなんですよぉー!」

 最後はエイミリア先輩のほうへ向けて、少し声のボリュームを上げて。

 その時先輩が、手元のレポートに視線を落としたまま、妖艶に微笑まれたような気がします。

 何ですか、今の意味深な笑みは!?

 え……そ、そうなんですか?


「えーっ! そうなんですかあ、先輩!?」

 女性陣が興味津々に聞き出そうとしますが、天使様は簡単には振り向いてくださいません。

「ミィ様ぁー?」

「ミリア先ぱーい?」

 それなら数の力でと、みんなが次々に呼びかけたところで、やっと顔を上げてくださって、

「えっ、何? ごめん、聞いてなかった」

「もぉー、とぼけちゃってぇ。誤魔化してもダメですよ?」

「……ん? なんの話?」

 あれ、そのきょとんとした可愛らしいお顔は、本当に何のことかわかっていらっしゃらない?

 もしかしてさっきの微笑みも、単に学生レポートの内容に対するものだったんですか? その学生、超絶羨ましいです。


「ああ……それ、たぶん、魔道研究所」

 アリアンナ先輩が「カレシ疑惑」をぶつけると、エイミリア先輩はあっさりとそうお答えになりました。

「共同研究を企画してて。もうすぐ本格始動すると思う」

 もっと色っぽい話を期待していた面々は、ちょっぴり残念そうです。

 まあオレは、思いっきり安堵ですけどね。


「アリア、それ前にも言ったでしょ?」

「えー、そんなの絶対ウソに決まってますぅ!」

 なんだ。「エイミリア先輩が教えてくれない」じゃなくて「アリアンナ先輩が信じていない」だけだったんですね。なんて人騒がせな。



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