Scene 2023. The Firebird
大きな悲劇は、もう無いと、きっと心の中で思っていた。
そう、2020年から世界中で未知の流行病が蔓延し、罹患、後遺症、重症、死亡と、世界の終焉は緩やかに時間を掛けて終わって行くのだと、切ないものを感じた。
ただその一方で、それどころではないと紛争は一時沈静化し、アメリカの派兵も撤退し、流行病禍の中で、世界はあり得ない平和を迎えていた。しかしそれも、平和である、の実感がまるでない。メディア、インターネット、SNSは私こそが主語で、戦争と平和、それは世界各地の辺境の出来事と認識されていた。
実感の伴わない平和な時間。俺達はそれによりよく気付き、多く共有すべきだったと思う。
2022年2月18日。ロシアがウクライナの領土へ大軍で侵攻した。世界の混沌が始まる。侵攻には諸説有り、何故ウクライナを攻撃するか今も分からない。これは過去の歴史を紐解いても同様で、何故紛争するか、学者以外未だ確たる結論を見出せない。銃を持つ、トリガーを衝動で引く、そして血飛沫が飛ぶ。ここに自責の念はまるで無い。故に、今すぐ紛争を止めろと言われても、それさえも何故だ。背中を見せたら撃たれる。もう引くには引けない。
今すぐ、紛争を止めろ。ロシアは撤退しろ。ウクライナに全ての応援を注ぎ込め。この論調に、銃を置けのロジックはまるで無い。戦い、ロシアを自国領に押し戻す事が、ウクライナの勝利だと語られる。一方的なロシアも如何過ぎるが、紛争に巻き込まれたウクライナの停戦条件が、勝利と来たら、もはや混沌に極みだ。勝利と解放こそが至上は、まだ復興が残っていると言うのに。
銃、引いては武器を持つものが、全てを擲てば、平和の一歩は始まる。誰もが心の奥底で願っている。そんな日が来れば良い。どうしても無茶な平和提案だが、稀代のピアニスト成宮巡は、それを切に訴える。
成宮巡は、今も女川在住のピアニスト兼ピアノ教師で、コンサートにCDもコンスタントに発表し、都度興奮の坩堝を巻きこす。尋常ではない鍵盤の押し込みからの、あり得ない倍音のハイキー。何故ピアノからそんな倍音が出るのかが議論になる。
それは東日本大震災被災支援の、被災地にピアノの音を響かせる倶楽部を通じて、我が家の、選ばれた人間しか弾けないピアノ名器Swan Lakeを弾き倒した末のドリップなのだが。まあ、ここはインタビューで触れられても、中々伝わらない。ピアノにそんなファンタジーがあるのか、実に日本国らしい。そうとは言え、名器Swan Lakeがあるからこそ、成宮巡というヤングマスターは生まれた事は事実だ。
ただこの辺の経緯は、俺の娘大江桜子が、親友となった成宮巡の承諾を経てノンフィクション作品「Your Songs」を書きあげ、キーベロシティセンスが思いの外丁寧に書かれている。ハードカバーの帯には、読む程にあのハイキーが聞こえる。それは確かだろう。親の贔屓目だろうも、「Your Songs」は、杜の都青年文学大賞を受賞したので、俺以上、読者も感銘したのだろうと思う。そして桜子は故あって、来年には大手新聞社の内定を貰った。
成宮巡はピアノを通じて、感性が磨き抜かれて行く。弔いとは何か。どうして、生と死が分離してしまうのか。ウクライナ紛争を通じて、更に成宮巡の思索が辿り着く。兎に角、銃を置きましょう。それを願う為にピースコンサートの立案をする。ただ、それは小娘成宮巡と関係諸兄にあしらわれて行く。
それは平和であった方が、物価はようやく安定し、各国の経済は安定し、見た目平和な世界に戻れる。それが甘い幻想と分かっていても。
その一方で、紛争両勢力に多大な支援を行い、力の行使による早期解決を推進する。至って手っ取り早い平和的解決で、近年の紛争でこれが主流になっているので、またも踏襲しようとする。ただ、相手はロシアで、武器の調達は伝手を通じてほぼ無尽蔵なので、世界はより疲弊する。
そして同じく、傍観者であるのが一番と日和る勢力もいる。最後に美味しい所を持って行くのではなく、戦況の趨勢を見て、手を差し伸べる向きを変える。自国の経済的破綻を回避する。そんな綺麗事をするのが、風見鶏国の振る舞いだ。一番始末が悪いが、外交カードの一枚になるので、今やどの国も肯定も否定を回避する。
故に、成宮巡の武器を捨てよのピースコンサートは、協賛団体各社にとっては、マイナスのイメージを一緒に持たれる。休戦になってもいつかまた火が付くだろう。ただそれはいつかで、休戦である以上、武器では死なない。何が悪い。
ウクライナ紛争から一年で、成宮巡は何を甘い事を。世間の目は厳しく、ベルギーの保険会社の1社以外協賛してくれる所はいない。これでは、出来て成宮巡のソロ、都市圏以外の中ホールでの一日のピースコンサートがやっとだ。
知己の伊達記念交響楽団の伊達総名理事長にも、この不遇について聞く。紛争反対の成宮巡を庇うと、伊達記念交響楽団のワールドツアーも断られる一言が付いてくる、と青い溜め息をつかれる。こちらも楽団員を養っている以上、理念だけでは生きていけない。今日の糧を得る。やむ得ない事はままある。
いや、成宮巡は気丈に首を横に振る。国際報道クラブの記者会見で、どんなホールでも、どんな小さな声でも、訴え掛けられるこそが意義と。
「私一人でも成し遂げて見せます。それでも、より大きな人数で、この瞬間に同じ思いを馳せる事こそが祈りと思います。これは昔、宮城スタジアムの東日本大震災のプレイングコンサートで、見事に集まった皆さんの心が一致したので、ピースコンサートでも出来ない筈が無いのです。そう、皆さんから無茶と言われます。ただ、何故他国の人を殺さないといけないのか、そして何故銃を持っているのか、もっと本質に戻るべきと思います。生きて行く上で利害のすれ違いは当然あります。しかし、その極論で相手をいなし、その家族を悲しませる事は、本意なのですか。そうではありませんよね。家族を失う事は悲しい、引いては恋人や仲間を失う事は悲しい。戦争、そして流行病で、多くの方々がより早く死んで、皆さんの生死観が実際麻痺しています。私達はここで正すべきです。一つ一つの失われて行く魂は、メディアの冷酷な死亡カウンターを動かす為にあるものでは、決して有りません。私は強く求めます。私の音楽で、皆さんの心を、一時でも、また一つにしてみたい。どうかご協力をお願いします」
その贖う記事は、記者会見後15分後には全世界を覆った。そして、我に戻り、成宮巡は真っ当な事を言ってると振り返る方も出始める。何で紛争が続いている。さあにもなる。
そして、成宮巡の協力者が現れ始める。
カオル・ホフマン。日系アメリカ人の女性指揮者で、世界的権威の指揮者コンクールで、比類なきパワフルさを発揮し、現在クラシック界の最前線にいる。
「事前に言っておきます。私は成宮巡に大きく賛同します。アメリカは世界の警察とも呼ばれていますが、ここは頃合いと思います。一向に戦禍が静まらず、これ位の紛争ならば、国連の制裁は無い事に気づき、争いが争いを招いています。銃を置く。まずそこと思います。私の所属のボストン・シティ・シンフォニーは、動くなら楽団を巻き込むなと釘を刺刺されています。そう、私自身の行動制限のお目溢しは有ります。ここで提案なのです。成宮巡を支えるべく、世界中のアーティーストさん、程良い着地点を楽団またはレーベルと相談して、私が投げ掛けるピースオーケストラに参加して貰えませんか」
カオル・ホフマンの公開インタビュー配信は世界を駆け巡る。お陰でカオル・ホフマンのマネジメント事務所は、24時間体制で、電話にメールでかなり忙しいらしい。
その中で、おや過ぎる日本からの参加もある。歌舞伎界の若きプリンス大鷹棟蔵。その女方の振る舞いは100年に一度の逸材と評される。ただ実際に100歳も生きる方がいないので、歌舞伎発足から400年での最高峰ではないかの賛辞も、識者から送られる。
「やや江戸時代から、歌舞伎という文化は、鎖国の中でクリーンに醸造されたものです。故に純粋で比類なき日本国文化の到達点にいます。そう、政治を題材に取るものの、政治的介入はごく少ない方です。ここ迄を含めて伝統芸能と言えるのですが、成宮巡さんの声明を受けて、僕も声を上げるべきと思います。僕達の周りで誰も死なないから、関わるべきではない。それは適切な人間関係の距離感と思います。ただ、東日本大震災の一時、大自然に猛威に負けてはいけない、共に前に進もうと、世界は団結した筈です。僕は願います、ピースコンサートでまた多くの方々が、清く美しく、団結する事を。そして僕も、ピースオーケストラに惜しみない協力をしたいと思います」
歌舞伎界は、家族制度が微妙ではあるので、幾分の躊躇はある。ただ、舞台を卒業した制作OBユニオンが全面参加となった。一世一代の舞台を見せましょう。これはただの張りではない。
そして、中堅バンド最右翼SWEET EMOTIONのロックシンガー神永眞郎も声明を上げる。若いながらも腰が極端に低く、どんなに小さな言葉でも、観客の心に歌が届く。インディーズシーン長らくの、かなりの努力人だ。
「巡ちゃん、困るんだよね。俺達の営業妨害だよ、ロックこそが反戦の旗手なのに。ははん、それ俺達から奪うの、面白いよね。俺もさ、ぼんやりと共同コンサートを考えていたよ。誰かに届けばいいって、でもさ、その誰かじゃ全く駄目なんだよ。なんて事だよ。当事者迄に届かないと何も変わらない。そうなんだよ。そんな俺って弱いと思うでしょう。でもさ、違うよね。巡ちゃんと一緒に組めばいいでしょう、仲良くさ。クラシックコンサートかと思うけど、俺、歌いに行くから、ああよろしくね。ところでさ、誰か、巡ちゃんの電話番号知ってる。勢い余って、順番逆になって、本当申し訳ない」
このライブハウスの冒頭MCを抜粋した動画は、日本国を出て、コメントが賑わう。それから神永眞郎はその生来の洒脱さもあって、情報番組にゲストに多く呼ばれる。
成宮巡とは、その3日後に仙台で会合したらしい。話が盛り上がったので、ピアノバーでセッションし爆上がり。いい感じで、SWEET EMOTIONと成宮巡とそれぞれのフィーチャリング曲が出来たので、ここ待っててと。
輪は広がる。コンテンポラリーの評価の高い、イングランド・ウォーム・バレエカンパニーのプリンシパル東海林精華も、成宮巡に賛同する。東海林精華は世界コンクールルートではなく、幼少の頃から、イギリスで育成教育された超生え抜きだ。そのしなやかさ余りあるから、There Must Be An Angel .と仕切りに称される。その天使が述べる。
「ええ、小学生の頃からご縁があってイギリスに渡英しましたが、日本人です。同じ日本人として、巡ちゃん応援したいなって。でも、カンパニーの方からは政治に介入するなと言い聞かせられています。現在も侵攻中で、今すぐ戦争止めろを言うなんて混乱が広がるだけだ、精華は巻き込まれるなと。ここはイギリス人らしいペーストがあるので、ええです。そう、この瞬間にも戦場では両軍で人が死んでいます。魂が天国へと戻り、肉体が野晒しで朽ちて行く、せめて弔いの何かすべきと、宗教に帰依される方なら見過ごせませんよね。私もピースコンサート参加します。その間、イングランドウォームバレエカンパニーは休団扱いにしてくれるそうです。大人って、いいえイギリス人って、凄く面倒な事をしますよね。本当に、もう」
この無邪気な天使東海林精華の、イギリスの国営放送BBDのインタビューで、カオル・ホフマンのマネジメント事務所は呆気なくパンクした。各団体の休団扱いで踏みとどまる路線に倣い、ピースコンサート参加者は膨らみ続けて、どう約300人から絞り込みチョイスしようかと頭を悩ませる。
そうしてカオル・ホフマンのマネジメント事務所から、日本の成宮巡の所属する大手レーベルOmni社長北条奏子に、マネジメントが横滑りする。
ピースコンサートはセキュリティ面も含めて日本で開催。何より成宮巡が一向にめげない事から、その社会性を含めてアーティストを守ろうに至ったからだ。
そして、問題がある。現時点で約300人のアーティストがどうしても参加すると頑ななので、上がるべき広いステージが無い。都内のクラシックホールで演じるのは不可能。演者の絞りみをとことん推進するしかない。それでも最後の手段として。スタジアム開催しかないが、日本で数万人以上のクラシックコンサートが無事成功するのか、ここは流行病渦中で極めて難しい。
そして、抜本的な問題がある。規模がどうこうより、各ホールと各スタジアムが、ピースコンサートに難癖を付けて貸さない。はっきりと、政治的利用はお断りだ。ここで政治家の関与が大きく関わる。
そして、時の首相尾形蓮太郎のぶら下がりで、漸く言質が降りる。
「君達ね、しつこいよね。成宮巡ちゃん、知ってるよ。キュートじゃないか、そしてピアノ演奏が素晴らしい。ピースコンサートへのプレッシャーがどうとか、こうとか言うけど、それはプレス発表されていないでしょう。未定の事案に、私はどう発言すれば良いのかね。君達がよくよく言いたいのは、反戦罷りならんで、日本国の政治家が裏で威圧している。それは、はっきり言うが無いね。音楽収拾家の私だから言うが、ピースコンサート是非行きたいね。日程が決まったら教えなさい。ただ、チケット当たるものかな」
その2日後に、ピースコンサート「Pray from here Concert」の、新国立競技場での10月21日土曜日の開催が緊急告示された。グランドの中央ステージに、スタンド観客5万人収容も流行病渦中で3.5万人収容。協賛には相変わらず忖度した企業名はないが、遠回りで回避した財団系が軒を並べる。
全指定席チケットは15分で完売。この中には、時の首相尾形蓮太郎が朗らかに当たったと同時にコメントを出す。これ以上の戦禍は、先々復興負債で国が傾きます、どうしても潮目は有りますよ。世間に対して、明らかな即時停戦の意を表す。
この発言で、何故戦争しているのかの議論に傾倒する。そして忖度なしの、停戦を只管願う、「Pray from here Concert」の注目記事が大きく展開して行く。
そして大江珈琲館のカウンター席には、ごく自然にあの調律師三宅ニコラスが、コーヒーに堪能する。
ただ訳ありだ。三宅ニコラスと言えば、仙台の宮城スタジアムで、稀有な野外クラシックライブ「Sanctus Festival」を成功させた人物でもある。そうなれば、今回の「Pray from here Concert」も総合監督に相応しいと製作委員会に満場一致で選出された。日本人にとって、踏襲と成功という言葉はえらく近いらしい。その合理性が日本国を成長させてきたのだから、褒めるべきだろう。
ニコラスのプランは今も揺るぎない。まずは、お祭りの雰囲気作り。それは演者に任せるのではなく、露天に、バックヤードも仕上げてこそだ。そう言うことで、大江珈琲館も招集され、俺大江雅匠もチーフ職を授かった。万が一の裁定は俺にも委ねるらしい。
そして、俺も肩書きが付いた以上、あの大手レーベルOmni社の自社ホールの会議に呼ばれる。何としても興行を成功させ、チャリティー収益金を得ましょう。
それから各セクションの分科会だ。「Pray from here Concert」の意義は分かってるだろうからテキストにて割愛。あとはマーチャンダイジングとして、損は出させないように、露天と物販の導線の貼り方を、皆の意見を出し合う。ここで面倒臭そうな輩は、早々のお引き取りになった。会議と審査は一体らしい。
そして、グランドのメインステージの概要も公開されて行く。大枠として、収益で得る戦争復興への基金に比重を置きたいので、ステージは華美にせず、新国立競技場の垂直然とした巨大壁の反響を補う為のPAに心血を注ぐらしい。
そう言うことだ。「Sanctus Festival」はやたら音の分離が良かったので、三宅ニコラスは、総合監督の前に優れた調律師である事が、改めて明示される。
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そして迎える当日、10月21日土曜日。ピースコンサート「Pray from here Concert」開催。
会場が巨大スタジアム新国立競技場とあって、アーティーストは無制限参加の裁定が下っている。日本各地、いや世界中からも、単独で駆けつけ、いや当日滑り込みで入るアーティストもおり、ピースオーケストラは最終的に約480人に膨れ上がる。カオル・ホフマンは1000人規模で考えていたらしいが、時世ならばそうかと、朝一からのリハは入念に行われる。
そのカオル・ホフマンのハードさ故に、大控え室、俺たちの配食コーナーは、かなり項垂れる関係各位に訪れる。No good。Never mind. Everyone is waiting for you。この励ましで、エアタッチが頻繁になる。
そう、俺達の大江珈琲館は、今回外周部へのキッチンカーへの乗り着けではなく。バックヤードでの格別コーヒーの提供だ。父頑鉄がここ最近焙煎に必死で、いやそこ迄賑わないだろとは言った。阿呆か、配給所で売り切れごめんが許される訳がないだろうと一喝された。その予感は今日大いに当たり、俺の予想配布量は、午前11時で早くも枯渇していた。スッキリでつい飲めてしまうが、そこ迄人気があるのかと、いざ慌てる。
配給所には、メインステージを映す、大型マルチモニターに、ベストリスニングなスピーカーもあるが、率直に生で見たくうずうずする。ただ、ニコラスはさておき、巡さんに、お願いしますと頼まれた光栄がある以上、そうですねと、滅多に見せない笑顔をしてしまう。純粋に巡さんを励ましたいのもあるので、これは俺しか出来ないとの重責に身が引き締まる。
そして、関係者が暇を見つけての休憩で、配給所が賑わう中、千代子に諭されてしまう。
「行っても良いのよ。巡さんの見せ場って、ソロと大トリでしょう」
「千代子、そこ全部じゃないのかよ」
「あのね、カオルさんの扱きにあって、団員さん、スタッフさん、どれだけ励まさないといけないと思ってるの」
「そこ、カオルさんに、あの、そので、千代子が諭せないのかよ」
「それ、雅匠が言いなさいよ。あなたにだけ、砕けた顔見せるんだから」
「あのな。とばっちりの嫉妬はやめてくれよ」
俺と千代子は、無言になる。カオル・ホフマンは国際結婚してるから、日本人の察しが新鮮なだけだ。ただカオルさんが、美味しいと言うと、目尻が下がるので、ピキンと何故か千代子が張り詰めるのがあれだよな。そんな千代子から、ボヤボヤしないでと、公演前の緊張を和らげる接客を促される。
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入場15時、開演17時。前座として、まさか過ぎる有名ソリストのユニットが迸る演奏で、早くも着席する観客が多く魅了して行く。ここで張り切られたら、露天も物販も苦戦かと思ったが、ニコラス曰く、程良い1時間待ちになって最適らしい。
そして開演17時のエンジェルチャイム。タムの激しい打撃音が鳴る中、花道を猛ダッシュで駆け上がって来る、ツートンカラーの長髪男性ロックシンガー神永眞郎。お待たせしました、お目汚し失礼します、OK。と静かにおくと、「John Lennon - Imagine」の大きなファンファーレが鳴り、弦楽器がスタジアム全体に響いて行く。そして神永眞郎の包み込む歌い方で、皆が固唾を飲む。ロック史上で一番静かで、エキサイトした時間がしめやかに、デクレッシェンドされ終える。
それから、ピースオーケストラによる、クラシックの小品とクラシック寄りのポップスが、選り抜きの大オーケストラで奏でられる。技量は勿論あるが、流石に約480人の大編成で、音の分離も良いと、観客もこの音声に浸り、心地良いものになる。それはそうだ。今日ここに至る迄、新国立競技場ならではの、デッドな音響に格闘してきたのが、本当に報われる。
時間は18時30分。全ての照明が降りて、中央ど真ん中のピアノにスポットが当たる。そう成宮巡のソロだ。
俺は舞台袖から、期待半分、何かをしでかす恐怖半分で、軽く震えている。
イントロダクション。誰も聞いた事のオリジナルのバイエルが、ますます難解になり。ガツンと音が止む。
そして怒りしか感じない激しいトリルが、ガッ、ガッと、あの「Sanctus Festival」でも使用した、復興の為に寄贈されたタフなYAMAKIの漂白のグランドピアノが再び、この新国立競技場でも響き渡る。そして楽曲の輪郭が現れる。「Manuel de Falla – Danza ritual del Fuego」。何より尋常でないのは「恋は魔術師」内の曲、「火祭りの踊り」と「恐怖の踊り」が、ターンテーブルの様にシームレスに奏でられ、見果てぬ亡霊に購い勝とうとしている。テンポも打鍵も上昇し続け、ガン、ガン、皆が思った。世界を覆っていた黒い影、ここでは消え去った。
そして次は、打って変わってナローなテンポの楽曲「Simon & Garfunkel - Bridge Over Troubled Water」が歯切れ良く打鍵される。癒しもあるが、復興するにも相当な体力がいる。共に進もう、成宮巡のメッセージは、根底にある揺るぎを一切見せない。
そして、スタジアムは成宮巡の一挙手一投足に息を呑む。俺はまずいと思った。成宮巡の音に期待しすぎて、想像する余力が観客から削がれている。
まずいまずい。俺の隣で大きく声を張るのは、ピースオーケストラのコンマス、中堅ハンサムのバイオリン長門冬樹だ。名門東京泰然交響楽団の合流で、コンサートの理不尽を何かと紐解く。
成宮巡がやはり困り顔をしており、こちらに視線を送ると、長門冬樹がシェイクシェイクのサインを大きく送る。成宮巡はこくり。正気か、この方達。
次の曲へと。カン、カン、カンの、あの鐘の音に相似たりのハイキーの打鍵音。そしてザワワア。スタジアム中の鳥肌が立つ音が確かに聞こえた。そう、成宮巡の「Liszt - La Campanella」は名演だが、それ程高い頻度では演奏されない。初お披露目の「Sanctus Festival」から、この「Liszt - La Campanella」の響きは、どう言い表せば良いのかと皆が涙を浮かべ、答えが先送りだからだ。
そして今日の演奏は、やたら軽やかで、その音の跳ねがエンターテイメントしている。そう確かに、成宮巡のピアノに引き込まれているが、やっと表情が柔和になって、音楽を楽しめる環境は整った。
そして長門冬樹が、次の曲行くからと、バイオリンを受け取る。ひょっとしてソロアルバムのお箱のアレかと、俺はグッドサインを送ると、長門冬樹もグッドサインをし返す。
そして、もはや成宮巡は立ちながらの演奏で、激しい打鍵を、全身全霊で「Liszt - La Campanella」を終える。スタジアムは、これも有りと、堪らずオベーションし、成宮巡はぐるりお礼する。
その間に、バイオリンを持った長門冬樹がステージに進み出て、失礼とこまりながら、映画曲「Gone with the Wind - Tara’s Theme」を奏る。成宮巡も即興でスコアの和音を遵守しながら、打鍵の打鍵で繋ぎ、広いレンジの即興に興じる。情緒に揺れるかと思えば、テンポ上げては、新たな人生が聞こえるかの様な表現を差し込む。流石は、長門冬樹と成宮巡と言うべきかだ。そして短いトリルでエンディングを迎える。
「もう、皆さんがあまりに真剣に聞いて下さるので、私が緊張しちゃうところでした」
「そうだろう。成宮巡は、俺がいないと駄目なんですよ」
「そうなんですよね。私、長門さんが側にいないと駄目みたいです」
「あっと、皆さん、ここ成宮巡のジョークですから、絶対頷かないで、そこ、ここ、ああスタジアム全部ですよー」
「えへ、」成宮巡が舌をペロリ出すと、スタジアムが微笑ましい笑いに包まれる。
即興を交えたセットリストは無事終わり、成宮巡と長門冬樹の楽しいMCの中で、ピースオーケストラの団員が、再び次々入場して来て、セッティングに入る。
そして、団員それぞれが準備OKを出すと、指揮者カオル・ホフマンのMCに入る。
「私達は、人種、人間、国家の見えない境界あるなら、何処かで紛争は止む得ないと思い込んでいます。ただ、それは誤りです。つい先年、流行病禍の期間中に、ほぼ紛争が無い期間が有りました。なかなか気づいて貰えないのですが、ここです。紛争が世界中から消えゆくとしても、誰も何も困らないのです。むしろそれが当たり前なのです。この平和のリソースを、人類で一丸となって、伝染病、貧困、愛情を注ぎ込めれば、主が望む、地上の楽園になると思います。その為にも、銃を一旦地面を置き、互いに距離を取り合い冷静になりましょう。そして同じ席に着き、何が問題であるかよく話すべきなのです。誰も、紛争で死にたい方はいません。殺し合う定義は全く有りません。何故トリガーを引くのですか。誰かを守る為ですか。命令だからですか。そんなこと言われても戦場ならば止む得ませんか。互いにきちんと顔を見合わせた事も無いのに、敵である必要はないのです。そもそもです、こんなに通信が発達した時代になったのですから、隣人になりましょう。今日ここからでも、決して遅くは有りません」
ここで電光掲示板に、配信中継され、参加オンになった世界中の配信者が英語字幕で次々切り替わって行く。短くもラブ&ピースが綴られる。
そして、豪快に唸るピースオーケストラがいきなりクライマックス曲を、地を這う様な音魂を打ち鳴らす。「Beethoven - Symphony No.9 」。
ステージに声楽者4人はいるものの、オンライン参加した合唱隊1000人の重厚さで、新国立競技場が胴振いを起こす。
そこからは、交響曲「Symphony No.9 」が15分前後のリサイズが、カオル・ホフマンの才媛で器用に展開して行く。そもそも編成で言えば、ピアニスト成宮巡を中央に入れるも。演者は自由受け入れで、木管楽器倍の法則が全く得られていない筈なのに、スタジアムは見事に重厚なサウンドを奏でている。流石はアタック感に定評のある指揮者カオル・ホフマンだ。
そして次のバレエ組曲「Ravel - Bolero」。演舞ステージには、あの世界的な有名な振り付けボレロではなく、プリンシパル東海林精華を筆頭に軽快さを生かしつつ、激しい群舞のモダンバレエを統率し良くまとめる。
演出上、一人また一人が、疲れて項垂れると、手を差し伸べ、流麗な群舞へと転身する。そして、根気比べのボレロは、東海林精華がソロスタイルを前面に押しやると、より激しさを増す。柔軟なストレッチに早いターン。そしてクライマックス、演舞者一同は、華やかに高さの揃った飛翔の喜びので、ホーンが高らかになり終幕。
曲間、照明が落とされると、クライマックスが来る。
演舞ステージには赤と黄系統の発光電灯を纏った、明らかに火の鳥だと一目瞭然の演舞者がいる。そう、この表現力は歌舞伎界の若きプリンス大鷹棟蔵そのものだ。
火の鳥は、電飾で鮮やかに輝き始め、地上で舞い始めると、交響曲「Stravinsky - Firebird 」が高らかに響く。総勢480人でのピースオーケストラのサウンドは壮大で、勾配の強い新国立競技場を、所構わずブローして行く。俺は思う。このAゲート席より、最上段が良い鳴りだろうなと。
その壮大なオーケスレーションに負けないのが、成宮巡のハイレイヤーキーストロークだ。参加者の機材管理の関係で、ハープもグロッケンも最低配置だが、成宮巡のピアノは、主旋律も弾きつつ、ハイレイヤーも響かせて行く。
そして重厚な中盤では、音に流されるでもなく、火の鳥の大鷹棟蔵が、見得を八方に切り、観客を把握して行く。巨大スクリーンには、より端正な面差しが映し出される。こんな巨大な箱に呑まれないセンスは素晴らしい。流石に稀代の歌舞伎役者と言われる所以だろう。
大人数演出によって、ついここで情緒に流されるところだが、英邁な指揮者カオル・ホフマンは、きちんと対峙し、生命の神秘さを引き出す。長く生きる、短く生きる。共に生命の輝きはある。そして火の鳥の生命とは永久だ。何の叡智を齎すだろう。その逡巡がオーケストレーションとティンパニーで駆け上がって行く。生命とは螺旋の様に絡み合い、一つに集約される事を望んでいる
そして、火の鳥の大鷹棟蔵の衣装の大きな羽が、一枚一枚引き剥がれ丁寧に舞い飛んで行く。テグス操作のこんな芸の細かさは、流石歌舞伎全OBを引き込んで恐るべしだ。
クライマックス、徐々に羽が抜け、火の鳥が変容して行く。火の鳥は新たに生まれ変わろうとしている。それでも生きて行く。火の鳥のみならず、俺たちも何処かで換羽しなければならない。それは生き方も含めて。
そしてピースオーケストはフィナーレへと。火の鳥もただ大きく舞い始め、ブレイクで終えると照明が一斉に消える。ここで歓声が上がる筈も、スタンドはざわめいて行く。照明が落ちた筈なのに、火の鳥の大鷹棟蔵の舞の残影が、確かに残っている様だ。近くで見ていると、それは尚更だ。そう、ステージの火の鳥の大鷹棟蔵に、どうしても呑まれる事を、昨日の夕方、演者皆が漸く受け入れた。
1分後。花火の発射音が聞こえ、空を見上げると。化身化した火の鳥がスタンド上空にいる。これは大きな浄瑠璃人形の超遠隔繰りなのだが、文楽関係者OBも合流してくれた事で、しなやかな動きで、南西へと向かい羽ばたく。いざ、火の鳥ってこう飛ぶのかと、俺も含めて口が半開きになる。
やがて火の鳥を、スタジアム天井部に収納し終えたところで、照明が全点灯し、中央ステージには全演者が揃い、カーテンコールになる。わちゃわちゃから、次第に皆が神妙になり、発起人になった成宮巡が、皆に背を押され、マイクを渡されると、淑やかに話し始める。
「無事終えた事、たくさんの声援を貰った事。とても嬉しいです。ただ、この瞬間にも紛争地では灯火が消えています。言いたく無いですけど、芸術は無力なものです。ここは、否定される方が多いと思いますが、今現在の私の実力はそんなものです。ただ、私はまだ24歳で、体力や聴力の衰えがなかったら、何とか60歳迄音楽を続けていられると思います。その頃には、世界で戦争もなくなり平和であって欲しいです。ここで私達より、皆さんにお願いがあります。生命は尊いもの。殺しあう理由はない事。常に平和を願う事。これを今回のピースコンサートのお土産に持って帰って下さい。チャオ」
そして、終演の音楽「The Beatles - The Long And Winding Road」のピースオーケストラの事前収録曲が流れる。もう帰宅の筈だが、観客の多くは帰る気配が無い。
ステージの音楽は鳴りやんでいるのに、演舞者のはち切れる躍動、ピースオーケストラの有り得ない重厚なサウンド、成宮巡のハイレイヤーの打鍵が、どうしても頭に残って消えはしないだろう。今日はそれで良いと思う。この連なった感動が、戦地にも轟く平和のチャイムになる筈だ。
🎵
そこから1ヶ月後。ウクライナ紛争はより激化している。鎮まる側面も何もない。
それではピースコンサート「Pray from here Concert」の意義になるが、世界同時配信もされ、多くの共感も得た。抜粋された演目動画は、今もリンク動画で新解釈のコメントとツリーになる。
そして速報での純収益8億円も、中立の復興財団に収納され、きっと戦後の役に立つ筈だ。
ただ、それも終わりの見えない紛争の最中で、いつ復興が始まるになる。今日もどうしても上がる紛争ニュースを窺うと、芸術とはやはり無力かだった。
いや、妻の千代子が最近首を傾げがちだ。
「千代子、どうした」
「ああ、そうね。最近のタイムラインに、ウクライナ紛争のコメントや、殺戮映像が上がって来ないのよ。もう外野から囃し立てるの、飽きたのかなって」
「それは、いつからだ」
「そうね、ピースコンサートから一週間後位かな。総収益の速報あたりからの筈よ」
「それって、明らかにSNS側も触発されて、表現規制を入れたな」
俺は、常々思っていた。当事者以外が深く関与するから、憎しみから引くに引けなくなっている。同胞の拷問に惨殺に処刑を見たら、どうしても銃を握る手も離せなくなる。こんな映像を日々垂れ流す、SNSが嫌いになった。
そう、ピースコンサート「Pray from here Concert」の深堀りをすると。識者の論調は、日本的な平和史観で、戦時化を緩和出来るものか、憎しみや支配力を払拭は出来まいの声が数多。
成宮巡始め、多くのピースコンサート関係者は敢えて口を閉ざしている。次の日から平和なんてあり得ない事は、演者こそが知っている。ただそれを口にすると、違うと思っても否定に傾いて行ってしまう。どうしても芸術は無力なのかと。
ただ、ピースコンサート「Pray from here Concert」で、種子は強く一斉に撒かれた。興味半分で、人殺しを肯定する投稿を排除する事で、誰もが持つ残虐性の慣れを絶やした。遡ると、メディアの記事も残虐性の表現は薄れていた。これは明らかに、平和への大きな一歩の動きだ。
自らのフリックを止める事で、紛争のなぶり殺しを、ノンフィクション・フィクションかの曖昧を、自ら冷静に判断できる事。戦争の惨劇、そして連鎖を思いとどませる事。例えかけがえのない方が亡くなっても、これから先誰かが亡くなる謂れにしてはいけない事。そして、如何なる隣人もいつか愛せる事。
この先、平和を絶対叶えるべきは、ピースコンサート「Pray from here Concert」の後で、心のどこかに宿された。それを告げる、成宮巡のハイレイヤーキーのチャイムが、今も心の中で高らかに鳴り響き、平和への思いを引き起こす。
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