海の化身


「か! カノン!」


 体勢を整えて抜剣。そこからの武威の発露はさすがの一言。ちなみに私はいまだに状況がよく分かっていない。クロノスを突き飛ばした私の左手が裂かれたのは分かったんだけど、あまりに唐突だったので痛みは反映されない。痛覚は正常だけどおそらく脳の方が認識していないのだろう。突発的な痛みには良くあること。


「大丈夫か!」


「死んでいなくてごめんなさいね。それよりアッチをどうにかして」


 無事な右手で襲撃者を見る。竜人。ドラコニアンといいましたか?


「アレは何で?」


「自然現象の擬人化だ」


「精霊……でしたか?」


 学園の講義で聴いたことはある。非実体の属性生物。人とは別の意味で属性を持ち、魔法を行使する純思念存在。


「にしては人っぽいんですけど」


 水の精霊なのだろう。さっきの斬撃もウォータージェットだ。水魔法なら為し得る能力。そして海にいる時点でまぁお察しです。


「――――――――」


 また少女の咆吼。


「お嬢様! お逃げください!」


 カッホが何時もより五割増しで背筋を正し、私を庇うように位置取りする。


「クオリア殿下とオリビア殿下は?」


「既に逃げて!」


「というかお前は出血をどうにかしろ!」


 クロノス殿の意見もご尤も。


「捨ぁ!」


「ルアッ!」


 そして彼と少女が互いに間合いを潰しました。一瞬のことです。私の目に止まらない剣撃が音として五回聞こえると、その理解が及んだときには既に間合いを離しておりまして。


「のけぃカノン!」


「いやいいんですけど何処に逃げろと?」


 おそらく彼女……竜人の少女は海を操るのでしょう。しかも呪文も宣言も無しに。その意思を汲むように海は荒れ、波は吠え、雲が蟠りまして。正直なところ街の何処にいても津波の脅威は変わらないような。


「だからって此処にいてどうなる!?」


「津波を抑えるくらいは出来ますけどね」


「お前の管轄じゃねーよ! というか血を止めろ!」


 完全に手首の動脈は切られており。


「この星の魂よ。地に向かい空を落としたもう。星々の光さえも堕落させ」


 呪文ソング


 宣言コール


重威爆撃インビジブルボミング!」


 不可視の重力をそのまま大量に発生させて加速させます。星のエネルギーをそのまま現出。結果として港が一部欠けました。まるで角砂糖を力で無理矢理破損させるように、ごっそりと重力が欠け能う。人の避難はしているのだろう故にちょっと広範囲に。地面すらも押し潰す超重力の結界です。当然ボコッと不自然に陥没した港がちょっと出来の悪いジョークのように映ったけど、その中に竜人の少女も含まれて。


「悪いことしましたかね?」


「というか何故水竜が襲うんだ? こっちは何も悪い事していないぞ?」


「というと?」


「その前にお前は血を止めろ!」


「失礼しますお嬢様!」


 自分の服を切り裂いて、カッホは私の手首に布を当てます。諾々と零れる血は久方ぶりに見るような。


「まずは魔法医に。治癒魔法が肝要です」


「お金在ります?」


 無いでは無いですけど、預金からキャッシュに換える手段は銀行にしかないわけで。カード払いというものもこっちの世界には存在し得ないですし。


「俺が払う。というか借金だが。将軍の名前なら信頼もされるだろ」


「何故?」


 貴方に何の義理が?


「お前は! その考え無しなところを改めろ!」


 憤激するように……というか憤激して、閣下は私の胸ぐらを掴みます。


「仮にこれで手首だけで済まなかったらどうするつもりだった!?」


「どうするつもりだったんでしょう?」


 いや。でも。私が突き飛ばさなかったら、貴方が標的になっていたわけで。その場合、手首で済んだとは到底思えず。


「傷を負うのは俺の役目だ! お前は守られていれば良いんだよ!」


「貴方より私の方が価値は低いでしょう? 私が傷ついた方がコストパフォーマンス的に正解じゃありませんか?」


 ところで活アジのタタキをもうちょっと食べたいような。


「ふ、ふ、ふ!」


「ふ?」


「「巫山戯るな!」」


 喝と激が飛んで。男子二人のユニゾン。パシンと頬をビンタされました。やったのはカッホで、睨み付けるような視線。クロノス殿もカッホを驚いたように見やっています。


「お嬢様より大切な物などこの世に存在しません! ご自愛ください! まして誰かのために貴方が傷つくなど間違っても有り得ないことです」


「有り得ているんですけど」


 布を巻かれた真っ赤な左手首を見せる。


「クロノス殿もどっちかなら私が死んだ方が良いですよね?」


「次言ったら犯す……」


 うわ。眼がマジだ。どんより青く光っている。


「お嬢様!」


「カノン!」


「うーん。愛され系女子」


 というか何故私なんかでそんなに激昂できるので?


「お嬢様が大事なんです!」


「お前は毎度毎度そうやって不遜と無自覚を!」


「あの」


 ところで私は海の方には指を向けます。


「言ってる場合ですか?」


 津波が起こっていました。しかも災害クラスの。


「カッホ」


「はい」


「魔法医をここまで呼んでください。こっちから訪問する暇がありません」


「いや! お嬢様!?」


「水魔法の干渉系ではちょっと難でしょうアレは。闇魔法じゃないと防げませんよ?」


「というかお前のソレは闇魔法なのか?」


 それなりに。暗黒エネルギーですし。


「――――――――」


 竜の遠吠えが聞こえます。水の精霊。水の意思。水の擬人化。港の海面が下がるように退いていき、そのマイナスを埋めるように巨大な質量が怒濤となって襲い来る。多分、普通に見過ごせば街の八割は消えるでしょうね。


「ところで可愛い子でしたね」


 竜人の巫女は。


「こと此処に及んで他に言うことは無いのか?」


「出血のせいでハイになってるんでしょうか?」


 波濤を眺めやりながら私はすっ惚けます。


「お嬢様!」


「魔法医の場所は分かるので?」


「お嬢様も御避難なさってください!」


「いや、アレを人の足で今から逃れるのは虫が良すぎる気もしますけど」


 完全にこの街を殺りにきていまして。


「なので私は残りますよ。殺したくないなら迅速な医療調達をお願いします」


「急げカッホ!」


「承りました。これ以上お嬢様を傷つけたら監督責任で割腹して貰いますからね?」


「何でもやってやる。とにかく今はカノンが第一だ」


「いってらっしゃい」


 無事な右手でヒラヒラと送り出します。


「さて」


「アレか」


 私とクロノス殿は互いに視線を海原に向けます。急に不機嫌になった海の心情はともあれ、ここにきて何だか不穏な空気。


「貴方はよく分かりませんね」


「お前ほどじゃないが」


「私を生け贄にして効率よく精霊を鎮めれば良いのでは?」


「だからお前は気にくわないんだよ」


「死ねと?」


「絶対に俺より先に死ぬな」


「確約は出来ません」


 さすがに殺されれば死にますので。


「反故にした場合は?」


「地獄で説教」


「後追いするので?」


「…………約束があるからな」


 はて?


「だから死ぬな。傷つくな。危険なことをするな」


「貴方にも言えますよ? あんまり不穏なことをするとオリビア殿下が悲しみます」


「それを本気で言えるからお前は侮りがたい」


 どういう意味です?


「その鈍感さと不遜さは死刑宣告されても変わらんのな」


「悪役令嬢ですので」


「その単語は知らんが、あまり自分を卑下するな」


「とは申せども……」


「少なくとも俺は味方だ」


「アハハハハ~」


「信じてないな?」


「いや笑うところかと」


 何のジョークで?


「はあ。ま、いい。なんにせよ悪戯に時間を浪費してもな。とにかく水霊の宥めと状況の発端を把握しないといけないんだが、後者は王室に任せるか」


「というと?」


「ドラゴンレベルの模人精霊が現われるって事は自然に対してタブーを破った証拠だ。この場合、漁師か騎士か商人か。あるいは自滅願望持ちか」


「他国の陰謀という可能性は」


「俺も真っ先に考えた。戦争よりリーズナブルだからな」


 故意に自然禁律を破って街を襲わせる。陰謀論めいてるなぁ。


「そうなると目的は……」


 と考えているところに大波濤が押し寄せて。とりあえず目の前の処理ですね。


「ことほど然様に。暗黒の仕事もて隔絶を創りし。その全てを拒絶する。構築されしは他者の意、介在しない楽園なりて。万刻の安寧は理想の停滞を此処に導く」


 呪文ソング。そして宣言コール


斥力世界パワーサンクチュアリ


 広範囲の斥力場が、海と港町とを隔絶する。精霊に唆された質量が鏡面に反射するように水平線へと進路を遡行する。まぁ本質が波なので、ちょっと障害を与えると簡単に反転してくれるのも自然現象のいいところ。


「適当にやってくる。死ぬなよ」


「正にこっちの台詞なんですけど……」


 荒れる海に一歩踏み出し、抜いている剣をクロノス閣下は構える。というか海面を走るのは人間の常識としてどうなんです?


「騎士なら水面を走るくらいは出来るぞ」


 烈○王か。バシリスクっていうトカゲは確かに水面を走るんですけど。人間で同じ事を体現するのはかなり無茶では?


「じゃあな」


 パンと音が鳴ります。これも自然現象。音速を超える物体が空気を打ち鳴らす音です。つまりクロノス殿は超音速で海を駆けたことになり…………いや、これ以上は考えない方が良いですね。ところで私の血の量って後どれくらいでしょう?


「――――――――」


 竜の咆吼が聞こえます。竜人。ドラコニアン。


「可愛い少女だったなぁ」


 あるいはクオリアに匹敵するほど。王女殿下は既に避難し。クロノスは水流の鎮圧に。カッホは魔法医を呼んで。私は港にただ一人。で、まぁ、こうなると私が対処するしかなく。


「ほう。かの毒嬢がまさかこれほどとは」


 まーそーなりますよねー。


 嫌な予感というのは当たるモノで。騎士の格好に扮した男の人が鬱陶しげな眼でコッチを見やります。


「あの大波濤すら弾くか」


「さほど大仰な真似はしておりませなんだ。ところで港町潰して何の益が」


「死に行く貴方が聞いても詮方無きでしょう」


 まことにご尤も。


「せっかくここまで水竜を激怒させたのだ。相応の結果無ければ将軍の下に帰れないのでね。貴方とクロノス閣下には眠ってもらう」


「いやまぁ私が死ぬのは世論に合致するんでしょうけど」


 クロノス殿は普通に我が国の宝なんですけど。


「だからだよ」


「だからですか……」


 あんまり出世するのも考え物で。


「海に帰れば人魚姫の抱擁が待っているさ」


「あ、読んでくれたんですね。人魚姫」


「む?」


「アンデルセン童話の一例ですよ。ちなみに私がベルナシオン。およそ原文からはちょっと改編しております」


「ほう」


「感想は?」


「良く出来ていた。読んでいて面白かったよ」


 ガッツポーズ。


「さて。その思想を摘むのも気が引けるが、政治的な配慮に個人の人権は加味されないのでね」


「だから私も憂いなく命を賭けられるんですけど」


 どうせ死ぬなら私で良い。


「では」


「参りましょうか」


 テロリストに勝てるかは……この際、換算しないとして。

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