第17話 先輩、オレは力になれますか



 報告書、めんどくさい。


 うぅ……。いきなりネガティブ発言、すみません。

 研修中は4か月に一度、その期間の進捗しんちょく報告をしなければならなくて。その期限が、来週まで迫っているんです。各課題の達成具合とか、セミナーへの参加状況とか、そのへんはまあ、数値的なものなので比較的ラクなんですけど。


 問題は、作文です。

 いや、作文でも感想文でもなく、レポートなんですけどね。『今期の研修内容と今後の課題』とかそういうのを、文章にまとめなければならないのです。

 内容的には『剣術の練習、頑張りました。次はもっと頑張りたいです。』みたいなもんなんですけど。それを形式的な文章に置換して、A4用紙一枚分にたっぷり引き伸ばさないといけないようです。

 書くほうにも読むほうにも、無駄な労力……とか思っていては、いけないですよね。


「まあ、1回目が一番しんどいだけで。あとはテンプレでなんとかなるよ」

 なんて、先輩方は励ましてくださるんですけど……。その1回目の対処法はというと、

「過去の報告書を参考にして、頑張れ」

 とのことで。この数日、1年目は入れ代わり立ち代わり資料室を訪れて、過去の報告書を読み漁っています。


 とはいえ、あまり長時間占拠していても、他に資料室を使う先輩方のお邪魔になってしまいますね。オレも文章のあらましが定まったところで、あとはF小隊の部屋に帰って仕上げようと思います。


 そう思って、資料室の外へ出てきたのですが……。

 なんということでしょう!

 ちょうど反対から、エイミリア先輩が歩いて来られるではありませんか。先輩は書庫から出て来られたところのようで、山積みの本を抱えていらっしゃいます。

 ああ、今日は資料室で仕事していてよかった!


 オレは歩幅を調整して、ちょうど廊下の丁字路のところで先輩と合流しました。

 たぶん、はたから見ると奇妙な歩きかたになっていたと思いますけど。荷物に気をとられている先輩には見えていないと思うので、大丈夫です。

「手伝いましょうか?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

 あっさり断られてしまいました。しょぼん。


 先輩は本を携えてK小隊の部屋にお戻りになるようで、並びにあるF小隊へ戻るオレは、自然とそのお隣を歩きます。

 えっ、コレは自然ですよね? セーフですよね?


 オレの手には、薄っぺらい書類。

 一方先輩の腕には、ドドンと10冊あまりの本。

 この時期でもあまり汗をおかきにならない先輩が、うっすら首筋を赤くされて。ピンと伸びた腕は、長袖に隠れてハッキリとはわからないけれど、心なしかプルプルしていて。

 そんなの見ていたら、オレは……もう、ガマンできません!


 オレは先輩の行く手に立ちはだかると、重そうに持っておられる本の山の上へ、さらに自分の書類を載せました。

 それから一番下の2冊を残して、それより上を先輩の腕の間からするりと抜き取ります。

「……じゃあ、せめて半分だけ、持たせてください」

「えっ、あ……、ありがとう」

 ええ、さっきの状態でそれなりの距離を一緒に歩くというのは、だいぶ気が引けるんですよ。ちょっとオレには、耐えられませんでした。

 まあ半分より多い気がするのは、気のせいってことにしておいてください。だってホラ、下のほうが、大判の本ですし、ね。


 ちょっと強引だったかな、なんて思いながら再び先輩の隣に並んで、数歩進んだところでオレはふと気づきました。

「もしかしてコレ、オレが触っちゃいけないやつでした?」

 そういえば、第二書庫のやつだったら、貴重だったり危険だったりするから、シロウトが安易に取り扱っちゃダメなのもあるはずです。


 けれど先輩は、ちょっぴり慌てた感じで、

「ううん、そんなことないよ。大丈夫。ありがとう」

 なんて、笑顔で答えてくださいます。

 もしかして、さっきも遠慮されていただけでしょうか? なるほど、最初から、こうしておけばよかったんですね。


「そういえば……、先輩って結局、甘いものと辛いものどっちがお好きなんですか?」

 気恥ずかしさのせいか、オレはなんとなくそんな質問を発していました。

 こういう時のために、先輩との会話用話題リストをストックしていたのです。……まあ、そのうち半分くらいは、実際に聞いたらヤバいやつなんですけど。

「えっ? えっと……どっちだろう? どっちも、わりと好きだけど……」

 ちょっと、唐突すぎたでしょうか。戸惑わせてしまいましたね。


「クッキーも、お好きでしたもんね。えっと……『ウフ・ドール』でしたっけ」

「あ、うん。よく覚えてるね」

 えへへ。まあ、他にもいろいろ覚えてますけど。それはほとんど盗み聞きみたいなもんなので、黙っておきます。

「あれも、甘いか辛いかっていうより、シンプルな味っていうところが好きかな。素材の味、みたいな感じ」

「たしかに。そんなに甘くはなかったですもんね。あ、あのピスタチオのクッキー、美味しかったです」

 今更だけど、先輩オススメのクッキーのことを言うと、先輩は「よかった」と呟いて、フフッと笑ってくださいました。はぁ……。なんか、幸せです。


「じゃあ、辛いものがお好きっていうのも、そんな感じなんですか? この前のおかきも、素材そのものの味で勝負! って感じでしたね」

「うん……、辛いものも、まあ、そうかな……? あれ、それってもしかして、隊長がおっしゃっていた……」

「あ、はい。以前マルコスさんが来られていた時に……。隊長も、よくご存じですね」

 そう、それもちょっと気になっていたんです。

 エイミリア先輩が「辛いもののほうが好き」という情報が、隊長からもたらされるなんて。

 上司の好みを把握しているのは『デキる部下』な感じがしますけど、逆もそうなんでしょうか? 長年一緒に仕事していると、わかってくるものなんでしょうか? ……気になります。


 けれど先輩は、ちょっと首をすくめながら、

「あれは、たぶん……隊長の好みだと思う」

「えっ!?」

 隊長室が近づいていたからか、先輩はスススとオレのほうへ寄ってきて、声を落とされました。

 はうぅ……。そんなにそばで囁かれたら……、めっちゃイイです!

「ほら、隊長、お酒がお好きだから」

「あっ……、…………なるほど」

 はい。察しました。

 要するに隊長は、お酒のおつまみになるものを暗にリクエストしていたんですね。って、それはいろいろとダメですよね隊長!?

 もう、オレまで騙されたじゃないですか!



 そうこうするうち、早くもK小隊の先輩のデスクまで到着してしまいました。

「ありがとう、コウくん。……本当に、助かった」

「いえ、全然。オレもちょうど、F小隊に戻るとこでしたし」

 もう何度目かわからない「ありがとう」のお言葉をいただきながら、オレはウキウキ気分で退室します。

 まあ、先輩との会話は全てオレの脳内に自動録画されるので、たぶん7回目だとわかっているんですけどね。


「あ、待って!」

「え……?」

 急に呼び止められて振り向くと、先輩の手には……オレの研修報告書が。ああ、しまった。すっかり忘れてました。

 くっ……。大事なところで抜けている、オレは何かしらやらかさないといけない星の下に生まれているのでしょうか。そんな星はいやだ。


 まあ、でも、総合的にみると今回は合格点と言っていいんじゃないでしょうか。重い荷物を運ぶお手伝いもできたし、会話もイイ感じでしたし。おかげ様で、連日の書類仕事で落ち込んでいた気分も、盛り上がってまいりました。

 ていうかオレは、先輩にお会いすればそれだけでテンションだだ上がりなんですけどね。

 では、この勢いで報告書をサクッと終わらせちゃいましょう! 今なら何だってできそうな気がします。きっと空も跳べるはず! ピョン!


 気合を入れてデスクに座ったところで、ドアが静かに開きました。現れたのは、ついさっきまで一緒だった、エイミリア先輩です。

 あれれ、もうちょっとオレと一緒にいたかったんですか? もう、仕方ないなあ。

 まあ、オレもなんですけどね。気が合いますね。……っていうおフザケはこのくらいにしておきましょう。部屋の中を見渡した先輩と、入り口近くの席でガン見していたオレの目が合いました。


「誰か探しているんですか?」

「あ、カス……カルロスさん。見なかった?」

 おっと、オレは聞き逃しませんよ。先輩って、たまーにこういう裏の一面がチラリズムして、本音がポロリしちゃうところがたまんないんです。

 いえ、オレは断じて変態ではありませんよ。


「ああ、それだったら資料室にいらっしゃいましたよ」

「資料室? そうなんだ、ありがとう」

 先輩のお役に立てた! と内心小躍りしたものの、部屋を出ていく先輩の腕には書類らしき紙束が見えます。また、何やら仕事を押し付けられていたのでしょうか。


 少しだけ、気分に影がさして。それを振り払うように、報告書の仕上げにかかろうとしたのですが……。

 カストロス先輩が資料室に一人きりだったことを思い出したオレは、なんだか嫌な気がして、すぐさま後を追っていました。

 まあ、完全に余計なお世話ってやつなんですけどね。


 各小隊の部屋を通り過ぎて、廊下の先で右に曲がると、ちょうど資料室のドアが閉まるところでした。サラリとなびくホライゾンブルーの髪が、残像を置いて吸い込まれて行きます。

 えっと……ここまで来たものの、どうしましょう? さっき資料室から戻って来たとこなのに、今また入って行ったら、ただのおかしな闖入者ちんにゅうしゃですよね。


 オレがドアの前で迷っている間に、部屋の中ではエイミリア先輩がカストロス先輩に声を掛けていらっしゃいました。やはり「頼まれていた仕事」を渡しに来られたようです。

 それを受け取ったカストロス先輩は、意外にも短く「ありがとう」とだけ言ったのでした。

 お礼に食事とか、お礼にデートとか、そんなことを言い出すんじゃないかとヒヤヒヤしながら聞き耳を立てていたオレは、ちょっと拍子抜けなくらいです。


 ところが、その直後。

 ゾッとするような低い声が中から聞こえてきました。


「なあ、おまえかよ」

「え? ……何がですか?」

「しらばっくれんなよ!」

 ドカッ、とけたたましい音がして。それはたぶん、机か椅子を蹴り飛ばした音で。部屋の外にいたオレでも、ビクッとなるくらいの剣幕でした。

 けれどエイミリア先輩のほうは、物音も立てず、声も上げず。本当にこの部屋の中にいるのかさえ疑わしくなります。悲鳴のひとつでも聞こえれば、オレはすぐにでもこのドアを開けるところだけれど。


 事情も分からないオレはただ、暗い廊下に縫い留められて、中の気配に耳を澄ませるしかできないのでした。

「なんだよ、マジメくさって。俺、マジでそーいうやつムリだわ!」

 いつもヘラヘラしているカストロス先輩と、同じ人物だとは思えないほど、低く抑えた迫力のある声が聞こえてきます。


「なんとか言えよッ!」

「……あの、本当に、何のことを仰っているのかわかりませんが」

「ハァッ!? なんだよそれ。あぁーっ! もぉーいーわ! おまえなんかと話してても時間のムダ。さっさと――」

 ハァッ!? なんだよそれ、自分勝手な!


「……おう? どうした、コーディアス?」

 あ、思わずドアを開けちゃった。

 オレに向けられたその声は、まだ多少苛立ちは残っているけれど、さっきまでの刺々しさはなくなっていて。

 そのことが、一つの事実を明確にします。

 本当に、、エイミリア先輩に対してキツく当たっていたのだと……。


「あっ……、すみません。えっと……さっき戻した資料、やっぱり必要だと思って……。お邪魔してしまいましたか?」

「いや、全然。入っていいぞ。こっちはもう終わったし」

 慌てて言い訳を絞り出すオレをよそに、カストロス先輩は、立ち上がると、わざとらしくため息をついて部屋を出ていきます。

「あーあぁー、誰かのせいで、仕事増えたしなぁー!」

 何なんですか、それ。いつもエイミリア先輩に資料作成とか書類チェックとか、手伝ってもらっているクセに。


 だいたい、今まで「おまえ」なんて呼び方、してませんでしたよね?

 過剰なほどに馴れ馴れしくて。傍で見ているオレが焦るくらいに距離感近くて。もうちょっと距離をとってほしいなんて、部外者ながら思っていましたけど。


 そう、オレはいつまでも部外者で。そのことが余計に腹立たしくて。

 持て余した感情が、フツフツとオレの内側を煮え立たせます。その前に、他に気にするべきことがあったはずなのに。

 そんなオレの横を、エイミリア先輩がそっとすり抜けて行かれました。ふわっと、いつもの先輩の香りがして。視界の隅で、ひらりとホライゾンブルーが揺れて。

 今、先輩はどんなお顔をされていただろう。

 そう思ったときには、オレはもう、黙ってうしろ姿を見送ることしかできませんでした。




 それからカストロス先輩は、目に見えてエイミリア先輩に対して攻撃的になりました。

 休憩室で談笑しているようなときでも、エイミリア先輩のお姿を見るとわざとらしく席を外したり。名指しこそしないけれど、それとわかるように嫌味を言いふらしたり。


 エイミリア先輩のほうは別段態度が変わった感じもないのですが、もともとカストロス先輩が一方的に絡んでいたようなものなので。こうなるともう、突如関係が冷え切ったかのようです。

 その急変ぶりに理解が追い付いていないのか、周囲もみんな「冷戦」に関わらないよう見て見ぬふり。


 そうしてオレは、そんなエイミリア先輩から、ますます目が離せなくなっていくのです。


 

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