第一章

第1話 先輩、貴女はオレの天使です


「お待たせしました。それでは、第4部隊の専用書庫について説明しますね」


 さかのぼることおよそひと月。王立魔獣討伐団スティングス第4部隊に入隊したばかりのオレは、新人オリエンテーションを受けていました。


 それは初日の、スティングス全体のオリエンテーションから始まったのですが……。


 まずはスティングスの掲げる理念が小一時間をかけてアツく語られ、続いて各部隊の役割分担、研修制度の概要、付属施設の使い方……etc。

 その後、所属する各部隊へと散らばった新人たちを待ち受けていたのは、部隊ごとの詳細な説明、すなわちさらなるオリエンテーションの嵐でした。


 入ったばかりの職場で、知らない先輩方が話す、難しい説明の連続……。

 それでも我々は、お腹いっぱいと言っているヒマなどありません。新人が覚えなければならないことは山ほどあります。

 耳慣れぬ専門用語を必死で咀嚼そしゃくし、わかったフリして飲み込みます。


 そんな苦行の数々を乗り越えて、今、オレの心は晴れ渡っていました。

 いやべつに、悟りを開いたわけではありませんよ。


 その理由は、現在目の前に座っていらっしゃいます。

 そう、これから始まる書庫の説明を担当されるのが、オレの憧れ、クールで美しい女性魔道士、あのエイミリア先輩だったのです!


「途中でわからないことがあったら、いつでも聞いてくださいね」

 そう言って説明を始める先輩のお声は、まるで天使の福音ふくいんです。耳に心地よく美しく……けれど、その内容はオレの頭にまったく入ってきません。

 いや、だって、すぐ目の前にエイミリア先輩がいらっしゃるんですよ? 手を伸ばして、ついでにちょっと身を乗り出せば届きそうなくらいの距離なんですよ!?


 資料に目を落とした先輩の、伏せた睫毛まつげの長い影。

 淡々と言葉を紡ぐ、花びらのような可憐な唇。透き通るような白い肌。

 ホライゾンブルーの長髪は、窓から差し込む陽光に淡く輝いて……ああ、なんと崇高な美しさ。

 先輩、貴女はやっぱり天使です。


「ここまでの説明で、何かわからないことはありますか?」

 ふいに顔を上げられた天使と目が合って、オレはドキッとして思わず目を逸らしてしました。……スミマセン、聞いてませんでした。


 先輩のご質問に、5人の新入隊員は互いの顔をそっと伺い見て、やがて誰かが首を横に振ると、みんな揃ってカタカタと振ります。べつに、コダマとかじゃないですよ。

 それを見てふわりと立ち上がった先輩は、やわらかな微笑みを投げかけて、

「じゃあ、書庫のほうに案内しますから、ついて来てください」

 はい先輩。オレ、一生貴女について行きます!



 長いローブと、サラサラとした長髪がかすかに揺れる、凛と美しい後ろ姿を追いかけて、小さな精霊たち——もといヒヨッコ隊員たちがたどり着いたのは、

「うわぁ、すげー!」

 膨大な数の蔵書を抱える、広大な書庫でした。

 重厚でいかめしい書物のぎっしりとひしめく書架が、さらに幾重にも連なって。それはまるで、うっそうとした森がどこまでも広がっているようでした。おかえり、コダマたち。


 先輩の背中を追っかけてきたヒヨコたちも、ただあんぐりとくちばしを開けて圧倒されています。

「ふふ。カイルくんは騎士さんだから、あんまり古書が並んでいるのとか見ないかな?」

「あっ、は、はい!」

 最初に感嘆の声をあげたカイルくんという騎士は、先輩に話しかけられてほんのり頬を赤らめて答えました。

 うぅ……、ちょっとうらやましいんですけど。


「でも、魔道士さんたちにはちょっと懐かしいかもね。ルーウィリアさんと、ファーガウスくん、魔道士さんだよね」

 名前を呼ばれた魔道士二人は、キラキラとした目を向けて元気よくお返事します。

 だ、ダメですよ? そんな目で見たって、親鳥の口から餌が出てくるわけじゃないですから。

 あの、でも……、もしも出していただけるというなら、それはぜひともオレにください!


「でもここに来た以上、騎士さんでも書物に触れる機会は多くなります。これからわかってくると思うけど、第4部隊はけっこう何でもやるから。だからちゃんと、この書庫を使いこなしてくださいね」

「えーっ、使いこなすって言っても、こんないっぱいだと探すのムリっすよ!」

 先ほど名前を呼ばれたファーガウスくんが、調子に乗って先輩に気安く言葉を返します。


「うん、ここの書棚は分野別になっていて、そこに配置が書いてあるんだけど……」

 先輩の細い指が示した先に、書庫の見取り図が貼ってありました。そのずらりと連なる書棚の列には、細かな文字で書物の分野がびっしりと記されています。


 でも、と続けた先輩は、またも優しい微笑みを浮かべ、

「最初のうちは覚えられないだろうし、探すの大変だと思うから手伝うよ。わたしはルーウィリアさんと同じ、K小隊にいるから、気軽に聞きに来てください」

 先輩がそうおっしゃったのは、小隊ごとに部屋が分かれているからです。

 第4部隊の隊員は3つの小隊に編成されており、デスクワークの部屋は小隊別、任務などの際も小隊単位で動くことが多いそうです。


 そしてここで……悲報です。

 エイミリア先輩は、K小隊の先輩魔道士。一方オレは、F小隊の新米騎士。

 何なんでしょう、この、トコトンすれ違う運命、みたいなやつは……。うぅ。

 いいえ! こんなことではくじけませんよ。障害が多いほど、燃え上がるというではありませんか!


「もしかして先輩、どこに何があるか覚えていらっしゃるんですか?」

「全部じゃないけど、大体はわかるかな。ハンナさんは何か気になる本ある?」

 質問をしたのは、ハンナさんという騎士でした。

 無難なところと思ったのか、ハンナさんは治癒魔法の魔導書の場所を尋ねました。すると先輩は書棚の森の中を、迷わずそこへと案内してくださったうえで、

「でも基本的な魔術だったら、直接教えてもらうほうがわかりやすいかもね。同じ小隊の魔道士にでも聞いてみるといいよ。ハンナさんだったらQ小隊だから、カーリアとか」


 ちなみにこの、FとかKとかQとかいう小隊の呼び名は、最初にこの3小隊編成になった時の小隊長のイニシャルから来ているそうです。オレもさっき仕入れたばかりの、蛇足情報でした。


「他に質問はある? 本の場所でも、書庫の使い方でも、何でもいいよ」

「ハイハイ! じゃあ、エッチな本とかってどこにあるんですか!?」

 調子に乗りすぎたファーガウスくんが手をあげながら、高潔な天使の前で思いっきり下劣な質問をかましました。なんてことを聞いとるんですか!


 ところが先輩はさらりと笑い流して、

「そういうのは第4部隊の中だと……」

 え、あるんですか!?

「ファーガウスくんの机の、上から2つ目の引き出しあたりじゃないかな?」

「ええっ!? な、何でわかったんすか。あっ、もしかしてそれ、探索魔法ってやつですか!?」

「さあ、何ででしょう」

 ああっ、天使の微笑み! こっちにもください。


「じゃあ、他に聞きたいことはありますか? ……えっと、コーディアスくんは、大丈夫?」

 ……えっ、本当にこっちに来た!?

 そ、そりゃあ、聞きたいことはいっぱいありますよ。

 先輩、ご趣味は? 先輩、お休みの日は、何をされていますか? 夜お休みになるときは、何を着用されていますか!?

「……あ、はい、大丈夫です」

 ええ、聞きませんとも。聞けませんとも、もちろん。


「それじゃあ最後に、第二書庫について簡単に説明しておきますね」

 冷や汗に溺れそうなオレの前を横切って、先輩は書庫の奥にひっそりと佇む扉のもとへと皆を導かれました。


「この先は第二書庫といって、貴重な書物を保管しているから鍵がかかっています。研修の間に入ることはほとんどないと思うけど、危険な書物もあるということだけ覚えておいてください」

「えっ、危険な本ってどんなのですか?」

「読んだらヤバいことになるやつ?」

「本が噛みついてくるとか!?」

「本の中に吸い込まれて、別の世界に行っちゃう?」

 え、いつの間にみんなそんなに打ち解けちゃってるんですか!? オ、オレも何か言わなきゃ!?

 ええっと……、先輩の全てがわかる本? うわ、それいろんな意味で危険すぎます!


「そういうのじゃないけど……。まあ、開けたら呪われるくらいはあるから、下手に近づかないことをオススメします」

 爽やかな笑顔で物騒なことをのたまって、新入隊員たちの間に動揺が広がったのは言うまでもありません。


 最後に先輩は、入口近くの広いテーブルに我々を座らせて、

「では、この次は武器庫の説明ですね。担当の者が来るまで、ここでしばらく待っていてください。お手洗いに行くならこの廊下をまっすぐ行った突き当り。あと、さっきいた休憩室でお茶とか飲んできてもいいですよ。廊下を右ね」

 不案内な新人たちのために休憩のことまで説明してくださって、それから颯爽とローブをひるがえして去ってしまわれました。

 ああ、これでもうお終いですか。もう少し先輩とお話ししていたかったです。


 いや、お話といっても何をお話ししたらいいのかわからないですけど。じゃあせめて先輩の美しいお姿を、もっとじっくりこの目に焼き付けておくんでした。

 でもまあ、これからですよ。これから。

 なんといっても、オレはついに先輩と同じスティングス第4部隊に入隊したのです! チャンスはこれからいくらでも……まあ、所属小隊は違いますけどね。おまけに騎士と魔道士という、接点最小限な感じのやつですけどね。

 くっ……、めげるな、オレ。



 さて天使が去っていくぶん暗くなった書庫の中では、知り合ったばかりの新人同士がコミュニケーションを図ります。

「ねえ、今の人、きれいな人だったね」

「うん、背も高くてスッとしてて。なんかクールビューティ、って感じ!」

「いいなあ。大人の女の人って感じだよね。ルーウィリアさん、同じ小隊で、しかも同じ魔道士でしょ? なんかちょっと羨ましいな」

「あ、わたし、『ルイリ』でいいよ」

「ホント? じゃあ、あたしのこともハンナって呼んでね。……あ、ごめん、あたし今のうちにトイレ行きたい! 廊下まっすぐって言ってたよね?」

「あ、わたしも行く!」

 そうして少しずつ距離を詰めていく感じ、なんか、微笑ましいですよね。


 一方、残された男子のほうでも。

 オレの中ではすでにお調子者認定を受けているファーガウスくんが、早速ありきたりな話題を振ってくれました。

 新人同士が打ち解けるための話題トップ3といえば、名前、出身、それから、

「なあなあ、二人はなんで魔獣討伐団スティングスに入ったの? 近衛兵団とかじゃなくってさ」


 彼の言う『近衛兵団』とは、もともとは王家直属の護衛部隊でしたが、現在のわが王国においては王都の警備や要人護衛、国境警備などなど、軍事全般を司る部隊の総称となっています。

 簡単に言えば、対人戦闘をやるのが近衛兵団、対魔獣ならスティングスということです。相手が魔獣か人間かでは、戦い方が全然違いますからね。

 相手がゴーストならゴーストバスターズ、宇宙人なら黒ずくめの人たちになるのと、同じ原理です。


 ところで近衛兵団の真価が発揮されるのは何といっても諸外国との戦闘なんですけれども、わが王国が近隣諸国と同盟を結んで久しく、

「そりゃ、近衛兵団なんてほとんどお飾りだし。貴族のボンボンか、戦闘のできない落ちこぼれが行くとこじゃない?」

 というカイルくんの認識が、最近の騎士・魔道士の間ではわりと一般化してきているのでした。


「あー、そっか。じゃあさ、なんで戦闘部隊の第2部隊とか第3部隊じゃなくて、第4部隊にしたわけ? あ、ちなみにオレは攻撃魔法とかからっきしだから、戦闘部隊とかムリ! って思ってココ来たんだけどさ」

「え……、いや、それは……。なあ……?」


 ファーガウスくんの無邪気な眼差しから逃れるように、こちらに助けを求めてくるカイルくん。

 これも一般的な認識として、スティングスの中でも戦闘部隊に入るには戦闘能力の足りない騎士や魔道士が、支援部隊である第4部隊に流れる、というケースは多々あるらしく、カイルくんもおそらくそのクチなのでしょう。


 そんなことお構いなしのファーガウスくんはキラキラした顔をぐるんとこちらへ向けて、

「だってさぁ、やっぱ戦闘部隊が花形じゃん! なあ、コーディ?」

 おおっと? いきなりグンと距離が縮んだ気がします。


「まあ、そうだけど、オレの場合は……」

 オレの場合は、もちろんエイミリア先輩がいらっしゃるから!

 ……と言いたいところではありますが。

「戦闘部隊だと、騎士はほとんど戦闘だけしかしないけど、支援部隊なら他の業務もあるし、一応魔獣との戦闘もあるみたいだし。そっちのほうが、いろいろ経験できて研修にはいいかなと思って」


「へぇ……。コーディアスくん、なんか、すごいな。……あ、でも、ココで二年の研修を終えてから、戦闘部隊に転属希望するってのもアリだよね? 僕それ狙ってみようかなぁ」

「おー! それイイじゃん、カイルン! 支援業務もできる戦闘部隊員って、なんかカッコイイじゃん!」

 やっぱり戦闘部隊に入りたかったらしいカイルくんは、ファーガウスくんにおだてられ、未来に希望の光を見出したようです。

 まあ、この時点ではまだオレたちは、第4部隊の多岐にわたる業務の過酷さを、わかってはいなかったんですけどね。


 さらに言うならばこの時のオレは、ずっと憧れていた天使の微笑みを間近で拝見できることに、すっかり満足してしまって。自分がまだ半分よそ者だということに、全く気付いてなかったのです。

 オレは天使を追ってここまで来たけれど、それは何も、目的地にたどり着いたわけではなかった。むしろ、ようやくスタート地点に立ったと思うべきだったのでしょう。


 間近と思った距離はまだまだ遠く、オレが見た天使の微笑みは、ほんの一面でしかなかったのです。


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