第28話 先輩、心はいつも貴女のもとに


「いやぁー、まさか本当に書庫にいるとはな。でも助かったぜ。カイルンのやつ、武器庫にもQ小隊にもいなくってさ」

 ファーガウスは、休憩室の所在ボードでカイルが『武器庫』、オレが『書庫』になっているのを見て、オレのは変え忘れか間違いだと決めつけて、カイルを探していたそうです。


 お手伝いを頼まれて、もう1人誰か1年目を連れてくるよう言われたとかで。オレは泣く泣く、ファーガウスについて書庫をあとにしました。心残りというか、オレの心はエイミリア先輩と共に、書庫に残してきています。

 もうちょっとお話していたかったですけどね……。

 まあでも、笑顔で送り出していただいたのだから、オレもお手伝い頑張りましょう。ぐふふ。「いってらっしゃい」って……、「いってらっしゃい」って……! ぐふふふふ。おっと、いけない。


「アイツってしっかりしてそうで、こういうとこいい加減だったりするんだよなあ。当番も、たまに忘れてるしさ」

「ファーグだって昨日、午後から魔術稽古だったのに『在室』のまま行こうとしてただろ」

 エイミリア先輩がそっと直してくださっていたのを、オレは見ていましたからね! コイツは気づいていないでしょうけれども。

「あれえ、そうだっけ?」


 廊下は丁字路にさしかかり、オレは角を曲がりながら最後にもう一度、未練がましく書庫を振り返りました。もちろん、エイミリア先輩のお姿はここからでは見えません。

「で? あんなところで二人コソコソと、何してたんだよ」

 視線を正面に戻すより早く、ファーガウスがニヤけ顔を寄せてきました。

 コソコソって……そんなふうに見えましたか? まあオレとしては、やましいことの1つや2つ、あるいは3つ、起きていても良かったんですけど。残念ながら、非常に健全な内容しかありません。

 え、脳内のことは免責でいいですよね?


「おまえこそ、昨日のさ……」

 バリア魔法について教わっていたことを簡単に返してから、オレもファーガウスに質問を向けます。さりげなく。さりげなく。

「コクーンを見せていただいたとき。中で、何してたんだよ」

「えー、気になるぅー?」

 べつに知りたくなんてないんだから! 嘘です、めっちゃ気になります。


「だーからぁー、おまえの話してたんだって」

 昨日もそんなこと、言ってましたけども。先輩と一緒に、オレのウワサをしてたとかって。先輩がオレのこと、カッコイイってぐふふふふ……って、だまされないですからね!

「だったら、具体的にどんなこと言ってたのか、言ってみろよ?」

「えー、先輩がさ、おまえのこと――えっ」

 ファーガウスは余計に気になるところで言葉を切って、キョロキョロと左右を見回しました。それから、もう一度オレのほうを向いて、

「揺れた?」


 すでに休憩室の入り口でした。歩いているとハッキリとはわからなかったけれど、部屋の中では確かに、テーブルが、椅子が、そしてその上に放置されていた雑誌やコップが、ゆらゆらと左右に揺り動かされていました。

 数瞬ののち、地震が起きたのだと理解して。真っ先にオレの頭に浮かんだのは、狭い通路で、たくさんの本に囲まれた――


「おいっ!? どこ行くんだよ!」

 ファーガウスが後ろで叫んでいます。オレは無視して、今来た道を急いで駆け戻りました。道すがら、それぞれの部屋の中から動揺とざわめきが聞こえてきます。書庫までの廊下が、こんなに長いと思ったのは初めてです。

 どうか、怪我をされていませんように!


 書庫に着いて目に入ったのは、散乱した無数の本の海と、折り重なるように倒れた重い本棚――ではなくて。あれ?

 テーブル周りの椅子は少し乱れているものの、本棚は変わらず整然と並んでいます。床に落ちていたのは、返却カートに乗っていた本だけでした。


「先輩? ミリア先輩?」

 林立する本棚の間を駆け抜けて、先輩のお姿を探します。けれど、どこにも人の気配すらありません。

 さっきまで、ここにいらっしゃいましたよね? 廊下で会わなかったということは、まだこの書庫にいらっしゃると思うんですけど。……もしかして、バリア魔でもかかっているのでしょうか? 隠遁の術、みたいな?


 広い書庫とはいえ、平行に並んだ本棚の間を確認して回るのに、そう時間はかかりません。ひと通り見終わって、暗澹あんたんたる気持ちで再びそのお名前を叫ぶと、

「コーディアス?」

 返ってきたお声は、書庫の隅のほうからでした。

 入り口を左に折れた先、その最奥に、ひっそりと佇む秘密の扉――第二書庫のことを、オレはすっかり見落としていました。


 立ち並ぶ本棚がもどかしく、急いでそちらへ駆けつけると、ちょうどその部屋からエイミリア先輩が出て来られたところです。

 呼び方が変わっていました。表情も、まとう空気も凛として、すっかりお仕事モードです。

 ホッと安堵するヒマもなく、オレも気が引き締まります。


 先輩はオレの顔をごらんになって、それから周囲をちょっと見渡され、すぐにオレがここへ来た理由を察せられたようです。

「本棚なら、大丈夫だよ。耐震性をそなえた保護魔法がかかっているから」

 高級食器棚などでも使われるやつですね。急な衝撃が加わると、倒れたり中身が飛び出したりしないようにロックがかかるという。高級食器に縁遠い庶民なオレには、あまり馴染みがないですが。


「二人とも、頼まれていた仕事はいいから、小隊に戻って待機して」

 二人というお言葉に後ろを見ると、オレを追いかけてきたのか、ファーガウスが入り口に立っていました。

「えっ、何かあるんすか? 避難?」

「地震の直後は、魔獣が暴れることがよくあるの。すぐに招集がかかると思う。一般業務はすべて中止、小隊長の指示に従って」


 先輩は話しながらも第二書庫に鍵をかけ、落ちていた本を戻して、書庫内を手早く整備されていました。そして、立ち尽くしていたオレたちのほうを向くと、

「心配しないで、1・2年目は緊急出動することはないと思うから。中でお手伝いしてもらうことがあるかもしれないから、所在がわかるようにしておいてね」

 それだけ言い残し、颯爽とローブをひるがえして部屋をあとにされました。



 戻る頃には、廊下にカオスが到来していました。慌ただしく行き交う人々、指示なのか非難なのかよくわからない怒号。オレとファーガウスは、とにかく邪魔にならないようにだけ気をつけながら、所在ボードを『在室』に変えてそっとF小隊の部屋に戻りました。


 それからすぐに、エイミリア先輩は他数名の先輩方とともに先発隊メンバーに選ばれて、出動していかれました。残った隊員たちは、追加の出動要請に備えてメンバー編成し、装備をそろえ、各部署と連携をとりながら態勢を整えます。

 オレも最初のうちは、お手伝いに呼ばれたり、終わって待機したり、また呼ばれたりと、てんてこ舞いのうちに半時間ほどが過ぎていました。

 でも、第2陣が出動する頃にはそれも無くなっていて。

 続く半時間は、長い、長いものでした。


 さらなる予備の待機メンバーとして、出動準備を整えた先輩方は、すでに戦闘部隊のほうに合流して控えています。

 それ以外の先輩方も、本部内での仕事を割り当てられ、各所に散っていきました。

 気づけばF小隊の部屋には、1年目のオレとファーガウス2人だけになっていて。無力感に打ちひしがれていました。

 来ない指示を待ちながら、ジリジリと時間が過ぎていきます。


 研修中の1・2年目は制約が多く、原則として緊急出動には出られません。

 2年目の先輩方は緊急時の業務内容を学ぶため、中の担当になったチューターや他の先輩に付き従っていきましたが、誰も1年目にまで構っているヒマはありません。

 これ以上、オレたちにできることは、もう何もないのです。


 任務にも少し慣れ、業績なんかの裏事情も、ちょっとわかるようになってきたと思っていた矢先です。

 役に立ちたい、力になりたいとどんなに願っても、今の立場のままではどうにもならないことだってあるのだと、オレは思い知らされました。

 立場が変われば、もっと違うかたちで、貴女の助けになれるでしょうか。


「さっきの話に戻るけどさ」

 ファーガウスが突然そう切り出した時、オレは「さっき」がどこまでさかのぼるのか見当つかなくて。この混乱の中で、業務連絡以外に話すタイミングがあっただろうかと考えて、ようやく思い出しました。

 そういえば、混乱が始まる直前――地震が起きた瞬間も、オレはこいつと一緒だったんですね。もうずいぶんと前のことのような気がします。


「ああ……、コクーン?」

 今この状況でする話か? と、一瞬思ったけれど。

 でも、気持ちはわかります。

「マジで、先輩、おまえのことホメてたよ」

「えっ?」

 ……う、嘘だぁー。

 そりゃあ、先輩は人をホメておだてるのがお上手な方ですけれども。

 で、でも、今のはどうせ、ファーガウスのおフザケでしょ? オレをからかってるだけでしょ?


「ホラ、治癒とか防御とか? そういうの全然、騎士の研修課題じゃないじゃん?」

 ギクギクッ!

 そ、それで……剣術課題もロクに進めていない身で余計なことにばかり手出してるとか、なんなら先輩に手出ししようとしてるとか、騎士のクセに、新人のクセに、オレのクセに生意気だとかウザイとかそんな話を……!?

 やっぱり、オレのこと騙して弄んでからかって楽しんでいるんじゃないですかあっ!


「課題に関係なく、そういう具体的な目標持ててるとこがすごいってさ」

「ほへ?」

 思わずヘンな声が漏れていました。具体的な目標? オレが、ですか?

 騎士のオレが魔術を学ぼうとする目標といえば……先輩とお近づきになることでしょうか。エヘヘヘへ。

「しかも、そういうの全部、任務に直結してるってさ」

「へえ……って、どういうこと?」


 するとファーガウスは「自分のことだろ」とオレをにらんでから、

「昨日のもさ、前に任務で防御に困ったから、みたいなこと言ってただろ? そんなふうに、任務中の反省点を、普段の訓練に活かしたりとか? 逆に、研修でやってることを直接任務に結びつけて考えるとかも、なかなか出来ないことだって、先輩言ってたよ」

 あ、たしかに。治癒魔法を教わったのも、(建前上は)マルコスさんの治癒を目の当たりにしたからだったし。防御魔術の見学を希望したのも、(建前上は)任務中に魔獣に弾かれるのを見たからなんですよね……。


「ミリア先輩は間違いなくスゴイけど、それにホメられるってのもスゴイよ。今日だって、地震のときすぐ行動してたもんな」

 先輩をさして『それ』とか言うな! でもまあ、内容は嬉しいです。

 いや、素直に喜んでいていいのでしょうか。

 本当は、不純な動機で。書庫に通って、仕事しているフリをしながら、結局は何も身についていないんじゃないかって。剣術も、何もかも、中途半端なままで。

 今日だって、すぐに行動……は、したかもしれないけど。でも、意味のない行動でした。


「オレさあ、実は、同期の中でおまえが一番大成するって思ってんだよな。期待してんだぜ、コーディ?」

「ファーグ、おまえ……」

「うん? なんだよ、本当だって」

「意外と難しい言葉知ってるんだな。ちょっと感動した」

「え、何? 『大成』? 普通に使うじゃん、大器晩成とかって……あっ、『晩成』か!?」

「いや、『大成』で合ってるから」

 やっぱり、ファーガウスはファーガウスでした。オレの感動を返せ。


「オレなんかさあ、ただ課題を順番にこなしていってるだけなんだよなぁー。『ファーグもコウくんみたいに、具体的にどうなりたいかっていう目標を描いてみるといいよ』だって」

 今のは、エイミリア先輩の口真似でしょうか? 全然似てないですけど。

 なるほど、具体的にどうなりたいかという目標が大事ですか。先輩とどうなりたいかで言ったら、それはもう……。

 え、具体的に?

 ……えええっ、具体的にぃ!?

 いや、そそそそ、それは、あのですね……。


「でもさあ、具体的にっていっても……なんか、想像つかないんだよなあ」

「そうだよな。うん、難しいな」

「あ、でも、それが難しかったら、失敗例を考えてみるのもいいねって、ミリア先輩言ってた」

 し、失敗……例……?

「失敗って言ったら……魔獣に食われるとか? あ、それよりさ、オレだけ全然魔術上達しなくてバカにされたら、キツいよなぁ。あと後輩に抜かれるってのも! オレのほうが早く入団して、長く魔術やってるのにさ。うわ、やっぱオレ、もっと研修頑張ろ」




 その晩、オレは悪夢に襲われました。

 目の前で、エイミリア先輩が誰かと一緒に、コクーンの中にのみ込まれていくのです。その『顔の見えない誰か』は、オレがよく知っている人物のような気もするし、全く知らないのかもしれません。

 オレは必死で先輩を呼び止めようとするけれど、それは少しも声にならなくて。叫んでも、喚いても、オレの喉からは一つも音が出て来ません。


 真っ暗な部屋の中で目を覚ますと、せきを切ったように、乾いた呼吸が激しく喉を上下しました。

 心臓が騒がしくて。苦しくて。混沌とした頭の中でオレはただ、貴女の笑顔を探していました。すがるように、ひたすら貴女を想っていました。

 先輩。オレはいつだって、貴女のことを考えています。


 だけど、もし……。

 あの夢の中で、もしも声が出せていたなら。オレは何と言って貴女を呼び止めていたのでしょう。


 そうする間にも、世の中は確実に動いていて。

 オレの知らないところでも、少しずつ変化は起きているのです。



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