第12話 先輩、名前を呼んでいいですか


「たぶんこの辺だと思うんだけど……。ミリア、そっちはどう?」

「うーん、あれかなあ? ちょっと待って」


 エイミリア先輩の右手のひらから、光の玉が現れて、ふわりと上っていきました。

 薄暗い通路の両側にそびえる棚。そこにぎっしりと積まれた大小さまざまの備品を照らしながら、光の玉は高度を上げていきます。


 ここはスティングスの別館のさらに裏手にある巨大倉庫。我々はその中を、今度の仕事に必要な機材を探し歩いているところなんですけど。

 これって……、こういうの、何かしらのハプニングが発生するシチュエーションじゃないですか!?


 例えば、まだ中に人がいることに気づかず鍵をかけられて、オレと先輩だけ閉じ込められてしまうとか。

『どうしよう、暗くて怖いよ……』

『先輩、心配しないで。朝までオレがついていますからね』

『うん。でも夜になると、ちょっと寒いね』

『大丈夫、オレが温めてあげますから』


 例えば、狭い通路を歩いているときに、棚の上から何かが降ってくるとか。

『先輩、あぶない!』

『きゃああっ!』

『イタタタ……。先輩、お怪我はないですか?』

『う、うん、大丈夫。あなたがかばってくれたから……』


 例えば、先輩がハシゴに上って何か取ろうとして、バランスを崩して、

『先輩、あぶない!』

『きゃああっ!』

 ……そこでうっかりちゃっかり唇同士がぶつかってしまうとか!?



「……あった」

 光に照らし出された箱のラベルを確認して、エイミリア先輩がつぶやいた時、

「ハシゴ、見つけました!」

 身長よりずっと高いハシゴを両肩に1つずつ担いで、コーガさんが戻ってきました。この人、本当に魔道士なんですか? 長槍斧ハルバードとか余裕で振り回しそうですけど。

 一緒に探しに行っていたアンセラ先輩は、手を貸すまでもないとばかりに後ろをついてきています。


「でかした! じゃあ、残りの機材もこの辺にあるはずだし、手分けして運び出そう。コーガとコーディは、ミリア手伝って。こっちはファーグでいいや」

 アイリーン先輩がハシゴの1つをひょいと担いで、アンセラ先輩を伴って隣の棚に移動していきます。ファーガウスも急いで2人を追いながら、

ってなんすか、って! オレだって男の子だし!」

「じゃあ、コーガと腕相撲してみれば?」

「大丈夫だよ、こっちはアイリン先輩がついてるし。ファーグくん出番ないかも」

「うっ。頼りにしてます、アニキ……」

「誰がアニキだ!」


 なんやかんやで、楽しそうですね。

 けれどこのときおそらく、エイミリア先輩とアイリーン先輩以外の4人は、組分けの意味を少々誤解していました。


 こっちはこっちで、さっきエイミリア先輩が見つけた高いところにある箱のそばに、早速ハシゴを立てかけます。けっこう大きい箱のようですが、オレとコーガさんで上手く連携して下ろすことができるでしょうか。


「あっ、先輩! 僕が上りますよ」

 あっ、出遅れた! くぅ。

 ……いや、これはむしろチャンスです。ここはコーガさんに譲って、オレは万一上から何か落ちてきた時に備えてエイミリア先輩のおそばについておきましょう。

 何が来ても、オレがお守りしますから。ねっ、先輩……って、なんで脱いでるんですか!?


 もちろん、お脱ぎになったのは魔道士のローブだけですけれども。

 身軽なパンツスタイルとなった先輩は、

「とりあえず、確認してくる」

 なんて言って、コーガさんを制してかわりにスルスルとハシゴを上って行かれます。


 ええっ、先輩!? これはもしや……3つ目のパターン?

 オレはハシゴにすがりつき、懸命に見上げてそのお姿を注視しました。たぶん、リング下でリバウンドを待つバスケットボール選手よりも必死の形相だったと思います。

 空から天使が降ってきたら、絶対にオレが受け止めますからね! さあ、いつでもどうぞ。


 それにしても……。この角度から先輩を鑑賞するというのも、なかなかイイものです。

 あっ、確認ですけど、スカートを着用されているわけじゃないですからね!?


「コーガ、ちょっとだけ引っ張り出してくれる?」

 ……ああっ、しまった!

 ハシゴを降りてきた先輩は、煩悩にまみれていたオレをすり抜けて、コーガさんのほうを頼ってしまわれたのです。再び後れを取ってしまうとは。


 いいえ、次こそお役に立ってみせましょう。

 この狭く暗い通路で、先輩に危害が及ばないよう細心の注意を払いつつ、コーガさんが下ろす大きな箱を、先輩の目の前でサッと受け取る、逞しいオレ――

 OK、イメトレは完璧です。さあ、本番行ってみましょうか。


「あ、もうそれくらいで大丈夫。降りてきて」

 先輩の号令一下、バーチャル・タヌキたちはオレの頭からサッと散り落ちていきました。

 ああ、待って。その皮で何が買えるか、まだ考えていないんです。


 人の夢は儚いものです。

 タヌキの代わりにオレの眼前に戻ってきたのはコーガさん、入れ替わりにエイミリア先輩がまたスルスルとハシゴを上って行かれます。

「じゃあ、2人は下で受け取ってね」

「「えっ……、まさか!?」」

 思わず発した言葉が、コーガさんと重なりました。でもたぶん、2人が考えていたことは全く違って。

 そして結論から言うと、コーガさんのほうが正解だったのです。


「コーディ、もうちょっと離れて。ハシゴは放していいから。箱の大きさに合わせて距離とって、もっと腕広げて」

「えっ? はい……」

 いやでも、この高さを落とすんだったら、近いほうがキャッチしやすくないですか?


 なんて思いながら見上げているうちに、箱の底面が棚から引きずり出されてきて、そして一気に眼前に迫って――

 あれ? めっちゃゆっくり。

 大きな箱は、まるで上から吊るされているかのように、静かに腕の中に降りてきたのです。


「コーディ、そっちちゃんと持った?」

 視界を奪った箱の向こう側から、コーガさんの声がしました。

「はい、大丈夫です」

 いまだ目の前で起きていることが信じられず、夢心地で返事すると、上から「離すよ」と天使のお声が降ってきて。直後、ズシンと両手に重みが加わりました。


「じゃあ、このまま台車に乗せるから」

「あっ、はい!」


 ……とまあそんな感じで、残りの機材も順次、クレーン魔術的なものを操る天使様から下賜されまして。すべて揃ったところで、みんなで第4部隊へ帰ります。

 あっ、せめて台車を押すのはオレが!



 もちろん、鍵がかかって閉じ込められてしまうなんてこともなく。万事順調、明るいお日様のもとに戻ってきました。……はぁ。


「説明会かあ。オレらも受けたよな。懐かしいなぁー」

 あ、そうそう。これらの機材を準備しているのは『説明会』のためらしいんですけど。

「なあ、コーディ?」

「え?」

 タヌキ・ロス的なものを発症してプチうつ状態にあったオレは、隣を歩くファーガウスの言葉もロクに耳に入っていなかったのですが、

「コウくんは、ロイヤルアカデミーだから、説明会じゃなかったよね」

「あ、はい!」

 もちろんエイミリア先輩のお声は漏らさずキャッチします。

 先輩がオレの出身校を覚えていてくださったなんて! 鬱も一気に吹き飛びます。


「えっ? ロイヤルって、説明会ないんっすか?」

「うん。ロイヤルは、秋にインターンがあって。スティングスとか近衛兵団とか、あと魔道研究所とか、王都にある王立機関をいくつか訪問するんだ。説明会みたいなのもその中でやるかな」

 オレと同じくロイヤルアカデミー出身のコーガさんが、ファーガウスに説明してくれました。

 同じといっても、ロイヤルアカデミーというのは「王立騎士学校」と「王立魔道士学校」の総称で、コーガさんはもちろん魔道士学校のほうですけど。


「へえー! インターン? なんか面白そうっすね。いいなぁー」

「そっか、あのインターンって、ロイヤルだけだったんですね」

 たしかに王国全土の騎士学校・魔道士学校の学生たちがインターンに来たら、すごい数になりますもんね。学生の時は当たり前のように受けてたけど、王立学校ロイヤルアカデミーだけの特権だったんだ。


「それ以外の主要校は、この時期に出向いて説明会をするの」

 要するにそれは、企業説明会みたいなものらしいです。ただちょっと違うのは、説明だけでは学生の食いつきが悪いので、疑似的な魔獣討伐のパフォーマンスなんかもやるのだとか。


「でもオレらは、それ行けないんっすよね?」

「うん、泊りの出張は、二年目からだね」

 前を歩いていたアンセラ先輩が、ちらりと振り向きながら、ちょっと得意げです。


「うわぁー、エイミ先輩の魔術パフォーマンスとか、見てみたかったなぁー! この前のアレ……合同会議でしたっけ? あんときも、すごかったすもんね。あのあとしばらく他の部隊でもだいぶウワサなってたし!」

「えー? あたしそれ知らない。ミリア、また何かやったの? 今度は何やったの?」

 ファーガウスの言葉に、アイリーン先輩も急にぐるんと振り返りました。しかも、台車に乗りきらなかった丈の長い機材を担いだままです。危ないから、前見てください!


「ダメ! 緘口令かんこうれいしかれてるんだから」

 慌てて制止しようとするエイミリア先輩。けれど、人の口に戸は立てられません。特にファーガウスの口には。

 ていうかアイリーン先輩の『また』っていうのも気になりますけど。


 そうしてファーガウスが我がことのように武勇伝を披露すると、初めて聞いたというアイリーン先輩やアンセラ先輩だけでなく、すでにどこかしらから情報を得ていたらしいコーガさんも、スカッと晴れやかな顔になっていました。

 まあ、その場で目撃していたオレでさえも、なんですけどね。


 ただお一人、当のエイミリア先輩だけはちょっと困ったようなお顔で、

「あれも、ただのパフォーマンスだよ。たまにああいうことしないと、戦闘部隊の人たちって、すぐ第4部隊の存在忘れて自分たちだけで討伐している気になっちゃう人、多いから」

「そう! それ! あたしらがフォローしてあげてるから、任務が成り立ってるようなもんなのにさあ。なによエラソーに。……あーっ、腹立つ! ミリア、もっとお灸据えてやんな!」

 何を思い出しているのか、アイリーン先輩、ちょっと怖いです。


 荒れる同期に苦笑しながらエイミリア先輩は、

「隊長も、そのつもりで毎回わたしを会議に連れて行かれていると思うから……あ、アイリ、そこ段差気をつけてよ」

「隊長あのあと、帰りめちゃくちゃ嬉しそうでしたもんね」


 あの会議の終わり、戦闘部隊のみなさんの花道に見送られ、我々第4部隊一行を率いて悠々と会議室をあとにする隊長でしたが……男は背中で語るものです。

 スキップでも出てくるんじゃないかって心配になるほど、後ろから見ていてもウキウキがにじみ出ていました。

 そして第4部隊に帰ったオレたちは、いったん隊長室に集合し「会議で見聞きしたことは他言しないように」という注意を受けてから解散したのです。


「だから、あの時のことはあんまり……特に他の部隊の人たちがいるところでは、話しちゃダメだよ」

 あうぅ……、そんなお顔で「他のみんなにはナイショだよ」なんて言われたら! え、言ってません? すみません、オレの自動意訳機能が優秀すぎて。

「コウくん、ちょっと待って。スロープずれてる」

 はい、すみませんでした。もとより超高性能なエイミリア先輩。現実世界非対応型のオレとは違って、周囲をよく見ていらっしゃいます。



「ただいまー」

「あっ、おかえりなさぁーい。全部ありましたかぁー?」

 第4部隊に戻ると、資料室のドアを開けるか開けないうちにアリアンナ先輩がお出迎え。それを追ってトーリス先輩も出てきます。

「アンちゃん、おつかれー! 大変だったでしょ? 俺手伝ってあげられなくてごめんね」

「アイリン先ぱーい、これってこっちに置いとくやつですか?」

 サラリとスルーしたアンセラ先輩、手慣れたものです。


「こっちはどう? 配布資料、仕上がりそう?」

「はいー。もうちょっとで終わりですぅ。ねぇー、みぃーんなぁ?」

 アリアンナ先輩が振り返ると、部屋の中にいた3人は一様に苦笑いしながら顔を上げました。

 そう、オレとファーガウスは倉庫へ機材運搬のお手伝い、そして他の1年目は資料室で、配布資料の準備という分担だったのです。


 もうちょっとと言いながら、なぜか手を貸さないアリアンナ先輩は、廊下に出てきて「さっきまでみんなで話していた」という学生時代のエピソードを披露しはじめました。

 なるほど、それで手よりも口が忙しくて、さっきの3人の微妙な表情だったのですね。


 エイミリア先輩はそれを適度に受け流しながら、

「アイリ、こっちは仕分けたら休憩にしようか。トーリスも、配布資料全部できたらそっち休憩に入っていいよ」

「そーだね。アンセラ、急いで終わらせちゃお」

「えっ!? ……はい! よっしゃみんな、急ぐぞ!」

 トーリス先輩は、アンセラ先輩と一緒に休憩をとりたいがために急いで資料室に戻って行って。そうなると1人だけ何もしていないことになってしまうアリアンナ先輩も、慌てて持ち場に戻ります。

 上の2人がやる気を出した資料組はたちまちペースアップして、無事、みんなで一緒に休憩時間となりました。

 みなさん、扱いを心得ていらっしゃるようで。


「ねえねえ、エイミィ先輩は学生の頃どんなだったんですかぁ?」

 早速、アリアンナ先輩がそんな話を振ります。

「どんなって、普通だよ」

「うそだぁ! 先輩がフツーなわけないじゃないですか」

 まあ、それはオレもそう思います。

 天才は一日にしてならず。学生の頃の先輩……ああ、どんな感じだったのでしょう?


「そぉだ、なんて呼ばれてたんですかぁ? 今みたいに『エイミ』とか? あっ、なんかぁー『エイミィちゃん』って、可愛いくないですかぁ? 学生時代の先輩がそんなふうに呼ばれてたらぁ、なんか、キュンキュンしちゃいますぅ」

「名前だと、どっちかっていうと『ミリア』かな。あと、よく呼ばれてたのは……」

 先輩はちょっと斜め上を見上げたあと、「まあ、それはいいや」と引っ込めてしまわれました。

 え? なんて呼ばれていらっしゃったんですか!?


「えー、気になるじゃないですかあ! なになに? あ、大魔道士とか?」

「ああ、それもあったね」

「ええーっ、すごーい! 先輩、学生の頃から大魔道士様!」

「べつにすごくないでしょ。学生同士でふざけ合って呼んでただけだし」


「そういやアイリン先輩も、エイミ先輩のこと『ミリア』って呼んでますよね?」

 近くで聞いていたファーガウスが、スッと輪の中に入っていきます。

「うん、あたし同期だし、一年目のときからそれ聞いてたからね」

「えー、じゃあ、あたしも『ミリア先輩』って呼んじゃっていいですかぁ? ミリアせぇーんぱぁーい!」

「うん……、なんか、そっちのほうがしっくりくるかも」

 あ、そうなんだ。じゃあ、オレも……そう呼んじゃっていいですかね?

 ああ、でも、なんかちょっと緊張します。


 あれ? そういえばオレ、先輩のお名前をお呼びしたこと、実はあんまりないのでは……? こんなにいつも考えているのに。

 呼びかけるときは「先輩」が多いし。

 でもそれだと、他の先輩たちと同じなんですよね。


 これからはもっと、お名前でお呼びしてみよう――オレがひそかに決意を固めるそばで、アリアンナ先輩の頭の中はさらに一歩、進んでいたようです。

「うふっ、大魔道士ミリア様ですね! あっ、じゃーあー、『ミィ様』ってどうですか? なんかステキじゃないですかぁ?」

 エイミリア先輩は「え……」というような表情をされましたが、

「えぇー、いいじゃないですかあ。ねっ、ミィ様? ミィ様ぁー」

「もぅ……、仕事中はやめてよ?」

 なんだかんだで、アリアンナ先輩に甘いんですから。


 その時、廊下の向こうから声が響いてきて、

「セミナールームの鍵、借りてきました!」

 小さな鍵束を掲げて、コーガさんが走ってきました。

 ハシゴ担いでいるほうが似合っている気がするのは、どうしてでしょう?


 セミナールームの一つを借り切って、ほとんどの機材はそこで説明会の出張当日まで待機だそうです。

「よっし! じゃあ、さっさと運んじゃおっか」

 アイリーン先輩の号令で、仕分けの終わった機材からセミナールームへ運ばれていきます。

 それでは、オレも……。


「あっ、ミリア先輩、それオレが運びますよ!」

 はっ、ファーガウスに先越された!? オレより先にその名をお呼びするとは!

「ミィ様、あたしも何か手伝いましょうかぁ?」

「アリアは配布資料の確認でしょ? 抜けがあったら学生さんが困るから、よく確認しといてね」


 その時、ふいに顔を上げた先輩と目が合いました。

 ああっ。違うんです。サボっていたわけじゃないんです。ちょっと見惚れてしまっていたというか。

 え、それって同義? おかしいですね、オレの辞書にはそんなこと……って言ってる場合じゃない。


「あ、エ……っと、……ミリア先輩。この箱は?」

「えっ、あ……、セミナールームのほうに運んでくれる?」

「はい、わかりました!」

 へへっ。呼んじゃった。

 ミリア先輩。

 なんか、いいですね。

 ミリア先輩。

 あ、いや、すみません。仕事します。

 


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