Scene 2019. First Love

 そして2018年初冬。日本では、水面下で成宮巡の熱き争奪戦の様相が、俺達の市井のアマチュアミュージシャンにも漏れ伝わって来た。ただそれは、まだ成宮巡がSt. Mainz芸術大学の3年生であるから、師匠のリヒャルト・アレキサンダーが一向に首を振らず、プロデビューは先の先のその先だろうが、もっぱら。ドイツ人はマイスターの国だから、出来上がっていても、それ以上の熱い情熱がなければは、頷くしかない。

 しかし、2019年1月5日に、等身大の人間成宮巡を網羅するA4ムック「MUSIC ONE 2019.2 All about Jun Narimiya」が、オオトリ書房から発売される告知が各朝刊に踊った。

 この告知時点前迄、成宮巡とは凄いピアノを引く女子がいるがクラシック畑を飛び出しての評判だった。しかし、ミュージックフォトグラファー沢渡慎一による、夕日を浴びたミュンヘンの麦畑で刈り取りの勤しむ成宮巡の写真広告に、男女問わず心をただ揺さぶられた。

 まあ成宮巡の佇まいは、未だショートで高度経済成長期のただ麗しき美少年の面影を存分に残す事から、眠っている郷愁を誘うのも無理は無かろうだ。

 俺は、いや何か早いなの違和感をつい思っていた。巡るその日「MUSIC ONE 2019.2 All about Jun Narimiya」発売日。千代子が保存版を想定して、10冊予約したムックは、町内書店の定期配達でカウンターに積み重なる。構成はほぼワンアーティストの成宮巡の特集。都度都度大博打を打てるのが、流石は大手書房という所か。

 まず目次で、想像力が加速する。

 成宮巡5万字総括インタビュー「重力と理念とピアノ」/成宮巡フォトアルバム「Photo History」/リヒャルト・アレキサンダーinヨーロッパツアー「We are the prayers.2018」全32公演前座セットリスト/検証インタビュー「成宮巡を愛する12の人々」/成宮巡セレクト「Favorite Album 25」/作家武部春雄寄稿「東日本大震災と響き」/巻末オリジナルフォト「The Quiet Season in München」

 ついページを捲る。1ページ、1ページ、を丁寧に読み込む。

 そうして俺は執心し、ただカウンターの下で泣いた。千代子も同じくA4ムックを読み、表面気丈も、接客後すぐカウンターに帰って来ては、目尻をハンカチで押さえていた。

 それは何故か。「Photo History」の成宮巡の一枚の写真に発する。女川の引き潮の街。その光景は、名も無き女子中学生のお礼の手紙で、津波で真っ二つになった潮まみれのピアノで思い浮かべていた筈なのに、その一枚の写真でまざまざと見せられた。その写真は、潮が引いた、想像を絶する瓦礫の中で、やっと見つけた津波で真っ二つになった潮まみれのピアノの前で気丈にも立ち向かう闘志の女子だった。

 日本国民は、東日本大地震の衝撃的な映像で被災の全てを知ったつもりになっている。襲来しては、悉く奪い去っていった大津波のその後で、東北のその地で懸命に生きるきっかけを、そう誰かが探していた。いや、こんな被災、無理だ。俺達はどうしても他人事で、いざ無関心だったかと思い知らされた。

 成宮巡へと渡りついた、YAMAKIの木目調アップライトピアノのSwan Lakeの背板に描かれた『きみの物語になりたい』なんて、巡さんはどんな気持ちで受け入れたのだろうか。ピアノがあれば全て良しなんて有り得る筈も無い。復興、何を持って復興か、やっと入り口に立てた気がする。それはより深く思いやる。

 そのきっかけは、成宮巡の持つ心根があればこそだろう。その成宮巡が「Vienna World Jänger Competition 2017」で、SFCマインツの白のスポーツマフラータオルに書いた3ヶ国語による『きみの物語になりたい』は。今や世界の合言葉だ。

 その経緯は5万字総括インタビュー「重力と理念とピアノ」で成宮巡は淡々と答える。


「『きみの物語になりたい』については、コンクール前からずっと考えていました。どうすれば伝わるのでしょう。そこの表現に躊躇したから、順位はごく正直なものです。まあ終わっちゃうし、どうしよう。言った方が良いよね、それじゃあ、お気に入りのSFCマインツのサッカーマフラータオルにも書こうよ。そこでドーンですよね。ドーンどころじゃない。そうなんですよね。いや、そもそも東日本大震災とは何かですよ。15分も満たずに大津波が何もかも飲み込む。そして無慈悲なままに。それは切なくもなりますよ。ただそれは私一人の心情ではなく、被災者皆等しく思いが重なりです。巡、どうすれば寄り添えられるの言葉を、皆さんからつい掛けられます。そんな時に魔法の言葉が有りまして。そう『きみの物語になりたい』です。これは、共に必死に頑張って乗り越えようではなく。如何なる時も、あなたの傍に私はいますよです。未だ傷が癒えず、触れないで欲しいの方もいましょう。でも、いつかは多くの方に助けて貰わないと、いけないのです。私は強く言います。決して、誰も一人にさせません」

 成宮巡のチャレンジは無謀で無茶だ。でも、誰かが言わないと、時間だけが過ぎて行く。目の前の10年後、そして20年後、30年後。人間の思い出は、時間と共に擦り切れ麻痺する。その方法はとてつもなく寂しいので、多くの方と関わる成宮巡の思想は的を得ていると思う。


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 それから2019年8月3日19時に、成宮巡はサプライズで初オンライン動画配信を行い、世界中からただ注目を浴びた。大江家は、当然の如くリビングのモニターの前で釘付けだ。

 巡さんは、今、地元の女川の自宅新居にいる。御両親は、女川復興の畑付き高台移転を、何度となく勧められた。しかし、祖父母との死に別れと、あの被災その日の風景再びに躊躇して、仙台で農家のヘルプに長らく入っていた。ただそれも、巡さんの滾る思いから、家族が奮起し、どうしても慣れ親しんだ女川に戻る決意をした。

 あの女川かは、どうしても巡さんの津波で真っ二つになった潮まみれのピアノの衝撃写真になる。

 ただそれも、桜子のバンドMOMO sessionsの難解な拍子の詩を書く、文芸派ドラマー直江飛鳥さんによって由縁を知る事になる。飛鳥さんに差し出されたのは、ミュージックフォトグラファー沢渡慎一の渾身の写真集「震災と私」だ。その見開き真ん中程に、同様の写真は「私はここにいる、再出発もここから。-成宮巡-」のメッセージ付きの写真と、見紛う事なき同じアングルだった。もう既に成宮巡は世間へとメッセージを送っていた。寸分違わず。

 確かに写真集「震災と私」の存在は知っていた。2012年にオオトリ書房から発刊され、総200ページ余りに渡り東北被災地の音楽に勤しむ青年等の密着1年間を撮り続けた貴重な記録だ。上辺しか見ないワイドショーは、残酷ではないかのコメントが先行し、物議を醸し出していた。我が大江家は、桜子にはやや早いの判断で購入は控えた写真集だった。その差し出された写真集「震災と私」改めて通して眺めると、悪意のある残酷さではなく、自然の猛威に立ち向かう青年達の意思が漏れ無くあった。これをセレクト出来るなんて、どれだけ沢渡慎一は被災地で撮り続けたのだろうの畏怖しかない。俺はもっと早くに手に取るべきだったと思う。

 二人で読み終えたその瞬間に、千代子がエプロンを置いて、書店に駆け抜けたのは当然の成り行きだろう。そう「震災と私」の収益は今も尚被災地に送られているのだから、改めて評価される作品であると、俺は切に思う。

 ただそれも、何れの被災地は日々復興し、大津波後の悲惨な原風景は遠い昔の様になりつつある。

 俺は「Sanctus Festival」で築かれた伝手から、東北各地にはダイマツのキッチンカーで度々出張販売しては、また来て、と感謝されるので当惑を隠せない。俺の一杯のデミタスで、何かの手助け出来たか。俺も良い後味をと、これからも頑張らないと行けないになる。


 オンライン動画配信の進行は、上がってくる成宮巡ファンのコメントが常軌を逸してる。世界言語は網羅かの勢いかも、やや困り果てた成宮順が、日本語英語ドイツ語の3ヶ国語の何れかでお願いしますとの前置きから、やっとトークが安定する。共有したい話題は、成宮巡自ら3ヶ国語で並び立てる誠実さで、そのフレキシブルさに、どうしてもの恐縮しかない。

 いやコメントのラッシュで、冒頭のサプライズを忘れそうになっていた。成宮巡は、大手レーベルOmniのマネジメント事務所Omni Styleの、育成枠所属アーティストに所属する事になったらしい。正直、視聴していた皆が驚いた。世界三大ピアノコンクール、ウィーンワールドヤンガーコンクール/ブリュッセルセオリーコンクール/サンクトペテルブルクピアノコンクールのうち、ウィーンの一度しか出ていないのに、何故、こんなに早くもレーベルデビューの道を選ぶかだ。

 ただそこは、成宮巡と師匠リヒャルト・アレキサンダーとSt. Mainz芸術大学特任教授フレデリック・フォン・ハプスブルクの合議があり、ほぼフォン・ハプスブルク特任教授に引導を渡されたらしい。

 フォン・ハプスブルク特任教授曰く。

「ど根性ピアノの成宮巡の「Vienna World Jänger Competition 2017」での男女混成総合3位はかなり出来過ぎなんだよ。私が厳粛な審査員ならば完全に予備予選で落としますよ。今後もコンクールに出場し続け、何故1位ではないのか、そんな事で気落ちして、巡がピアノを辞めるものなら、私は寂しいね。こんな年でも生き甲斐が出来たと言うのに、そんな事で、生きる希望を与えるピアノを辞めては行けない。それならば、いっそ未知のプロ世界で思う存分に切り開くのはどうかな」

 そして陽気に、三枚の封筒を差し出されたらしい。そして巡さんが悩んで引いた大柄な封筒は、大手レーベルOmniへの紹介状だった。残りの二枚は何処ですかを聞こうも、挫けたらフォン・ハプスブルク特任教授の元にまた引きに来れば良いと、煙に巻かれたらしい。

 まあ、叩き上げの名ピアニストのフレデリック・フォン・ハプスブルクならば、大中小のランク有りきで、残りはクラブハウスと街野外ピアノからであろうと、只管想像はし難い。フレデリック・フォン・ハプスブルクの名盤のほとんどが、ライブのブートレグであるので、何かとニュースフィードに名演発掘の記事が上がる。その都度、フォン・ハプスブルクの名作は何になるのですか。セミ引退2年前の作品何れも。そしてそのコメントで、海賊盤がまたも複製される。

 その成宮巡の事務所所属も。大手レーベルOmni系列と言えど、Omni Styleは固定給制度の手取り18万円で、仕事はアルバム5枚制作契約あれど、全て自分で策定する事との大雑把さ。その考課で年度更新するかしないかの非常ぷりは、元実力派ファンクシンガー渡辺光安がマネージャーを務めれど、どんなにプロ志望の強いミュージシャンでも軒並み御免蒙る筈だ。


 成宮巡の次のサプライズは、地元女川、復興中の宮城県牡鹿郡女川町で、St. Mainz芸術大学卒業後に、自宅でピアノ教室を開いて後進の指導に当たりたいとの事。

 当然コメントには、是非ともレッスンを受けたいとの熱いコメントが高速で流れてゆく。巡さんは困り果てては、女川住民、いや近圏の仙台から車で1時間半掛けてのお任せの送迎で来れなくも無いけど、まずは地元女川で地固めして、じっくりと育んで行きたいとの事。

 そう、オンライン動画配信開始迄の待機映像は、巡さんの自室から。風光明媚な遠くの女川湾を見下ろせるも、幾分急勾配な丘陵地帯とは窺い知れる。レッスンを受けるには相当な心構えが必要なのは押して知るべし。

 何より、次いでの成宮巡の切実なコメントから衝撃が走る。


「あの、この配信は私のお部屋です。仮称成宮巡ピアノ教室は離れに土地が有るものの、今現在全くの更地です。そうなんですよ。私は女川に戻って、音楽で復興したいとの信念で、お父さんお母さんに訴えて、この高台に畑つきの新居となったのに、何とピアノ教室が無いのですよ。何故ですよね。マインツに特待生で音楽留学したのに、娘の意を全く汲んで貰えないものかと愕然としましたよ。でもそこは、父母がもっともな事を添えてくれます。職人さんが贅をつくしても、巡が音楽面経営面でかなり納得しないと、また一からは関係各位に殺生じゃ無いかなとです。確かにそうなんです。ピアノの防音壁の音場感は凄い好き嫌いあるし、ナチュラルな響きのピアノ室にしたいから、材質の組み合わせにはとことん詰めたいですし。あとは筆記教室に、送迎の親御さんを加味した広めのラウンジに、欲を言えばスタジオブースもあればは、これだと5,000万円コースになってしまうのかな。ああ、ここは欲を言えません、まずは、ピアノスタジオを懸命に、生徒さん5人体制のピアノ教室仕様で500万円の手付けがあればどうにかなりそうです。そうですね。今回のオンライン動画配信の、クラウドファンディングボタンに賛同頂ければ有り難い限りです。それだとピアノはですか。流石お客さんお目が高いですね。ここにあるYAMAKIの木目調アップライトピアノのSwan Lakeがあれば、そんじょそこらのグランドピアノには負けない気高さです。そう、いざ弾くと分かりますけど、ニュアンスで逃れようとする生徒さんは残らず憔悴しますよ。これが。あれ、こんな事言ったら生徒さん、集まらないですよね。はは、ああでも、Swan Lakeは日々鍛えないと怒られちゃうピアノだから、本当にもう。私が留学中、お師匠さん我妻美咲先生に預けてて、かなり正解でしたね」


 あのSwan Lakeの旅はどうしてもそこか。それはレッスンに名を借りた、またしてもの白熱のレッスンバトルになるに違いない。何故成宮巡には例の最高音部が鳴らせるのに、私はと。ただ、そこを超えてこそが、一流ピアニストの階だから、どうにか逸材は生まれて欲しい限りだ。


 そこからはソロリサイタルの話に花が咲く。メインアクトはいつかも、今はSt. Mainz芸術大学を、フレデリック・フォン・ハプスブルク特任教授に必死に揉まれながらも、何としても来年は卒業したいとの巡さんの意向で、ソロリサイタルは満を持して。それも大切の雰囲気になる。

 ここでオンラインのインサートフォンで、アルゼンチンのバンドネオン奏者ロベルタ・ベロンが、是非セッションしたいと、一見和やかも明らかな挑戦状だった。

 成宮巡さんは微笑みながらも、自らSwan Lakeで、初っ端から早いスタッカートでPiazzollaのLibertangoを弾き倒す。ベロンも必死に喰らいつくが、配信の音圧でも、そのSwan Lakeの響きは秀逸過ぎて、演奏が熱を帯びる。

 そう、白熱のバトルと言うべきか、熱情を露わにしたいフレーズは、Swan Lakeの最高音部を酷使し、文世さんのピアノ教室に通っていた俺達皆が過去何度も挑んだあの最高音部が確かにここにはあった。久しぶりにSwan Lakeを堪能出来て悦に浸る。

 ベロンも負けずアタックは強めに、メロディーラインは時には優雅に奏でる、プロの冷静さを取り戻す。そしてイントロからアウトロは、倍速かの勢いであっという間に終幕する。

 巡さんのいけちゃいましたねとは裏腹に、ベロンはamazingと何度も首を振る。Swan Lakeのセッションとは、何かを引き出し続け、不可思議な余韻を残す。確かに魔器だ。勿論コメント欄は賞賛の雨霰。セッションは、確かにここでしかないタイミングだったと思う。ご覧の通り、今の成宮巡とSwan Lakeの最強の組み合わせに敵う、相手はこの世界で数えられかどうか。対峙するセッションに挑む、理性的な強者は今日はいる筈もないだろう。


 それからソロリサイタルの話が続く。リヒャルト・アレキサンダーinヨーロッパツアー「We are the prayers.2018」の前座出演に立ち戻り、ツアーの思い出が思い起こされる。

 サイドカーでのツアーはそれ有意義なものだったらしい。リヒャルト・アレキサンダーの風をただ感じろは、ピアノ弾き倒して得られる音感だけないものを受け取った。師匠はただピアノに関心が薄いのでは無いのですよはどっと沸く。そして、ドイツ語のIch meine es ernst.(私は真面目さ)のリヒャルトのコメントが流れては、巡さんは固まる。師匠も配信を見てましたと苦笑するしかなかった。

 オンラインの話はとんとんに進む。リヒャルト・アレキサンダーのSNSから写真集出来ないかも、私はファッションモデルと違いますからの予定無しと。

 身長が伸びてませんか。現在173cmは、2時間多く眠る事と、マインツに渡ってからは師匠のビストロのお供でソーセージ三昧から、更に4cm伸びたかな。順調に行くと念願の175cm到達かなで、ただ綻んだ。日々その鋭利な輪郭を明確になっている事から、これ以上背が伸びたら、どうしてもランウェイを歩かざる得ないだろうなは、まあ、巡さんが臨まずとも先々の話だろう。

 そして何気ない、ヨーロッパツアー一番の大切な思い出話に至った時、成宮巡さんが微笑みながらも涙が溢れ出した。そして手縫いのハンカチで拭っては深く語った。


 ツアー27公演目のベルギー・ブリュッセルを訪れた。リサイタルの前に、街を大散策した時にベルギーチョコレート工房オレニアンの表看板に日本語で書かれていたメニューには、宮城とちおとめシロップ漬けチョコレートありますの文字。巡さんの実家は今は休業中の苺農家で有り、何故ブリュッセルにとちおとめがと、工房の扉を開けて運命が再び紡ぎ出す。

 ばったりと。そこにいた日本人の同じ若さの女性店員は、京都の工房からベルギーに修行に出された南野塔子であり、仙台仮設住宅時代の中学校の同級生で健気にも青春を謳歌した仲と語る。ただ被災者の何れもが子供らの高校進学に伴い、思う所がある家族は復興より家庭の安定を求めるべく、各地に引っ越すのがどうしても側面があるらしい。被災地には、希望を紡ぐもう一つの別れがある事を忘れはいけない。

 青春時代の友人等の消息は、距離が離れるとどうしても自然消滅になるのが、被災地に関わらず一般的に今も昔もだ。ただ巡さんと塔子さんは、互いの胸の内にある被災地への深い思いの手がかりが、ピアノとショコラで有り、再会その時、互いに共鳴しあった。

 いざ親友でも堅っ苦しい話はそこそこに、中学生時代の思い出に爆笑する。工房オレニアンでは、あの静かな塔子さんがと、東日本大震災の被災者を知るお客さんからただ微笑ましく見つめられた。巡さんはドイツ語を、塔子さんはフランス語を、交えながら店内のお客さんに訳して、ただ和やかにして行った。中学生時代はカラオケ行くお金が勿体無いから、巡さんが動画サイトで耳コピーしてはYAMAKIの木目調アップライトピアノのSwan Lakeでプチカラオケしていた。あの成宮巡のピアノに南野塔子の歌声がかと、工房オレニアンでは、ど偉い嘆息が漏れたそうだ。

 そこで話題になるのは、当然前座だけどリサイタルに来てくれるわよね。何言ってるの大人気でチケット取れる訳ないでしょう。巡さんは、即座に懐からオレンジの関係者席のチケット2枚切って渡し、無事塔子さんの願いを一つ繋いだ。

 そう記録された、ブリュッセルでの成宮巡のセットリストがやや異色なのは、そういう大友情の側面が大いにあってだ。

 ブリュッセルの巡さんの前座にて、名指しリクエストは、勿論招待され、馴染みのお客さん皆から着飾られた南野塔子さんだ。松田聖子の「蒼いフォトグラフ」の青春の一曲を迷わずリクエスト。成宮巡は、丹念に手弾いてはブラスセクションの最高音部が抜群の印象を残した。後日ベルギーのラジオ局ほぼのDJが、成宮巡観た、観れなかったが噂では聞いた。さて、日本の松田聖子とは如何に。ベルギーで、松田聖子特集が幾つもヘビーチューンになったのはそういう事情らしい。

 そして再びの話題は、塔子さんの宮城とちおとめシロップ漬けチョコレートは美味しかったですか。栽培先の宮城にレシピを渡しシロップ漬けされたとちおとめとベルギーチョコレートのビターの相性が抜群で、塔子のご自慢の創作ショコラですから、ブリュッセルに行かれたらベルギーチョコレート工房オレニアンにお寄り下さいと互いに高めた。そう轍は幾重もあれど、志があればどうして出会ってしまうのが人生です。私達は、そう何度でも言いますが。一人では有りませんからね。配信であっても皆の胸の鐘を高らかに鳴らした。


 そしてオンラインでは進行が進み、Omni Styleのマネージャー渡辺光安が。態々見切れる様にカンペを持っては差し出す。そろそろリクエストタイムに入って大円団です。成宮巡はやっと盛り上がって来たのにと口を尖らしながら、タブレットのリクエストリストパネルと睨めっこする。この曲はそうそうと、ただ満足気だ。

 このオンライン配信動画サイトSong For Fanは、投げ銭システムを有しており、音楽家によるクラウドファンディングライブに特化している。

 開発はOmni系列レーベルのOmni Fantasistaだ。ライブハウススカウティングから、いざデビューさせたいユニットがいるが、社内の評判はメジャーのレベルではないと系列各レーベルから弾かれた経緯があった。それならばと、プログラムを書ける社員を引き摺り込み、投げ銭のシステムを構築し、ユニットの動画配信と投げ銭システムを公開した所、反響が多々で、それならばと無事デビューに至り、今やプロとアマの喫水線にいるアーティストの判定の場になっている。

 そして、申請登録アーティストも増えて来ると、クラウドファンディングの目的は多様化し、高級機材購入に、スペシャルライブに、まあ生活費支援も網羅する事になる。

 オンライン配信動画サイトSong For Fan強みとして、リクエストリストは1pay100円で100payに到達すると、アーティストがリクエストに応じてくれるかもしれないの権利。しかも演奏に応じなくてもアーティストの懐に入る為確かな応援になる。

 リクエストが絶対条件で無いことがアーティスト性を重んじてくれる事を意気に感じるし、そういうアプローチもあるかでアーティストもただ研鑽の場になっている事だ。

 そして無事演奏を終えたリクエストは、payを投じたファン漏れ無く、サイトコンシェルジュによって、リクエスト楽曲を抜粋したアーカイブを1ヶ月間は見放題となる。

 現在のリクエストはトータルで43,525payで、巡さんの目標額500万円到達はやぶさかでは無い。

 そして今回、全世界のファンが配信を見ている為に、リクエストはクラシックも多いが、どうしてもリクエストが分かれ多岐に振れまくる。

 気になる曲は「Kiss - Rock And Roll All Nite」「Bon Jovi - Livin' On A Prayer」「Rick Astley - Never Gonna Give You Up」「Tears For Fears - Everybody Wants To Rule The World」「Steve Winwood - Higher Love」「Pure McCartney - No More Lonely Nights」「The Police - Every Breath You Take」。参加者のパイが大きいと、手堅い印象はあるが、それを超えて来るのが成宮巡の大いなる期待値だ。世界のアーリーアダプターは、成宮巡とは何者になるかを知り尽くしている。

 そして、俺はノートパソコンのキーボードをトントンと叩き、大台の100payをある曲に一気に投入した。モニターに出力された配信のそのリクエストは、一気に111payとなっては、大江家は良いと悪いの絶叫の運びになる。良いは桜子で、悪いは千代子だ。食いついてきた千代子に、俺はただ叩かれまくる。その由縁を辿るとこうだ。


 今から20年前の1999年は、俺達の青春時代真っ盛りだ。俺・指宿建生・岡崎丈紘のトリオ天元は、地元東陽町の各実家を継ぎ忙しながらも、建生の持って来る合コンに誠実に明け暮れた。それも早く家族を持てとの東陽町界隈筋の意向だったらしいから、大人は、いや今となってはかなりの正解だとは思う。

 ただ合コン三昧となると、俺らの小遣いではやや足が出るので、見た目は東陽町のおしゃれスナックも、良心的なママ国木田陸のスナック陸での開催が始終だ。何よりは陸ママの進行がかなりのツボを得てる。無関心な俺、軽薄な建生、無口な丈紘でそこそこに盛り上がるのがどうしても魔法としか言えない。

 その合コン18回目の1999年の7月3日の土曜夜はただ格別だった。合コンの相手は老舗文具店室伏屋のOL3人組。何より俺達より喋り倒しては、最新鋭の通信カラオケで女子が想定外盛り上がった。盛り上がったのは宇多田ヒカルのデビューブレイクに伴い、息継ぎ難解な曲に挑んで止まないからだ。

 その中でも、尾山千代子の宇多田ヒカルの「First Love」は秀逸で、俺は惹き込まれた。独特な高音がさざめき、歌詞を知り尽くした抑揚のカーブを描いては、惹きつかせる。ただここぞのサビの駆け上がりでブレスを溜めきれないのか、逆転の発想でオリジナルの即興リリックを醸し出す。今でこそラップ界隈の範疇だが、そんな事が出来るのかと舌を巻いた。その視線同士が合い、俺が、尾山千代子に好意と受け取られたのか、その後の話合いは、何でブレス続かないかな、ここジャズマンさんなら一小節位置き場所作れますよねとただ押された。いや尾山さんはこのままで素敵ですよと純粋に返したら。皆にただ微笑まれた。忽ち、がらっぱちでややお局様の入った尾山千代子が、俺の右肩を何度も照れては叩いた。後に陸ママ曰く、女子は努力した挙句を誉められると嬉しいものよ、雅匠さんと千代子さん付き合っちゃいなさいよと促された。

 それからと言うものは、俺達3人お仕事ご苦労さんの労いでスナック陸に集まる際は、何故か尾山千代子も駆けつけては万全の盛り上がりになった。唐突感はあるが、画して交際3ヶ月を経て、周りに押されて、いつの間にか千代子と結婚していた。優雅な結婚式では、千代子が丹念に編み上げたヴェールの横顔の印象が強すぎて、馴れ初めがついつい吹き飛ぶ。千代子は言う。付き合ってを言っても私、プロポーズも言ったのも私、婚約指輪を選んだの私。折を見ては、千代子を見る目がぼんやりすると、改めて何もかもレクチャーされる。ここでの、それでさあは。俺のどこが良いのかになる。それは婦女子が強く語る確認事項なので、深夜迄大説教されては言い足りてやっとの就寝になる。つまり、掻い摘んで言うと。あなたの視線は優しく、話し声も説得力も有る。そんな男子あと1000人はいなくはないけど。それもただ袖振り合うも他生の縁なのよ。ご縁ね。

 千代子を一目で気に入った祖母文世さんは、何かと千代子の手を握り離さない。雅匠は頑張り屋さん、でも千代子さんがうまく導いてね。勿論夫婦ですからと、二人が共に泣き談義に入る。頑張ろうか俺にもなる。文世さんは、何かと俺達夫婦を臨終迄励ましてくれた。


 そんな懐かしい思いが巡る中、成宮巡のリクエストは「Bon Jovi - Livin' On A Prayer」「Chopin - Minute Waltz」「The Rolling Stones - She's A Rainbow」が終わる。そして、思惑有り気な表情で「宇多田ヒカル- First Love」をセレクトした。当然我が大江家は二世帯住宅でも外迄悲鳴が上がる。

 成宮巡の「First Love」は、甘いナローテンポのアルペジオによって惹き招き、あのSwan Lakeの有るべき最高音部のピアノの音色の響きで、思春期に傾く、ピークな感情の思いそのものを体現する。

 そして、サビのメロディアスは、高音で切なる響きを見せる筈が、成宮巡のキュートが存分に発揮される。そのCナチュラルのトークンピアノを聞いた俺はそうだろうなだが、千代子は忽ちソファーにしな垂れ崩れた。してやられた。


 それは先日の巡さんの帰国の際の出来事だ。マインツから乗り継ぎを経て、羽田空港でトランスファーし、女川迄の移動方法で、気さくに東陽町の大江珈琲館に寄るのが、留学期間の習慣と化している。

 巡さんは、今回は漸くお酒の耐性が出来ましたとで、念願の東陽町のスナック陸のデビューと相成った。集まったのは主役巡さん、俺達大江夫妻、指宿夫妻、岡崎夫妻、ママ陸さんとで急遽の貸し切りになった。遥も桜子も行きたいとごねたが、お前ら口が軽いだろうで一切のシャットアウトにした。

 祝賀会のルールは幾つか、一切他言無用に、お酒を楽しむ、楽器に逃げない。まあ、自然とカラオケ大会になるのだが、存分に張り切るのが千代子で、どんどん皆の勝手知ったる十八番と変化球をリクエストを、容赦無く注ぎ込み、見事な大さばきを見せる。

 そしてトピックたる挑戦者千代子の十八番の「宇多田ヒカル- First Love」の幕が上がる。千代子は既に泥酔状態で、サビに容赦なくR-18どころか、俺が完全に引くに引いた、リリックを繰り出す。いつも息継ぎ出来ずに、感に入った千代子が俺の右肩を何度もグーパンチする。もう数え切れない位食らってるが、その夜は一味違った。千代子の黄金のリリックの概要はこうだ。

 社会人になって初めて付き合ったエリート商社マンが、大江珈琲館にやってきては、今晩どうもなんて、浮気で堪え性の無い昔は長身ハンサムも今や中年でどっしり、性的嗜好が人妻漁り迄落ちるなんて、今も変わらぬクズ野郎。けつをまくって今すぐ帰りやがれ。とスナック陸の皆が声を無くすのだが、その先を俺は知っている。先日千代子が、うらぶれた中年男性の顔面に右ストレートを入れ、言葉の通り、けつを蹴飛ばし、一生出入り禁止だと、声を張り叩き出した。どうした。別にああと、千代子の目が血走る。後になってそう言うことかになる。


 そのスナック陸で披露した千代子のリリック部を、今巡さんは音感そのまま演奏し、同様に奈落に落とそうかのロケーションを張ってはC調のボイシングを交え、不協和音のコードを入れ込み劇的な打撃音で迎える。そして最後のサビで、えらくメロディアスに弾き語る。これは俺と千代子の出会いこそが尊いFirst Loveと、俺達だから痛切に伝わる。

 ただ、この「宇多田ヒカル- First Love」の解釈は一体何事かのコメントが5倍速で流れて行く。頭をただ抱えた千代子がいつの間にか、俺の右肩をばんばん叩いた。俺は堪らずに。


「何だ、泥酔したら、朧げじゃないのか」

「いや、その、そこは全部覚えてる。この黄金のリリック、何せ私のFirst Loveレパートリー史上五本の指に入る出来だもの」

「結果どん引きも、場を盛り上げる為に、千代子の物語を聞かせて良かったのかよ」

「良いのよ、むしろ聞いてよ、私の苦い思い出の一つのFirst Loveが、こんな風にうらぶれるなんて思って見なかったわ。本当最悪よ」

「とは言え、俺も明日は我が身かもな、」

「雅匠さんはね、そこは、こう意地でも言うの、君の物語になりたいって。ああもう、最後のサビの雰囲気してやられた、今後私のリリックって乙女になるしかないじゃない、これ営業妨害じゃない」


 千代子のリリックのセンスは独特だ。時代がもうちょっと後なら、フリースタイルで流暢に勝ち抜いて、何れかのレーベルでデビューしてたかもしれない。でも大江家は今のこれで正解だと思う。まずは、人生を日々謳歌する事が何よりだ。


 コメントの流れが止まらない中、巡さんが落ち着かせるべくトークに戻る。

 この「First Love」は愛すべき知人へのいつもの感謝を込めての特別仕様です。そうFirst Loveは思い思いで数多と有りますから、物語とは尽きぬものです。巡さんのFirst Loveとは。ごく最近何となくぼんやりなんですけど、セッションに入った好青年若槻応意さんのトランペットの響きにぽわあです。あのフラット菅の半音の鳴りは生ピアノで出せないから素敵です。本当音楽大好きなんだな。

 当然の様に、これまたコメントは、成宮巡は結局そこかいの総突っ込みの、実にらしいで落ち着く。


 そして、リクエスト規定時間を迎え、トータルで73,397payで締め切られては、成宮巡音楽教室のクラウドファンディングは、一先ず大成功した。

 巡さんが、最後の曲はどうしようかなに至り。Omni Styleのマネージャー渡辺光安が態々見切れる様にカンペを持っては差し出す。あれをまだ言ってない。

 巡さんはただ、思いを巡らしながらも、漸く訥に語り出す。

「そうなのですよ。現在。各フリースタジオでセッションをしているのですけど。このセッションの中で、いいなあの音源を、Omni Classicから来年1月1日にCD発売する予定です。とは言え、Omniの育成契約は、CD5枚契約なんですけど、もうセッションだけで、軽く100曲はこなしてるからどうなんでしょうね。本当選べませんよ。そう言いながら新録も続きますしね。二枚組どうですかの相談も、そんな新人はピアノシンガー新木馬暴風がリリースしたので却下。じゃあ誰かが歌います。それなら巡さん歌いなさい。ここでうーんですよね。それだったらピアノ弾き倒したいです。ああでも、裏話が過ぎますね。そう、ファーストアルバムご期待下さい。特別な一枚に仕上げますので、お買い上げ頂けると本当に嬉しいです」

 ここで、当然コメント欄は、満を持しての祝福コメントに溢れる。

 そう、今は一部の関係者しか知らないのだが、大江家へと極秘に送られてきた、出来立てのサンプル盤のそれは、既に来年1月1日発売予定の1stアルバム「きみの物語になりたい vol.1」として、ジャケット写真迄仕上がっていた。

 ジャケット写真は、写真家沢渡慎一の発案で、地元女川にて、皆で手を繋ぎましょうから発し、丘から海に届く勢いの千人に及ぼうかが次々と数珠繋ぎになった奇跡の一枚だ。俺はただ素晴らしいと成宮巡にメールを送った。巡さんは、このアルバムにあった曲のセレクト、いや新曲「Te quiero, y me tienes a mí.」のモチーフがもうちょっと頑張らないと。「Te quiero, y me tienes a mí.」は、スペイン語で「私はあなたを愛しているし、あなたには私がいる。」。「We are the prayers.2018」のスペイン公演後の物販で、多くのご婦人方に、その言葉を掛けられ熱い抱擁をされたそうだ。これは巡さんに向けられた言葉以上のものなので、時間を掛けて仕上げましょう。いい作詞家さんいませんかね。それもまた出会いでしょうとは返した。


 そしてモニターの向こうでは、巡さんがSwan Lakeを見つめ大きく息を吸い込んでは、鍵盤に運指を沈ませる。

 最後の曲として「Schubert - Ave Maria」を、スローテンポでも、感情に任せた最高音部迄のアルペジオを、腕交差奏法を駆使しては奏でてゆく。

 その訴えかける光景はまさに、聖母マリアを優しく起こすかの様な響きだ。柔らかな日差しと小鳥の囁きで、聖母マリアの麗しい瞼が上がる。

 東日本大震災のあの惨憺たる風景は、どうしてもの福島の一部を残し、無かったかの様に流れゆく。そして忘れて前に進んで良いものか、それは否だ。

 世の中の風潮は、所詮時が流れゆく中では、世界の一人は所詮個別の一人で、悲しみを背負うのが、それも仕方のない人生かの様に虚ろってしまった。俺はそれでも言いたい、君の、あなたの、そしてその棟続きの方も、その悲しみを許容し前に進んで行きたいと。

 2年後の2021年には、10年一区切りで何もかもリセットされるかもしれない。その20年後、30年後、いや100年後には、全ての記録記述からうっすら消えてしまうのは、どうしてもそうなってしまうの予感を禁じ得ない。

 俺は、その苛立つ顔を伏せる為に、腰を上げ、庭に出ては夜空を眺めた。星光が瞬く中、成宮巡の「Schubert - Ave Maria」の荘厳な旋律を超えて行くかの様に、西の夜空に、一つ二つ、いやもっとの流星が、新たな生命の誕生を喜ぶ様に流麗に流れ行く。

 きっと、あの新世紀の奇跡の夜も、ベツレヘムの星夜はこう祝福に満ちたものに違いない。聖母マリアの慈しみは、有形無形に関わらず、世界の特異点となり、新世紀の起点になる。それも多くの悲しみが連なった事による。俺は感じる。何かが胎動している。ジーザスの再誕とかではなく、新たな希望が、この先にきっとある。

 俺は、とっさにこの流星夜を見せる為に、桜子と千代子を手招きした。フッ。俺のその手は、既に温かい手二つに何故か包まれていた。桜子と千代子が流星夜を見送る。希望の予感は決して間違ってなかった。この世界が、今も尚瞬く中で、俺達の様に手を取り合い、きっと同じ光景が連なっている筈だ。俺達は一人じゃない。親愛なる仲間がいる。そして聖母マリアも見守っている。そう、ここだけはどうか静かに頷いてくれないか。この聖き星夜の下で。

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