第6話 先輩、起きてください
「先輩、起きてください」
「んー、もうちょっと……」
「ダメですよ。ほら起きて、オレの天使」
「まだ眠いよぉ……」
「そんな可愛いこと言ってたら、オレのキスで目覚めてもらいますよ?」
「うん……。お願い、して……」
そうして眠り姫は、
あ、ヤバい! 真昼間からナニ考えてんですか、オレは。しかもここ、職場だし。妄想膨らませている場合じゃないですし!
ああでも、もうちょっとこのまま、この愛らしいお姿を拝見していたい。
それともこの隙に……って、いやいやいやいや! な、なんてことを! 寝込みを襲うなんてダメです、騎士にあるまじき行為です!
だ、だけど……。
もう一度視線をおろすと、オレの天使がデスクの上で、丸っこい緑のクッションを枕にスヤスヤとお昼寝されているのでした。さては、これがウワサの緑スライムくんですね。
あ、ちなみにここはK小隊の部屋でして。
いえ、不法侵入じゃないですよ。仕事のことでエイミリア先輩にお会いしなければならないという大義名分を得たオレは、昼休みが終わる前にと意を決して訪ねてきたのです。
それが……なんということでしょう!
先輩がですよ? クールで美しくてちょっぴりドSな、あのエイミリア先輩が、ですよ?
愛らしいフォルムにまぬけ面の緑スライムくんを下に敷き、こんな無防備なお姿でお眠りあそばしているなんて。こんな千載一遇のチャンスをモノにしないわけには……。え、モノにするって何をですか!? オレは別に、ふ、
「おー、お疲れー」
突然声をかけられて、ウォーハンマーを背中にくらったような衝撃を受けながら振り向くと、入ってきたのはカストロスという魔道士の先輩でした。
あれ? この人たしか、オレと同じF小隊だったと思うんですけど。
「あれ、エイミまた寝てんのか。そいつ、いっつもそうなんだよ」
え、いっつも?
いっつも先輩、こんなお姿で寝ていらっしゃるんですか? K小隊の皆さん、これ見放題? マジですか。
こ、これはいますぐ隊長に配属替えを願い出て……!
「どうしたんだ、コーディアス? 用があるんだったら起こしていいぞ」
「え、あの、でも……」
でも、ど、どうやって……?
だって、天使がこんなにスヤスヤと眠っていらっしゃるんですよ? そのお顔の下ではフニッと潰れたスライムのクッションが……。ああ、オレもスライムになりたい。
えっと……、ゆ、揺すったら、いいんですかね?
でもどこを?
こういうときって、たぶん、肩とかですよね? けれど、お仕事中たいていまとめていらっしゃる髪も、今はまるで天使が羽を休めるかのように肩やお背中にさらりと広がっていて。
すべてがホライゾンブルーに覆い隠されて、手の置き場に困るというかなんというか。いや、まあ、その艶やかな髪にも、触れてみたいのはもちろんですけれども。
あの、触って……いいんですかね?
まずは白手袋とかつけたほうがいいでしょうか? いや、その前にしっかり手を洗って消毒? でもせっかくなら、素手でその感触を確かめてみたいのですが。
ちょ、ちょっとだけなら……いいですか……? ちょっとだけ。
半ばパニックに陥っているオレの前を横切って、カストロス先輩は大胆にも天使の隣の席にドサッと腰をおろしました。そしてそのお背中に手をかけて、気高き天使を馴れ馴れしく呼びつつ、そのお顔を覗き込んだりするのです。
「おーい、エイミ、起きろよー」
うわあああっ! そっ、そんな顔近づけて……!
「あっ、あの、先輩!」
オレがとっさに叫んでも、カストロス先輩は聞いちゃいません。
「おぉーい? エイミィちゃーん?」
「いや、先輩! 起こさなくていいですから!」
先輩、起きてください!
「起きないと、チューするぞー?」
「だから、先輩! オレ、後でまた来ますんで! だからっ、いいです! 起こさなくて、大丈夫です!!」
ああ、オレにもう少し魔法が使えたら、こんなふうに大声で
「なぁー、エイミィちゃーん?」
「いやっ、だから! 起こさなくていいですって先輩!」
先輩起きて、早く……!
じゃないとオレ、この人、斬っちゃうかもしれないです。
そしたら憲兵とかに連れていかれて、天使を助けた罪に問われて、たぶん広場なんかに引き出されて処刑に——こういうときって何だろう? 火あぶり? じゃあオレは貴女のことを想いながら、炎に包まれて逝くんです。
その時は先輩、オレの最期を見届けに来てくれますか。本物の貴女が現れて、戸惑うオレの目の前で「助けることはできないけど、最後までちゃんと見ていてあげるからね」なんて微笑んでくれて……。
あぁ、それはそれでいいかも! 貴女と見つめ合いながら炎にのまれる最期なんて、ロマンチックじゃないですか。この世で最後に目にするのが貴女なら、きっとオレの人生悪くはなかったと笑って旅立てると思うんです。
なんだったら、お礼のキスなんかしていただけると……。ああっ、もうっ! 一瞬で苦もなく昇天しちゃう。
いやでもそれだったら、やっぱり先輩とあんなことやこんなことしておきたかったなあ……。
え、具体的にどんなことって……? そ、それはいくら妄想の中でもはばかられますよウフフフフ。
なんてアホなことを考えているそばで、
「うわ、あっちぃ!?」
オレの妄想が引火して、突然カストロス先輩の顔面が炎に包まれました。
「え、何? 何だこれ!? なんでいきなり火が?」
「ああ、すみません。ハーブティーが冷めていたので温めようと思って……」
もちろん、その炎を出したのは、いつの間にか起きていらっしゃったエイミリア先輩だったわけで。
ゆっくりとスライムくんから身を起こした先輩は、机の上にあったマグカップを手に取って、
「寝ぼけて間違っちゃいました」
氷の微笑をたたえてハーブティーをすすられます。
「ごめん、ごめんって! だからこれ、消してくれよ! 燃える、燃え……あっつ!」
「んー、おっしゃっていることがよくわかりませんが……」
燃え盛る炎の中で慌てふためくカストロス先輩を、余裕の笑みで見下しながら、優雅にお茶を飲まれる先輩。ええ、オレは先輩を決して怒らせまいと心に決めました。
もちろん、オレは元より先輩を怒らせるようなこと、する予定はありませんけどね。
「いや、悪かったって! 熱っ! なあ、頼むからマジで!」
「だってそれ、幻影でしょ?」
「へ? えっ? ……あ! なんだよ、クソッ」
どうやらカストロス先輩を飲み込んでいたのは炎の『幻影』だったようで。すぅっと炎が消えたあとには、ただカストロス先輩がぐっしょりと冷や汗にまみれていただけでした。
先輩もご満足されたようで、逃げ去って行く後ろ姿を
「あれ、コウくん。どうしたの?」
……えっ?
一瞬思考停止したオレの後ろでドアの開く音がして、今度はレンスラート先輩が入ってきました。
「なあエイミ、来週ヒマあったら——」
「あ、レン、ちょっと待って。コウくん、何か用事? わたし? それともあの燃えカス?」
やっぱりまだ寝ぼけていらっしゃるのか、カストロス先輩を『燃えカス』呼ばわりしながら用件を聞いてくださるのですが……。
「あれ、コーディってそんな呼ばれ方してたんだ?」
そうなんですよ、レンスラート先輩。
オレもそれ、初耳なんです。
「あっ! ……えっと、ちがうの。あの……、わたしが勝手に呼んでた、ごめん。だって、『コーディ』だとコーガと似ているし……」
気づいて急に慌てだした先輩。
寝起きだからか、いつもと違ってちょっと抜けてる感じが、なんていうか……可愛いらしいです。
「ああー、たしかに。エイミ、コーガのチューターやってたから余計ややこしいよな」
たしかにオレも、ちょっと紛らわしかったんですよね。
先輩がコーガさんの名前を呼ぶたびに、なんかドキッとしちゃうし。
貴女だけの、特別な呼び方……。なんかそれ、いいですね。
「オレも実は、ちょっとややこしいと思ってたんで。そう呼んでもらえるほうがいいです」
「あ、じゃあさ、オレも『コウちゃん』って呼んでいい!?」
ええー。先輩だけの、特別な呼び方なのにぃ。
「はい、もちろんです」
世の中、そう簡単には行きません。
それでもオレは、このささやかな変化が嬉しくて。
今日はなんだか、いい日です。
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