第5話 先輩、もしかしてドSですか


「先輩、お願いがあります」

 ある日オレは、意を決して告げました。


「ん、なに?」

 休憩室でお茶を飲まれていたエイミリア先輩は、クールなお顔を上げて……あぁっ、その瞳に射抜かれただけで、オレはもう……。


 オレが見惚みとれているうちに、先輩は優雅な動作で飲み終えたカップを洗って片付け、ポケットから小さな容器を取り出されました。そうして中身を細い指先に少しだけとって、美しい唇に乗せられます。

 ああ、そのリップクリームが……なんなら先輩の薬指が、うらやましいです。

 オレの指では繊細でやわらかそうな先輩の指には代われないけれど、たぶんもうちょっとやわらかい部分が顔の下寄りにあるから、ぜひともそこで塗り広げて差し上げたい。


「どうしたの? お願いって、何?」

 あっ、いっ、いや、こういうのは、順番が大事ですよね。だから……、

 先輩、あの、つ……付き合ってください!

 いやいや、そうじゃなくって! そっちじゃなくって。オレの願いは——


「先輩、あの、ちゅー……してください」

 え、えええええっ!? な、何を口走ってるんですかオレの口ばしは!

「ん? 治癒?」

「あ、ははははい! そう、そうです、治癒です! 治癒魔法、教えていただきたくって!」


 危ない、危ない。落ち着け、オレ。

 そう、治癒魔法ですよ、治癒魔法。偉大な魔道士でいらっしゃる先輩に、魔術をご教授いただきたい、ただそれだけです。ほーら、不自然なところなんて、これっぽっちもないでしょ? ねっ!?


「この前、初めて魔獣討伐に参加してわかったんですけど、やっぱり騎士でも簡単な治癒魔法くらいはできないとダメだなって……」


 ちなみに魔法というものは、一種のスポーツとでも考えていただければいいと思いますが、ごく簡単な魔術くらいなら余程の運動音痴でなければちゃんと練習すればできるものです。

 まあ、魔道士プロになれるのはほんの一握りの方たちですけどね。先輩のような。


「いいけど……、わたしでいいの? 同じ小隊の魔道士とか、もっと上の先輩でもいいんだよ? 頼みにくかったら、わたしから言うけど」

 いえ、オレは貴女がいいんです!

 いや別に、それでお近づきになりたいとかっていうアレじゃないですからね? し、下心なんて、これっぽっちも……、いや、ほんのちょっとしか……、つまり、多少は……、いや、多……?


「いや、あの時のおじいさん……マルコスさん、でしたっけ? 先輩に治してもらって、すごく喜んでいらっしゃったじゃないですか。ちょっとでも、ああいうのに近づけたらって。これからも、討伐作戦で怪我した方に会うこと多いだろうし。だから、先輩に教えていただけたら……」

「そっか、えらいね」


 ああ、美しい天使の微笑み……。

 ああ、なんか、後ろめたい……。


「いや、べつにえらくはないですよ。騎士でも治癒魔法使える人は、他にけっこういますし」

「あんまりいないよ。けっこうみんな魔道士任せだから」

 いやいや、オレはべつに、えらくなんかないですよ。ただ単に、それをきっかけに先輩とお近づきになりたいって……いや、だから違いますって! いや、まあ、それもあるけど。

 だって、職種も小隊も違うんですよ? まるですれ違う運命みたいなオレと先輩を、繋ぎとめてくれるものっていったら治癒魔法しかないじゃないですか!

「じゃあ、こっち来て」

 そうしてオレは、先輩に誘われて人気ひとけのない別室へと場所を移すのでした。




「そこ座って」

「あ、はい」

 先輩と二人っきりで、向かい合って座るなんて。ああ、ドキドキします。

 いや、治癒魔法を教えていただくだけなんですけどね。わかってますよ。


「腕、出して」

「え? は、はい……」

 何のことかわからずに、オレがとりあえず両腕をテーブルの上に並べて出すと、先輩はオレの右腕だけをとって、ひっくり返しました。

 あっ! いま先輩がオレの手に触った!


 そして先輩はオレが着ていたものの端をつかみ、そのままグイッと……!

 えっ、先輩に脱がされちゃった!? あ、はい、ただの腕まくりです。すみません。


「治癒魔法自体は、もう使えるよね?」

「はい!」

 何しろ、オレと天使を引き合わせてくれたのがその、治癒魔法なんですから。

 あれからずいぶんと練習しましたよ。こうして貴女に再び会えることを夢見て……。


「じゃあ、とりあえず……」

 と言って先輩は、ローブの中でなにやらゴソゴソと。

 えっ? えええっ!? そ、そんな、こんなところでいきなり……、ぬ、脱ぐんですか?

 では、どうぞどうぞ。……って言いたいところですけど、いやいやいや! やっぱりほら、ここだと人が来ちゃうかもしれないですし。

 そ、それにオレもまだ、あの、心の準備が……。


「……切っていい?」

 にっこり笑った先輩の手には、氷柱のように冷たく美しい、鋭利な短剣が輝いていたのです。ああ、その笑顔、まぶしいです……。

 いや、そうじゃなくって。

「え……、き、切るって、もしかして……」

「大丈夫、きれいに治すから」


 いや、さらりとおっしゃいますけれど。この状況の一体何がどう大丈夫なのでしょうか?

 美しい短剣と、美しい先輩の微笑みと、そこへ差し出されたオレの腕……。これってつまり、そういうことですよね?

 いや、この前もマルコスさんの脚の傷を跡形もなくきれいに治していらっしゃったのは見ていましたけれども。要するに、コレ、そういうことですよね?


 三つを交互に見比べて(といっても若干お顔の比率が高めですけれども。2:7:1くらいで)戸惑っているオレに先輩は、

「ん、ダメ?」

 えええええっ! な、な、何ですかその、小首をかしげておねだりするような、可愛らしい仕草は!?

 ダメですよ、短剣どころか大戦斧並みの破壊力ですよ! 脳天直撃ですよ!

 治癒の前に、昇天……ですよ……。


「こういうのは合意なしにやっちゃうとマズいから、ダメなら自分でやってくれないと、わたし出来ないんだけどな……」

 いっ……、いやまあそれは、行為に及ぶには、その、双方の合意が必要かと存じますよ? そこはやっぱり、大切なことですよね、ええ、はい。

 でも自分でヤるか先輩にシていただくかでいったら、それはもう!


「先輩、お願いします」

「はい」

 若干かぶせ気味で答えてくださった先輩は、間髪入れずサクッとオレの腕を斬りつけていらっしゃったのでした。

 そうして真っ赤な血が流れ出る様を、短剣と同じように冷たく美しい微笑みで見つめていらっしゃいます。ああ、ゾクゾクする。


 ……あれ、先輩?

 えっと……、治癒してくださるのでは、ないのでしょうか……?

 そ、そんなに見つめられると、その……、興奮していろいろ出ちゃいそうというか。いやまあさっきからずっと血は出っぱなしなんですけれども。


 ああ、コレもしかして、自分で治せっていうことですか? 放置プレイ? ステキです。

「あ、まだダメ」

 キターーーーー!

 いや、そうですよね。切ってあげたからあとは自分で治せ、なんて……そんな、ね。そんなの、放置プレイのうちに入らないですよね。すみません、オレが浅はかでした。


 先輩は治癒魔法をかけようとしたオレの左手を払いのけ、右手も動かないように押さえつけてくださって。滴る血もそのままに、治癒魔法をかけていただくことも、かけさせていただくことも叶わず。これこそが真の放置プレイ。

 ああ、なんか新しい境地です。

 治癒魔法を教えていただこうとお願いしたら、まさか先輩に、大人な遊びを教えていただけるなんて! オレは天使に連れられて、未知なる世界に旅立つのです……。

 あれ、ここってもう、天国の門ですか?


「……ねえ、どんな感じ?」

 いやあ、オレの手を、先輩のたおやかな手で握ってくださって、残酷な天使の微笑みで問いかけられたら、それはもう……!

「やわらかいです……」

「えっ?」

「あ、いや、えっと……?」

「えっと、だから……、痛みとか。何でもいいから、描写してみて」

 こ、この状況でですか? それは、もちろん痛みますけど。だってそりゃ、切られたんですからねえ、サクッと。


 はっ! もしやこれはアレですか? 「どんなふうに気持ちイイか言ってごらん」ってやつですか? それの、なんか上級版みたいなヤツですか!?

 え、先輩?

 あの……もしかしてなんですけれども。

 もしかして先輩、『ドS』でいらっしゃったりします……?


 ああああああぁっ! な、なんてことだ、すみません! オレ、全然ソッチ系の教養がないもので。

 今度からもうちょっと勉強しておきます。貴女のご希望に添えるよう、ちゃんと精進しておきますから!

 でも、凡庸な今のオレの思考回路では、すぐには先輩にご満足いただけるような解答は導き出せそうにないので。とりあえずここはフツーに、感じたままをお伝えするのでもいいですかね……?


「えっと……ズキズキしますね。いや、ジンジン、っていうのかな。……あ、あと、ボーッと、熱い感じもします」

 そんなに深くない傷とはいえ、さっきから血が垂れ流しですからね。

 なんか、普通ですみません。今のオレには、これくらいが精いっぱいです……。


「うん、それから……?」

「え、それから? えっと……?」

「……ドキドキしてる」

 えっ!? い、いや、それは……、はい、もちろん。

 だって、先輩がオレと手を取りあって、見つめてくださっているんですよ? そんなの、ドキドキしすぎて心臓が飛び出してしまいそうですよ。何ならもう、天国の門のあちら側に半分飛び出ちゃってますよ!


「気分はどう?」

「え、えっ……と……。お、落ち着かない……、ですかね……」

「うん、そうだね」

 そう言ったきり先輩は、オレの手を放してしまわれたのでした。


「傷を見たら、今のを思い出して」

「……はい」

 ……って、え、終わり?

 終了?

 ジ・エンド!?

 いや、あの、まだ始まってもいない気が……。


 ああっ、そうか……! オレとしたことが、今の今まで気づけなかったなんて。

 これはあれですね、消えることない貴女の痕を、オレに刻んでくださったのですね! だからこの傷は治療したらダメなんですね。

 それはもう、絶対に絶対に消しません。意地でも治癒などいたしません。自然治癒すら許しません。今日のこの日の思い出に、一生大事にいたします。天国の門をくぐっても、この傷だけは持って行きます。これを見て、オレはいつまでも貴女を想い続けるのです!


 ……と固く誓ったオレの決意をよそに、先輩が手をかざすと、あっという間に傷は塞がって、見た目には跡形もなくなっていました。


「目に見えている傷だけじゃないの」

 すっかりわからなくなった傷痕の上を、先輩の美しい指先がすぅっと通過すると、

「怪我をすれば、痛みがある」

 ジンジンとしていた痛みも消え失せて、

「熱かったり、痒かったり、痺れたりもするし」

 もう一度通ると、その周辺の熱感や不快症状も無くなり、

「治癒が遅れるほど、怪我をしていることへの不安が増して、治らないんじゃないかって恐怖も出てきて、ドキドキして落ち着かない」

 先輩の手のひらがオレのほうを向いて淡い光を放つと、急に心も落ち着いたのです。

 まあ、落ち着いたって言ってもオレは、先輩を前にして平常心でいられるはずもないですけどね。


「ね? 怪我を治すというのは、ただ傷口を塞ぐことだけじゃない。それに伴う痛みや不安は、見てわかるものではないけれど。だからあなたも、誰かを治癒するときには今の感覚を思い出して」

 何の違和感もないまでにすっかり完治してしまった腕に感動しているオレに、先輩は優しい笑顔で告げられました。

 ああ先輩、やっぱり貴女は天使です。


 オレが天使の微笑みにうっとり見惚れていると、

「でもね、痛みのとり方には注意して。痛みの感覚を抑えすぎると、ほらこうやって――」

 いつの間にか再び手にされていた短剣が、冷たい光を放ったと思うや、さっきと同じところをサクッと斬りつけていました。

「新しい怪我ができても、すぐには気付かないでしょう?」

 しかも先輩はそれを笑顔のままで、躊躇なくやっちゃうんですから。ええ、気付いたときには新たな鮮血が流れ出ていましたよ。

 あの先輩、やっぱり貴女、ドSでいらっしゃいますね?


「じゃあ、治癒魔法の練習してみようか」

「えっ、あの……」

「うん?」

「オレ、利き手、右で……」

「知ってる。だから左でやるんじゃない」

 え? どゆこと?

「いや、だから、オレ治癒魔法も右手でかけるんですけど……。だから左では……」

「出来ないって思ってる?」

「それは、まあ。やったことないですし……」

「でもさっき、左手で治癒しようとしてなかった?」

 あ、そういえば。


「いや、でもさっきのは、右が使えない状況だったし。とっさにやっちゃった、っていうか……」

「今も同じじゃない?」

 まあ……、そうですけど。

 いや、たしかにそうなんですよね。


 でもさっきは血がダラダラだった……のは今もですけど、なんか腕がだんだん、ジンジンしてきて、ヤバい何とかしなきゃって、たぶん必死だったんですよね。だから左手で治癒しようなんていう、無茶をやっちゃったというか。

 でも今は痛みも何もなくて。なんかこうして見ていると、オレの目の前で血をダラダラ流しているこの腕が、自分のだとさえ思えなくて……。


「今は痛みがないだけで、怪我している状況はさっきと同じでしょ。ほら、あなたが助けた人が、怪我をしていると思って。あなたは痛みを感じないけど、その人は感じている。さっきあなたが感じていたのと、同じ痛みを」

 いや、でも、左手でとか、やったことないですし。やり方は同じだろうけど、うまくコントロールとかできないですし……。

「どうするの? 放っておくの? ほら、痛い痛い。あなたは感じなくても、あなたの目の前の怪我人は、痛みを感じているんだよ? 痛い痛い。何もしないの? 助けてくれないの?」

 うわあ、やっぱりこの人ドSだ!


 でも、オレの目の前の人――先輩が、痛い痛いなんて言って、感じちゃってくださってるなら、それはもう……。

 優しくして、キモチ良くしてあげたいじゃないですか!


「はい、上手にできました」

 え? ……あれ、本当だ。

 いつの間にかオレは左手で治癒魔法を発動し、右腕の切り傷はきれいに治っていたのでした。

「は、はい! ……オレ、できました!」

「ふふ、いい返事。じゃあこれからも、左手練習しておいてね」

 ああ、なんてステキな天使の笑顔……。これはもしや、飴と鞭ってやつですか? オシオキに耐えたご褒美ってやつですか?


「……え、でもなんで左手? 今のはたまたまできたけど、オレやっぱり、右手のほうがやりやすい気がします」

 それはね、と隣に降り立った天使は、オレの右腕にそっと触れて、

「あなたは、騎士だから」

 優しく微笑みかけるのでした。


「あなたは騎士だから、剣をとるこの右腕で人々を守らなくちゃいけない。だから、誰かの怪我を治すことよりもまず、あなたは自分自身の怪我を治せなくちゃいけないんだよ。あなたの右腕が怪我をしたら、あなたの左手で治してあげて。何よりもあなたが一番に守らなければならないのは、あなた自身の、この右腕だから」


 ああ。貴女はやっぱり、オレの憧れの先輩です。ひらりとローブをひるがえし、去って行く後ろ姿もカッコイイ。


 でもその前に先輩は、こんな言葉をオレにくださったのでした。

「だって、右腕が使えなくなったら、ただの役立たずでしょ?」

 はぁ。この鞭、最っ高っ!


 けれど、先輩。

 先輩こそ、ちゃんと貴女自身を守って、大切にしてあげてくださいよ——強大な魔力を操り魔獣をなぎ倒す先輩に対して、そんなふうに思うときが来るなんて。

 この頃のオレはまだ、知る由もなかったのです。




(※この魔術指導は、プロの魔道士の監修のもと行われています。魔法の使えない方は危険ですので絶対に真似をしないでください)


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