七③

(私の髪が、代償になるのかは分かりませんが、どうかラファエルの怪我が良くなりますように)


 そして少しでも罪が軽くなり、幽閉される期間が短くなりますように。


(私の前に、もう二度とラファエルが現れることがなかったとしても、どうか)


 どうか、早く彼が再び自由を手に入れ、空を飛び回れますように。

 しかし本音は。


(全く違う、私の本音……。神様は見透かしていますか?)


 本当は、会いたい。

 あの腕の中に再び抱かれたいし、無邪気だが落ち着く、少年のような声で、再び自分の名前を呼んで欲しい。


(でも、全部全部、ラファエルが自由になるのなら我慢する)


 きっと、出来る。


(やってみせる。だから、早くラファエルに……)


「里帆!」


(……!)


 急くような思いの吐露を続けていた里帆の後ろから、突然声をかけられた。振り返るとそこには、


「ラファ、エル……?」


 本当は会いたいと、心底思い、願ってしまったあの天使の姿があった。その姿を見た里帆は目を丸くする。

 今、自分の身に降りかかっている現実が良く飲み込めない。


「本物、なの……?」

「本物の僕だよ。悪魔はここには、入ってこられないからね」


 疑う里帆に困ったように笑って言うラファエルを見て、里帆は確信した。

 本当に目の前に、ラファエルが降りてきてくれているのだ。

 そう思った里帆は丸椅子から立ち上がる。そして足をもつれさせながら、しかし視線はラファエルだけを見つめて駆け寄った。


「里帆! そんなに急いだら危ないよっ?」

「ラファエルっ!」


 里帆はそのままの勢いを殺すことなくラファエルの胸の中へと飛び込んだ。そんな里帆のことをラファエルはしっかりと受け止める。


「里帆……、危ないったら……」

「ラファエルっ! ラファエルっ!」


 里帆はラファエルの腕の中で、ただその名を呼びながら泣くことしか出来なくなった。ラファエルはそんな里帆を人目から隠すようにそっとその純白の翼で包み込む。そして里帆が落ち着くまで、里帆を抱きしめ続けた。

 しばらくそうしていると、里帆がようやく落ち着きを取り戻す。


「里帆、大丈夫? 落ち着いた?」

「……うん」


 里帆は目を真っ赤に染めながら頷く。その時になってようやく、里帆は自分の置かれている状況を飲み込めた。ラファエルの太い腕が自分の腰にしっかりと回されている。そしてラファエルの端正な顔が、見上げるとすぐ目の前にあるのだった。


「……、ラファエル?」

「うん?」

「何をしているの?」

「大好きな里帆を、抱きしめているの」

「……」


 真っ直ぐに見つめられて里帆はすっとその視線を外す。


(どうしてそう言うことをさらっと言えるの? この天使は)


 里帆は気恥ずかしくなってしまう。しかし外した視線の先にあるのは里帆をしっかりと抱きしめて離さないラファエルの太い腕だった。


(うぅ……、目のやり場が……)


「里帆? どうしたの?」

「な、何でも、ないです!」


 それから里帆はラファエルの翼が真っ白に戻っていることに気付き、思わずふわふわとしたその翼に手を伸ばす。


「里帆?」


 突然の里帆の行動にラファエルが驚いていると、


「ラファエルの翼、真っ白に、綺麗に戻って、良かった」


 そう言って里帆は翼を撫でていく。暖かなこの翼の色が、エデンで見た真っ赤な色が取れて再びけがれのない真っ白な翼に戻ったことが、里帆は嬉しい。


「これはね、里帆のお陰なんだよ」

「え?」


 里帆が驚いて思わず顔を上げると、少し悲しそうな顔をしたラファエルと目が合った。ラファエルは里帆の腰を抱いている腕とは反対の腕で、里帆の切り立ての髪に手を伸ばす。


「ごめんね、里帆。髪の毛、切らせちゃったね」

「代償に、なった?」

「純潔の乙女の髪の毛は、願いを叶えるのに十分な効果を持っているよ」


 長い年月をかけ、その間純潔を守ってきた乙女にのみ許される代償。それが長い髪の毛なのだとラファエルは言う。


「里帆が願ってくれた。だから僕は今、ここにいられる。ありがとう、里帆」


 里帆の願い。

 ラファエルの怪我の完治と、幽閉の際の罪の軽減。そして何より願った強い願い、ラファエルとの再会。

 髪の毛を代償としてそれらは叶えるのにあまりあるものとなった。何故なら里帆は、宗派は違えど神に仕える身分なのだから。


「今度は僕が、里帆の願いを叶える番だね!」


 ラファエルは自分の羽を一枚里帆に手渡すと、里帆の手を引いて教会の外へと連れ立った。辺りは薄暗くなってきている。

 ラファエルはひょいっと里帆を正面から、腰の辺りを片手で抱きかかえると、ふわりと空へと舞い上がった。


「うわわっ!」


 里帆はラファエルの腕から落ちないよう、思わずラファエルの首元に自身の両腕を回した。そんな里帆の様子にラファエルは、ふふっと笑う。そしてその腕の上に里帆を座らせるようにした。


「怖い?」

「大丈夫。ラファエルのこと、信じているから」


 少し引きつった笑顔をラファエルへと向ける里帆。それから里帆は、あっ! と声を上げた。


「ガブリエルさんは、どうなったの?」


 里帆の言葉にラファエルはなんだか不満そうな顔をしながら飛んでいる。里帆がそんなラファエルの顔を見て、どうしたのかと尋ねると、


「せっかく会えたのに、他の男の話?」


 ラファエルはそう言うと、ぷぅっと両頬を膨らませる。そんなラファエルの様子が微笑ましく映った里帆は、その首元をぎゅっと抱きしめると、


「ラファエルのことが、大好きだよ」


 そう耳元で囁く。

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