第10話 先輩、もっと掘ってもいいですか(2)
先輩は純粋に手についた植物の汁を洗い流したかっただけなので、その他いろいろと処理が必要なオレよりも先に休憩場所に戻っていらっしゃって。オレはすぐにそのお姿を見つけることができました。
もちろん、先輩を探させたらオレはそこらの探索魔法よりよっぽど優秀です。サン・レヴィ祭でごった返した王都の繁華街でも見つけ出す自信がありますよ。
森の入り口近くの広場にある休憩所には、他の隊員たちも休憩に来ていましたが、先輩はベンチにどっかりと腰を据えて話に興じている集団のほうには近寄らず、ひとり離れた木陰に佇んでおられました。
そうして淡い青髪を風になびかせていると、まるで気高き森の精霊です。
精霊は両手を高く掲げると、ゆっくりと森の気をとりこんで……ああ、ローブの隙間がチラッと見えるのが、なんかやらしいです。
いやもちろん、その下きちんと着ていらっしゃることはわかっていますよ。ヘンな妄想を膨らませているわけじゃないですよ、もちろん!
でもなんか、思いっきり伸びをして、ローブの合わせとか裾とか、ちょっと無防備なその感じ、いいなあ……。
「うぅ……ん、……あ」
あれ、先輩が何か見つけたようです。手を伸ばしたその先の、木の枝には握りこぶしほどの赤い果実がなっています。
先輩はその実を引き寄せると、枝と果実がくっついている辺りを指先でちょんとつまんで、ぷつ、っと……。
「先輩、何しているんですか?」
「えっ……! あ、えと、これは……あの、いつもお茶に使っている実だったから……」
そんな、イタズラを見つかった子供みたいに、
小さな赤い果実を、大事そうに両手で持って。
仕事モードから抜けた貴女はほんとに無防備なんですから。
「いえ、そうじゃなくて」
だから、こんなふうにオレはつい、貴女のほうへと手を伸ばしてしまうんです。
貴女の髪に触れたくて……。
いや、実際に触れたのは、先輩の頭上にある木の枝なんですけども。
まるで怒られるのを怯えたみたいにビクッとしちゃって、オレの手から遠ざかるんだから。可愛いなあ、もう。このまま後ろの幹まで追いつめて、逃げられなくして、どんな反応するのか見てみたくなっちゃうじゃないですか。いや、やりませんよ、もちろん。
先輩より背の高いオレは、さっき先輩が頑張って手を伸ばしていた枝にもラクラク届いてしまうわけで。そうして目の前に引き寄せて見た枝の、実がなっていたはずのあたりには、なんというか、折られた形跡が全くないんです。
ほら、普通木の枝って、折ってすぐなら断面が白っぽかったりするじゃないですか。そういうのが、全然なかったんです。
先輩が枝をつまんだ時に、なんか指先が光ったな、って気がしたから、何をしていたのか気になったんですけど。
「あ、これもさっきのと一緒。切りっぱなしだと成分が出ていっちゃうから。実のほうにも、枝のほうにも、良くないの」
「へえ、なるほど……」
果実の先にちょこっと残った枝のほうにも、折られたばかりのような跡はなくって。先輩はその先端がよく見えるようにオレのほうに差し出してくれるのですが……。
すみません、オレの視線はもう、その果実を持つ貴女の手のほうに釘付けです。
さっきも思ったけど、先輩の手って結構小さいですね。指はすらっと長いけど、やっぱり男の手と比べるとほっそりとしてきれいで、女の人の手、って感じです。
その中にある果実もオレの手なら拳大くらいだけど、貴女が持つと意外と大きく見えるんですね。だったらオレの手と比べたら……なんて考えていると、なんか、無性にその手に触れてみたくなるんです。
先輩、触れてもいいですか……?
「じゃあ、わたしこれ置いてくるから! あっちに飲み物とかお菓子とかあったから、適当に休憩して、終わったらさっきの場所に戻って来てね。べつに急がなくていいから、ゆっくりしてきて」
邪心を察知したのか、可愛い森の妖精さんはぴゅーッと逃げてしまいました。
あのオレ、怖くないですよ? 狼さんじゃないですよ?
ゆっくり休憩して、とは言っていただいたものの、オレは休憩時間など惜しくって、すぐに羊草の採取へと戻りました。
けれど先輩と一緒に掘り続ける愉しい時間はあっという間で、すぐに終わりを迎えていました。
「あっ、先ぱぁーい!」
集合場所に向かう途中、真っ先に駆け寄ってきたのはK小隊の魔道士、アリアンナ先輩でした。
同じK小隊の一年目魔道士、ルーウィリアさんのチューターなので一緒に羊草採取をしていたようです。
「先輩お疲れさまですぅー! あっ、コーディくんも、おつかれさまあ」
「お疲れさまです、アリアンナ先輩」
エイミリア先輩は、コーガ先輩の前にはこのアリアンナ先輩のチューターをされていたそうで、いつも親しげなご様子が羨ましいかぎりです。
あと、クセの強いしゃべり方がちょっと気になりますね。
「ねえねえ見てくださいよぉ、エイミ先輩! あたしたちぃ、こぉーんなに採れちゃったんですぅ!」
「わあ、すごいね。頑張ったじゃない」
「先輩のも、見せてくださいよぉ。アッ、やったあ! あたしたちのほうが多い! 先輩に勝っちゃったあ」
羊草の入った採取カゴの中身を見比べて、アリアンナ先輩はご満悦の様子ですが……。
え、これって勝ち負けなんですか?
「あの、それはオレがやり方教えてもらってて、丁寧に教えてくださったので、時間かかってしまっただけで……」
だから、数が少ないのはオレのせいで。オレがちゃんとできているか何度も確認してくださったので。そうでなければ、たぶんこの倍くらいはスルスルと抜いていらっしゃったはずなんです。
「ええーっ! それ言うならあたしたちだってねえ、ルイリちゃん。教えながらしたもんねえー?」
「はい、アリリン先輩! すごく丁寧に教えていただきました」
「うん、二人とも偉い。いっぱい採れたね」
だけど先輩、この人たちの羊草、ほとんど根っこがないですよ。これが草むしりだったら、表面だけむしって根っこ残して、すぐまた生えてくるレベルですよ。
葉っぱもボロボロで、もう茶色く変色しちゃってるし。
なんで何も言わないんですか。
「わあーい! 先輩に褒めてもらっちゃったあ。やったね、ルイリちゃん!」
「はい! 嬉しいです」
そんなことに気付かぬ二人は、集合場所に戻っても同じように採取カゴを見せびらかして「先輩よりたくさん採った」と自慢して回っているのです。
そして先輩とオレが集めた、ちょっと少なめだけど誰のよりも色鮮やかでキレイな羊草たちは、その他大勢といっしょくたに詰め込まれて、王都へと運ばれて行くのでした。
「はあぁ……」
「あれ、コウくん。どうしたの? 今日みんな早いのに」
オレが盛大なため息をついたところへ、天使が現れました。
薬草採取で疲れたのか、今日は勤務時間が終わるとみんな早く帰ってしまい、第4部隊の休憩室も静かです。オレは遅くまで残っていてよかった!
「あ、お疲れさまです。エイミリア先輩はまだお仕事ですか?」
「うん、一段落したから、ちょっと休憩」
そういって先輩がちょっと掲げてみせたのは、手提げの木箱でした。
はっ、それはもしや、スティングス第4部隊の伝説アイテム『エイミリア様の薬箱』!?
エイミリア先輩はご自分でハーブティーを調合されるということが一部隊員の間で有名で、しかもそのハーブティーはたいそう美味しいらしく、先輩がハーブティーのセット、通称『薬箱』を携えて休憩に行くと密かに後をつけておこぼれにあずかろうとする輩もいるそうです。
「コウくんも、疲れてるならハーブティー飲む? 一応、疲労回復効果あるから」
「いいんですか?」
「口に合うかはわからないけど、ね」
そんな、先輩が作ってくださるものがオレの口に合わないわけないじゃないですか。万一合わなくっても、オレの口のほうを合わせます。
先輩が留金を外してパカパカと開いた木箱の中には、うわさ通り十数種類の薬草や果実が、キチンと小瓶に詰められて整列していました。
「先輩、そのハーブティーの材料も、ご自分で採取されているって本当ですか?」
「うん、全部じゃないけどね。……あ、今日採ってた木の実は、乾燥させるとこうなるの」
そう言って先輩は、瓶のひとつをオレに見せてくれます。
ああ、あの赤い木の実。あの時の先輩、なんか可愛らしかったなあ……。なんて、先輩に対してちょっと失礼ですよね。
そんなことを考えながらチラッと先輩のほうへ目を向けると、手際よくお湯の準備をしながら、一方では薬箱から取り出した乳鉢で数種類の材料を軽く砕いて、さらに棚からマグカップを取り出されて……。
テキパキと効率よく作業されるお姿、やっぱりステキです。
「あの、今日の薬草採取なんですけど……」
二つ並んだマグカップが、なんだかちょっと気恥ずかしくて。沈黙に耐えられなかったオレは、さっきまで考えていたことを、つい先輩に話していました。
「オレ……、先輩の採ったのが、一番きれいだって思ってたんです。なんていうか、色鮮やかだし、みずみずしいっていうか」
「うん、コウくんのもね」
……え? もしかして、オレ褒められました?
「それわかってくれただけで、教えた甲斐があるって感じかな。……なんて、エラそうだけど」
いやいや、そんなことないですよ! ……って言いたいとこだけど、嬉しさのあまりのどがつかえてうまく言葉が出てきません。
なんとなく微妙な間があいてしまったので、とりあえず話を戻します。
「けどなんか、他の人たちは全然そういうの気にしてないっていうか……。薬草学の講義とか思い返してみても、やっぱり先輩のおっしゃっていた通り、根を傷つけずに採取するのが一番いいと思うんですけど」
「まあ、それ言っても、理解できないヤツのほうが多いんだよね」
あ、ちょっとブラック出た?
普段温和なエイミリア先輩ですが、ふとした瞬間にキビシイお言葉がサラッと出てきたりするんですよね。そのギャップがたまらない!
でもなんか……、湯気を見つめる先輩の横顔、ちょっと寂しそうな気がします。
こんな時、甲斐性のある男だったらそばまで行って、もしかしたら後ろから抱きしめてあげたりするんでしょうか。
オレは甲斐性ゼロなので、誰かが置いていった雑誌を読むフリしながら、こっそり盗み見るだけです。近づく勇気すらありません。
何を言っていいのかもわからなくて、静かな時間が流れます。
あの、でも……こういうのも、なんかいいですね。先輩と部屋で二人きり。オレのためにお茶を淹れてくれて、コポコポとポットに注がれるお湯の音。
まあオレのためというわけではなく、先輩がお飲みになるついでですけどね、ついで。わかってますよ。
「でもさ、理解されないからって、わたしたちまで向こうに合わせてしまったら、もう終わりだと思うんだよね」
え? ……あ、さっきの羊草の話の続きですか。
ハーブティーのポットを持って、オレの正面の席に戻ってこられた先輩は、まるで今までの長い沈黙が一時停止だったというように、先ほどの話の続きをしてくださいます。
「たとえば品質が、『2』の羊草が100本あったとするでしょ。それで薬作ったら、薬の品質は『2』だけど……」
平均的な『5』よりだいぶ下の『2』と言ったのは、ブラックな貴女が彼らの羊草に対して下した本音の評価なのでしょうか。それとも『1』にしなかったところが優しさなのでしょうか。
「でもそこに品質が、たとえば『7』くらいのが5本だけでも混じったら、できる薬の品質は……『2.238』くらいになるでしょ? その『0.2』の差って、小さいけど、有るか無いかでだいぶ違ってくると思う」
自分のを『10』と豪語してしまわない控えめさがステキです。ていうかその細かい数字、今計算したんですか?
「それで、一人でもわかってくれる人が増えればもっと良くなる。コウくんみたいにね。……はい、どうぞ。熱いから気をつけて」
いい香りの湯気を立てるハーブティーを、二つのマグカップに注ぎ分けて、一つをオレのほうへと渡してくれました。
「いただきます。……あ、美味しい」
手に取る前から爽やかな香りがして、一口飲むと身体にしみわたっていくようで。それから、余韻というのでしょうか、さっきとはまた違った香りが鼻から抜けていく感じがします。
すみません、オレのボキャブラリーでは適切な賛辞が出てきません。
「そういえば……、コーガもね、去年教えたときはどこまでわかってんのな、って感じだったけど。その後、このハーブティー飲んでくれた時に、美味しい、他のと全然違う、って言ってくれて。薬草の扱い方で変わるんだよって説明したら、わかってくれたみたい」
昼間はちょっといい気になってたけど、コーガさんは、先輩のもとで一年間いろんなことを教えてもらって、いろんな経験を一緒にしてきたんですよね。
オレにはまだ、数えるほどの思い出しかなくて。やっぱりそこは、大きな差で。
なんかそれが、無性に悔しいです。
「それで、二年目は『
その先は続けず、先輩は細く美しい指先をマグカップの取っ手に絡めて、微笑む口元へそっと近づけるのでした。オレはもう見惚れるしかありません。
薬草採取の時に触れた、その手の感触が忘れられません。やわらかくて、なめらかで。
その手で丁寧に採取された羊草。なんだか、草も喜んでいるように思えました。
先輩がそうやって丁寧に採取した、リラックス効果バツグンの羊草もこのハーブティーにブレンドされているのでしょうか、お気に入りのマグカップを包むようにして持つ先輩の手をぼんやりと見つめながら、オレはいつの間にかとんでもないことを口走っていたのでした。
「だから先輩、そんな肌きれいなんですか?」
「へっ?」
へっ、て……。な、なんなんですか! いまの可愛らしい反応は。そのキョトンとしたお顔とか、反則ですよ! 一発アウトですよ、オレが。
「あっ、いや、みんながよく言ってるんですよ、女子とか。だから……」
「え……っ、あ、そうなんだ……。知らなかった……」
マグカップをふぅふぅしながら横向いちゃって……、その頬がちょっと赤くなっているのは、ハーブティーがまだ熱いからっていうことにしといていいですかね?
じゃないとオレが……沸騰しちゃいます……。
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