Scene 2012. America

 名も無き女子中学生のお礼の手紙は、YAMAKIの木目調アップライトピアノのSwan Lakeを、被災地にピアノの音を響かせる倶楽部を寄贈した、その2011年のクリスマス前に届いた。篤志の良好な関係を考えたら素性は知らない方が良策だ。

 Dear Masterから始まる、手作りハンコによる細身の黒リボンタイのワンポイントの便箋に書かれた5枚は、筆致は軽快さも内容は無情しかなかった。

 堪えて書いたに違いない、達筆な文章の最後の下り前で、落涙でインクが滲んでいた。それは俺もほぼ同じ場所に涙が落ちた。千代子には、桜子にも見せるべきか深夜迄相談したが、無残な直接的な表現が無いから見せるべきの結論に達した。

 桜子に手渡す際にこう添えた。人間は何れ死ぬ。だが東日本大震災では、皆が深い祈りを捧げたから、欠ける事なく天国に行ったとは伝えた。読み終えた桜子はどうしても嗚咽したが、それからは階段を一つ登った少女になって行った。

 俺はと言えば、寄贈したSwan Lakeを気にもなっていたので、被災地にピアノの音を響かせる倶楽部のサイトに行って、設置報告をスクロールしてみたが、調整され何処かに送られたYAMAKIのアップライトピアノの、何れかの一台なのかの推測しか出来なかった。

 それもよく考えれば、そうだろうだ。避難先の仮設住宅に、麗しいSwan Lakeがあったら何かと物騒だろう。万が一の、強盗の類の配慮を考えたらそうにもなる。

 何よりはだ。手紙の内容は切実な被災地の現実であっても、仙台の仮設住宅でご機嫌に弾き倒していますと力説されては、全てにおいてタフな少女なのかと、幾度も読み返す程に救われている。


 🎵


 2012年7月14日・15日、土日両日に、俺達は奇縁で幕張メッセのバックルームのコーヒーの給仕をする事になった。

 コンサートは、東日本大震災復興のチャリティーコンサート「West Side Story Gala Concert」。発起人は伊達記念交響楽団の、指揮者伊達美樹とコンマス伊達公正の双子の音楽家。その伊達記念交響楽団と、ブロードウェイのユニバースユニオン事篤志のミュージカル俳優が共同で、あのウエストサイドストーリーを、演者240名で提供するという、世界最大規模のコンサートとあって沸き立った。

 俺が、そんな名誉なチャリティーコンサートに携われる経緯はこうだ。


 俺は折々で、東日本大震災のボランティアとして、被災地の各地で自家製コーヒーを持ち出し炊き出しを行った。美味しい。ありがとうございます。俺は自信家ではないが、家業が3代も続くと、それはどうして醸し出される技術はあるので、束の間でもきっと笑顔になってくれる自信はあった。

 そんな2011年冬、石巻市での出来事。避難所センターには、家も家族も失った方々と共に、自衛隊員、作業員、ボランティアの出入りは多くある。

 その中でも、長身大柄で50代後半の作業服の男性が、もう一杯、もう一杯と粘るので、怪訝に思い話しかけた。余りに美味しいので、ここ宮城で、この味で店を開きたいので御指南頂きたい頭を下げる。そういう提携話は良く持ちかけられるので、一からでは大変でしょうから、こちらで焙煎したコーヒー袋お送りしますと、話は弾んだ。

 ただその後。その長身大柄の男性が、伊達記念交響楽団の理事長伊達総名と知る。総名さんは、仙台市の財団ビルの1階ラウンジフロアに、韋駄天カフェを開き好評を得る。そして総名さんは、折々に被災地に出張して、好評を連ねているらしい。仕事を奪って悪いですね。いいえ、支援はし続けるべきですと、俺達は都度ガッチリ握手をする。


 つまり。伊達記念交響楽団の理事長伊達総名と昵懇の仲になったので、東日本大震災復興のチャリティーコンサート「West Side Story Gala Concert」のバックヤード550名の給仕をお願い出来ないかの直指名を受ける。フェスに行くとままある人数だし、断る理由は無いので、セルフ有りきで承諾はした。

 公演前後5日間は、全家族に親友派閥総動員で対応して、皆から、美味しい、deliciousの賛辞を貰う。そして海外の方も、Come to New York。No,No。その焙煎コーヒーによる、融和の雰囲気によって、公演に向かって上がり調子になる


 公演中、俺はちょっと抜け出して、舞台袖に上がらせて貰った。指揮者伊達美樹は、相当な人気マイスターだとCDを聴く度に思っていたが、その指揮棒の鋭角さが、ロックかで各楽器の尖りが凄まじい。加えて打楽器のピッチ加減が絶妙で埋もれもせず、観客に突き刺す。当たりだ。観客席で見たかった。いや、爆音が側にある舞台袖こそ貴重な体験だ。

 中でも、ウエストサイドストーリー雄曲「West Side Story - America」。ララララーラーララ、アメリカ、のフレーズは、知れず観客も声を上げ始め、大合唱となる。

 盛り上がってるな、いや何故合唱、いやリハでここまで長かったかなと思ったら、指揮台を見ると伊達美樹は観客の方を向き、指揮棒を振る。無謀だ、相手は一般人だぞ。ノリが良すぎて失敗するありがちな例だが、そこは伊達美樹の女性ながらの豪胆さで引き込んでしまう。伊達美樹がAll right!と叫びオケピットに振り返ると、オーケストラの音量が2倍になったかの錯覚を起こす。

 これは伊達美樹の魔術で、楽器の特質を瞬時に読み込み、細かい指揮を個別に送る。そう、聴き込むと音が被らず、聞いた事もない重厚さを見せる。

 Amazing。ミュージカル俳優が、舞台でつい後ろを振り向いた時に唇が動いた言葉だ。それはそうだ、世界一の俳優がここで押され負けたら失職しかねない状況に追い込まれている。

 当然残らず俳優全員が大奮起し、ガラは大盛況を博し、スタンディンググオベーションはエンドレス。そして、アンコールは2回に、大集合のカーテンコールは2回行われる。

 そのMCの中で、理性的コンマス伊達公正が被災地の状況を丁寧に語る。物資と心配り、より大きな支援を被災地は求めていますで、万来の拍手を受けた。そしてしめやかに「West Side Story Gala Concert」終演を告げる音楽が流れた。


 かくして、東日本大震災復興のチャリティーコンサート「West Side Story Gala Concert」の公演評は出揃った。復興への階は華々しくあるべき。こんな公演、世界に中心地ニューヨークでも聞けはしないが連なる。

 それを受けて、当のニューヨークメディアはそんな事あるかだが、1/10の迫力しか無い資料映像であっても、No way! とそのまま横倒れになるニュースコントが、世界中の爆笑を誘う。


 その後、韋駄天カフェのすっかりマスターを気に入った伊達総名さんと顔を合わせると。


「ニューヨークに、乗り込まないんですか」

「師匠、そこには凄いサプライズがあるんですよ」

「言えないんですか、」

「ええ、あまり早く言うと、気持ちが昂るだけですからね」


 まあ、伊達総名さんは唐突なストレンジャーだから、それなりに覚えておく事にした。


 🎵


 そして2012年師走。都内はぼんやりとした平穏が戻りつつある。新生大江珈琲館は軌道に乗ったと思う。改装設計段階であいつらが乗り込んできては、結果外資系コーヒーチェーン店の二番煎じかと溜め息が混じったが、痺れを切らした千代子が敷居はなんとしても低くして次の店主に引き継ぐならそうしましょうに、プランは進んで行く筈だった。


 筈は母彩子さんの猛烈な説教だった。呼ばれたのは、総責任者の俺、デザイン監修の嫁千代子、新規デザートレシピを提供したトリオ天元の指宿建生、全調度品を調達しているトリオ天元の岡崎丈紘、タンブラー包装全般を調達する祖母文世さん筋の遠戚久遠寺遥の五人が一列に長時間正座の説教になる。

 そもそも美味しいコーヒーをタンブラーで飲むなんて珈琲名店じゃないでしょう、器も合わせて愛でるものですと。そこは東日本大震災で棚から落ちてほぼ割れましたから名器を窯にお願いするのは経費が嵩みますと只管宥めた。

 そして決まって彩子さんは、この改装後の小洒落た雰囲気はお馴染みさんが入り難いでしょう、どこの高級サロンなのと怒り心頭に。そこで業者さん、ああ遠戚久遠寺遥の事になるが、手短かに言うと若さに任せて何かと合コンを持ってくるので愛称で業者さんと呼ばれる。この遥がいなかったら、もっとも女性に疎いトリオ天元が婚姻する事もなかったから感謝している。

 まあ遥は老舗文具店室伏屋の総合職から。口が滅法達者で被せに被せて来る。決め台詞はこうだ。彩子さんも若い頃はナウでヤングなウーマンだったんでしょう、若人の気持ちは人三倍分かる筈ですよねと。

 何かと母彩子さんに毎回召集され、尚も大説教は続く。ただそうしてる内に大江珈琲館の大改装が完了し、いの一番のお客さんとして彩子さんをご招待したら、思いの外に満足した様だ。何よりいつの間にか、入り口奥は彩子さん用の予約席になってるのはどうかなもある。

 彩子さんは、お洒落度合いが日増しにエスカレートする。70年代アメリカのフォークロア志向に落ち着いた頃から、来店客の乱高下も安定し、流行女子のドレスコードも、今やアメリカのフォークロア志向で華やかになる。千代子は、そこまでオールドファッションに拘って無いのだけど、と言いながら神田古書店街に足繁く通っては、店内雑誌書棚用のアメリカのグラフ紙を調達して来る。


 流行加減が先走っているが、大江珈琲館の改装後は耐震補強は勿論、半透明の焙煎工房を内接し、コーヒー見て楽しみ満喫出来るコンセプトになっている。その結果、新たな東陽町スタイルになったと良識的なコラムが日々上がる。都心の数多の珈琲店において、評判が上々は良い事だ

 ただ内情としては、経営は改装前より9割方の売上に止まっている。最寄りの地下鉄東西線の運営上、最終便は東陽町止まりが鉄則で、昔は住む地域迄辿り着けない乗客が多々いた。それが深夜の大江珈琲館に流れて来ては繁盛していた。そう売上が止まっているのは、東日本大震災を境に、残業阻止の会社が有り難く増えた為に、深夜の3回戦目は全く繁盛していない。故に家族経営だし、深夜営業の幕を降ろした。

 しかし上がり坂は暫しのちに来た。見栄え豊かな大江珈琲館が、新橋テレビの土曜22時ドラマ青春群像劇「気まぐれインプレッション」の、ドラマ上の待ち合わせ場所に使われては、平均視聴率21.1%と好評で完結した。

 そして、聖地巡礼とやらで、何かとメディアの評判にもなり、まあ雰囲気そのままニューヨーク9番街なら、新生大江珈琲館も賑わいもしようか。


 🎵


 2013年3月の早桜の頃。忘れた頃に堅物ハンサムの客人が大江珈琲館に訪問した。

 これは遡ること8ヶ月前。伊達記念交響楽団の理事長伊達総名の招待メールで、あの被災地にピアノの音を響かせる倶楽部が主催幹事で、野外クラシックフェス「Sanctus Festival」のショップ募集しているので是非参加してほしい打診を貰った。そういえばサプライズと言ってたけど、これなのかと得心した。

 そのURL先のショップ募集の申し込みフォームには、大江珈琲館52年の歴史と顧客満足度を掻い摘んで書いては申し込んではいた。ただ返信メールでは厳正審査を行いますので暫しお持ち下さいの一般的事務返事で、そう音沙汰無しだから、ご縁無しかですっかり忘れ去っていた。

 そう、目の前のどう見ても堅物のハンサムは、被災地にピアノの音を響かせる倶楽部の発起人、調律師三宅ニコラスと名乗る。そして喋りも達者なうちに、ストレートコーヒーを二口含んでは微笑んだ。うちの大江珈琲館の反応は早くもそこからだ。


「スッキリですが、流行りに流されていない。これは、実に味わい深い豆を厳選しているんですね」

「いいえ、そこは焙煎一筋ですよ、見つめて触れて割って嗅いで食む、それで焙煎の道筋が見えます。もっとも祖父と父位になると豆は選びませんからね。まあ店を継承するとなると、俺が焙煎に入るんですけどね。ここの三代目主人はほんの通過点に過ぎません」

「大江さん。このクオリティをそのまま、キッチンカーで出せますか。仙台に訪れる方々にどうしても含んで欲しい芳醇さです」

「出せるかと言われれば、出せます。等々力競技場の川崎プリーズのサッカーホーム戦にはまま呼ばれますから、概ね好評ですしね」

「尚結構です。それでは、宮城スタジアムで一緒に頑張りましょう」


 がっちり握手。いや待てよ。俺は野外クラシックフェスが野球場と聞いて面を食らった。

 クラシック音楽とは、ホールの音響有りきでは無いのものか。そんなの御構い無しに、三宅ニコラス氏の弾丸トークは猛烈に続く。今回のメインスポンサーのITデバイスコンツェルン合天の、無茶の数々は歯噛みを通り越して、俺は堪らずカウンター越しに前のめりになった。そうですよね。だから私はの、ニコラスの憤慨。

 宮城スタジアムをホームグラウンドとする仙台合天ピーコックスは、合天のグループ会社合天ベースボールが経営しているので、仙台では幅を利かせている。

 まず、タダで宮城スタジアム貸し出すから貼り出し広告そのままにします。「Sanctus Festival」の出演者は有名プレイヤーで固めます。今回の収録映像は合天メディアで独占販売します。何かが違う。契約付帯事項が高圧的だ。

 東北は漏れ無く被災地だ。その明るい筈のイベントにゴタゴタがあっては、復興の糧になるのだろうか。それはほぼ言いなりですよね。堪らずそのまま口から漏れてしまったのは俺の本音だ。

 ニコラスは、スタートアップならではの難しさはどうしてもあるので妥結は止む得ません。プレイヤーの選出だけは、極力復興の為にも、被災された演奏者から選出します。オーケストラも、各被災地でより多くの方を癒して尽力している伊達記念交響楽団に一任で振り切りました。確かにそれなら妙分は立つ。伊達家は筋金入りの篤志家だ。そして、この目の前にいるニコラスの佇まいも、数多の苦難を乗り越えた頼もしさがある。

 被災地東北を盛り上げる「Sanctus Festival」。成功以上の何かが起きる予感に、揺るぎなさは、被災地のど真ん中にいて、復興の灯火が見ているからこそ、備わったものだろう。


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