第30話 先輩、付き合ってください(2)


 レンスラート先輩が去ってしばらくすると、話題は少し前に戻っていました。

「やっぱ好きな人からはさあ、カワイイって言われんのが一番嬉しいもんだよ」

「え、アイリン先輩もそうなんすか?」

 なるほど、そういうものなのでしょうか!? まあでも、という前提条件付きなんですよね……。


「なによー、ファーグ、その顔は!? あたしだって、ウィルくんにはカワイイって言われたいんだから」

「ハイハイ、そう言ってる先輩、可愛いすよ」

「あんたに言われても嬉しくないわ!」

「うわ、怒ったら可愛くないし! ……あ、で、その『ウィルくん』って先輩のカレシでしたっけ?」

「ていうより、婚約者さんですよね。近衛兵団の」

 横からアンセラ先輩が補足しました。


 といっても『ウィルくん』さんは、F小隊ではちょっとした有名人なんですけど。アイリーン先輩とは騎士学校時代からお付き合いされているという、年下の婚約者さん。おしゃべりの中で度々名前を耳にします。会ったことはないけれど、たぶんF小隊で知らない人はいないのではないでしょうか。

「けどアイリンさんって、婚約してもう何年っすか? そろそろ進展とかないんっすか」

「んー、まあ、アイツまだ永久凍土進行中だからなー」

 彼がまだ下積み時代真っただ中だから、入籍はそれが落ち着くまで見合わせている、という意味です。なにしろ近衛兵団といえば、下積みが長くて過酷ですからね。


 でも、それを何年も待ってあげられるだけの、たしかな絆があるってことですよね……。

 オレも……オレも、待っていただけますか、先輩!?

「うん、何を?」

 すすすすみませんでしたっ! なんでもありません!

「あっ、すみません。えっと、この書類なんですけど……」

 あれ、違う? どうやら、オレの心の声がダダ洩れていたわけではなさそうです。


 いつの間にかコーガさんが横にいて、エイミリア先輩に書類について教えを乞うていました。今日は何だか、人の出入りが多いですね。

「だから、この書類の何を知りたいの。これ、前の説明会のときと、ほとんど様式同じでしょ? そこ、座ったら?」

「あ、はい……。そうですよね。あ、いえ、僕はこのままで」

 おや、いつもお優しいエイミリア先輩が、珍しく突き放したようなお言葉です。それでも途中で席をすすめるお心遣いは、先輩らしいですね。

「こういう資料作成は、この先いくらでもあるよ。その度に一からやり方聞いて始めるの?」


 そうして穏やかな口調のまま、始まりました、攻めのお時間! たまりませんねえ。ゾクゾクします。いえ、オレは変態ではありませんよ。

「わからない点があるなら説明するけど。そうじゃないなら、自分の頭で考えて作れるようにならないと困るでしょ。自分が責任者のつもりで、最後まで思うようにやってごらん? この前のは、よくできていたじゃない」

「えっ。……あ、はい!」

 突如挟まれたお褒めの言葉に、コーガさんは戸惑いつつもちょっと嬉しそうで。

「大丈夫、まだ時間あるから。間違っててもいいから、自分なりに仕上げて、今週中に持ってきて」

 そうして最後には結局、書き方のヒントをいくつかお与えになります。

 もう、ツンデレさんですね。


 それを身を乗り出してのぞき込んでいたファーガウス、

「あっ、インターンのやつすか!? いよいよ来るんすね。オレ楽しみなんすよー」

 そういえばファーガウスは、学生のときにインターンを経験していないんでしたね。

「へへ、カワイイ子来るかなぁ」

 ……やっぱりそっちか。


「でもその前に、地獄の特訓だよ?」

 すっかり表情の晴れたコーガさんが、からかうように言うと、隣のテーブルからも意味深な笑みが注がれます。

「げ……。でもまだ時間あるし! なあ、コーディ!?」

 ファーガウスは、逃げるようにオレのほうへ同意を求めてきますが……。

「そんなこと言ってられるの、今のうちだよ」

「この時期はイベント盛りだくさんだからね。忙しくなるよー」

 イベント盛りだくさん! ということは、もしかして、気になるあの人との距離がグンと縮まっちゃうチャンスでしょうか!?


「でもまずは文化週間すよね! アイリン先輩は、ウィルくんとどっか行くんすか?」

 現実逃避を試みるかのように、ファーガウスが話題をすり替えました。文化週間……気の重いワードです。もう来週に迫っているんですよねえ……。

「まあねえ、うふふ」

「なんすか、その気持ち悪い笑い! どこ行くんすか」

「うっさいわ! ファーグには教えてやらん」


 気候の良いこの時期に、王国では『文化週間』と銘打って、各地で文化的なイベントが催されます。

 各種展覧会や観劇、それに普段は敷居の高い王立劇場でも、一般市民にも親しみやすい価格と内容の公演をやっていて、高尚な世界を覗いてみるチャンスです。

 でも、なんといっても目玉は――


「アンちゃんは? 四連休、どうすんの?」

 そう、文化週間中には土日を含む四連休があって。本来の『文化的体験をする』という趣旨は拡大解釈され「四連休だ、遊ぶぞー!」という市民が大半ですね。

 四連休。オレの気が重い理由はコレです。休めるのは、まあ嬉しいんですけど……。


「あたしは、下見も兼ねて実家に帰省します」

「下見って、何のっすか?」

「アンセラって、実家が私設団なんだよね」

「へえー、そうなんすか。なんかスゲエ!」


 私設団というのは、王立魔獣討伐団スティングス「以外」の魔獣討伐組織のことです。

 スティングスは王都にあって、地方で発生した魔獣にはすぐに対応できないですから。遠い辺境地域なんかでは、領主や地元有志のサポートで私設討伐団が設立されることがあります。あとは、貴族の慈善事業としても人気ですね。

 それで対応しきれない場合には、スティングスに依頼が来て、大規模討伐作戦が立てられます。遠い場所だと数日がかりで遠征になることもあるそうです。オレはまだ経験したことないですけど。


「はい。って言っても、小さい家族経営みたいなものですけど。父と兄が中心にやっていて、あたしも研修が終わったらそこに入るんで」

「えっ!? じゃあ、アンちゃん研修終わったらココやめちゃうんだ? 俺サミシイー」

 おどけた感じで言うトーリス先輩ですが、実際ちょっとショックの様子です。

「え、もしかしてトーリス先輩、全然聞いてなかったんすか? チューターすよね?」

 そして追い打ちをかけるファーガウス。


「僕はもちろん、残りますよ」

 すかさずコーガさんが、エイミリア先輩を向いて言いました。

 オ、オレだって残りますから! ……まあ、まだ先のことですけど。

 といっても、ほとんどの人は研修が終わっても数年は同じ部隊に残ります。いずれ私設団に入るにしても、スティングスで経験を積んでおくことでんですよね。


「あっ、じゃあエイミさんは?」

 トーリス先輩が、気を取り直して尋ねます。エイミリア先輩の連休の過ごし方、オレもちょっと、いやめっちゃ気になります!

「ん? わたしも残るよ」

 え……。

 今のはもしかして先輩、おボケになられたのでしょうか!? うわあ、貴重! 超貴重です!

「え? いやっ、そうじゃなくって……」

「違うでしょーが! 文化週間のハナシ! もう。わざとやってるでしょ、ミリア」

 ……はい、こんな可愛らしい先輩にツッコミを入れられるのは、アニキだけです。


「今年はコンサート。断りきれなくて」

 コンサートですか。なんか、文化週間らしくて良いですね。さすが先輩! ちなみにオレは、ただの連休という認識でした。

 子供の頃だったら、学校のイベントとかでなにかしらあるんですけどね。芸術鑑賞に連れ出されたり。あと、自然と触れ合うのも文化週間の趣旨らしくて、ハイキングとかキャンプの年もありました。


 今年はオレも、文化週間らしい活動をしてみましょうか。もう社会人ですしね。大人のたしなみとしてね。

 どこかのコンサートにでも足を運んで、そこで美しい女性を見かけて「あれっ、もしかして、先輩ですか!? 偶然ですね。あ、せっかくなので、ご一緒させていただいても?」なんちゃって……。

 ああ、どこのコンサートなのか、詳細をどうやって聞き出せばよいでしょう!


「コンサート! なんかカッコイイすね。オレも言ってみてぇー」

 言えばいいだろ、ファーガウス。

「エイミさん、誰と行くんっすか? 男?」

 あ、そうか! 同伴者の可能性、およびそれが男性であった場合のダメージについては、考慮していませんでした。

「ミリアだったら、行くんじゃなくて、やるほうでしょ?」

 イクんじゃなくて、ヤルほう!? え、何の話してるんですか。コンサートですよね?

「コンサートか。何の楽器だっけ?」


 その声に、和やかだった空気が一瞬にして張りつめました。

 入ってきたカストロス先輩は、まっすぐエイミリア先輩へと向かい、そのまま空いていたお隣の席に腰を下ろしていました。

 隣のテーブルの3人は無言で視線を交わし合い、隣の席からはファーガウスの肘が、オレの脇腹をつついてきます。


「それって、一日だけなんだろ? 他の日は?」

「べつに」

「じゃあ俺とデートする?」

「しません」

「えー、カレシと約束でもあんのかよー?」

「ありません」

「ってことはエイミィちゃん、カレシいるの?」

「いません」


 周りは誰も、何も、口を挟めませんでした。あのファーガウスでさえ、じっと二人のやり取りを見守っています。

 何が、どうなっているのでしょう? ついこの間まで、カストロス先輩のほうがエイミリア先輩を避けていたはずなのに。

 カストロス先輩は、ミーティングに向かう途中で通りかかっただけらしく、それからすぐに部屋を出て行きました。


「エイミィさん、カルロスさんと仲直りしたんっすか?」

 足音が遠ざかると、早速トーリス先輩がニヤニヤ顔で身を乗り出してきます。

「仲直り? わたし、あの人と仲良かったことなんて一度もないけど」

「うわー。相変わらず、厳しいっすねぇ……」


 ああ、ムカつく。

 あれだけひどい八つ当たりしてたのに、普通にエイミリア先輩に話しかけてるカストロス先輩もムカつくし。

 ついこの間までは、さわらぬ神に祟りなしとばかりに距離を置いていたくせに、二人の仲が戻ったとみるや調子こいて絡んでいるトーリス先輩もムカつくし。

 先輩だって……。なんであんなヤツ、許してるんですか。


 だけど、オレだって。

 傍で聞き耳立てて、勝手に腹立ててるだけで、何もできないオレ自身が、一番ムカつく。



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