第11話 先輩、貴女を食べてしまいたい
ある日突然、天使がオレのもとへ降臨されました。
あ、もちろん、職場での話ですよ。昼休み、F小隊の部屋にいたオレのもとです。
え? そのくだりはもういいですか? そうですか。
でもでも! オレを訪ねて来てくださったというのは、本当ですよ! 信じられないかもしれないですけど、本当です。
いや、信じろ、オレ。そして落ち着け。
現に今、目の前にはエイミリア先輩がいらっしゃって、オレにご用事があるようで……こんなこと今までありましたか? いや、ないですよね!?
ああっ! 先輩が、オレのところへ来てくださるなんて……!
あ、はい、いったん落ち着きます。
「あの……、コウくん、いま時間大丈夫かな?」
「はい、大丈夫ですけど。どうされたんですか?」
「じゃあ、ちょっと一緒に来てほしいんだけど……」
えっ? えっ? 先輩、オレを連れてどこにイクとおっしゃるのですか!?
オレを廊下へ連れ出しながら先輩は、「会ってほしい人がいる」と言うのです。
そんな、オレ、まだ心の準備が……!
準備をするヒマもなく、オレたちは目的地にたどり着いていました。
だって、向かっていた先は第4部隊の隊長室だったのですから。F小隊の部屋の、斜め向かい。
軽やかなノックに続けて、先輩がドアを開くと――
「エイミリアちゃーん! 久しぶりじゃのう!」
あの、そんなに思いっきり手を振らなくても大丈夫ですよ。
だってマルコスさん、ソファから立ち上がってわざわざ部屋の入り口まで出迎えに来てますし。つまり、先輩目の前ですし。
覚えておいででしょうか、マルコスさん――春の魔獣討伐で脚に大怪我を負い、天使エイミリア様の華麗な治癒魔法によって救われたおじいさんです。
マルコスさんがあの時のお礼に来ているので(実は先月も来ていらっしゃったそうですが)、救助に関わった者としてオレも一緒に会ってほしいというのが、先輩からオレへのおねだりなのでした。
え? 『おねがい』も『おねだり』も、似たようなもんですよね。
「マルコスさん、お久しぶりです。今日は、こちらのコーディアスもご一緒させていただいてよろしいですか? 彼もマルコスさんのお加減をずっと心配しておりましたので」
「おお! あんときの騎士様ですか!」
あれ、オレのことも覚えていただいていたとは。ちょっと意外でした。
でもまあ、興味はないですよね。わかっています。
マルコスさんは早速先輩を向かいの席に座らせて、
「さあさあ、今日はエイミリアちゃんのために、コレを持ってきたんじゃよ」
もはや『エイミリアちゃん』しか、眼中にないですね。
……ていうか、いつの間に「ちゃん」づけなんですか!? そりゃまあ、「様」はつけないでと、先輩直々のご要望でしたけど。
「あの、前回も申し上げましたけれど、こういったことは……」
「この前のまんじゅうはあんまり嬉しそうじゃなかったからのう。今日はホレ、クッキーじゃ! やっぱり若い子は、こういうもんがええんじゃろ?」
「いえ、お気持ちはありがたいのですが、我々はスティングスとしての務めを果たしただけです。大変恐縮ですが、市民の方からの頂き物はお断りすることになっておりますので……」
ああ、これが大人の社交というやつですね? 最初はお断りしておいて、3回目くらいで……と思った矢先、
「まあまあ、せっかくこうして持って来てくださったんだ。ご厚意はいただいておきなさい」
「隊長……」
隊長……実は最初から、いらっしゃったんです。そりゃそうですよね、隊長室ですから。
「そうじゃよ。年寄りにこんなもん、持って帰らせるもんじゃないわい」
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて……。ですが、どうか今後はこういったことは」
「むぅ。エイミリアちゃん、甘いものは嫌いか?」
「いえ、そういうことではなくて――」
「ああ、そういえばエイミリアくんは、辛いもののほうが好きだったのではないかね?」
え、そうなんですか!? 思わぬ新発見。
いや、そうですよね。女性はみんな甘いものが好きだなんて、決めつけたらダメですよね。
隊長、今のはオレが入隊して以来、隊長から教わった中でもっともタメになるお話でした!
その後、エイミリア先輩がお茶をいれてくださって。隊長室のキャビネットからは、お茶菓子が出てきて(今チラッと、酒類のボトルが並んでいるのが見えた気がしたんですけど……これってたぶん、見なかったことにしておいたほうがいいやつですよね?)。
そうして4人でまったり、お茶タイムとなりました。
入隊して3か月、この部屋に入るのはまだ二度目ですが……。謎に満ちた隊長室の中で、こんなことが行われていたなんて! 恐るべし、オトナの世界です。
「……ところで、お孫さんは、どうされていますかな?」
あの魔獣討伐の日、マルコスさんとはぐれてしまったというお孫さんは、結局森の中で迷っているところをエイミリア先輩に保護されて無事に再会を果たしたそうです。
「あれ以来、すっかりスティングス様のファンになってしもうてのう。『僕もスティングスに入る!』なんて言うとるんじゃ。そんな度量もありゃあせんのに、困ったもんじゃよ」
「はっはっは、頼もしいですな。なに、スティングスはべつに、騎士と魔道士ばかりというわけではありませんよ。任務をサポートする一般隊員や、事務方。志ある者に、我らは門を閉ざしません」
「もしご興味があれば、玄関横の窓口に資料を置いております。よろしければご案内いたしましょうか?」
「いやいや、これ以上スティングス様のお時間を取らせるわけにはいかん。年寄りはそろそろ退散するかな。よっこいしょっと」
言葉とは裏腹の身軽さで、ひょいとソファを降りたマルコスさん。オレたちが見送るヒマもなく、さっさとドアを開けて出て行ってしまいました。
「ごめんね、付き合わせちゃって……」
「いえ、全然。ちょうどヒマでしたし」
そうでなくても先輩に「付き合ってほしい」なんて言われたら、いくらでも真剣にお付き合いさせていただきますよ。
隊長室をさがった先輩とオレは、頂いたお菓子を持って第4部隊の休憩室に移動してきました。みなさんへの差し入れにされるそうです。
先輩は途中でK小隊のご自分のデスクに寄って来られて。取ってきた小さなメッセージカードを前に、しばし考えてから、サラサラと一筆したためられました。
キレイな空色のカードに、きちんと並んだ美しい文字たち。それはもう、計算しつくしたかのような見事なバランスで。もはや芸術です。
オレだったら絶対、最後のほうだけ文字ちっちゃくなったり、余白にはみ出したりしちゃいます。
そして最後にちょうど一行ぶん残ったスペースに先輩は――え? オレの名前?
「え、もしかして綴り間違ってた?」
「あ、いえ! 違います。……ああ、いや! そうじゃなくて、合ってます」
つまり、名前の綴りは合っているんです。
先輩が書いてくれたオレの名前。先輩の名前と並んだ、オレの名前。それがなんか、照れくさくて、嬉しくて。
「あっ、えっと、あの……、先輩、字、キレイですよね」
「そう……? ありがとう。意外と丸字だって、よく言われるんだけどね……」
あれ? なんだか先輩まで、ちょっとテレテレされちゃってます?
「ああ、たしかに……、そう、ですね……。なんか、可愛いです」
「えっ」
「あっ! いや、すみません! オレ失礼なことを……」
「え? えっと、そんなことは……ないけど……」
あれ? 何でしょう……この甘酸っぱい感じは。さっき隊長室で頂いたお茶菓子の余韻ですかね? ちなみにカステラだったんですけど。
あの、でも、オレなんかが連名にしていただいちゃって良いのでしょうか。オレはただ、居合わせただけというか。エキストラというか。
通行人Aが、エンドロールの最初に名前をのせてもらった気分です。
けれども先輩は、完成した
「コウくんが頂いたものなんだし、最初に好きなのもらっちゃおう?」
なんて言って、オレの目の前に差し出してくださるのです。
え、好きなのとっていいんですか? それなら、メレンゲよりも、チョコクッキーよりも、オレが一番欲しいのは……。
オレの手は、お行儀よく並んだクッキーたちの上を通過して、その箱を持つ先輩の手をとっていました。
ああ、なんて柔らかくてなめらかな手。できればずっと、こうして握っていたい……けどそんなことしたらただの不審者なので、オレはその手から箱を取り上げて、クルリと180度回しました。
「それだったら、先輩が最初ですよ。マルコスさんは先輩のために持って来てくれたんですから」
すると先輩は、ちょっと小首をかしげてから、
「じゃあ、一緒に選ぼっか」
なんて言って、オレの持っている箱の中を覗き込むのでした。わっ、近い……!
「どうしよっかなぁ。色々あって、迷うね。欲しいの、決めた?」
はい。目の前にいらっしゃいます。
あ、いや、じゃなくて……。
「えっと……。あ、じゃあ、これに……」
箱を片手に抱え直して、空いた手でクッキーの包みに手を伸ばそうとすると、その下に先輩の手がすべり込んできました。
「これ?」
触れそうな距離にドキッとしているすきに、先輩はそのクッキーをオレの騎士服の胸ポケットに入れてくださって、
「他には?」
なんて見上げてくるのです。
せ、先輩! そんな至近距離で、そんな上目遣いされたら……ドキドキしすぎて、左胸ポケットのクッキーが割れちゃいそうです。
「あっ、いや……えっと……」
「あ、これも美味しいよ。食べてみて」
「……あれ? 先輩、食べたことあるんですか?」
「うん。王都でけっこう有名なお店だと思うよ、ここ。知らない?」
そう言って先輩は、箱の中にあったお店の名刺を見せてくださいますが、
「すみません。オレ、あんまりこういうの詳しくなくて」
聞いたことあるような、ないような。実家のもらい物とか、家族が買ってきたのを食べたことがあるのかもしれないけど、あんまりお店の名前とかって覚えていないんですよね。
「この『ウフ・ドール』って、素材を厳選してシンプルな製法にこだわってるんだって」
わお、先輩が「うふっ」だって……!
今のは、破壊力すごいです。もう一回ください。
あ、いや、そうじゃなくて。お店の名前ですよね、『ウフ・ドール』……お人形さん? お人形さんが「ウフ」って言うんですか? いやいやべつに、ヘンな想像とかしてないですよ。
「わたしもここの、けっこう好きで。……さっきも、あんまり嬉しそうな顔しないように頑張ってた……」
照れたように笑った顔を、うつむけて、隠そうとする先輩。何なんですか、それ。めっちゃ可愛いじゃないですか。
手のふさがっているオレは、ニヤけそうな顔を隠せなくて。適当に言葉を発してごまかすしかありません。
「え、そうだったんですか?」
「うん……。ご厚意はもちろん嬉しいんだけど、規則でもあるし、他の方たちの手前もあるし、こういうの普通に受け取っちゃうようになったらダメだと思う。でもわたし、上手い断り方とか、わからなくて……」
そうして今度は、困ったように少し眉尻を下げて微笑んで。
仕事中のクールな先輩も、一般市民に接しているときの温和な先輩も素敵だけれど。こんなにコロコロと表情を変えられると……、もっといろんな貴女を見たいと、オレは欲張りになってしまいます。
先輩、そんなふうに隠そうとしないで。貴女のお顔、もっとオレによく見せてくださいよ。
ほら、こっちを向――
「おっつー! ……あ!? 何それ?」
おおっと、アブナイ。ここは昼休みの職場。突然アイリーン先輩が入ってきたって、不思議ではありません。
……残念ではありますけど。
「もしかして、例のおじいちゃん? また来てたの?」
「うん、マルコスさんから頂いちゃった。アイリもどうぞ」
「うわ、しかも『ウフ・ドール』じゃん! こりゃーミリア、本格的に惚れられてんな、あのおじいちゃんに」
えっ! 惚れちゃダメですよ、おじいちゃん。いや、マルコスさん。
「そんなにいいやつなんですか、コレ?」
「コウくん、知らないんだって」
「えー、もったいない! 美味しいのに」
「でしょ? ぜひ食べてもらわなきゃだよね。あ、これわたし好きなやつ」
そう言って先輩はまた一つ、クッキーの包みをオレの胸ポケットに差し込んでくださいます。
え、それだったら先輩もぜひ食べてくださいよ。何ならオレが胸ポケットに入れてさしあげ……たら、完全に変態だ!
「あたしのオススメはねー、断然コレだな!」
アイリーン先輩まで真似をして、オススメのクッキーを突っ込んでくれて。けれどエイミリア先輩がすぐにそれを抜き取ってしまわれました。
あれれ? どうしたんですか?
「わたし以外の人から受け取らないで!」……みたいな? もう、可愛いなあ。
はい、すみません。違いますよね。並べ方にもこだわりがあるのですね。さすがです。
そうして位置と角度を変え、再びソレを差し込まれます。
あぁっ、そんなに抽き挿しされたらオレ、おかしくなっちゃいますっ! しかもアイリーン先輩が選んだのは縦長のクッキーだったので、アハン! いっそう深い場所まで刺さるのです。
順番を並べ替えたら、さらに微調整して一番イイ場所へ。中にも外にも落ちない絶妙のバランスで、ポケットのふちにキレイに整列させてくださいます。
はぅああっ。先輩の手に
オレはもはや、先輩のお顔をまともに見られなくて。クッキーの箱に視線を落として、ところどころ隙間のできた列を一生懸命数えていました。
いや、正確にはお顔というより、お胸のポケットを……。
見ちゃったら、いやむしろ考えるだけでも、あらぬ想像がかき立てられてしまいそうです。クッキーが1枚、クッキーが2枚。
先輩の胸ポケットに、オレがクッキーを1本2本と差し込んで……。並べ、いじくりまわして、先輩のお胸でクッキーが3枚、クッキーが4枚。
ポケットを叩けば……え、叩けば!? クッキーが弾んで、8枚、16枚、32枚……ああっ、クッキーがどんどん増えて、ポケットが膨らんでいく!
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