幼きの郷愁と
「貴方! 私のモノになりなさい!」
「ボク?」
「そう! 貴方よ!」
「いいの?」
「私が目をつけたからいいのです! 精進することですね!」
「にゃ……」
「私の名はカノン! カノン=クリスタルキング! 貴方の名前は?」
「ボクの名前は――――」
濡れ羽色の髪の少年が答える。その名を以て。
「あーっと……」
突発的に起き上がる。気付けば学園の寮部屋。
「……………………夢」
ドリーム。
「おはようございます。お嬢様」
既にかっちり執事服を着こなしているカッホがいました。
「如何に致しましょう? 茶も湯浴みも準備させて貰いましたが」
「あー、お風呂入ります」
「ではその様に」
こんなに気が回るなら何処に行っても大手で歓迎されるだろうに。
「世の不思議ですね」
ベッドから浴室まで移動し、ちょっと熱めの湯に浸かる。
「にしてもコンプレックス……」
ふにふに。こっちのカノンは能力値的に恵まれております。胸囲的な格差社会。
「結局何なんだ……って話でして」
まず私の人格がどこで形成されているのか。記憶にはまだカノン令嬢のものが残っているのか。その場合、私の持つ記憶は何処が出自なのか。
「分からない物ですね」
朝の洗髪と沐浴を済ませてタオルで拭い取りまして。使用人がカッホしかいないので、パーソナルは自分で。言えばしてくれそうな気もしますけど、そこは遠慮の二文字。
「お茶にございます」
「ありがとうございます」
朝の支度の前にティータイム。カッホの淹れる紅茶は美味しいのだ。
「うーん。幸せ」
「お嬢様宛に少し嘆願が来ております」
「だいたいわかりますけど何と?」
「編集から舞台脚本の依頼。王宮からも。ついでに劇団からもですね」
「うみゃあ……」
嘆息の一つもしてしまうわけで。
「カッホはどう思います?」
「お嬢様が評価されるのは喜ばしいかと。見聞きしたとは言え伝聞にも価値は在りましょうぞ」
「だったら良いんですけどねぇ」
紅茶を飲んでホッと息をつきます。朝日の眩しさの心地よきこと。
「出版も好調とのことで」
「最低限金銭を貰えれば申し分なかったんですけど……」
「あの物語は人の心を打ちすぎます」
だから再現したんですけどね。
「さてでは朝食に」
「食堂ですか?」
「自分じゃ作れませんし」
「わたくしが出来れば良かったんですけど」
「素材の保存にも限界はありますので」
まずコッチの世界には冷蔵庫がないのです。新鮮な食材は望むべくもなかったりして。
「じゃ。着替えますか」
「お召し替えは」
「自分でやります」
「お嬢様」
「カッホにやられると恋心が」
「ご冗談を」
「そうなら問題も在りませんぞ……」
世の中って奴は……意地悪に出来申し。
*
「ベルナシオン先生」
「はいはい?」
朝食用の席に着く。パンとチーズとサラダとスープ。平民向けの学食なんだけど、金が掛からないのでとても利に優れています。
「ロミジュリ読みました」
「ありがとうございます」
「あれは先生のご体験ですか?」
だったら私、死んでると思うんですけど……。シェイクスピアの悲劇好きは、もはやアイデンティティだ。
「吟遊詩人に聞いただけですよ」
「どこのでしょうか!?」
「風から風にまたぐお人でしたので」
空っ惚けるようにファンの学生に吐きます。
「あの。サインを」
「そういうのはサイン会でお願いします」
文学少女は異世界無双。
「あの」
また別の生徒が話しかけてくる。平民出身の学生には最近結構受け入れられていた。
「夜魔法の可能性について……」
「闇魔法ですけどね」
そこは婉曲にしなくても良いんですよ?
「なにがベルナシオン様をもって秀でさせるのですか?」
「そんなつもりもないんですけど。どっちかってーと嫌われてますし」
ピッと貴族側を指差します。反感の視線。先の魔法講義の結果が貴族の御令嬢には面白くなかったようで。
「王宮の賢者も知らない魔法だったとか」
そりゃ知ってたら噴飯物ですよ。
「なのでアドバイスくらいはしますけど、あんまり私と仲良くしない方が良いですよ」
サラリと述べて、席を立つ。
「お嬢様……」
「カッホは優しいですね」
「お嬢様が優しければこそ」
食堂で朝食をとり終え、教室に向かう。腹もくちくなりましたし、概ね満足。周りの視線は二極端でした。好意か悪意か。前者は概ね平民出身で、後者は貴族の出身か。
「カノン殿?」
そこに簡素な呼び声の。見れば清潔な同年代。ただし異性。
「――――――――」
スッとカッホが精神を尖らせる。過保護のような愛されているような。
「私はクリストファー=ボルトン。伯爵のものです」
「はあ?」
「カノン=ベルナシオン嬢。見れば見るほどお美しいですね」
「どうも」
なんだろう。この悪寒は?
「私とお付き合いしてくださいませんか? 幸せにしてみせます」
……えーと。カノンってモテるの?
「正気ですか?」
「もちろん」
「かの悪名高き毒嬢カノンですよ?」
「晴れやかな心の持ち主と聞いております」
「ちなみに私のことは何処で知ったので?」
「それこそご高名を」
「あー……」
さてどうしたものか。あんまりその手のことは幻想も持てないんだけど。
「私には想う人がいるので諦めてくださいとしか」
「ではその男と引き合わせてください」
そう来るか。
「カッホ?」
「良きままに」
さすがの紳士は真摯でした。
「お前が?」
「お嬢様の幻想を受け止める身です」
「使用人風情が大きく出たな」
「まこと」
「いや。普通に好きなんですけどね」
ポヤッと私は述べるモノで。
「カノン嬢を誑かしているのか?」
「よく言われます」
実際好男子だし、乙女の心を弁えてるし。
「じゃあ――」
「――伯爵如きがカノンに手を出すか」
激発しようとした貴族のボンボンに冷や水のような声が掛けられる。聞いた声だけどカッホではない。どっちかってーと青年より少年寄りの気色が乗っていた。騎士団の制服に勲章が印象的な御様子。濡れ羽色の髪は艶やかで、そこはまぁ御尊貌麗らかです。
「クロノス閣下」
カッホが正解。クロノス殿だった。腰に帯剣している刃物がカチリと歌っていた。
「お姉様……!」
そしてその背後から現われた幼女が私に抱きつく。こっちはクオリア殿下だ。毎度の如く恋心をどこかにホームランしているようで。
「お久しぶりです殿下。閣下」
クオリアとクロノスに声を掛ける。
「で。なんなんだ是は?」
「世に不条理の多いこと」
「お前が言うか」
「たしかに」
クロノス殿のツッコミも確かでして。
「何をしに?」
「たまにはお前様の顔も見ないとな」
「お姉様~!」
クオリア殿下はもうちょっと自重してくれると嬉しいんですけど。
「風聞はよろしいので?」
「殿下のカノン好きはちょっと沸騰気味だ」
なるほど。クロノスはその付き合いと。たしかに個人でこっちに来たりはしないだろう。普通に嫌われているし。とはいえクオリア殿下の護衛をそこらの人間に任せるのも違うか。
「お姉様のためにお弁当を作ってきました!」
「可愛いですねクオリア殿下は」
「えへへ……」
友人のペットに懐かれた気分。
*
講義が一先ず終わった後。原っぱでシートを敷いて、私たちは殿下のサンドイッチをおもむろに食べ申し。美味しかったけど美味しくなくても「美味しい」って言うよねこの場合。
「で、ま、こんなところ」
ついでに学院での知り合いも呼んで、ちょっとお茶会気味。チェリーガールのことなんだけど。六弦琴をジャーンとかき鳴らす。今回はクラシックなので歌詞は無し。
「凄くきれいな旋律……!」
「上手いもんだな」
殿下も閣下もご満足のようで。
「なんて曲? 師匠……」
「カノンです」
「師匠の名前……」
「パッヘルベルのカノンって言ってね。中々でしょ?」
誰でも聞いたことのあるミュージックだ。
「楽譜を!」
はいはい。
「おい」
しばらくチェリーガールと音楽対談をしていると、グイと首根っこを掴まれた。まるで親猫が子猫をそうするように。
「なにか?」
「お前様、音楽なんて」
「素人ですが」
お金取ってないし。
「花とか何処で?」
「祈りの果ての、かく奇蹟」
「王宮に戻ってこないか?」
「何故に」
私が顔を出しても問題しか起こらないような。
「罪は代償を支払っただろ」
「死んでないですけど」
「いや。まぁ」
最右翼が困惑していました。今更「死ね」と言われても困るんですけど。
「お前だって公爵に戻りたいだろ?」
「ことさら未練もござらんですよ」
「……………………」
何故睨み申す?
「率直に聞くが」
「如何様にも」
「あの男が言い寄ったときどう思った?」
おそらく朝の事案だろう。
「んー。趣味が悪いとしか」
「仮に別の奴だったら?」
「人によるとしか」
ホールドアップ。
「将軍とかどうだ?」
「貴方様も将軍でしょうに……。クロノス殿なら……まぁ……」
「本当か?」
「ありえないですけどね。失礼な妄想をしました。乙女の雑事と切り捨ててください」
「ぐ……」
「あとは……まずは知り合って時間を重ねた人間としかそう言った感情は持てませんし」
「突発的にナンパされても応じないと?」
「選ばれる側が何言ってんだって話ですけどね」
「お前、昨今の評価を知らないのか?」
「それなりに嫌われていますよ。貴方もそうですし、貴族の御令嬢の皆様方にも」
「辛いか?」
「助けを求めたらどうするので?」
「それなりに助ける」
「閣下が?」
「悪いか?」
「いえ。ちょっと意外で」
「俺にしてみれば昨今のお前が意外なんだが……」
「男爵乙女は慎み深く」
「地獄に堕ちても不遜貫きそうなモノなのに」
そこは論じない方向で。
「お姉様……」
ムギューッとクオリア殿下が抱きついてきまして。
「お姉様……。次のお話は……?」
「出版物ですか? カーミラとか受けそうですよね」
百合百合純愛吸血鬼。
「ていうかどこでそんなアイデアを」
「人の想像の延長線上ですよ」
呆れ果てるクロノス殿に軽やかなウィンク。
「お姉様お姉様お姉様~」
「あんまり近すぎるとオリビア殿下が怖いんですけど」
「そこはすまん」
「何故クロノス殿が謝るので?」
「あーっと……その……監督不行き届きというか……」
それは御苦労様。パッヘルベルのカノンを奏でる。
「俺は別に何でも無いからな?」
「何に対する掣肘ですか?」
「いや、つまり、オリビアとは関係ないというか。俺にも俺で都合があるというか」
「そんなに面倒くさいロマンスで?」
「お前の書くフェアリーテイル並みにな」
それって考え直した方が良いレベルでは?
「お前が言うな」
半眼で睨まれました。何故よ?
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