第29話 先輩、付き合ってください(1)
すっかり遅くなってしまった昼食をとりに、休憩室へ行くと、外には澄んだ青空が広がっていました。
開け放した窓からは涼風が吹きこんできて、同時に、建物裏の中庭からは剣戟の音や掛け声が上ってきて。こうしていると、数日前の地震が嘘のようです。
「じゃあさ、今度の連休は?」
「いいよ、べつに、一日くらい」
おや、この声はレンスラート先輩とエイミリア先輩ですね。……何のお話でしょう?
「えーっ、頼むよエイミ! オレに埋め合わせさせて」
「要らないってば」
「じゃあ、サン・レヴィ休暇! そこで絶対な!」
「もう、しつこい! ……あっ。お疲れさま」
レンスラート先輩はそのまま行ってしまって。ひとり休憩室に入って来られたエイミリア先輩が、所在ボードを2人ぶん『会議室』から『在室』に変更されます。
「お疲れさまです。ミーティングだったんですか?」
「うん。先週の、緊急出動の件で」
そういえばレンスラート先輩も、エイミリア先輩と一緒に先発隊だったんですよね……。ていうか、何のお話をされていたのでしょう?
連休が? サン・レヴィ休暇が何ですって? 休みの日に何をするんですか?
「今日も朝からずっと、お忙しそうでしたね」
「これでやっと、一段落」
笑って、すぐに出て行こうとする先輩。オレは、やっぱり――
「あの、先輩! もしよかったら、付き合ってもらえませんか?」
また、呼び止めてしまいました。
「武器庫の整理手伝ってたら、食べ損ねちゃって」
先輩のお弁当は、今日も冷蔵庫の中に残ったまま。中身が減っていないことも確認済みです。
あっ、べつに、アヤシイことはしてないですからね!? 持ち上げて重さ確認しただけです!
「そっか。武器庫の中、すごいことになってたでしょ?」
「はい……。カオスでした」
実戦用の武器は、もちろん武器庫で厳重に管理されているのですが、緊急出動では持出し手続きが簡易化されました。当日は夜遅くに終わって(研修中の身であるオレはその前に帰らされたんですけど)、数だけ数えて鍵を閉めたそうです。
週が明けて出勤してみると、武器庫は地震直後よりもすごい荒れかたで。
改めて管理番号の照合や、武器の状態確認、必要なものは修理に出して……という作業を、我々1年目も通常業務の傍ら、交代でお手伝いしていました。
おまけに土日を挟んだものだから、誰がどの武器をどう使ったのか、記憶があやふやだったりと、確認作業は難航して。天災も魔獣も、曜日を選んでくれたらいいんですけどね……。
一方で、時を選ばず有難いのは天使様の笑顔です。手にした資料を示しながら、
「これ置いてくる。すぐ戻るね!」
はああぁ……癒えるぅ!
いえいえ、急がなくても、オレならいつまでも待ちますよぉ。いやむしろ、いつまでも待ちの姿勢じゃなくて……って、何の話でしたっけ? お昼ごはんですね。お弁当、準備しようっと。
「あの……、先輩。お茶、飲まれますか?」
「あ、うん。ありがとう」
戻って来られた先輩は、上をお脱ぎになっていました。向かい合わせでお弁当を広げながら、不埒なオレの視線は、連れ戻しても、連れ戻しても、気づけばそちらへ引き寄せられます。
もちろん「上」っていうのは、ローブのことですけど。
でも今日の先輩は、ひらひら丸襟ベージュのブラウスに、ダークブラウンのロングスカート、いや、ガウチョパンツっていうんですかね? ハイウエストから裾にかけてすらりと広がるシルエット。ウエスト部分はレースアップでキュッと引き締められていて。いいですねえ。
おおっと、アブナイ。
気付かれてしまう前に、えっと……とりあえず、何か話さなきゃ。
「すみません、なんか、付き合わせちゃって」
「えっ、……ううん。全然。わたしも、キリのいいところまで終わらせようと思ってたら、お昼休み過ぎちゃって。それからすぐミーティングで……。自分だけだと、たぶんそのまま、めんどくさくて抜いてしまっていたと思う」
「めんどくさい? ……食べるのが、ですか?」
すると先輩は「うん……」と少しうつむき加減になってしまわれて、けれどすぐにまたお顔を上げて、
「あ、でも、こうやって一緒に……誰かと一緒に食べるのは、なんか、楽しいね」
「そうですよね! オレも家帰って一人で晩ご飯食べてると、たまにちょっと寂しくなります」
ひとり暮らしを始めて最初のうちは、自由を噛みしめていたんですけど。好きなときに好きなもの食べられるって、いいですよね。でも慣れてしまうと、静かな部屋で黙々とメシを口につめ込みながら、ふと我に返ることがあって。
そんなときは、貴女のことを思い浮かべています……なんて言ったら変態確定だから、黙っておきますけど。でも現実に、こうして向かい合って二人で食べることができるなんて……ムフフフフ。
おおっと、アブナイ。
「先輩って、よくお昼休みでもお仕事されてますよね。お腹空かないですか?」
「うん……。なんか、集中すると忘れちゃって。ちゃんと食べなきゃダメだって、アイリにもよく怒られる」
微かに浮かんだ笑みは、どこか自嘲にも似て。『わかってはいるんだけど……』みたいなお言葉が、聞こえたような気がします。
そうですよね。わかっていてもできないこと、いっぱいありますよね。
……なんて、オレとは全然、次元の違う話だけど。
「じゃあ、今度からオレが、リマインドしてあげますよ。『ミリア先ぱーい、お昼休みに入ってますよ! 冷蔵庫の中でお弁当がお待ちですよぉー!』って。……フフッ」
それに、休憩室の中では、オレがお待ちしてますよ。
「……うん、そうだね。ふふ」
ムリに誘ってしまって、ご迷惑じゃなかったかな……なんて心配したけれど。でも、少しずつでもお口に運ばれて行くのを見ていると、それだけでオレはなんだか嬉しいのです。
そうして、エイミリア先輩の小さなお弁当と、その3倍はありそうなオレのお弁当が、ほぼ同時になくなろうとしていた頃、
「今日もいい汗かいたっすねー! アンちゃん、喉乾いてない? カフェ行こっか」
「あたしは、麦茶で大丈夫です。アイリン先輩、休憩室寄りませんか?」
外の廊下を、賑やかな声が近づいてきました。
さてはトーリス先輩、オレの指導はほったらかしで、またアンセラ先輩の稽古に付き合っていたんですね。まあ、実際にはアイリーン先輩が教えて、トーリス先輩は邪魔しているだけみたいですけど。
「え、俺も行く! アンちゃん、疲れたでしょ。お茶いれてあげる」
オレのときとの、対応の差!
「トーリス、あたしのもよろしくー! あたしもう、剣より重いもの持てなーい」
「大丈夫っす、アイリンさん。コップは剣より重くないっす」
そんなふうにガヤガヤと入ってきた3人ですが、
「あ、エイミさん、お疲れっす! お、なんだよコーディ、おまえ稽古サボってメシ食ってんのかよー?」
トーリス先輩は、今日もひと言余計です。
「こんな時間に珍しいね、ミリア」
「うん、
エイミリア先輩はマグカップを両手に抱えたまま、アイリーン先輩のほうへニコッと笑ってお答えになりました。
え? 『組』って……。男女二人の組って、これすなわちカップルですよね!? はい、なんでもないです。
「まぁた仕事してたんでしょ? もう、仕事ばっかしてないで、ちゃんと食べなきゃダメだよー?」
「はーい、気を付けます」
あ、本当だ。アイリーン先輩に怒られてる。フフ、可愛い。……あっ、いや、なんでもないです。
「でもまあ、今日は食べてるだけエライ!」
アイリーン先輩が、グッと親指を突き立てました。
実際、前にもお昼ご飯の途中で魔獣研究所の人が訪ねて来て、呼ばれて行ったこともあったし。先週だって、お昼を食べ損ねたまま緊急出動。本当に、お仕事お忙しいんですよね……。
やっぱりオレ、先輩の専属時報を務めさせていただいてよろしいでしょうか!?
もちろん、オレでもよければお食事相手も。
汗ふきタオルを首に巻いたアイリーン先輩は、自分のカップを取り出すと、隣のテーブルの席にドカッと腰を下ろしました。
そうしてカップの底でテーブルをコンコン叩いて、トーリス先輩に無言の催促をかけていると、背景に工事現場でも見えてきそうです。
あと、足開きすぎですよ。アニキ、男前すぎ!
3人がお茶を手に隣のテーブルに落ち着くより前に、さらにもう1人賑やかなのが入ってきました。
「あーっ、コーディ、メシ食ってんの? ずりい! ひと口ちょうだい! あれっ、ミリア先輩、今日なんかカワイイすね! もしかしてデート?」
ファーガウス、そんなにいっぺんに言われると、ツッコミが追い付かないのですが。
まず、オレはサボって昼食にしているわけじゃなくて、昼食の時間が後ろにずれ込んだだけです。
それから、ひと口と言われても空の弁当箱しか残ってないですが。食べてリサイクルでもしてくれますか?
あと、デートって! ななななに言ってんですかいきなり! まあ敢えて言わせていただくと、先輩はただいまオレと絶賛ランチデート中です。
か、可愛いは……まあ、異存ないですけど。
でも、先輩がそんな照れ照れされるのなら、その言葉はオレが言わせていただきたかったです。
あと、今日はカワイイみたいないい方してますけど、今日もカワイイですからね? 『なんかカワイイ』じゃなくて、『めちゃくちゃカワイイ』ですからね? もう少し自覚してくださいよ、まったく!
恨みがましく再びエイミリア先輩のお姿を盗み見ていると、ファーガウスはオレの隣の席につきました。おまえは休憩してないで仕事しろよ。
「そういえば、今日はちょっと感じ違いますよね。いつもはどっちかっていうと、キレイ系かな」
「ええー、誰とデートなんっすか、エイミさんっ!?」
ほらあ。先輩を困らせちゃったじゃないですか。ファーガウスのせいで、また!
けれどその好奇の視線を逸らしたのもまた、ファーガウスでした。KYもたまには役に立つようで、トーリス先輩のしょうもない発言に平然と質問を被せて、
「あ、でも先輩に『カワイイ』って言い方、失礼すかね?」
そうだぞ、失礼だぞ!
「そんなことないよ。ねえ、ミリア?」
「えっ? ……う、ん、まあ……?」
え、そうなんですか!? じゃ、じゃあ今度からオレも……。
「えー、じゃあ『キレイ』と『カワイイ』だったら、どっちが嬉しいすか?」
いい質問です!
「ていうかミリア先輩だったら、『キレイ』とか言われ慣れてそうすね」
……たしかに。
「でもエイミ先輩って、いつもちゃんとローブ着てるイメージなのに、なんか今日珍しいですね」
そうなんですよね。魔道士だと私服のまま仕事されている方がけっこういるんですけど。
もともと、稽古場に出入りするときと、対外的な仕事の時以外は、制服の着用義務はないのです。基本的に活動量の多い騎士は、出勤したらすぐに着替える人が多いですけど。一日中書類仕事のときなんかは、私服で過ごされる先輩方もいます。
1年目の若輩者は、もちろんキッチリ制服着こみますが。
でもオレは知っています。いつもちゃんとローブなエイミリア先輩は――
「ご飯の時は、大体そうだよね?」
あ、先にアイリーン先輩に言われてしまいました。
「うん、まあ、仕事着だからね」
「えっ、先輩もこぼして汚したりするんすか? オレもこないだラーメンの汁飛ばしまくって! 一人だけローブが水玉模様みたいになってたんすよねぇ」
……その状態で、香辛料臭を漂わせながらオレの隣でセミナー受けてました。そんなおまえと一緒にするな、ファーガウス!
「それもあるけど……切替え、って感じかな? においが残ったりするのも嫌だから、デスクでは食べないし」
なるほど。じゃあオレも、先輩の前で脱いじゃいましょうかね! といっても、騎士服の下はただのシャツとかだったりするんですけど。
……ああ、ダメだ。オレ今日は脱げないです。
次の休日には、オシャレTシャツを買いに行かないと。
今日の先輩のお洋服に合わせるなら……ベージュ? いや、オレに似合う気がしません。そもそも、先輩はいろんな色を着こなされますし。狙って合わせるのは難しいです。
じゃあカッコよく黒でキメちゃいましょうか? 何にでも合わせやすい色ですしね。それとも、あえて上級者なピンクなんかを……ああ、正解がわかりません!
「エイミ、オレわかった!」
その時突然、レンスラート先輩が大声をあげながら駆けこんできました。
さっき見かけたときは騎士服だったのですが、今は上を脱いでいて。黄色いTシャツには『熊出没注意』の文字。その下には、コロンと小さなテディベアが。
……何でしょう、この敗北感。なんでだか、テディベアに負けた気分です。
「さっきの話だけど、やっぱ来週にしよう。年末まで待ってたら、オレ絶対忘れるわ」
「え、ナニナニ? 来週何があるんっすか? 2人でデート?」
惨めなオレの気持ちに追い打ちをかけるように、横ではトーリス先輩が、また要らんことを。
けれどこれにはエイミリア先輩も、レンスラート先輩も、冷たい声で、
「休日出勤」
「代わるってハナシ」
ああ、なんだ。さっき休憩室に入って来られる前に話していたのは、そういうことだったんですね。
1年目のオレにはまだまだ縁遠い話ですが、先日のような緊急出動がいつ発生するかわからないので、休日でも一定数の隊員が本部に詰めているらしいです。
「オレこないだの土曜に、休日出勤当たってたんだけどさ」
「……あ、そっかレンさん、緊急出動のとき怪我したんですよね? 大丈夫なんですか?」
「おう、それはエイミがすぐに治癒してくれたし、全然平気なんだけどな」
それでも規定により、その週末の休日出勤は交代してもらわないといけなかったそうです。急なことだったので、他を探すヒマもなく、エイミリア先輩が代わりに出勤されて、
「な、だからそのぶん、来週オレが」
「だから、それはべつにいいって。あの日は大したこと起きなかったし。交代の手続きも面倒だから、一日くらい貸しにしとく」
「そーいうワケにいかねえって。急だったし、エイミだって予定とかあったんじゃねえの?」
「レンこそ。もともと休日出勤多く入れてくれているじゃない」
「大丈夫っすよ、エイミさん。レンさんどうせ、ヒマになってもナンパしてるだけっすから」
仲良さげに言い争う二人に、トーリス先輩がニヤけ顔で口を挟んで、
「おい、トーリスおまえなあ! 当たってるけど!」
「当たってるんかーい」
ファーガウスもツッコミを入れていました。
女性陣も「しょーもな」なんて言いながら、みんな笑いに包まれる中、
「そういやレンさんも、メシ食うときいっつも上脱いでないっすか?」
トーリス先輩が、思い出したように黄色い『熊出没注意』を見上げて言いました。
「ん? ああ、オレ前に、カレーこぼしたことあってさあ。いや、あれはヤベえな」
「うっわ、カレーはヤバいすよ、先輩!」
ラーメンも大概だけどな、ファーガウス。
「エイミがすぐにシミ抜きしてくれたけど、めちゃ怒られた」
「遠征の前日だよ? ホンット……」
おや? エイミリア先輩、今のはちょっぴりブラックなワードが出かかったのでしょうか。もう、寸止めしちゃうなんてイケズさん!
「その前から、何回も注意されてたんだよなあ。騎士服とか書類にしょっちゅう食べこぼしてたし」
「書類は今もだけどね」
アハハ、そうなんですか? よく、ご存知なんですね……。
談笑していたはずが、レンスラート先輩は来た時と同じくらい唐突に部屋を出て行きました。
「じゃ、変更手続きはオレがしとくから!」
エイミリア先輩が、何か言おうと戸口を向いて、けれどレンスラート先輩の姿はすでにありませんでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます