第4話 先輩、お聞きしたいことが


 新人の朝は早いです。

 始業時間前に各々必要な鍛錬を済ませ、苦手な部分を補い、その日の業務に備えたウォームアップを行っておく……なんていう崇高な目的のために早起きできたのは、最初のうちだけ。

 何よりも新人の時間を奪うのが、新人と『=』で結び付けられるといっても過言ではない仕事――そう、雑用です。


 文字通り雑多な用事がひっくるめられたその中には「これって騎士がしなきゃいけないコト?」と真剣に議論すべき内容なんかも含まれていると、オレは思うんですよね。

 ゴミ出しとか、掃除とか、消耗品の補充とか。

「オレはゴミ出しをするために騎士になったんじゃない!」と当番が回ってくるたびに思うのは、オレだけでしょうか……?


 いや、だからといって、雑に済ませたりはしませんよ。

 なんといってもココは、エイミリア先輩もお使いになる場所ですから。いつもキチンとしていらっしゃる先輩だから、雑な雑用を見抜かれてしまって、

『え、今日の当番、誰? ……ああ、アイツか。チッ』

 みたいなこと思われてしまったら……!


 いや、たぶん先輩はそんなふうにはおっしゃらないでしょうけど。でもでも、「雑用もロクにできない残念な子」とか「使えない後輩」とか、そういうレッテルを貼られてしまったら!?


 雑用を制してこそ、仕事のできる一人前なのです!

 ここはとことんやってやりますよ。


 気合を入れてテーブルを磨き始めたとき、背後でキィと扉の開く音がして、

「……あ、おはようございます」

 聞こえてきた天使のお声に、オレはたぶん3㎝くらい飛び上がっていました。

「あっ!? おはようございますっ!」

 振り向いた先にいらっしゃったのは、もちろんエイミリア先輩です。


 ああ……今日も朝から麗しい。

 朝イチで先輩にお会いできるなんて。しかも出勤されたばかりで、魔道士のローブを着用されていない私服姿。しかもしかも、先輩のほうからお声をかけてくださったとは。

 今日はなんてイイ日なんでしょう!


「早いね」

「あ、オレ今日、当番なんで……」

「そっか。ありがとう」

 え、『ありがとう』? なんで?


 戸惑うオレの心中を見透かしたように、先輩は朝日よりもまぶしい天使の笑顔をくださいます。早起きの目にしみるぅ!

「一年目って、雑用とか多くて大変でしょう。でも、誰かがやってくれないと日常業務に支障が出るようなものばかりだからね。みんな、助かってるよ」

 えぇっ、一年目が雑用するのなんて当たり前ですよ。当番なんで当然です! そんな、お礼を言っていただくようなことでは……。


 いやむしろ、先輩とお話しして、しかもねぎらいのお言葉までいただけるというのなら、毎日だって当番やります! やらせてください! いや、ヤラせてくださいとか言ってないですから!?


「ねえ、コーディアスくんって……」

 あ、はい。変態です。すみません。って、いやいや! そんなことないですよ。

「チューター、トーリスだったよね? ちゃんと指導できてる?」

「えっ? あー……。はい、えっと、まあ……」


 チューターというのは、スティングスが研修に取り入れている制度です。一年目の新人一人に対して、先輩が一人ついて、任務の具体的なやり方とか、各種スキルとか、マンツーマンで指導してくれるのです。

 けれどオレのチューターになったF小隊の騎士、トーリス先輩という人は……何といいますか、その……。


「あー、やっぱり。ほったらかしなんでしょ?」

 はい、オレの表情と沈黙だけでお察しいただけたようで。

「結構いい加減なとこあるからね、彼」

 え、カレ!? あ、いや、単なる人称代名詞ですよね。ああもう、昨日みんながあんな話をするから!


 でも、実際のところどうなのでしょうか? 他のみんなも、気になっていたみたいだし……と言い訳しつつ。この会話の流れで、聞けるタイミングは……?


「困っていたら、同じF小隊の他の騎士に相談してみるといいよ。もし話しにくいとかあったら、わたしのほうから話通してもいいし。気軽に言ってね」

 先輩、おつき合いされている方はいらっしゃいますか?

 いや、ここじゃない! 絶対違う!

「剣技だったら、アイリーンとか、レンスラートに教えてもらうといいんじゃないかな。実際、実技面ではチューターより上の先輩に指導してもらうことって、よくあるし。チューターって、けっこう若手がやるでしょ? トーリスなんて、まだまだ人に教えられるレベルじゃないもんね」


 剣技の習熟は研修課題の一つです。基本の型から応用の効いた難しい技まで、チューターと練った綿密な計画のもと、研修期間中にすべて終わらせなければならないのですが……。

 オレはまだ一つ目にすら取りかかっていないというか、その一つ目がどれかすら決まってないというか。

 まあ、基本的なやつは騎士学校時代のおさらいなので、チューターに確認と評価さえしてもらえば、それでミッション・コンプリートなんですけどね。


「トーリスのチューターは、レン……レンスラートだったから。そういう意味でも、頼ったらいいと思う。レンも気にしているみたいだったし、頼ってあげたら喜ぶよ」

「あ……、そうなんですか?」

 上手く言葉が出てこなかったのは、先輩を前に緊張していたのもさることながら、昨日のうわさ話でレンスラート先輩の名前が挙がっていたのを思い出したからでした。


 実際、この前の任務のときも息の合った連携だったし。今の言いかたも、なんか、引っ掛かります。

 ああっ! だからって、今のはエイミリア先輩に対してそっけない言い方をしてしまったでしょうか!? 違うんです。そうじゃないんです。そんなつもりじゃなくて……うああ、どうしよう!


「うん。けっこうみんな、心配してるんだよ」

「あっ、はい……。そうですよね。カイルはもう『基礎剣術A』は全部終わったって言ってたし。オレも、そろそろ始めないと……」

「え? もしかして、まだ始めてもいないの?」

 あ、しまった。挽回しようと必死になって、余計なことまで言ってしまったかもしれないです。

 いや、チクったりとか、グチったりとか、そういうつもりは全くなくてですね……。


「もう、ほんとアイツは……!」

 ……おや?

 先輩、なんだかちょっと、裏のお顔が垣間見えたような気がします。

「でも、アンセラは頼りになるでしょ」

 けれどそんな一面は、すぐさま華麗に引っ込めてしまわれて。もう、いつもの優しい雰囲気でした。


 アンセラ先輩というのはオレの一期上の女性騎士で、昨年やはりトーリス先輩がチューターをしていたのです。女好きとうわさのトーリス先輩が、いかにも好きそうなタイプの方で、ほったらかしのオレとは対照的に、付きまとわれて苦労されたようですが。

 二年目になるとマンツーマン指導は減るはずなのですが、トーリス先輩は未だにアンセラ先輩のほうばかり構って、オレの指導は忘れ去られているのでした。


「そうですね。アンセラ先輩にはこの前、剣術の稽古をつけていただきました」

「しっかりしてて、面倒見いいからね。同じチューターについた二人って、『兄弟弟子』みたいなものだから、研修でもそれ以外でも、助け合っていくことが多くなると思うよ」

「へえ……。そうなんですね」

「チューターも含めて、場合によってはチューターのチューターまで含めて、なんていうか、家族みたいな感覚の人もいるみたい。まあそこは、人によって違うし、ドライな付き合いのところもあるけど」

「家族みたいな……。なんか、いいですね、そういうの」

「うん。毎日のように飲みに行ったり、人生相談したり。プライベートも含めて仲良くなる人たちもいるかな」


 先輩のやわらかなお声に誘われて、オレは妄想の世界に堕ちていって……。ついポロッと、本音がこぼれ落ちていました。

「オレも先輩と、そういう関係になりたかったな……」

「トーリスと? ……うーん、それはどうだろ。付かず離れずの適度な距離感っていうのも、いいと思うけど。まあでも、人それぞれだよね。そういうところも、トーリスとよく相談してね」


 あ、いや、先輩っていうのは、エイミリア先輩のことなんですけども……。でも、無理ですよね。

 所属している小隊だって違うし。先輩は魔道士でオレは騎士だから、先輩がオレのチューターになるなんてそもそもあり得ないし。それに、チューターになるのは入団3年目から5年目くらいの先輩だから、それで言っても条件から外れるし。

 ああ、つくづく遠いです、オレたちの距離。


「……あ、邪魔してごめんね。わたしもそろそろ準備しないと。さっきも言ったけど、困っていることとかあったら、小隊とか関係なく、何でも聞いてね」

「あの、先輩……!」

 ドアのほうへ向かう先輩を、オレはとっさに呼び止めていました。


 邪魔なんかじゃないです、もっとお話ししたいです――頭には浮かんでも、上手く口から出てこない言葉たち。

 けれど「何でも聞いて」とおっしゃるのなら、お聞きしたいことはいくらでもあります。例えば……。

 先輩のカレシはどなたですか? とか。


「先輩のチューターは、どなただったんですか?」

 はい、やっぱりムリでした。

「ああ、その人は……、もうスティングス辞めた」

「辞めた? 私設団に行ったんですか?」

「うん……。たぶんね」


 話題がまずかったのか、本当に朝の準備にお急ぎだったのかはわかりません。でも、なんとなくそれ以上立ち入ってはいけないような気がして。もう二言三言交わした後、オレは仕事に向かわれる先輩を見送ったのです。

 そうして一人になって、ふと我に返ったオレは、重大なことに気づいてしまいました。


 今、オレ……、先輩とおしゃべりしちゃった!?

 今の今まで、二人っきりで、しかもあんな長い時間……まあ長いって言っても、立ち話だし、実際はそんな長くもなかったのかもしれないですけど。

 でもオレにとっては夢のようなひと時で、あっという間で、でも永遠に続いてほしくて、長いようで短くて、でも、でも……、とにかく、先輩とおしゃべりしちゃった!!


 いや、そもそもオレはまともにしゃべれていたのでしょうか? テンション上がりすぎて、意味不明なこと口走ってなかったでしょうか? 今の会話、プレイバック! 今夜は緊急脳内会議を招集して、一字一句反芻はんすうし、しっかり反省会を行いたいと思います。

 いやもう、夜まで待てない!



 実際その日一日は、家へ帰るまでまだ十二時間ほどあったわけですが、少しでも油断すればオレの思考は早朝のセレンディピティを追想しているのでした。

 先輩の発せられた言葉の一つ一つ、その時の表情。思い出すだけで……おおっと、いけない。仕事しなきゃ。


 それに考えてみれば、小隊も違う騎士のオレのことを、チューターが誰なのか知っていて、気にかけてくださっていたってことですよね。

 ああ、天使。やっぱり天使……! はい、仕事します。


 できればその優しさが、オレだけに向けられた特別なものであれば、なお良しなのですが。

 でも他の騎士は、チューターがもっとちゃんとした人だし。オレが特に気にかけられていたとしても、不思議じゃないんですよね。「みんな心配してる」っておっしゃっていたし。

 ああ、オレが一番条件悪いんだ……頑張ろ。


 あ、結局カレシのことも聞きそびれていました。

 でもまあ、知ったところでどうなるわけでもないんですよね。

 ……とりあえず、仕事頑張ろ。


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