第27話 先輩、突撃します


 翌日、オレは書庫で張り込みをしていました。

 べつに悪いことなんて考えていないですよ。昨日教えていただいたことを、復習しようかなって。それだけです、それだけ。ホラここ、防御魔術の本棚ですし、ね?

 この棚が書庫入り口を確認しやすい位置にあったのは、たいそうな僥倖ぎょうこうですね。オレの日頃の行いが良かったのでしょうか。


 ……だって、考えてもみてくださいよ! 今日金曜日なんですよ? 今日先輩にお目にかかれなかったら、月曜日までオアズケなんですよ? 生命に危険を及ぼすレベルで欠乏症になりますよ!

 今日はお昼休みも、休憩室にいらっしゃらなくて。小さなお弁当箱は、ぽつんと冷蔵庫に取り残されたままだったし……。絶対に、ここで捉えなければ。

 あ、もちろん、目で捉えるって意味です。


 もう一度、入り口のほうへ視線を投げたとき、心なしか光明がさしたようです。

『あ、ミリア先ぱぁ~い!』

 なんて、オレも手を振ってみたいものですが。

「あ、ミリア先輩! お疲れさまです」

 これが今の精一杯です。


 入って来られた先輩は「お疲れさま」と素敵な笑顔をくださりながら……え、まっすぐこちらへ向かって来られるではありませんか!? ど、どうしましょう。オレはまだ、心の準備が……!

 先輩はオレの隣までいらっしゃると、抱えていた数冊の本を、順番に本棚に挿入されています。

 ああ、なるほど。防御魔術の本を返却にいらっしゃっただけですね?


「あの、先輩……」

 オレは本を探すフリをしながら、おずおずと声をかけてみました。

 先輩も本棚のほうを向いたまま「んー?」と少し伸びたお返事です。こういう時の先輩って、なんだかのんびりで、ほんわかします。どうしたの、何でも言ってごらん、みたいな感じで……好きなんですよね、オレ、この感じ。


「えっと……昨日は、すみません。魔術稽古に、オレなんかがお邪魔しちゃって」

「そんなことないよ。騎士さんも、魔術のことある程度知っていたほうがいいと思う。任務でも連携取りやすくなるし」

「でも、なんか、ヘンな質問ばっかりしてしまったし……」

 そう、この点は、昨晩の脳内一人反省会でも重要な論点でした。


 後になって少し冷静な頭で思い返してみれば、オレはファーガウスに勝手に対抗意識を燃やして、シロウト丸出しの質問をして、空回っていたんですよね……。お恥ずかしい限りです。

「ううん。的を射ていたと思う。それに、騎士さんだからこそなのかな、新鮮な視点で、勉強になった。ファーグにもいい刺激になったと思うよ」

 ああ、天使様。その笑顔、反則です……。


「あの、謝りついでってわけじゃ、ないんですけど」

 ええもちろん、謝りついでなんです。

 オレは綿密に今日の作戦を立ててきました。今日先輩とお話しできたら、まずは話しやすい昨日のことを謝罪。それをきっかけに、ずっと気になっていたを打ち明けると、覚悟を決めていたのです。まったくもって、今さらな話ではあるんですけれども。

 でも、今日こそは。


「春の任務のとき、すみませんでした! オレ、マルコスさんの引継ぎ、ちゃんとできてなくて」

「……ん?」

「せっかく先輩に治癒していただいたのに、引継ぎの負傷者リストの『治癒担当』、先輩のお名前に直していなかったんです。そのせいで……」

「えっ!?」

 いつも冷静なエイミリア先輩が、こんなふうに驚きの声をあげられるなんて。それだけ、オレがやらかしたことは大きかったってことですよね。


「すみません。今さら、こんなこと言ってもですよね……」

 わかっていたんです。謝られたところで、どうなるものでもないし。

 でも、言えないままオレの中にずっと引っかかっていて。一日経つごとに、さらにそのハードルは上がっていくから。身勝手だけど、それでもただ、謝罪したかったんです。

「……もしかして、そんなこと、ずっと気にしてたの? ごめん」

 えっ!?

 えっと……どうして、オレのほうが謝られているのでしょうか?


「あのリストは、何かあった時に、担当者に経緯を確認できるようにするためのものだから。そこさえ大丈夫なら、細かいことは気にしなくていいんだよ」

 もともと、そういう説明は受けていました。

 例えば、引き継いだ後でマルコスさんの回復が思わしくなかった場合、『救助担当』に記名したオレや『治癒担当』のカストロス先輩のところに、医療チームが聞き取りに来ることがあるそうです。


「でもカスさんのところに来たら、どうせあの人、わたしのほうに回すでしょ? だから、問題ないんだよ」

 取るに足らないとでもいうように、爽やかな笑顔の先輩。けれどオレは、その美しい情景を、心置きなく堪能することはできません。

 実際にはそういうケースはまれで、あのリストはもっと別の目的のために重要なのだということが、経験を重ねるうちにオレにもなんとなくわかってきていたのです。


「でも……。そのせいで、あれはカストロス先輩の業績になってしまったんですよね?」

「たしかに、業績をまとめるためにも使われるけど。でもそれは、ついでみたいなものだから。ウチの部隊の業績には、変わりないしね」

 業績は、全部点数化されるんですけど。調べてみたら、あの治癒はけっこう点数高かったです。

 新人のオレにはまだ、業績のことはよくわからないですが……。部隊としてだけでなく、個人の業績というのも後々大事になってくるらしくて。他の先輩方は、けっこう真剣に点数集めをしているみたいなんですけど。


「それにあのリスト、わたし達もあとで確認しているの。マルコスさんの治癒がカスさんになってるのは、知ってた。わたしが、そのままでいいやって思ってしまったせいで……ごめんね、気にしてくれていたんだね」

「えっ、いや、そんな! べつに、オレは……その」

 あああっ、かえって先輩にお気を遣わせてしまったようです。どうしましょう。いや、どうにもならんですよね。ここでオレが「お気遣いなく」とか言うのもおかしいし。


「あ、それと、もう一つ……」

 こうなったらもう、謝りついでの、さらについでです。脳内反省会で議題にあがっていたもう一つの懸念事項も、先輩に直接ぶつけてみちゃいましょう!

 いや、ぶつけるって……。先輩に直接ぶつかっちゃ、ダメですよお。過激なボディタッチというか、スキンシップというか、アタックというか? そういうのは、キケンですからねえ。

 先輩がパンをお口にはさんで角から飛び出して来られても、オレはぶつかったりしません! 何ならそのまま背負って目的地まで走行します!

「ん? どうしたの、気になることがあるなら、何でも言ったらいいよ」

 そ、そうおっしゃられると……気になることなんて山ほどありますけれども。


 しかしここは、初志を貫かせていただきましょう。

「昨日、コクーンの話してしまったこと。あんまり、言わないほうが良かったでしょうか?」

「え……どうして?」

「みんな知らないみたいですし。オレ考えなしに言っちゃったけど、もしかしたら先輩、隠しておきたかったとか、そういうことは……?」

 すると先輩は、キョトンと可愛らしいお顔でオレのほうを見上げたあと、

「それは……」

 少し影のさした表情でうつむかれました。


「あっ! 何か事情があるなら、それはそれで、いいですから!」

「あ、そうじゃなくて」

 オレが慌てて話を打ち切ろうとすると、先輩も慌ててそれをお引止めになって。ちょっと考えるように視線が揺れたあと、

「単に言っていなかっただけ、っていうか……」

 そうしてまた、考え込まれているようです。

 結局、最後にはもう一度、

「うん、言わなかっただけ。隠してるわけじゃないよ」

 昨日もおっしゃっていましたもんね。ユニーク魔法を『使えたとしてもわざわざ言わない』って……。あれは、本気だったんですね。


 オレが一晩、悩みに悩んだ問題の答えはどれも、オレの想定をはるかに超えたところにありました。やっぱり、オレなんかが先輩のお考えを理解しようなんて、無謀でしたね……。

 でも、なんか、いろいろお話できて良かったです。

 溜まっていたものを出しちゃうと、スッキリしますね!


「それで? 今日は何をお探しですか。よかったら手伝うよ?」

 あれ、なんか先輩、今日はいつもより明るい感じじゃないですか?  何かいいことでもあったんですか? あ、やっぱりそれは、知りたくないです。

 理由に男の名前なんか出てきたら、オレが撃沈しますからね。

「じゃあ……」

 オレは思い切って、先輩のほうへ一歩踏み出しました。


 貴女の秘密を、探りたいのです。手伝っていただけますか?

 なにも難しいことではないですよ。貴女はただ、その身を委ねてくださればいいのです。そうすればオレが、全てを暴いてさしあげますから。

 人気ひとけのない書庫で、貴女を本棚の陰に追いつめて。

 オレの手で、貴女の全てを暴きましょう。

 そう、こんなふうに……。


 そっと手を伸ばすと、先輩は小さく震えられたように思います。

 オレはその頬をかすめて、さらりと髪に触れ――そうになりながら、その後ろの本棚から急いで1冊の書物を抜き取りました。

「ええっとぉ……! バリア魔法について、もうちょっと勉強しておきたいなと、思いまして。あの、コレ、この本なんかどうですかね!?」

 そうして表紙を先輩のほうへ、慌てて提示します。一応、背表紙で『入門』と『防御』という二つの単語が目に付いたんですけど。


 先輩がオレの手元をじっとご覧になります。こうしてみると……思ったより、距離が近いです!

 耐え切れず、オレも本に視線を落とし、逆さ文字を読み解くと、

『改訂版 ブレイク・スペル入門 ~Vol.3 防御系~』

 ん? これってもしや……防御魔術の本じゃなくて、それを破るほうですか? しまったぁ!

「うん、いいと思う」

 え?

「スゴクいいよ」

 えええっ!?


「今の時代、対人魔法はほとんど使うことがないから、こういうのは魔道士学校でもあんまり扱われないんだけど」

 あは、あははは……。そうですよねぇ。たしかに、魔獣相手にあんまり使えないですよね。

「でも、個別の解きかたがわかるということは、その魔術の原理を理解することに繋がるし。多面的に理解するのにも大事なことだと思う」

「なるほど、そうなんですね」

 やった……。オレ、やりました!?


「まあでも、まずは基礎を、もう少し固めてからかな」

 あ、はい、そうですよね。オレはまだ、多面的理解の前に根源的理解が必要な段階です。

「バリア魔法だよね? そっちに特化してだったら……」

 先輩は本棚とオレの狭間で、くるりと身をひるがえされました。ホライゾンブルーの髪がオレの鼻先をかすめます。

 そして、本棚を見渡しながら、一歩下がって。


 何が起きるか、わかってはいました。でもオレは、避けられませんでした。そのまま先輩のお肩が、トンとオレの胸にぶつかって。

「あっ……、ごめん」

「あ、いえ! こちらこそ!」

 反射的に腕を上げて、反対側のお肩を支えようとしたところで、オレに迷いが生じました。


 だって、片腕だけで足りますか? 安全性を最優先するなら、両腕と、何なら全身も使って、ギュッとお支えするのが正解じゃないですか!? も、もちろん、安全のためですよ。オレは騎士ですから。皆様をお守りするのが責務ですから。

 迅速な判断は救助の要。邪心で判断の鈍ったオレは、この時点でもう失敗でした。


 先輩はオレの腕をすり抜けるように、すとんとその場にしゃがみ込んでしまわれたのです。そして、

「……あった」

 下から2段目の本に細い指をかけて、クイッと引き寄せられます。おまけに、その表面をやさしく撫でたりするものだから、

「何の本ですか?」

 オレも隣にしゃがんで、本をひったくってしまいました。

 ダメですよ、先輩。オレをさし置いて、本と仲良くするなんて。


「バリア型魔法のバリエーションが、けっこう詳しく載っているの。バリア型は分類の方法だけでもたくさんあるから、まずはそこから理解したほうがいいと思う」

「へえ、分け方がたくさんあるんですか?」

「うん、たとえば……魔力だけを遮断するもの、音や振動を遮断するもの、人が通れないもの、とか」

「そういえば、魔術訓練場の通路も、魔力だけ防いで人は行き来できるんでしたね」

 すると先輩は、ふふっと笑顔で頷いてくださいました。えへへ、ご褒美。


「それから、範囲や形状も。コクーンみたいに術者の周囲に張ることが多いけど、範囲を広げるなら、部屋全体とか建物全体というかけ方もある。あとは、可視化することもできるし、術者にしか見えないようにもできるよ」

「じゃあ、オレが気づいていないだけで、任務のときとか、みんな使っているかもしれないですね?」

「うん、慣れたら察知できるけどね」

 サラリとおっしゃいましたけれども、それはどの程度の慣れが必要なものでしょう。もしかして、ヴァンパイア・バットの鳴き声超音波が聞き取れるレベルの習熟度ですか?


「バリアはそういう、たくさんの要素の掛け合わせだから。一つ一つのパターンを覚えていくよりも、分類を理解するほうが早いと思う。そうすれば、用途に合わせて、自在に組み合わせて使えるよ」

 先輩はそうおっしゃると、右手を少し持ち上げて、

「こんなふうに――」

「……なあっ、コーディ!?」

「どわっ!? ……あっ、すみません、先輩! 大丈夫ですか?」

「あ、うん。ごめん」

「何? 何? 今の、何すか!?」

 えっと、一旦状況を整理しましょう。


 先輩が右手でスッと宙をなぞられると、それまで何の気配もなかった斜め後ろから、急にファーガウスの声が降ってきたのです。

 驚きのあまり、オレは前につんのめりそうになって……。そう、オレはエイミリア先輩のお隣にしゃがんで、ややそちらのほうへと身体を向けた体勢でした。先輩のお膝にダーイブ! しそうな自分を何とか制御して、横の本棚に手をついて踏みとどまりました。が……。


 ち、近いぃぃっ!!

 頭から突っ込むようなかたちで先輩の至近距離に侵入していたオレは、急いでその場を離脱しました。

 あ、あ、あ……危なかったです……。

 どれくらいって、そそそそんなの、わかるわけないじゃないですか! オレの脳がバーンアウトして、灰燼かいじんにキス、いや、帰すレベル? ゼロ距離? いや、接触は免れました、よね? ああ、頭の中、真っ黒。いや、真っ白。いや、真っピンク……はダメダメ!


 臨界点を突破寸前なオレの後ろで、ファーガウスは相変わらず興奮してキャンキャン騒いでいます。

 急いで2冊の本を抱え直して立ち上がると、先輩もつられるようにゆっくりと立ち上がられて。ファーガウスのほうを向いて、少し唇が動きました。

 オレがアテレコさせていただくなら、『黙れ、バカ犬』みたいなお言葉が出てくると期待したいところですが。

 その前に先輩は、ふいにうつむいて、静止してしまわれました。


 これは、何度か見覚えがあります。

 夏の任務のときもそうでした。立ち上がって、次の行動に向かわれる前に、まるで一時停止ボタンを押したかのように動きが止まったり。あるいは、ふらついたり。あの時はうしろ姿だったのでわからなかったけれど、今はじっと目を閉じて、少し、眉根が寄せられています。

 オレの脳裏を過ったのは、手つかずのまま冷蔵庫に残されたお弁当の姿でした。

 でも、問題はそう簡単なことでもないのかもしれません。


 結局先輩はすぐに、何事もなかったように明るい笑顔をあげられていました。

「ふふっ、ごめん。さっきまで、空間にバリア魔法かけていたの。この通路のあたりに」

「え、いつの間に!?」

「そーなんっすか!? スゲエ! なんか、見えない壁がある感じで、呼んでも二人とも全然反応なかったし!」

「そう。さっきのは、外からの物理的干渉を完全に遮断するバリア。音はもちろん、気配も感じにくいから、視認しないとなかなか気づかないかな。部屋全体にかければ『カンヅメ』状態で仕事や勉強に集中したいときにも使えるよ」


 えっ、それじゃあ……さっきまでここは、先輩とオレの二人きりの世界だったってことですか!? くっ。惜しいことをしました。

 あ、でもファーガウスからは、オレたちのことが見えていたんですよね? 愚行に走らなくてよかった……。


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