貧乏育ち、夢を見る

夏野資基

貧乏育ち、夢を見る

 貧乏は不幸だ。

 欲しいマンガは買えないし、ゲームだって遊べない。

「じゃあ今日は洗濯物も、お願いね!」

「……はぁーい」

 いつもどおり慌ただしく家を出ていく母を見送って、小学五年生の僕は溜息を吐く。僕しか残ってない家には、洗濯機がグルグルと回転するうるさい音が響いていた。

 晴れの日は、嫌いだ。洗濯物を干さなきゃいけないから。


 僕は洗濯物のたくさん入ったカゴを抱えて、ベランダに出る。空気が冷たくて、吐く息が白くなる。3月になったとはいえ、朝はまだちょっと寒い。僕は皿洗いであかぎれ気味の手をさすりつつ、洗濯物を干し始める。今日はいつもより洗濯物が多いから、急いで干さないと学校に遅れてしまう。

 黙々と洗濯物を干していると、ベランダの近くの道を、同じ小学校の奴らが通り過ぎていくのが見えた。僕はそいつらをベランダから見下ろす。ゲームを遅くまでやってて寝坊したとか、今日の朝ごはんが美味しかったとか。そんな感じの話を楽しそうにしていた。

 ああいう奴らはきっと、親や電化製品が家事をやってくれるんだろうな。そう思うと、うんざりする。

 うんざりするほど、羨ましかった。

 正直な話、僕は家事が大嫌いだ。だって面倒くさい。なんで僕がこんなことをしなきゃいけないんだって、ずっと思っている。

 でも、僕の家は貧乏だから。乾燥機も食洗器も買えないから。朝はやくから夜おそくまで働いてくれている母さんと、僕しか居ないから。そういうわけで、僕はいつも家事に追われている。

 大嫌いな家事をやっていると、どうして僕の家は貧乏なんだろう、と考えてしまう。でも、考えたって意味なんか無い。貧乏は貧乏。受け入れて生きていくしかないのだ。

 僕は洗濯カゴから、母さんの服を引っ張り出す。すると、服の中から、きらり。光るなにかが転がり落ちてきた。咄嗟に掴んだそれに、僕は目を向ける。

 透明で不思議な色をした、小さな石のかけらだった。

 かけらを指でつまんで、太陽にかざしてみる。そうすると、太陽の光が透明な石の中で反射して、赤、青、黄、緑、紫。たくさんの色の光となって、僕に降ってきた。思わず、見とれてしまう。綺麗だった。こんなに綺麗なものは、生まれて初めて見た。

 こんなに綺麗なのだから、きっと宝石に違いない。母さんの服から転がり落ちてきたのだから、きっと母さんのものだろう。

 母さん、こんな綺麗な宝石を持ってたんだ。

 そう思った途端、ずるい、と思った。

 ずるい。ずるい。なんで母さんはこんなものを持っているんだ。僕にはマンガもゲームも買ってくれないくせに。うちは貧乏だから我慢してねって、いつも僕に言ってくるくせに。

 僕は我慢してきた。ずっと。ずっとだ。大嫌いな家事も我慢してきたし、面白そうなマンガも我慢してきたし、面白そうなゲームも我慢してきた。ずっと、ずうっと、ずうーっとだ。それなのに。

 ひどい裏切りだと思った。母さんが僕のために我慢して働いてくれてるんだから、僕も母さんのために我慢して家事をする。そういう決まりだったのに。

 母さんだけ、こんな綺麗な宝石を持っているなんて。

 ──許せない。

 僕は宝石を掴み、思い切り振りかぶる。こんなもの、どこかへ飛んでいってしまえ。僕を裏切った母さんへの罰だ。ざまあみろ。

 野球のクラブでピッチャーをやっている友達のように、腕をしならせて、投げ──。

「待って待って投げないでぇ!?」

 ──投げようとして、びっくりして止めてしまった。

 え、いま、声が。

 宝石から、女の人の声が、聞こえた。

 握っていた手を開いて、宝石を見る。すると、宝石がちかちかと光っていた。

「あー驚いた。危うく謎の全力ピッチングに巻き込まれるところだった。最近の子って物騒。お姉さん怖い」

「石が……喋った……」

「石じゃない。私は魔神。マ・ジ・ン。魔法が使える神様」

「魔神」

「そうそう。世界を滅ぼせちゃうくらい強い、とってもすごーい無敵の神様だよ」

 宝石が、喋ってる。喋る宝石なんて聞いたことがない。しかも、魔神。魔法が使える神様って。まるで友達がやってたスマホゲームの世界じゃないか。

 ……ゲームの世界?

 なら、僕の答えはこうだ。

「嘘つけ」

「ええー!? そこは目をキラキラさせて『本当?』って言うところでしょ……」

 最近の子って夢が無いのね……とぼやく宝石を無視して、僕は洗濯物干しを再開する。

 ここはゲームの世界じゃない。現実だ。魔法も神様も存在しない、ただの現実。そんな現実に、夢なんか持てるわけがない。

 だってそんなものがあるなら、僕の家は貧乏じゃないし、僕は家事なんかやってない。そうでしょ?

 どうせこの宝石も、よく出来たオモチャみたいなものだろう。あーあ、時間を無駄にした。そう考えると、大嫌いな洗濯物干しも相まって、ものすごくイライラしてきた。

 そんな僕なんか気にせず、宝石は軽い調子で喋り続ける。

「ねえキミ。私と契約しない?」

「契約?」

 宝石がまた変なことを言い出した。契約? そういえば、友達の家で観たアニメに、そんな感じの話があったような。悪魔と契約した主人公が、酷い目に遭うやつ。

「そう。キミはこれから私をある場所へ連れて行く。そうしたらご褒美に、ばばーん! 私がキミの願いを魔法でなんでも一つ叶えてあげる! どう? 良いでしょ」

 こいつ朝からテンション高いな……と思いつつ、僕は投げやりに答える。

「やだ」

「ええっ!? なんでもだよ!? なんでも願いを叶えてあげるのに!?」

「だってオマエうさんくさいし」

「うさんくさい!?」

「それに僕は忙しいんだよ。今も洗濯物を干さなきゃいけないし。この後は学校にも行かなきゃいけないし」

「洗濯物……学校……? そんなものに……私が負ける……?」

 人間たちに畏れ敬われるこの私が? ありえない……となんだかショックを受けている宝石を再び無視して、僕は洗濯物を干し続ける。嘘っぱちに付き合えるのは馬鹿と暇人だけだ。

 ていうか、いま何時だろう。ベランダの近くの道には、同じ学校の奴らの姿はない。相当時間がやばい気がする。早く学校に行かなければ。

「……洗濯物なんてさ、乾けば良いんでしょ?」

「え? まあそうだけど……」

 僕がそう言うと、さっきまで何かブツブツ喋ってた宝石が一瞬、強く輝いた。

 途端に、僕の家の洗濯物も、なぜか輝きだして。

 全部の洗濯物が、ベランダの上空へ勢いよく飛び出していった。

 え。ちょっ、ちょっと。なに。なんだ。何が起きてるんだ。

 混乱している僕を置いてけぼりにして、上空では洗濯物たちが集まって、物凄いスピードでグルグルと回転しはじめる。うねるように飛び回る洗濯物たちを見ていると、遠足で水族館に行ったときに見た、小さな魚の群れを思い出した。

「もういいかな?」

 そう言うと宝石が、また強く輝いた。

 すると、さっきまで空中で回転していた洗濯物たちがピタリと動きを止めて、今度は物凄いスピードで僕の家へ帰ってきた。ベランダの窓を通り抜け、床にどんどん積み上がっていく洗濯物たちを、僕はただ見ていることしかできなかった。

「触ってみなよ」

 自信たっぷりに宝石が言うので、僕は洗濯物のひとつに、おそるおそる触れてみる。

 ──乾いてる。

 ほかの洗濯物も触れてみる。全部、ぜんぶ乾いてる。なんだこれ。なんだこれ。

 まるで、魔法みたいじゃないか。

「あとは学校に連れてけば、キミは忙しくなくなるよね?」

 得意げに問いかけてくる宝石を見て、僕の頭に、ある考えが過ぎる。

 もしかして、こいつ。

 ──本当に、魔神?

 こんな都合の良い話なんか有るわけない。こんな上手い話を持ってくるのなんて、詐欺師か悪魔だろう。僕を騙して良いように利用したいだけだ。

 そう、思っていたのに。

 気づいたら僕は、魔神に問いかけていた。

「……願いって、本当になんでも叶えてくれるの?」

「もちろん。私は無敵だからね」

 貧乏は不幸だ。

 欲しいマンガは買えないし、ゲームだって遊べない。

 受け入れて生きていくしかない、どうにもならない問題だ。

「貧乏……って、どうにかなる?」

「貧乏? お金さえあれば解決でしょ。どうにでもなるじゃん」

 どうにもならない問題。だったけど。

「……じゃあ、」

 本当は、そうじゃないかもしれない。


(了)

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