第16話 先輩、お気をつけて


 説明会第一弾出張組が帰還して、にぎやかになったのも束の間。翌週には第二弾が出張し、第4部隊に静けさが戻ってきました。

 でも、オレの身には波乱の予感です。

 だってエイミリア先輩ったら、熱っぽい視線でオレを見上げておっしゃるんですから。

「ねえ、コウくん。一緒に来て……」

 ハイッ、どこまでもお供します!


 そうして向かった先は、隊長室。

 マルコスさんが三度みたび訪ねて来られていたのです。まあ、そんなことだと思いました。

 ええ、さっきのお言葉も、オレの脳内で加工が施されています。

 マルコスさんは、息子さん夫婦が王都に住んでいて、月1回ほど会いに来るついでにスティングスに寄っているそうです(どちらがついでなのでしょう?)。


 前回は「エイミリア先輩は辛いものがお好き」なんていう情報が出てきましたけれども、気になる本日の手土産は――『シカせんべい』? これ、人間が食べても倫理的に問題ないやつでしょうか。

 大変気になるところですが、オレの前にはさらに気になることが1つ……いや、1人。今日はマルコスさん以外にもゲストがいるのです。


「すまんのう、エイミリアちゃん。今日はこの子がどうしてもついてきたいと言うもんじゃから」

「なっ、僕は、べつに……っ! そっちが無理やり連れて来たんだろ!?」

「はっはっは、元気なお孫さんで、何よりですな」

 そう、オレの向かいの席にいるのは、マルコスさんのお孫さんです。隊長の豪快な笑いに、ちょっとむくれて俯きました。


「いやあ、わしも、この子が本気でスティングスに入りたがるとは思わなんだよ。長生きもするもんじゃわい」

 マルコスさんが嬉しそうに笑う隣で、お孫さんは対照的にまなじりを吊り上げます。

「ま、まだ決まったわけじゃないし! 僕はただ、一応、ひとつの可能性として、考えてもいいってだけで……」

「ご興味をお持ちいただけただけでも、我々としては嬉しいですよ。事務職は今年度の出願は終了しているようですが、来年度まで時間をかけて検討していただくのも、よろしいのではないでしょうか」

「この子にとっても、そのほうがええじゃろ。なんせ、外に出るのも久しぶりなんじゃ。おまえにとっては何か月ぶりの王都かのう、マティスや?」

 その問いにお孫さん――マティスさんは、大きな身体を居心地悪そうに揺するだけでした。5つの茶托がカタカタと音を立てます。


 マルコスさんと一緒に住んでいて、魔獣討伐のときに森の中ではぐれてエイミリア先輩に保護されたというお孫さん。十代か、それ以下の小さな子供を想像しますよね? オレもそう思っていました。

 まさかの、オレより推定ひと回り以上年配の方だったとは……!


「入団希望者向けの見学ツアーも、今はお休みのようです。お時間が許すようでしたら、私のほうで簡単にご案内させていただくこともできますが」

「いやいや、これ以上スティングス様のお時間をとらせるわけにはいかんよ。……いやしかし、おまえもせっかくここまで来たんじゃからのう。お願いしてみるかね、マティスや?」

「べつにっ、僕だって、ヒマじゃないし! もう帰るよ、じいちゃん!」


 お忙しいマティスさんは、長年籠城していたご両親の家を追放され、最近ではマルコスさんの山小屋の共同管理人的なことをされているそうです。まあ要するに、住所仮定無職ってとこですね。

 引きこもりに社会復帰の道を拓くとは、さすが天使!


 慌ただしくソファを降りて、ドアへ向かうマティスさん。チラチラと催促の視線で振り返りますが、マルコスさんが動じないので、しまいに痺れを切らせて先に出て行ってしまいました。

「すまんのう、エイミリアちゃん。あの子も久しぶりに人と話して、緊張しとるんじゃ。騎士様も、付き合わせてしもうて。また何かあったら、相談に乗ってやってくれるかのう」

「あ、はい! もちろんです!」

 勢い込んで答えるオレの隣で、先輩は優しく微笑んでいらっしゃるようでした。


「コーディアスは入団1年目ですから、部署が違うとはいえ、入団関連のことはわたしよりずっと詳しいと思いますよ」

「えっ!? いや、オレなんかより、先輩のほうが……。説明とか、いつもわかりやすいですし。すごく丁寧っていうか……」

 はい、正直に申します。オレはこの時ちょっぴり浮かれていました。

 新人生活も4か月になると、新しい仕事を覚える達成感や喜び以上に、まだまだ覚えることが果てしなくあると気付かされて。無力感や焦りのほうが、強くなっていたんですよね。

 そこへ、お二人からのこのお言葉。どんな形でも、社交辞令であっても、自分が何かの役に立てるかもしれないと思うと嬉しいものです。


「まあ、二人とも、よろしく頼むよ」

 マルコスさんも笑みを深めて頷かれます。

 そうこうするうち再びドアが開いて、

「じいちゃん! いつまでやってんだよ、もう! 早くしなよ!」

 マティスさんが顔をのぞかせ急かしました。廊下で一人待つのも、アウェイ感すごいですもんね。

 けれどその手には、入団案内の資料がしっかりと握られています。



 本当にこのままスティングス入団を目指すなら、再来年にはマティスさんも同じ職場の仲間になっているのでしょうか。人のご縁は不思議なものです。

 再来年――その頃には、オレも研修を終えて一人前の騎士になっているはず。ついでにその頃にはこの距離も少しは縮まっていたらいいな、なんて、隣を歩く先輩を盗み見ると、

「外部の人の前では、敬称とか要らないからね」

「えっ、あっ……! そうですね、すみません」

 しまった。浮かれすぎて、自分の立場を見失っていました。学生気分の抜けきらない新人がやりがちなミスですね。


「それに、身内であんまり賞賛や謙遜みたいなことやっていると、茶番ぽくなっちゃうよ」

 はうっ! たしかに。さっきのマルコスさんとマティスさんのやり取りでも、見ているこっちまでちょっぴり気恥ずかしさがありました。

 ああ、一人前への道のりはまだまだ遠いです。


 けれど先輩は、ベコッとへこんだオレの顔面をふと見上げて、

「……でも、ありがとね」

 ふわりと微笑んでくださるのです。

 ああもう、そのギャップ!



「あぁーっ! コレあたし、知ってますぅ!」

 おっと、ここにもギャップが。

 休憩室に着いたとたん、響いたのはアリアンナ先輩のハイトーンボイス。天使のお声に合わせてチューニングされたオレの耳には、キーンときました。

「有名なやつですよねぇ。甘いほうのやつは、あたし食べたことあるんですよぉ。でもこっちは初めて。えー、あたしも頂いちゃっていいですかあ?」

「うん、開けちゃって」

 アリアンナ先輩が席についていたからか、エイミリア先輩も自然とその向かいに座られて。取り出されたメッセージカードは、季節に合わせたものなのか、今回は涼しげな風鈴柄なんですね。


 そして問題の『シカせんべい』、ちゃんと人間の食べ物だったようですね。なるほど、アリアンナ先輩がビリビリと破いた包装紙には、よく見たら『詩歌しかせんべい』とあります。

 中身は小さなおかきの詰め合わせで、小袋それぞれに古典ポエムが書かれているようです。「甘いほうのやつ」じゃないほうのこれは、黒胡椒、ワサビ、唐辛子などのピリ辛味の詰め合わせなんですね。

 ていうかマルコスさんも、なんでそんなに流行のお菓子に詳しいんでしょう?


 手持無沙汰なオレは、とりあえず包装紙の残骸を処分して、お二人のいるテーブルに戻ってきましたが――さあ恒例のシンキング・タイムです。

 ここでエイミリア先輩のお隣に座るのは、露骨ですかね? そうなるとオレの席はやっぱり「斜向かい」でしょうか。正面はアリアンナ先輩がいますし。それにここなら、ドアに一番近いので新人マナー的にも大丈夫なんじゃないでしょうか。


 そう思って腰を下ろすと、エイミリア先輩がチラッと顔をお上げになった気がしたんですけど……これってどっちですか? アウト? セーフ? よよいのよい?

 うぅ、オレに答えがわかるはずもありません。

 気を紛らわせるために、先輩のお手元を覗いてみると、オシャレなメッセージカードは完成間近です。前回とは少し異なる文言で、マルコスさんからの頂き物である旨に「みなさんでどうぞ」と添えて。

 そして最後にはやっぱり、オレの名前も……。もちろん、それを見ているオレはニヤけが止まりません。


 アブない気配を察知されたのか、カードを書き終えた先輩は、

「コウくん。悪いけど、これ隊長にもお渡ししてきてくれる? 『お先に頂いております』って。隊長、こういうのはお好きだと思うから」

「あ、はい!」

 上司の好みを把握しているなんて、デキる社会人の匂いがプンプンします。さすが先輩、今日も何だか良い香りです……。

 先輩から託されたおかきを持って、残り香をかみしめながら休憩室を出ようとしていたところへ、入れ違いでカストロス先輩が現れました。


「お疲れさまですぅー。これ、差し入れですってえ。先輩もどーぞぉー」

 率先してお菓子を勧めるアリアンナ先輩に応じて、カストロス先輩が躊躇ちゅうちょなく選んだ席は、またしてもエイミリア先輩のお隣……ああっ、そこはオレの指定席だと言いたい!

「おう、サンキュ。もしかしてエイミちゃん、こないだのおっさん、また来てたのか? やるなぁー、この、おじさんキラー!」

 どうやらカストロス先輩は、自分が任務中にマルコスさんに関わったことさえ忘却の彼方のようです。まあこの前の話でも「若い女性が優先」とのことでしたからね。



 続きが気になるところですが、オレはここで一旦退場して隊長室へ向かわねばなりません。第4部隊のトップである隊長と、底辺であるオレは、いまだに絡みが少なくて。隊長室に入るのも緊張です。……ふぅ。

 こういう時って、ノックは3回でしたっけ? そう、たしかエイミリア先輩も、そうされていたはず。弱すぎたら中から聞こえにくいし、適度な強さで――先輩の軽やかなノック音をイメージしながら、オレは手首のスナップに集中しました。


 意を決して隊長室を訪ねたものの、終わってみれば一瞬で。先輩の言葉を復唱しながらおかきを渡し、二言三言交わして退室して、廊下でホッと人心地ついてから、ちょっともったいなかったかなって気もしてきます。考えてみれば、せっかくの機会だったのに。

 まあでも、あんまり長居してもボロが出ますしね。とりあえず喜んでいただけたようですし。ついでに隊長から「うひょ」みたいな奇声が漏れた気がするんですけど、それは心の内に留めておきましょう。

 それにやっぱりオレは、休憩室の様子も気になっているんです。


 何しろ廊下に出たとたん「カレシがどうこう」みたいな話が聞こえてきたんですから。え、何の話ですか? オレのいないところで進めないでくださいよ!

 ていうかカストロス先輩も、廊下に丸聞こえの声でプライベートにグイグイ踏み込んで……。

「えっ、エイミちゃん、その反応どっち!? いるってこと?」

「さあ、どうなんでしょうね」

 対照的に、冷たく返すエイミリア先輩のお声。

 ああっ、またはぐらかしちゃって! 先輩のカレシ? 知りたい……でも知りたくない……。


 オレは急いで休憩室に戻り、開けっ放しだったドアをそっと閉めておきました。

 実際、先輩は全然楽しそうに見えなくて。カストロス先輩も、どうしてこんなお顔をさせてまで聞き出そうとするのでしょう。

 オレだったら、絶対そんなことしないのに。


「どんなヤツ? 俺知ってる? 教えてくれよ、俺らの仲だろ」

 気になるのは、わかりますけど。そりゃオレもですけど。でも……。

 どうやって止めに入ろうか、と考えるまでもありませんでした。先ほどから質問攻めにされて、いい加減嫌気がさしていたのか、エイミリア先輩がふいにポツリとこぼしたのです。

「……いませんよ」

 え? あ、そうなんですね。よかった。


「なーんだあ、よかった。じゃあ今度俺とデートしようぜ?」

「なんでですか」

「え? ……俺がイケメンだから?」

「その理屈だと、カルロスさんの前に5万人とデートしないといけませんね」

「えっ、なんで? どういうこと?」

「毎週末一人と仮定して、さて、カスさんの番になるのは何年後でしょう?」

 艶冶えんやな微笑みを浮かべた先輩は、すっと席を立ってそのまま部屋を後にされるのでした。

 ああ、オレなら何年でも待ちます!





「なんかあ、おふたりのやり取り見てると、面白いですぅ。ミィ様って、カルロスさんのことホンット大嫌いですよねえ?」

 午後になると、説明会第一弾出張組のみなさんが、手分けしてその事後処理をされていました。こちらでは学生から回収したアンケートを集計していて、もちろんオレも一年目として雑用をお手伝いさせていただきます。

 え、下心? 下心には非ず……って、これだと「悲」になっちゃうじゃないですか。


 作業を進めつつ、さっきの話を蒸し返していたアリアンナ先輩ですが、エイミリア先輩はあっさりと、

「え、そんなことないよ」

「え、じゃあ好きってことですか!?」

 そばで聞いていたトーリス先輩がすかさず横槍を入れます。いや、なんでそう極論に持って行こうとするんですか。

「いや、嫌いだけど」

 先輩、正直で大変よろしいです。


 けれどそのすぐ後には、

「まあでも、あの人もあれでいいとこはあるんだよ」

「え、どこどこ?」

「知らないよ。自分で探してよ」

「えー。それ、結局ないって言ってるようなもんじゃないですか!」

 ようなもんというか、まさしくその通りだと思います。むしろそうであってください。


 それでもお優しいエイミリア先輩は、頑張って探してあげておしまいになるのです。

「まあ……、あの程度の魔術でスティングスの魔道士十年もやっているんだから、世渡りとかは上手いんじゃない? 死馬の骨を買ってもらっているだけかもしれないけど」

 シバ……? 柴刈り? それとも芝刈り?

 オレの頭が若干の混乱をきたしているうちに、トーリス先輩とアリアンナ先輩は集計の終わったぶんを運び出して行ったのですが……。

「でも、奥さんもお子さんもいる人なんだし、あんまり悪く言ったら、ダメだよね。その人たちが可哀そうだし」

 先輩、せっかく二人きりになったのに、まだ他の男の話をするつもりですか?

 ……なんて、言ってみたいものです。いやもちろん、言えませんけれども。


 オレの心境など知らぬエイミリア先輩は、手元の集計表に視線を落としたまま、なおも続けられます。

「悪い人じゃないもんね。それに、仕事の仲間だし……」

 そんな必死にフォローしなくても、あの人は貴女が思っている以上にゲスですよ。

 どれだけゲスかっていうと……、

「あの、ミリア先輩」

「えっ、何?」

 先輩、さっきまでの余韻か、ちょっぴり赤くなっちゃってる。

 どうせなら、オレがそんな顔させたいです。


「昼休み……やっぱり、デスクでお昼寝とかされているんですか?」

「え?」

 本当は、聞かなくてもわかっていました。

 あの日以来オレは、用事を工面しては昼休みにK小隊をのぞいているのです。

 当番の日は、昼休みにゴミの回収をして(昼休み以降ならいつでもOKというルールです)。K小隊の先輩に用事があれば、いないとわかっていてもとりあえず昼休みに訪ねて。


 K小隊の人たちは、昼休みはあまり部屋に帰って来ないようで。ほとんどの日は無人か、いても1人2人というところ。

 エイミリア先輩がお昼寝されているのは、たいてい他に誰もいないときなんですけど……。それが、かえってオレの心をざわつかせるというか。


 あとは、昼休みでもけっこうお仕事されていたりします。

 そぉっと忍び寄って、背後のゴミ箱を回収させていただくと、気づいて「ありがとう」なんて笑いかけてくださって。うぅっ、ゴミ箱空でも、何回も集めたい!

 でも気づかないほど集中していらっしゃるときもあって。真剣な横顔を盗み見ながらオレは、お昼ちゃんと食べたのかな……なんて、余計な心配をしてしまいます。


「……あ、そっか。あの時」

 ハッと思い出したご様子のエイミリア先輩。またほんのちょっと、赤くなって。先輩って、そういうとこ意外とお顔に出たりしますよね。色白だからわかりやすいのでしょうか。

 オレがお昼寝を目撃したのは「あの時」一回だけじゃないですよ、なんて言ったら……貴女はどんな反応を見せてくださるのでしょう?

 あ、ストーカー行為で訴えられますね。本題に戻します。


「そういうの、えっと……、あんまりよくないんじゃないかなって。一応、職場だし……」

 ていうか、カストロス先輩とかがウロウロしているような場所だし。

「あ……、そうだよね。ごめんなさい……」

「あっ、いや、そんな! べつに、責めてるとかじゃないですよ! ただ……」


 ただ、あまりにも無防備で。

 そのことに、気づいてほしくて。気をつけてほしくて。

 でも、そういうこと口出す資格が、オレにあるのでしょうか。オレはただの後輩で。

 声を持たない通行人。舞台に上がれない観客。そう思いとどまってしまうのは、考えすぎでしょうか。

 口出す資格がなくっても、遠慮する必要だって、なかったのかもしれないですよね。


 オレが何らかのアクションをとっていれば……。

 貴女は、あんなにも傷つかずに済んだのでしょうか。


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