六⑥
「ねぇ、ミカエル。魂の天秤はまだ、不安定かい?」
「あ? あぁ、全く定まる気配はないな」
「じゃあやはり、里帆は生きるべき人間なんだ。ガブリエル、君だってその事実に気付いていたんじゃないの?」
「……」
ラファエルから話を振られたガブリエルが押し黙る。ラファエルは再び里帆を振り返った。
「里帆、君は生きるんだよ。大丈夫、君はもう十分強くなったから」
だから、一人だったとしても生きて欲しいと、この天使は願うのだ。
「どうして、私にそこまで……?」
「気付いていないの? 僕が君を、愛してしまったからだよ」
虐げられても、自分で道を切り拓いて生きようとしていたその里帆の強い姿勢に。今後も強く生きていこうとしていたことを、ラファエルは知っている。その凜とした魂に、その他者の幸福を心から祝福できる魂に、ラファエルは惹かれたのだ。
「だから、生きて……」
ラファエルはそう呟くように言うと、里帆に身体を預けるように倒れ込んできた。
「ラファエル……?」
「動くな、三浦里帆」
「!」
里帆の呼びかけに反応しなくなったラファエルを抱き留めていると、里帆にミカエルが鋭い声をかけた。その声に里帆はビクッと身体を震わせると固まってしまう。
ミカエルは長机をぴょんっと飛び越えると、里帆の元へと駆け寄ってきた。正確には里帆に抱き留められているラファエルへと近寄ってきたのだった。
「ったく、無茶しやがって」
ミカエルは独りごちると、
「ガブリエル、俺、このバカを運ぶわ。どんだけ待っても、天秤は安定しそうにねぇからな」
「そうですね。ミカエル、そうしてください」
「後のことは頼んだぜ、ガブリエル、ウリエル」
「任された」
ミカエルの言葉に低い声でウリエルが応える。
ミカエルはよっとかけ声を上げて気を失っているラファエルを肩へと担いだ。それからバサリと翼を広げると、そのままどこかへと飛び立ってしまった。
残された里帆の真っ白なワンピースはラファエルの翼から流れ出た血液で赤く染まっている。里帆はその様子を呆然と見つめるしか出来なかった。しかし、頭の中で繰り返されるのは、
『生きて……』
意識を失う直前まで切に願われたラファエルの思いだった。
(私は、どうしたらいいの?)
ラファエルの願いを成就させるべきか。
ラファエルの自由を守るべきか。
しかし満身創痍だったとは言え、会いたいと思っていたラファエルに、その笑顔に会えた満足感に浸ることが出来た里帆は、
(うん、決めた)
静かに顔を上げると、真っ直ぐにガブリエルを見つめる。その瞳に、表情に、もう迷いは一切なかった。
「ガブリエルさん、私が死の選択をしたら、ラファエルは自由なんですよね?」
「えぇ、それは約束しましょう」
里帆のその言葉にガブリエルは真剣な表情で答える。里帆はぐっと拳を握り直すと、
「私は、死の選択を、行います!」
里帆はよく通る声ではっきりとそう言い切った。その言葉に驚いている風なのはガブリエルの方である。ガブリエルは細い目を丸くすると、
「その選択に、後悔はないですか?」
そう念を押すように言う。その言葉に里帆は大きく頷いた。
里帆の中に後悔は本当になかった。愛しいと思った相手から、想いを聞くことが出来た。それだけで里帆はもう満足なのだ。
(それに、ラファエルは私を強いと言ったけれど……)
この数ヶ月、ずっと傍にいたラファエルと一生、離れ離れになって過ごさなくてはいけないなんて、考えられなかったし、考えたくもないのだった。
(生きていても、死んでも、私は一人なのだとしたら……)
里帆は自ら死を選び、ラファエルの自由を守りたいと、そう願ったのだ。
里帆の真っ直ぐな強い視線を受けたガブリエルは、
「分かりました。これより、三浦里帆にラファエルの自由を確約し、死の烙印を……」
「いいのかな? いいのかな? 本当にそれで、いいのかな?」
ガブリエルが里帆に近付き、その指で死の烙印を押そうとしたまさにその時。空から歌うように無邪気な子供の声が降ってきた。里帆とガブリエルが揃って声のした方を見上げる。そこには、
「メタトロンっ?」
背中いっぱいの翼の内側に禍々しい赤い目の模様を持ったメタトロンの姿があった。相変わらず何を考えているのか分からないメタトロンの表情は、里帆に言い知れない不安を与える。
「一体いつからそこにいたのですか? メタトロン」
「初めから。最初から。ずーっと僕はここにいた。ぜーんぶ僕は、見ていたよ」
メタトロンの歌うような台詞に合わせて、翼の内側にある赤い目がギョロギョロと動いて周囲を把握していく。それを見ていたガブリエルが絶句し、顔からは血の気が引いて真っ青になっていく。
「ガブリエルさん? 大丈夫ですか? ……って、えっ?」
里帆がメタトロンの登場で言葉を失ってしまったガブリエルへと声をかけ、視線を向けたそのガブリエルの背後に、一人の天使が立っていることに気付いた。その天使は腰に差しているレイピアを抜いて、背後からガブリエルの首元に抜いたレイピアを突き立てているサンダルフォンだった。
「ガブリエル、動くな」
サンダルフォンの冷たい声が降ってくる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます