第32話 先輩、怒っていいですか


「もう……ダメ。立てない」

「まだまだ! ちゃんと持って。腰入れろ!」

「ムリだよぉ。もう、許してぇ……」

「ホラホラ、どうした! かかって来いよ」

「いぃぃやぁあああああっ! ムリってば! もう勘弁してくださいコーディアス様ぁっ!」

「……それだけ叫ぶ元気があれば、素振りの10回くらい余裕だと思うんだけど」

 ていうか、オレのほうが恥ずかしいですから、勘弁してください。


「何度も言ってるけど、ファーグは重心が高いんだよ。オレのほうが背高いんだから、同じ位置で構えてもダメだって」

 しゃがみ込んでしまったファーガウスを立たせて、もう一度剣をしっかり握らせます。

「なるほど。たしかにそうだよね」

 と納得したのは隣で見ていたカイルで。ファーガウスのほうは、完全に戦意喪失状態です。

「ひいぃん。助けて、カイルーン! コーディがイジメるぅ」


 ところで、どうして魔道士のファーガウスに剣術を教えているかというと、もちろんイジメているわけではありません。

「でもファーグくん、このままだったら、インターンの学生に笑われるよ?」

「えー、それはヤダ。『あの魔道士、剣術もできるの!? カッコイイ! 憧れるぅ!』って言われたい」

 そう、これはまもなく始まるインターンのための準備です。


 来月になると、王立騎士・魔道士学校ロイヤルアカデミーの学生たちがスティングスへやって来て、3週間の研修をします。

 騎士学生ならば主に騎士の訓練の見学や、実際に剣術稽古をつけてもらったりするのですが……。


「てかやっぱ、第4部隊って損な役回りじゃね? 魔道士に剣教えるって、ほぼほぼ素人じゃん」

「それ以下の素人に教えられる学生も、気の毒だけどな。ほら、もう一回打ち込んでみろ」

「ええー。これ以上やったら、オレ死んじゃう!」


 そのうち真ん中の1週間、午前中だけは「異職種体験」という感じで、魔道士の方たちから基礎的な魔術を教えてもらいます。逆もまた然りで、同じ時間、魔道士は剣術をちょこっと体験します。

 それを担当するのが、インターンにおける我々第4部隊の主な役目。そして1年目は学生と感覚が近いということで、騎士であるオレやカイルは騎士学生への魔術指導を、魔道士のファーガウスは剣術指導のほうをサポートするのです。


 そのための特訓を今やっているワケですが。「教えるのも良い勉強」ということで、1年目同士で互いに教え合うことになっていて。簡単な基本の型だけで良いとはいえ、喚き叫ぶファーガウスをなだめて教えるこの苦労、わかっていただけますでしょうか……。


「見てよ、可哀相なオレの手! ほら、マメできてんの」

「大丈夫だよ、ファーグくん。いっかい潰れてしまえば、あとは楽だから」

「だいたい、連休前から始めたほうがいいって言われていたのに、ズルズル先延ばしにしたのはファーグだろ?」

「だってさあ! こんな忙しいなんて、聞いてなくない?」

「いや、警告は受けていたと思うけど……」


 連休が明けると、すぐに薬草採取、それにインターンの打ち合わせやら、特別セミナーやらのイベント盛りだくさん。そんな中、いつもの業務もこなしながら特訓の時間を捻出するのは、なかなか難しいものです。

「もう1週間ないんだよ? 今日は1年目のセミナーがあったから、みんな集まれたけど、もうそんな機会ないし」

「それなー! てか、最近セミナー多すぎじゃない?」

「インターン期間中のぶんまで、前倒しでやってるんだろ。せめて体力作りは、連休中からやっておくようにって、あれほど言われてたのに」

 もちろんオレは、連休中も魔術訓練のためのイメトレを欠かしませんでしたよ! 毎日天使のお顔を思い浮かべてエヘヘヘヘ。


 でも、連休の話題になると、どうしても思い出してしまうことがあります。

 それはオレだけではないようで……。

「そういやさあ、カルロス先輩とミリア先輩って、何があったんだろ? 何か聞いてる?」

 ファーガウスがとうとう戦線離脱して、訓練場の隅のベンチに腰掛けながら尋ねました。

 そうそう、この特訓は「騎士たちに交じってやるのは恥ずかしい」というファーガウスの要望により、いつもの中庭ではなく、人の少ない剣術訓練場で行っています。


「だって、こないだまでミリア先輩のことめちゃくちゃ嫌ってなかった? まあ、その前はベタベタだったけどさ。『可愛さ余って憎さ100倍』みたいな? そんな感じだったじゃん」

「僕もそれ、気になってた。なんか、すっかり元通りになってるよね。……連休前くらいからだっけ?」

「やっぱアレ、ミリア先輩じゃなかったってことかなあ? 誤解だったってわかって、仲直りしたとか?」


 事の発端は、説明会の出張のとき。

 エイミリア先輩らとともに、地方の学校へスティングスの組織説明会をしに行ったカストロス先輩が、そこの女子学生を宿泊先に「お持ち帰り」したというウワサが広まりました。

 オレも最初は、まさか出張先でそんなことするなんて信じられなくて。尾ひれが付いただけだと思っていたんですけど。


 次第に明らかになってきたのは、カストロス先輩が実際にをやる人らしいということ。そして、しばらくすると話は上層部にまで伝わって、カストロス先輩が呼び出しをくらったらしいこと。

 カストロス先輩はそのウワサの出処を、エイミリア先輩が言いふらしたのだと勝手に決めつけたらしくて……。

 そう。オレが知っているのは「らしい」「らしい」と伝聞ばかり。そして真相を知らぬまま、その目に余る態度を見せつけられただけでした。


「ああ、アレ、学生本人から広まったらしいよ」

 近くでルーウィリアに剣を教えていたハンナが、急に話に加わりました。向こうで集中していたと思っても、意外とこちらの話を聞いていたりするようで、ちょっとびっくりします。

「学生って……もしかして、被害者の子?」

「そう。あたしも、詳しくは知らないんだけどさ……」


 ハンナによると、諸説あるらしいんですけど。学生本人が友人に話して、それが広まって学校に知られたとか。親にバレて、学校に訴えられたとか。いずれにしても学校側からスティングスのほうへ抗議が来て、それで上が動いたらしいとのことです。

 まあ、そうでなくても下のほうではかなりウワサが広まっていましたし、知られるのは時間の問題だったと思いますけどね。


 でも、一つ確かなのは……。

 一連のウワサを、いろんな人の口から聞いたけれど。少なくともオレは、エイミリア先輩のお口からは、ただの一度だってそのことに関する話をお聞きしたことがありません。

 話を広めるどころか、どんなに憶測が飛び交っていたって、弁明すら、聞かせてもらったことがないのです。


 過ぎ去ってしまうと、あっけないものでした。あんなにひどい八つ当たりというか、攻撃的な態度だったのが、急にまたガラリと変わっていて。まるで、何事もなかったかのように。

 それが本当に「元通り」なのかどうかは、オレにはわからないですが。

 裏で何があったのかは、ウワサの域を出ないまま。



 結局、ファーガウスのやる気は逃亡したきり、不安を残しつつ今日の特訓は終了となりました。

 こんな時、オレの足はついついあそこへ向いてしまいます。先輩、何があったのですか――なんて、聞けるハズもないけれど。


 あ、いえ、もちろん、書庫に向かっているのは、ちゃんと自分の仕事をするためですよ。そう、ファーガウスが剣術の特訓をしていたように、オレは魔術を練習しないといけませんからね。

 べつに、どなたかにお会いしたいだなんて、下心は持ち合わせていません。これっぽっちも! 今日はそんなに動いていないから、汗臭くないですよね、オレ……?


「……それで、インターンのために、治癒魔法のことを、ちょっと予習しておこうかなって」

「それなら『予習』じゃなくて『復習』でしょ?」

 自分に言い訳していると、表にもすぐ出てしまうものですね。お会いするなり言い訳めいた発言をしてしまったオレに、それでも先輩は、優しく笑いかけてくださるのです。


「コウくんは、ちゃんと治癒魔法できるじゃない。あの頃から……」

 え、えへへ。前に、先輩に特訓していただきましたもんね。こってり濃厚なやつをね。ええ、オレは新たな世界を垣間見させていただきました。

「おかげさまで……。いや、でも、オレの力なんて、まだまだで」

 特に、たまにご降臨されるドS天使様にお応えするだけの力量が。そういう方面には、オレはまだまだ疎いものでして。


「そうだね。じゃあ、ちょっとステップアップしてみよっか?」

 ステップアップ? それは……天使様への階段を一歩昇れるということでしょうか!?

「今までやったのは、基本的に『切創』の治癒だけでしょ? それ以外も複合的に習得すると、なんていうのかな、治癒の原理とか真髄みたいなものが、わかってくると思う。感覚的なものだから、上手く説明できないんだけど」

「それ以外っていうと……すり傷とか、火傷やけどみたいなのですか?」

「そう。変性や大きな欠損を伴うものだと、切り傷の治癒とは違うから。まずは……」


 話しながらオレは、いつの間にか書庫の奥に誘導されていました。もう、先輩ったら。オレをこんなところに連れ込んで、一体ナニを……。

「この本が、わかりやすいんじゃないかな」

 はい、もちろんここは、治癒魔術の本棚ですよねっ!


 サッと見渡しただけですぐに一冊の本を手にされた先輩は、オレを見上げておっしゃいました。

「とりあえず、1章だけ軽く読んだら、あとは実践しながらがわかりやすいと思うから、都合のいいときにまた聞きに来て」

 え、いいんですか、マンツーマン授業の予約? いや、これはもうデートのお約束と言ってもいいんじゃないでしょうか!?


「あっ、もちろん、他の人に聞いてくれてもいいけど。同じF小隊の魔道士とか……」

 はう。やっぱり、そのほうが普通というか、自然ですよね。

「それでも、オレは――」

「エイミちゃーん?」

 その時、静かな書庫に、声とともに荒い足音が入ってきました。


 今回は、はっきりとわかりました。

 それは半歩にも満たないくらいの、微妙な動きだったけど。声が聞こえたとたん、先輩の重心が、ほとんど反射的に接近していていました。ちょうど、オレと本棚の隙間に逃げ込むかのように。

 本を持つ手に、キュッと力が込められて。その瞬間、浮かんだ不安げな表情――この人を守ってあげたい。オレの中に芽生えたのは、たぶんそんな願いだったのです。

 いや、おこがましいですよね。それは、そうなんですけど。


「良かったあ。やっぱりここにいたのか。俺さあ、また業績のまとめやらされることになって。頼りにされてんのかなあ。手伝ってくれる? エイミちゃん、こういうの得意だろ」

 書類を片手に、ニヤニヤと近づいてくるカストロス先輩。オレはその進路を妨害するように、割って入っていました。

「あの! ……今、オレが先輩に用事あって」

 だから、邪魔をしないでくださいよ。


 カストロス先輩は一瞬面食らった様子でしたが、

「は? そんなもん、後でいいだろ。おまえらの用事より、こっちのほうが重要に決まってんだろうが」

「でも――」

「何なんだよ。1年目が、邪魔すんじゃねえよ」

 オレの抵抗なんて、あっさりねじ伏せられていました。その声は次第に低く、険を帯びて。いつかの資料室から聞こえてきたように……。


 ああ、まただ。

 オレには何もできないのです。こんなに近くにいるのに。ただの後輩で、1年目の新人という、オレの遠い立場では――

「お言葉ですが」

 背後から凛としたお声が聞こえたかと思うと、エイミリア先輩が、すっとオレの隣に顕現されました。


「研修中にちゃんと学んで、ある程度のことは一人できるようになってもらわないと、周りが迷惑します。仕事ができないまま立場だけ上になって、誰がその面倒を見るのですか。そのための指導は、優先事項です」

 結局、守られるのはオレのほうなんですね。……情けない。

 ていうか今のお言葉、だいぶトゲトゲ生えてなかったですか? これにはさすがに、カストロス先輩も、

「いや、でもさあ、これ提出しないと、みんな困るだろ? 俺ら第4部隊の業績、なくなっちゃっていいのかよ?」

 ……全然響いていない!? しかも、何なんですかその、脅しみたいな言い方は!


「それって、ミリア先輩のお仕事じゃないですよね」

 そう、オレもだんだんわかってきたというか、だいぶ前から何となく気づいてはいたのですが。エイミリア先輩が依頼されているお仕事は、明らかに『後輩としてサポートする』とか『同僚として分担する』とか、そんな範疇はんちゅうを超えていて。

 それは本来カストロス先輩がやるべき仕事を、丸投げされ、押し付けられているだけなんです。


 けれど、オレが何を言ったところで、事態を悪化させるだけでした。

「ハア? おまえ、1年目が口出してんじゃねえよ! だいたいなあ――」

「……そっちのテーブルに、置いておいてください。後で見ます」

「先輩!?」

「お、おう。じゃ、頼むわ」

 カストロス先輩は書類をテーブルに投げ捨てて、そそくさと書庫を出て行ってしまいました。


 視線を戻すと、エイミリア先輩はそっぽを向いていて、

「邪魔されたく、なかったから……」

「えっ」

 ……オレの、せいですか?

 オレのせいで先輩は、また余計な仕事を引き受けてしまわれたのでしょうか。

 身のほどもわきまえないオレが、先輩に魔術を教えていただこうとして。責任感の強い先輩は、後輩のオレを教えなければならなかったから。

 オレのせいで……。


 テーブルの上に置かれた書類の束が、恨めしいです。ただでさえ先輩は、たくさんの書類仕事を片付けるために、書庫にこもって集中されていたはずなのに。「ちょうどいい気分転換」だなんて言って、オレに付き合ってくださったけれど。

 オレはやっぱり、貴女のお荷物にしかなれないですか?

 貴女に依存して、迷惑かけて。これじゃまるで、やってることがと一緒なのに。どうして貴女は……。


「なんでいつも、あの人の言いなりなんですか」

 弱みを握られているのか、とも考えたけれど。それにしては軽口叩いたり邪険にしたりはしているし。じゃあ、もしかして、惚れた弱み? とか、いろいろ考えてしまって。そうすると、なんか、

「そんなの、断ればいいじゃないですか! あの人が自分でやるべきことでしょう?」

「それは……、もう、何回も言ったよ」

 でも、とつぶやいたその先は、どれだけ待っても、小さな唇から外へ出て来てはくれませんでした。


 そっか。そりゃそうですよね。

 オレがここに来る前から、カストロス先輩とは、長い長い付き合いがありますよね。そんなこととっくに言ってるし、オレの知らないいろんなやり取りが、ふたりの間にあったんですよね、きっと……。

 二人はK小隊で、オレはF小隊で。二人は魔道士で、オレは騎士で。二人は先輩で、……オレなんかが口出すとか、ましてや怒る筋合いなんてないんです。

 でも……。


「でも、貴女は、他人ひとのためにしか怒らないじゃないですか」

「え……?」

 先輩の瞳が、オレを捉えました。その澄んだ美しさに吸い込まれるように、言葉が勝手に、オレの口から出てきます。

「夏の討伐任務のときだって……」

 我ながら、なんだか非難めいた響きがあるなって、呆れるけれど。それでも止められません。


「オレ、気づいたんですけど。先輩が反論したのって、コーガさんが責められてた時だけじゃないですか」

 あの日先輩は、第3部隊の人たちや、カストロス先輩、それに救助した女性にまで、酷いことを言われて。けれどその理不尽を、すべて黙って受け止めていた。

「合同会議だってそうでしょう? 第4部隊がバカにされてたから、先輩、あそこまでやったんじゃないんですか。パフォーマンスだなんて言ってたけど、それで戦闘部隊の反感買うのは、貴女ひとりで。それ全部引き受けて、オレたちを守ってくれたんでしょう?」

「それは……」


 先輩はもう、オレのほうを見てはくださいませんでした。唇には、ムリに貼りつけたような、微かな笑みが浮かんでいるけれど。伏せられた視線は頼りなく揺れて。

「わたしは、ただ、無益な争いに時間を費やしたくないだけ。それで収まるなら、べつにいいじゃない」

 そうやって、貴女はいつも……。

「だったら、誰が貴女のために怒るんですか」

 誰が貴女を……守るんですか。



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