アンデルセン先生の偉大さ


「よう」


「どうもクロノス様」


 牢屋で過ごして一週間が経った。


 人間的な生理機能については黙秘するとして、他にすることも無く私は記憶の中のアンデルセン先生を辿りつつ暇を潰していた。


 いやー。やることが無い。本も支給されず。好男子以外は顔も見せない。


 彼は名をクロノスと言った。

 何でも将軍の子息で、王子の良き親友で兄貴分で相談相手。笑顔爽やかな出来息子だとのこと。

 公爵家のカノン嬢(一応私のことだ)とも知己で、顔は知っているらしい。ソレこそ私の認知外だけど。クロノス様は毎日のように牢獄に顔を出して、私を煽ったり挑発したりして帰っていく。


 ヒマなのか?


「今日は何用で?」


「遺書の執筆だ」


「あー」


 まぁ死ぬしね。けど異世界の文字なんてわたしゃ知らんぞ。さてどうしたものか?


「代筆はこの文官がする」


 と制服を着た役人が現われた。顔を布で隠しているので造形は分からない。興味もないけど。


「遺言くらいは聞こう」


「ん~。遺言ね……」


 いきなり死ねと言われてどんな言葉を残せというのだろうか此奴は。


「何も無いのか?」


「クロノス様は私の遺言なぞ聞きたいので?」


「みっともない自己弁護を羅列されたら……嬉しくて喝采するな」


「いいご趣味をしておいでで」


 サラリと流す。彼の性格の見事さは既にこの一週間で悟っている。


「ではカノン=クリスタルキング嬢。最後の御言葉を賜ります」


 文官さんは簡素な机に白紙を広げて羽ペンを持った。


「お前は遺言を吐き出した後は公爵令嬢から抹消され単なる犯罪者になる」


「さいですかー」


 別に死ぬなら貴族も何も無いものだけど。そんなに死んで欲しいならこの場で殺せばいいのに。


「では神に捧げる最後の言葉をどうぞ」


 とは言われても。

 しばし考えた後、私は口を開いた。


「俺の名はロール。クノッヘン王国の王子だ」


「?」


「?」


 クロノス様と文官が固まった。

 独白にしては文章めいた文言に困惑したのだろう。


「元々天空の神様に庇護を貰ってあらゆるものを踏破する奇蹟を得た。俺の前ではあらゆる地形がその戦略的価値を根こそぎ奪われる」


「いや。何を言ってるんだ? それが遺言か?」


「遺言です。一字一句正確に記録してください」


 ヒュンと伸ばした人差し指を教鞭の様に振るう。


「この島国は大陸の国々から侵攻を受けており、俺は王家として軍を率い、時に軍事で、時に個人で――」


 言葉を吟味しつつ語る。


 ――島国クノッヘン王国。そこの王子はあらゆる地難を踏破する加護を神から得た。国中を囲む大海すらも踏破してしまう。そんな彼は海の底の都にいる人魚姫に恋をしてしまう。海面を地面のように踏みしめる彼と、水中でしか生きられない人魚姫は、互いに触れられないまま水面と水中で互いに一目惚れ。言葉だけを交して愛を深めていく。どんなに触れたくても天空神の加護は王子を水中から弾き、人魚姫の能力は水面から上を突破できない。もどかしいロマンスの最中、大陸の国が大軍をもって攻めてくる。軍隊がすぐに動かせぬ中……護国のために海に立って孤独に戦う王子。海の魔法で助ける人魚姫。彼らは互いに背中を預け大陸の悪意を払っていく。だがそんな闘争の最中に嵐が襲う。船は沈み、銃器は濡れ、人は呑み込まれ、大陸の軍は瓦解する。最終的に荒ぶる海面にただ一人だけ王子が残される。地震より激しい海原。雪崩より恐ろしい津波。それらが嵐に誘われて彼を襲う。それを見ていることしか出来ない人魚姫も、激しい海流の中で翻弄され命を削っていく。嵐が過ぎ、大陸の軍隊が滅びた。神風とよばれた嵐は島国クノッヘン王国を救い、国民はコレを奇蹟と呼んだ。けれど王子は帰らず、死体も見つからなかった。嵐が過ぎて凪の海で、人魚姫は漸く彼を見つける。そこは深い海底の底だった。「ああ。私の王子様」……そうして死ぬことで天空神の加護から解き放たれた王子は、その遺体で以て漸く人魚姫と抱擁できるのだった。


「めでたしめでたし」


 簡潔にシメを括る。


 まぁパクリだ。

 童話作家アンデルセン先生の人魚姫を男女逆転してちょっとアレンジを加えただけ。


「なんだ……これは……?」


 聞いていたクロノス様。文面に起こした文官さん。彼らは瞠目していた。

 何かしましたか私?


「じゃ、ま、文章化よろしく」


「何だコレは!?」


「タイトルは考えてないなぁ」


「お伽噺か?」


「まぁフェアリーテイルだよね」


 思いっきり先人の遺産だけど。


「こんな才能を持っていたのか?」


「この程度で良ければ幾らでも」


 童話や小説に関しては一家言ある。


「遺言なんて後ろ向きな文章、誰も読みたくないでしょ? それなら愛と勇気のフェアリーテイルの方が面白いですし」


 ついでにカノンとしては暇潰しに物語を作るのも慰めになるし。


「他にも在るのか?」


「いや。まぁ。ある程度は」


「語ってくれ!」


「嫌」


「何故だ!」


「遺言代わりに語っただけです。どうせ死ぬんですし、これ以上は出力もしたくないというか」


 別に物語を作るだけなら脳内で出来る。楽しむのは私一人で良い。


「くあ」


 欠伸を一つ。


「じゃあ私は寝るんで。死刑まであと三週間でしたっけ? クロノス様もこうご期待。次回刮目して待て」


 そんなわけでカノン嬢の最後の言葉は終わった。




    *




 それからクロノス様は顔を出さなくなった。私は遺言執筆から三日間。ボーッと牢獄で物語を考えつつ過ごしていた。


「ぴにゃ」


 石造りの地下室。そこに愛らしい声が響く。


「うにゃ……」


 恐る恐ると言った御様子。えらく綺麗な少女がこっちを覗き込んでいた。

 服装は光沢のある生地なのでシルクか何かだろう。おそらく貴族。

 だが瞳が湛えるのは、怯えと人見知りだ。金色の髪とエメラルドの瞳。鏡が無いので私……カノン嬢の顔は客観的に見えないんだけど、体つきと私の予想はある。

 そして現われた少女はだいたい外見年齢が相似していた。


「何か?」


「カノン様……ですか?」


「そうですね」


 左足の鎖がジャラッと鳴る。


「あの……感動しました……っ。カノン様の……物語……」


「…………読んだので?」


「クロノス様が……教えてくださって……王城で空前の大流行です……」


 さすがはハンス=クリスチャン=アンデルセン。


「カノン様はすごいです。あんな感動的な物語……。私も泣いてしまって……」


 あー。私も幼い頃アンデルセン先生に泣かされた。

 仲間ですな。同志ですな。


「それにクロノス様曰く……他にも物語が在るって……!」


「そりゃ在るには在るけどさ」


「語ってください……」


「あんまり言葉にするのは得意じゃないから。吟遊詩人みたいなこと求められても」


 文章だったら少しは出来るけど。


「あ……。そうですよね……文章に……」


 石造りの天井を見上げ彼女は悩む。


「で。そんな貴方は誰です?」


「クオリアと申します……! カノン様……」


「クオリア様ですか」


「じゃあ筆記の職人を連れてくるので文章に起こして貰えませんか?」


「うーん。私にメリットが無いんですけど」


「死刑を撤回させて見せます……っ」


「別に殺してくれていいんですけど」


「ダメです……。そんなことは……」


「そんなに惜しんでくれるなら死んだ方がドラマチックでしょ? 文章以上に感激しますよ?」


「カノン様は……生きるべきです……」


「ひどい事したのに? 法に触れたんですよ?」


「それは……」


 あうあうあーとの御様子。

 ちょっと萌え。


「オーライ」


 私は両手をあげました。ハンズアップ。


「分かりましたよ。死刑までの期間で良いならフェアリーテイルを残してあげますから」


「死んじゃ……やだ……」


「良い人ですね。貴方は」


 さすがにクロノスと比較すると思うところもあるわけで。


「クオリア!」


 また別の声が聞こえた。ちょっと声高。

 クオリア……目の前の少女とちょっぴり似ている女子が映る。

 鉄格子の向こう側に。


「駄目だって言ったでしょ! こんな所に来たら!」


「お姉ちゃん……」


 姉か。色合いは一緒だった。クオリアと同じ金色の髪とエメラルドの瞳。ドレスも光沢があり、デザインも秀逸。かなり整った顔立ちで、好印象かつ高得点。


「カノン=クリスタルキング!」


 だがこっちを見る表情は鬼気迫り。

 本当に嫌われ役ですね私。


「毒嬢カノン! 私の妹を誑かさないで!」


「こんな鎖に繋がれて何をしろと?」


「言葉で操作できるでしょう!」


「別にこっちから話しかけたわけでもないんですけど」


 そもそもクオリアがこの牢獄に来なければ、見知らぬ二人のままだ。

 東京ラブストーリー。


 いやー。偶然って怖いね。


「公爵令嬢の地位を振りかざして悪意と迷惑ばかり振りかざす無教養の俗人が!」


「それについては否定できないけどね」


 まずそもそもカノン嬢が私ではないわけで。名前は私もカノンだけど。


「貴方の取り巻きも貴方を見捨てていますわ!」


「あー、やっぱり居るのね。取り巻き」


 何処まで悪役令嬢を貫くのだ。この御仁。


「とりあえず分かりましたから。そちらの妹御を持って帰って平和に暮らしてください。こっちから干渉する気は無いので」


 ヒラヒラと手を振る。


「カノン様……是非とも物語を……!」


「クオリア! 止めなさい! 吟遊詩人なら私が手配してあげますから」


「カノン様……」


 クオリア様は姉に引きずられてズリズリと牢獄の鉄格子から消えていった。


「何だったので……一体?」


 だいたいのこっちの評価は姉の方の態度で分かったけど。


「ま、いいか」


 ホケーッと床の石畳を数えながら、次なる物語を思い出す。傾城水滸伝とか萌えるよね?


「どうせ皆々最後は骨だ」


 しょうがないので諳んじてみる。

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