第2話 先輩、貴女は氷の女王です


「新入隊員の諸君。これから行く場所では、皆……過酷な体験をすることになると思う」


 それは、入隊からようやくひと月が経とうとしていた頃でした。第4部隊の隊長室に呼び出された我々は、重苦しい雰囲気の中、突然そう告げられたのです。


「入隊して間もない君たちに、このような試練を与えることはわしとしても本意ではない、ということはわかってほしい。……いや、わしもまだ、迷っているのだ。あのような場所へ君たちを連れていくことが、本当に正しい判断であるのかどうか……」


 どっしりとした執務机にゴツイ両手を組んで、その上でふぅーっと繊細なため息を吐き出した隊長。

 それからようやく顔を上げて、5人の新入隊員を見渡しました。


「だが……、これもわが第4部隊の実態を知ってもらう上では、必要な経験となるだろう。皆、辛いと思うが、耐えてくれ」

「隊長、はっきり伝えておいた方が、彼らも覚悟できると思います」

「うむ、そうだな……」


 そばに控えていた小隊長に促され、隊長はおもむろに立ち上がって窓辺へ歩み寄りました。

 まぶしい朝の光に包まれて、部屋の中に濃い影を落としながら、隊長は、静かに語り始めるのでした。



 その話が終わる頃には、よりいっそう重苦しい空気が我々を圧していました。新人たちは一様に沈鬱ちんうつな面持ちで、顔を上げることすらできません。

 交わす言葉も見つからず、それぞれに自分の足を見下ろして、これから向かう先で待つ『過酷な試練』に思いを馳せます。


 そこへ、コンコンコン、と軽やかなノックの音が響き、入ってきたのはオレの天使――エイミリア先輩でした。

「隊長、準備が整ったようです。我々も参りましょう」

 ああ、闇をも払う神々しさです。



 隊長とエイミリア先輩と、あと何人かの先輩方(すみません、ちょっと影薄くて覚えてないです)に連れられて、我々新入隊員らも共に『その場所』へと向かいます。

 長い廊下を通り抜け、角を曲がった先に見えてきたのは、一対の荘厳な扉。

 それは歳月をかけてこの場所で生まれた全ての怨嗟えんさを吸い込んできたかのように、禍々しく黒光りしています。


 隊長はいったん足を止め、我々を振り返りました。

 互いに顔を見交わして、覚悟を決めます。

 いよいよ、その重い扉が開かれます。その先に待つものとは——


「どうしたね、早く席につきたまえ。すでに会議は始まっているぞ」


 そうです、会議室です。

 先日、王都郊外の森の奥に魔獣の大量発生が確認されたそうで、近くその大規模討伐を行うため、この王立魔獣討伐団、通称『スティングス』において実際の戦闘を担う第2・第3部隊の上層部が、戦闘計画について会議しているまっ最中なのでした。


 ええっと、それでですね、なぜ会議室が、我々にとって過酷な場所なのかと言いますと……。


「オイ何してんだよ。さっさと席につけ」

「いつまで待たせんだ、支援部隊のクセに」

 スティングスにおいて花形と呼ばれる戦闘部隊の方々というのはエリート意識が非常に強く、えてして他の部隊のことを大層見下していらっしゃるものなのだそうです。


 中でも戦闘部隊と同じく騎士と魔道士のみで構成されている第4部隊に対しては、同属嫌悪というやつでしょうか、とりわけ風当たりがきついらしく、

「大体、支援部隊が戦闘にしゃしゃり出るって? 第4部隊ってのはなあ、もともと戦闘に不向きな能無しがサポートに回されてできた部隊なんだよ!」

 とまあ、そういう認識なのだそうです。


 それでも今回、第4部隊がこの戦闘作戦会議に参加している理由は、討伐対象となっている魔獣の中に第4部隊が調査研究している魔獣がいるからだとか。

 第4部隊って、魔獣の研究までやっているんですね。どれだけ万屋よろずやなんですか。


 そして、先ほどから何度も「席につけ」と言われている理由は……その『席』が、見当たらないからなのでした。

 会議室の正面には議長席、その前には戦闘部隊の面々が、第2、第3部隊と向き合う形でずらりと左右に並んでいるのですが、その中に空いている座席は一つもありません。

 強いて言うなら……第3部隊の後ろ、すなわち窓際に不自然なスペースが空いているくらいでしょうか。その足元は会議室の踏みならされた絨毯じゅうたんで、まあ、格付けするやつでいうと、ギリギリ映ってるかなー、くらいのレベルでしょうかね。


 何なんですか、この陰険なイジメは。これが大人のすることですか。大人ってコワイ。

 ええ、先ほどまで第4部隊の隊長室で聞かされていた話というのは、過去の合同会議で戦闘部隊のみなさんがどんな嫌がらせを仕掛けてきたかという、くらーい歴史なのでした。


 新入隊員一同がドン引きする中、一人ツカツカと前へ進み出られたのは、エイミリア先輩でした。先輩は窓際まで行くと、くるりと窓に背を向けられます。


 え、先輩? もしやそんなところに座っちゃうんですか?

 いやそんな、貴女のような御方がみすぼらしい絨毯にじかに座られるなんて。それだったらオレが貴女のイヌ……じゃなくて、イスになりますよ! 先輩の椅子となって座っていただけるなら、それはもう何というか……ご褒美、みたいなものですかね。えへへ。


 などと思っているうちに、先輩は右手をスッと水平に掲げられました。背後の窓から差し込む光の中で、その気高く美しいお姿はまるで、神殿に祀られた天使の彫像のようです。

 先輩のかざす手の下で、薄汚れた絨毯に美しい魔法陣が描き出されていきます。

 そして、巨大な影が浮かび上がり――


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ


 と効果音でも聞こえてきそうなものですが、実際のところ、静まり返った会議室の中へ、音もなく現れ出でたのは、なんとも見事な装飾の、まばいばかりに豪華な——応接セット、だったのです。


 ゆったりとしたソファは、淡いグリーンとベージュのストライプに、繊細な金糸で彩られたいかにも上質の布地。それを縁取るのはエレガントな曲線と緻密な模様を施された黄金の枠。ローテーブルは、淡い色合いの麗しい木目が、優美な存在感を放ち。

 それはもう、殺風景な会議室の一角が、突然どこぞの貴族様のお屋敷に繋がったかのようでした。


 あ、ちなみに剣も魔法もアリの世界ですけど、未来からやってきたナントカドアみたいな、離れた空間をつなげるなんてのはナシですからね。人間が異空間に移動することなんてできないです。そんなことしたら死んじゃいます。


 いま目の前で繰り広げられている、別空間から物体を取り出すやつでさえも、相当に高度な魔術のはずで……、みなさん、ポカンとして見守っていたわけです。

 もちろんオレも、こんな魔術は初めて見ました。


「なっ、な、何をしている!? なんの真似だね、これは!」

 ようやく我に返った議長の狼狽ろうばいぶりは言うまでもありません。


 そして先輩は、すでにその豪華なソファに優雅に腰かけられていて、

「着席を促されましたので、自前で『席』を調達いたしました」

 涼しい顔しておっしゃるのです。


「ああこれ、新入隊員の諸君。君たちも、早くこっちに来て座りなさい」

 あれ、いつの間に隊長まで、ちゃっかり座っちゃってるんですか!? しかもお茶飲んでるし。



 さて新入隊員たちが、座り心地の良いソファに居心地悪く腰をおろしたところで、

「ところで、正しい情報の共有は会議の初歩かと存じますので、僭越せんえつながら私どもからいくつか情報提供をさせていただきます」

 静まり返った会議室に、エイミリア先輩のお声が凛と響き渡ります。


「まずは本日の会議ですが……、参加人数につきましては事前資料にも記載されておりましたし、議長がお持ちのその無駄に分厚い資料の中にも含まれているかと存じます。しかしながら会議場の設営をされた第2部隊の皆様が席数を誤っておられたようですので、わかりやすく示しておきましょう」

「な……、熱っ!?」


 先輩が言葉を区切ると同時に、議長を務める第2部隊長の持っていた資料の束が激しく燃え上がりました。慌てて放り出した資料は炎に包まれ、一瞬にして灰に――なることはなく、すぐに炎は消えて、表紙に大きく『47』という数字が現れたのです。


「次に自己紹介がわりに、我々第4部隊の創設起源について申し上げておきます」

 茫然自失の議長に構わず、先輩はゆったりとした動作で立ち上がりながら続けられます。


「ご存知のように、王立魔獣討伐団は創設当初、その名の通り魔獣の掃討のみを任務としていました。しかしながらそれは周辺の環境破壊を顧みず、市民の生活をも損なうものでした。追われた魔獣が近隣の村に逃げ込んで一般市民を襲ったり、魔道士の放った攻撃が市民を巻き込んだりなど……人的被害も少なからずありました」


 数歩前へ進み出た先輩の手から、稲妻のような攻撃魔法が放たれ、先ほど第4部隊を「能無し」呼ばわりした方の眼前まで迫ってフッと消えました。

 え、攻撃魔法って寸止めできるものなんですか!?


「そして60年前、ピリュス――」

 先輩が口にされたのは、新人セミナーでも最初のほうに学ぶ「ピリュスの悲劇」と呼ばれるスティングス最大の黒歴史です。


 当時は今よりも魔獣が多く、風光明媚ふうこうめいびな湖水地方のピリュスでも、いつ魔獣に襲われるかわからない危険と隣り合わせで人々は生活していたといいます。

 そこで、貴族に人気の行楽地でもあったこの場所で、スティングスは大規模魔獣討伐作戦を敢行しました。

 激戦の末に魔獣たちを殲滅せんめつしたものの、多くの人と魔獣の命を吸った湖は、やがて瘴気しょうきにどす黒く染まったそうです。


「……折り重なった魔獣の死骸が川をせき止め、瘴気を含んだ水が氾濫し、近隣の村を飲み込みました」

 先輩がサッと腕を振ると、その足元からは黒いもやを含んだ水が湧き上がり、戦闘部隊のみなさんのほうへ波となって押し寄せました。椅子にふんぞり返っていた何人かが、慌てて足をあげます。


「付近一帯には病気が蔓延まんえんし、植物は枯れ、生き物の住めない世界になったといいます」

 さらにもう一振りすると、不吉な風が吹きすさび、黒くよどんだ水には瀕死の魚が跳ね、腐った流木が漂い、死霊が彷徨っている気さえしてきます。

 あと、心なしか、会議室全体が暗くなっていません……?


 我々第4部隊のいる窓辺だけが、先輩の背後に守られ、窓から差し込む明るい光に照らされているのです。

 方舟はこぶねに乗せてもらった動物たちって、こんな気持ちだったのでしょうか。


「——というわけで、この教訓をもとに、戦闘の副作用である破壊行為から市民の皆様をお守りすることを主目的として創設されたのが、第4部隊です」

 先輩がすっと腕を降ろすと、先ほどまでの嵐は忽然こつぜんと消えました。

 あとに残ったのは、ガタガタに乱れた会議室の机と椅子、そしてそれぞれの椅子の上に縮こまる戦闘隊員たち。ある者は机の陰に身を隠し、ある者は資料で頭を庇い……それはそれは残念な光景でした。


「要するに、魔獣討伐団なのですから魔獣を狩るのは出来て当たり前です。我々は戦闘部隊のみでは成せない付加価値を与え、スティングスの存在意義を高めているのです」

 会議室を見渡す先輩の動きに合わせて、あちこちでコクコクと首が縦に動いて追従の意を示します。


「では次に、我々第4部隊の対魔獣戦闘能力についてですが……。前回が19、前々回が31、さらにその前が8。これは、あなた方が作戦遂行中に討ち漏らし、我々が対処した魔獣の数です。何ならわかりやすいところに記してさしあげましょうか?」

 先輩の右手と口角が少し上がったのを見て、戦闘部隊のお偉いさんたちが一斉に慄きました。会議資料を手に持っていた方たちは慌てて机の上に放り投げます。


「ご存知でしょうか。このような事態が起きないよう、戦闘部隊を分割したのが第3部隊の起源です。討伐実績をあげるために、第2部隊と一緒になって大物を追い回していては、本来の職務を放棄されていることになります。まずはご自分の隊の役割から、きちんとお勉強していただければ幸いです」

 ゾクッとするような笑みをたたえて見下ろされた第3部隊員は、先ほど痛烈に第4部隊をけなしていた方でした。


「ああそういえば、先ほどどなたかが我々のことを『能無し』と評価されていたかと思いますが――」

 もう一度先輩が見渡すと、今度はみなさんの首が一斉にブンブンと横に振られるのでした。

 それを見てご満足されたのか、先輩の声音が和らぎます。

「これはすでに、認識を改めていただけたようですね。何なら剣技も試してごらんになりますか?」

「も、もういい! 早く座……ってください。会議を続けます」

 憔悴しょうすいした議長の言葉で、会議は再び動き出しました。


 そこからはもう、事あるごとに窓際の特等席にお伺いの視線が送られてきます。

 けれど先輩は一度も口を開くことなく、涼しい顔して成りゆきを見守っていらっしゃるのでした。


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