第13話 先輩、今日もいつものあの場所で


「あ、お疲れさまです。……ミリア先輩」

「あ……。お疲れさま、コウくん」

 特別な名前で呼び合うようになると、距離はグンと縮まるものですね。

 人の少ない書庫で、今日もオレは先輩とランデヴー。


 オレの姿を認めるなり先輩は、人目をはばかるようにスッと書棚の陰に身を寄せて、チラッとこちらを見上げてきます。

 ああ、もう早速、誘ってくださっているんですか? そんなふうにされたらオレ、歯止めがきかないかもですよ。

 いいんですか、先輩? ここじゃ、大きな声出したらダメですからね……。


「えっ!? ……あ、ごめん」

 今さら恥ずかしくなってしまわれたのか、オレが一歩近づくなり先輩は、慌てて通路の反対側へ逃げてしまわれます。もう、先輩ったら。

「あっ……、いや、すみません」

 はい、すみません。べつに約束していたわけでも何でもありません。オレが借りていた剣術書を返しに来たら、予測通りそこに先輩がいらっしゃったというだけです。


 あ、そうか。剣術書の棚がこの奥だから、通路を譲ってくださったんですね。

 そんなことしなくても、先輩の華奢なお身体ならじゅうぶん余裕なのに。いやむしろ、人ひとりがやっとの狭い通路で、それを無理に行き違わないといけない感じのほうが、オレ的には嬉しいというか……。


 いまだ妄想の世界にまどろむオレを、先輩が冷たい視線でご覧になっている気がいたします。顔向けできなくて、確認できないですけど。

 いや、そうですよね。いつまでも幻惑魔術の書架の前にいる騎士なんて、不審者以外の何者でもないですよね。


「頑張ってるね」

 やわらかなお声につられて顔を上げると、先輩の視線はオレの腰の下あたりに伸びていました。

 い、いや、これはあの、頑張っているというか……頑張るな! 今は頑張っちゃダメ!

 あ、すみません。先輩がご覧になっていたのは、オレの手元の、冷や汗に湿った剣術書ですね。いや、湿っているところまでは、たぶん見えないと思います。たぶん。

「あっ、いえ……、はい。……いや、えっと」


 こういう場合って、どっちが正解なんでしょう? 「はい。オレ、頑張ってますよ!」アピール? それとも「いやぁ、そんなことないですよ」なんてサラッと言って、努力は人に見せない系?

 でも、陰の努力が気づかれずじまいというのも、なんだか虚しい気がするんですよね……。


 実際オレは、最近頑張っている自覚があるんです。トーリス先輩にあまり構ってもらえないぶん、まずは理論をと、書庫に足繁く通って、剣術書を読み漁って……。

 いやべつに、書庫に来るとエイミリア先輩にお会いできる確率が高いとか、そういう打算的なことは……ええ、まあ、めっちゃありますが。


 そうなんです。エイミリア先輩、時々書類なんかを持ってK小隊の部屋から出て来られるので、こっそりあとをつけてみたら、書庫でお仕事されていたのです。

 ここだとあまり人が来ないから、静かで集中できるのだとか。そして調べ物ができたら、書棚からササッと必要な書物を取り出して、パパっと調べていらっしゃいます。


 もはやこの広大な書庫全体が、エイミリア先輩の書斎みたいなものですね。

 最初の書庫説明の時に「使いこなして」なんておっしゃっていたけど、本当に使いこなせるものだとは……。もうオレ、脱帽を通り越して、全部脱いじゃってもいいですか!?


 しかも書庫の守護天使様は、なんと剣術関連の書物のことにまでお詳しくて。

「じゃあ、この本は読んだことある? ちょっと精神論が多めになるけど、この著者って、現在のスティングス団長の師匠筋にあたるんだよね」

「え、そうなんですか?」

 見せてくださった表紙の名前は、知らないおじさん……あ、いえ、すみません。寡聞にして存じ上げません。


「だから剣術の研修カリキュラムも、わりとこの理論に沿って組まれていると思う。早いうちに読んでおくと、課題進めやすくなると思うよ」

 なんでそんなことまで知っていらっしゃるのですかお司書ーししょー様!?


「あと、これも……」

 次に先輩が腕を伸ばした先は、書架の一番上。背伸びしてギリギリ本の下あたりに届くくらいの高さで。一生懸命手を伸ばしている感じが、なんか……イイですね。

 って、そんな場合じゃない。お手伝いしますよ!


 そうして本の端っこを引っ張り出した先輩の手に、オレの手が重なろうという時……、

「あ、いた!」

 突然の声に、その手がビクッと震えて。

 バランスを崩した本に気をとられていたオレは、視線を戻した先で、先輩の距離が思いのほか近かったことに焦ってしまいました。

 あぶない、あぶない。せっかくキャッチした本を取り落とすところでした。いえ、何があっても先輩の頭上に落とすようなことはしませんよ。オレが身をていしてお守りいたします。


「エイミちゃん、探したよぉー」

 先ほどの声の主、カストロス先輩が近づいてくると、エイミリア先輩はスッと離れてしまわれて、もういつものご様子でした。ああ、残念。

「書庫ではお静かに」

「いや、この書類、チェックしてほしくってさあー」

 書類のチェックって……。カストロス先輩、エイミリア先輩よりずっと上の先輩ですよね? まったく、どっちが先輩かわからないです。


 書類をヒラヒラさせてヘラヘラしているカストロス先輩は、ひとまず放っておいて。エイミリア先輩は、オレにさっきの本を解説してくださって、

「じゃあ、このあたりで気になる本があったら、内容確認してみて。空いている席、どこでも使っていいからね」

 麗しい天使の笑顔が見上げていました。

 うぅっ、オレもっと頑張ります! 本を数冊読んだくらいで、頑張っているつもりなんて、さもしい根性ですみませんでした!


 そうはいっても、この書庫の中でオレが一番気になるのは、本の中身よりも……。

 オススメしていただいた書を抱えて、天使のあとをふらふらと追ってきたオレを、早速難問が待ち構えていました。

 さて、ここで問題です。

 先輩は書庫中央の広いテーブルに戻られて、お仕事の続きをされています。オレはそんな先輩の……お隣? 向かい? ああ、どっちも捨てがたい!


 すみません、今のは出題ミスでした。オレは元からそんな度胸持ち合わせていません。大人しく斜向かいの隅っこらへんに納まっておきます。

 そしてオレが最初に狙っていた先輩の左隣には、カストロス先輩がさっさと陣取っていました。


「エイミちゃん、もうすぐお泊り、楽しみだよな」

 おおおおおお泊り!? お泊りって何ですか! え、まさか、お二人で!?

「はいはい、ちゃんと連れて行ってもらえるように、宿題済ませておいてくださいね」

「えー? なんだよそれー。……あっ、エイミちゃんのパジャマの色当てろってこと? じゃあ当日、答え合わせに行くからな」

 いっ……!? 今のは、セクハラですよね? 完全にアウトですよね!? 憲兵さーん!


「この前の計画書も、まだできてないんでしょ? 締切り、出張日と重なっているんだからそれまでに提出しないと」

「えー、あれメンドクサイんだよな。あっ、じゃあエイミィちゃん、手伝ってくれる? オレが一緒に行けないと寂しいだろ?」

 え、これ以上まだ何か、エイミリア先輩に手伝わせる気なんですか?

「いいえ全く。カルロスさんいなくても、説明会はちゃんとまわりますから、ご心配なく」

 こちらは安定の、超低温塩対応ですね。


 ああ、なんだ。お泊りって、説明会の出張のことですか。

 第4部隊が担当する説明会は2校で、エイミリア先輩はそのうち1つ目の出張メンバー。そういえばカストロス先輩の名前もありました。

 ええ、もちろんエイミリア先輩に関することですから、出張先、出張日、そして一緒に出張するメンバーまで残らずチェック済みです。


 1泊2日の出張旅行。そう、ただの出張旅行です……って、もしやそれ、社内不倫が発生しやすい危険地帯!? いや、でも、二人きりってわけじゃないですもんね……?

 ちなみに先日、説明会用の機材や配布資料の準備をしていたのは、みなさんこの前半出張メンバーのようです。


「はい、修正が必要と思われる箇所を記入しましたので、ご不明の点がないか確認してください」

 さっき渡されたばかりの書類を、エイミリア先輩は早くもチェックし終えられたようです。けれどカストロス先輩は、受け取った書類に目もくれず、

「サンキュー、助かる。お礼に今度、ご飯おごるよ。何がいい?」

「結構ですから、邪魔をしないでください」

 そうですよ。オレたちふたりの時間、邪魔しないでください!

「いや、それじゃ俺の気が済まないし。なっ?」

 そんなこと言って、自分がエイミリア先輩とご飯行きたいだけじゃないですか!? オレだって行きたいです!

 エイミリア先輩に手伝っていただいた上に一緒にご飯なんて、ウィン-ウィンどころか、ウィンの二乗で一人勝ちですよ。


 なおもしつこく絡んでくるカストロス先輩に嫌気がさしたのか、エイミリア先輩はパタパタと手元を片付け始めてしまわれました。

「あ、エイミちゃん終わった? だったら今からお茶しに行く?」

「調べ物が終わったので、K小隊に戻って続きをやります。も、部屋に戻ってその書類完成させたらいかがですか」

 冷たく言い放って部屋を出ていくエイミリア先輩。カストロス先輩もそれを追い、書庫に静寂が戻ってきました。

 もっとも、オレの心の中は荒れ放題です。


 あんなに迷惑そうにしながらも、エイミリア先輩、ちゃんと書類のチェック引き受けるんですよね。しかも自分のお仕事より優先して。

 今日だけじゃなくて、今までも何度か、オレはこういうのを目撃しています。


 冷たくあしらっているようで、でもちゃんと相手して。嫌がっているように見えて、本当はキライキライも……スキのうち!?

 いやいや、でも! やっぱり嫌そうなお顔されてましたし、この場合「キライキライ、大キライ」ですよね? そうですよね?


 それに、さっきだって……。

 さっきカストロス先輩が現れたとき。あれはもしかしたら、とっさにオレの陰に隠れたんじゃないかって……そんな気がするのは、オレの希望的観測でしょうか。


 オレもとりあえずここにいる意味がなくなったので、自分の部屋に帰りますか。

 あっ、いやいや、借りる本のチェックが終わったから、ということですよ。




 F小隊に戻って来ると、案の定カストロス先輩の姿はなくて。そのかわり、

「あ、コウちゃんお疲れー。この前のクッキー、ウマかったぜ。ありがとな!」

「え? あっ、いえ……、はい」

 あの日、休憩室に差し入れたマルコスさんのクッキーは、帰る頃には完売御礼となっていました。

 すっからかんになった箱。なんだか急に夢からさめたような、寂寥感せきりょうかんさえ漂わせていたものですが……。翌日からはこうして、いろんな方からお声をかけていただいています。

 ていうかレンスラート先輩、先日もお礼言われたような気がしますが……? 律儀な方なのか、忘れっぽいのか。


「あ、あたしももらった! ありがとー」

「オレもオレも!」

 便乗するように、部屋のあちこちから声が上がります。

 いや、でも、オレは名ばかりで、あれはエイミリア先輩が……。と口を挟む隙間もなく、

「お礼にコウちゃん、オレの必殺技教えてやるよ。今日終わったあとヒマ? トーリスも、付き合えよな」

「えー、そんなことよりレンさん、今夜また飲みに行きましょうよ。いいナンパスポット見つけたんっすよ!」

 いやいや、トーリス先輩、『そんなこと』って何ですか。そんなことよりチューターの仕事してくださいよ。


「それ、あたしも教えてほしいです!」

 アンセラ先輩が名乗りを上げたのは、もちろんナンパスポットのほうではありません。

「おう! じゃあ、終わったらまた、ココ集合な」

「え、アンちゃんも行くの? 仕方ないなー。じゃあ俺も付き合いますよ。アンちゃん、一緒に頑張ろうねー」


 そして、レンスラート先輩の『必殺技』というのは方便で。

 その日の夕方、オレは先輩方に剣術を教わって、その場でトーリス先輩にチェックをしてもらいながら研修課題をいくつか進めることができたのでした。


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