白無垢の死神
水原麻以
阪神大震災実話
これは震度7の直撃を体験した叔父から聞いた実話である。
岡田健斗(仮名)は母方の叔父にあたる。機械製造メーカー勤務で実家の隣に住んでいた。
彼は定年退職した父親と病んだ母に結婚を促されていた。そこで彼は多忙を理由に会社で寝泊まりした。
そんな彼も整理対象になっていたらしく、ゾンビのような足取りで帰宅するところを何度か見かけた。顔は落ちくぼんで土気色をしていて、表情は悲壮だった。
震災前年の暮れに彼は父に仕事の紹介を頼んだ。父は断り切れず「洋菓子業界でよければ」と念押しした。
正直言って消極的な未経験者を誰も欲しがらない。それに死気を背負っている。
幼かった私の目にもやる気というよりも死気が勝っているように見えた。私は生まれつきの巫女体質であり、物心ついた頃から不定形な物体が見えた。
もちろん、それらがこの世のものでないことは大人たちの反応から学んでいた。だから、なるべく不気味な生物のことは黙っていた。
それでも、思わず他人の死期を口走ってしまうことがあり、たとえばテレビで誘拐事件のニュースを見ているはたから「この子、もう死んじゃってるね」とかポロっと言ってしまう。
すると、たいてい悲劇的な結末を迎える。
「あのおっちゃん、明日、死にそうな顔して来るよ」と何気にいうと、母親に叱られた。
「あやこっ、余計な事いわんとき」
翌日、スタジオで撮ったらしい顔写真を持ってきた。
顔はやつれ、伏し目がちで、視線がカメラのレンズから外れている。こんなもの見せられる面接官もたまったもんじゃないだろう。
さすがに見かねた父が叔父を一括した。
「こんな写真、通用すると思っているのか?!」
すると、彼は泣き言を言った。
写真屋全体がお通夜ムードだったという。従業員に生気がなく、撮影中も天井や柱に得体の知れない悲しみがほとばしっていて笑顔は無理だった。
それでもも父は奔走したようだ。
元旦を迎えた岡田家では結婚を巡って父子が殴り合った。叔父はそれを深刻に受け止めたようだ。
彼は元日のトラブルは一年続くというジンクスを持つ。「今年で世界は終わるぞ」と青ざめていた。
正月の七日。ここから事件が動き始める。そして彼は鬱になった。彼は世界の破滅を願った。
「成人の日を含む三連休の間に英気を養って心機一転するように」
事実上の退職勧告である。彼は怖れていた。うちの父が確保した求人は営業職で叔父にとって未知の世界だ。
「仕事は辞めたくない。だけど会社は潰れて欲しい。そうすれば不可抗力だったという名分がうまれるからだ」
叔父はそんなことを真剣に考えていたらしい。
週末を迎えた金曜日。いつものように転職の相談にやってきた彼は、私にこんなことを囁いた。
「成人の日に地震が来るかもしれへんなあ。いや、来たらええのになあ」
私はさもありなんと納得した。この時期になると彼が引きずっている負のオーラは臨界に達しており、真っ黒な人影らしきものをぞろぞろと引き連れていたからだ。
その日の夜の事だ。健斗氏は例によって父親と結婚をめぐる口論を終えて寝室に戻った。部屋の中には開発中の資料や失敗作が山積している。
これらをどうにか形にして週明けに提出せねばならない。もし失敗すれば、コミュ障にとって死ぬより辛い営業の仕事が待ち受けている。
「この世の終わりだ」と彼は嘆いた。
夜の十時を過ぎたころ。眠い目をこすって図面と格闘していると、ニュース番組が始まった。
聞き流していると、どうもMCの様子が変だ。
「さて、次は気になる地震のニュースです」
新人みたいにソワソワしてる。
その後、短いコメントを述べて次のニュースに移るのだが、彼はアシスタントに泣きそうな顔を向ける。
「僕はどうも胸騒ぎがして仕方が無いんですよ。なにも起きなければいいんですがねえ」
アシスタントは当たり障りのないリアクションでそれを受け流した。
すると、MCはしつこく繰り返した。
「みなさん、どうかくれくれもお気を付けください。本当に何も起きなければいいんですが」
そう締めくくってCMに移った。
「ちょっと、待てや」
叔父は全身に鳥肌が立ったそうだ。偶然のカメラ目線なのかもしれないが、MCはしっかりと叔父の方を向いていたそうだ。
翌日は土曜日だ。健斗氏が気晴らしにパソコン通信をしていると、メールが届いた。
オフ会の誘いだ。相手は神戸三宮のIT企業に勤務する男性で、遊ばないかという内容だった。
ゾンビを撃ち殺すシューティングゲームを会社のネットワークにインストールしたので、徹夜でネトゲしないかという。
当時はおおらかでセキュリティーとか情報漏洩という言葉も一般的でなかったそうだ。
いろいろと煮詰まっていた叔父は二つ返事で了承した。ネトゲそのものが珍しかった時代のシューティングゲームだ。
日はとっぷりと暮れ、否が応でも気分を盛り上げる。
彼は意気揚々とJR六甲道に向かった。
その道すがら、彼は町全体がうっすらとした霧に包まれていることに気づいた。
どこかでゴミを燃やしているのか、刺激臭が鼻につく。自宅を出た時はそうでもなかったが、駅までの10分の道のりを歩く間にどんどん霧が深まる。
やがて、もうもうと白い煙がたちこめて、数歩先が見えないほどになった。それなのに街ゆく人々は平然としている。
「うわっ、やばいやんけ。もしかして、これ、お香?」
彼は尋常ならざるものを感じたという。芳香というよりも、火葬場の煙。
いや、もっと近いものを挙げれば、遺体から抜け出る霊魂。エクトプラズムが噴火口から湧きだすように充満していたという。
叔父が改札をくぐって六甲道駅のホームに立つ。高架から見下ろす街は白い雲に沈んでいた。
このホームは数日後に崩壊することになる。
彼は三宮駅につくなり、電話で友人に迎えを頼んだ。
「どないしたんや? 死にそうな顔をして」
友人は健斗氏を気遣ったが、「何でもない」と言葉を濁したようだ。
無事にオフィスにつくと、ゲームに没頭したという。
寝食を忘れるほどゾンビを撃ち続け、気づくと陽が真上に昇っていた。
「そろそろ同僚が休日出勤してくる」と言われて叔父はビルを後にした。
そして、外に出るなり立ちすくんだ。
地面がバキバキにひび割れて、突っ伏した人々を垣間見たそうだ。
「いや、さすがにゲームをやりすぎた」
健斗氏はかぶりを振りながら家路についた。仮眠をとったあと、彼はログインした。
すると、掲示板にこんなメッセージがあった。
兵庫県警が独自のパソコン通信ホスト(今で言うローカルサーバー)を立ち上げたという。
アクセスすると奇妙な投稿があった。
”さっき微震がありました。これは大地震の余震かもね”
叔父は慌ててパソコンを閉じた。
あまりにも偶然が重なり過ぎている。それより火曜日までに完成させねばならない。猶予はあと一日だ。彼は仕事に専念することにした。
その日の午後7時半すぎ、玄関から父親の怒号がした。
大人しい筈の飼い犬が地面に頭をこすりつけて悲しそうに遠吠えをする。すると近所の犬も騒ぎ出した。葬送曲を歌うようだ。
「勝手にせい」
父親は寝室に引っ込んだ。
「これって、動物本能ちゃうんか?!」
健斗氏は怖くて炬燵に潜り込んだ。
この様子では、地震は確実に襲って来る。それがいつ起こるかが問題だ。
もう仕事の成果などどうでもよかった。炬燵に首まで浸かって夜明けを待つ。
外が明るくなれば広くて安全な場所に避難できるだろう。
そう判断した。
すると、いきなりどこかから声が聞こえてきた。
「そんなところで寝ると死んじゃうよぉ」
甲高い子供の声だ。性別や年齢は判らない。
「そこで寝ると死んでしまうよ。いいの?」
叔父はぶるぶるとかぶりを振った。
これは幻聴だ。疲労と不安が自分の心に弱音を吐かせているのだ。そう考えて、無視することにした。
その瞬間、あり得ないことが起きた。
彼の枕元にドライアイスのような蒸気が噴出したのだ。
雪のように真っ白なジェットに小麦粉を被ったような人面が浮かび上がる。
あどけない顔がきっぱりと言い放った。
「ほんとうに、死にたいの?」
叔父は一目散に逃げだした。寝室の奥にベッドがある。そこは本棚や家具が崩れる恐れのない安全地帯だ。
「うわーーーーつ!」
頭から布団をかぶり、ぶるぶると震える。
すると毛布の中に青白い炎が灯った。そこにもモヤモヤした人影がゆらめいている。
「窓をあけてごらん。おおぜい、死ぬよぉ」
もちろん、彼は全力で拒否した。
「いやだ、いやだ、いやだ」
ところが、意に反して彼は身を起こした。勝手に手足が動いてサッシを開ける。
表通りにはあちこちから煙がふきあがっていた。その一本一本が一反木綿のようにゆらりゆらりと蠢く。
一つ一つに顔がある。ムンクの叫びが林立している。
悲鳴をあげて窓から後ずさると、天井がバリンと割れた。
直径3メートルほどの大穴があいて、真っ暗な空間から雪のようなものが降ってくる。
それは白装束の集団だった。オオクニヌシノカミそっくりの姿をしていて、頭から白いフードを被っている。
そこからガイコツが覗いている。彼らは白い袋を背負っており、片手に鎌を持っている
震えながら様子をうかがっていると、こちらには目をくれず、ひたすら何かを刈り取るしぐさをしている。
一段落したあと、白装束の一人がこんな不気味な予言を残した。
「まだ半分残っている。また、来る」
そうして天井の穴に戻っていった。窓の外を見ると、ムンクの叫びは一つ残らず消えていた。
あれは一体…
その後、新潟地震、中越地震、そして東日本大震災が起き、熊本が被災し、西日本に豪雨が降り…
白無垢の死神 水原麻以 @maimizuhara
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます