六④

 この先にある場所。それが審判の場なのだと。そこでは魂の審判が行われる。


「本来ならば、死を迎えた人間は審判の場へと辿り着くのが通例なのだがな」


 里帆はその死を望まないラファエルの力が中途半端に宿ったため、エデンの外へと放り出されてしまったのだ。だが里帆は、自力でこのエデンへと辿り着いた。


「悪魔どもの餌食になっていても、おかしくはなかったのに、だ」


 サンダルフォンの言葉に里帆はブルッと身震いをした。始めに立っていたあの暗い場所が、悪魔にも通じていたことによる恐怖からだった。


「足を止めて悪かったな。審判の場はもうすぐそこだ」


 さぁ、と里帆はサンダルフォンに先を促された。


「行ってこい。そして、その身に降る審判をしっかり受け止めろ」

「は、い……」


 里帆はサンダルフォンの前を通り、再び歩き出す。

 頭の中には先程サンダルフォンからもたらされたラファエルのことでいっぱいだった。


(ラファエルの、ばか……)


 天使の禁忌を犯してまで、自分の傍にいなくても良かったのに。


(どうして自分のことよりも、私のことばかり……)


 分からない。

 ラファエルが自分に目をかけてくれる理由も、ラファエル自身が何故その身をなげうってまで自分を助けようとしたのか、その理由も。

 分からないが、もし本当に自分がまだ死んでいないのならば、生きるという選択が出来るというのならば、生きたい。

 里帆はそう、強く願う。

 自分は罪深い子供として扱われ、育てられてきた。そんな自分の命など、いつ終わっても良い。里帆はどこかでそう思いながら生きてきた。


(だけど……!)


 だけど、そんな自分を許し、好きだと言ってくれた心優しい無邪気な天使に出会えた。そしてその天使は、自分が生きることを強く望んでいるのだ。


(だったら私は、生きてみたい!)


 今までは全く思ってもみなかった、感じたことのない感情の波の中、里帆は再び森の中を走った。そして見付けた。審判の場と思われる場所を。

 そこは森の一角を切り拓いたような造りになっていた。


 中央には半円形の、人が立てる柵のようなものが置いてあり、その柵を中心に左右には長机のようなものが置かれている。まるで法廷のようなその造りは、簡素だが神聖な雰囲気が感じられるのだった。


 里帆がゆっくりと中央の柵の中に入る。何故かそうしなくてはならないように感じたのだ。里帆が柵の中に入ることを待っていたかのように腰の高さの、柵の後ろの部分ががしゃん、と音を立てて閉まる。里帆は中に閉じ込められた形になった。

 その後バサリ、と音が響いた。


 里帆が音のした方を見上げると足首まである紺色のドレスコートを羽織った天使が降りてくるところだった。Aラインデザインのゴシックなコートの腰には黒のベルトがあり、剣の鞘がチラチラと見え隠れしている。左手には天秤を持っており、燃えるように赤い瞳はつり目である。髪も瞳と同じように真っ赤な短髪で、逆立っている。

 降りてきた姿は、今まで出会ってきたどの天使たちに比べても身長は低いように感じるが、それでも一般的な男性よりは高い。


「よう。お前が異端の三浦里帆だな」

「え?」


 久しぶりに聞いた『異端』という言葉に里帆が驚いていると、


「こら、ミカエル。人間にそのような言葉を使ってはいけませんよ」


 里帆の背後から別の男の声が聞こえてきた。振り返った先にはミカエルと呼ばれた赤毛の天使よりも背の高い、腰まである水色の長い髪をなびかせた天使が降りてくる。

 金ボタンのWラインがあるロングジャケットコートを身につけ、右手には何やら楽器のようなものを持っている。


「そうは言うけど、こいつが俺たちの神以外に仕えていたのは事実だろう? ガブリエル」


 ミカエルからガブリエルと呼ばれた水色の髪の天使は困ったように笑っている。

 これで里帆を中心にして左右の長机に一人ずつ、二人の天使が揃ったことになった。


「無駄話はやめて、始めよう、ミカエル」

「ウリエル! 俺のせいかよ!」

「ウリエル……?」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。里帆が振り返るとフードを外した大男の姿がある。彼はこのエデンへ里帆を招き入れたあのウリエルに違いない。

 日の光の下で見るウリエルは黒い短髪で黒縁の眼鏡をしている。

 そんなウリエルの後方にはいつの間にか二つの扉が顕現している。どこに繋がっている何の扉なのかまでは、里帆には分からない。分からないが、嫌な予感だけは感じられる。


「ラファエル……は、あの大怪我じゃ無理か」

「そうですね」

「始めよう」


 そうしてウリエルに促される形で始まった三人の会話は里帆の魂をどうするか、と言うものだった。


「ミカエルの天秤は、どうなっていますか?」


 ガブリエルの言葉にミカエルは目の前の長机の前にドン、と手に持っていた天秤を置いた。天秤の皿の上には何も乗ってはいないように見えるが、支点を中心に激しく左右に揺れている。その様子からは、どちらかに定まる気配が全く感じられなかった。


「全く駄目だ。こいつの善悪どころか、生死についても不明と来てるぜ」

「不明、ですか……」


 ミカエルの言葉を聞いたガブリエルはふむ、と押し黙ってしまう。ウリエルはと言うと、ことの成り行きを黙って見守ることにしたようだ。ミカエルとガブリエルの会話に口を挟む様子はない。


「ガブリエル。俺たちの神は、なんて言っているんだ?」

「それが、何もないのですよ……」

「おいおい……。この審判、どうなってやがるんだ?」


 ガブリエルの言葉にミカエルは頭を抱え込んでしまう。

 通常、死者の審判ではミカエルの天秤でその魂の善悪を量る。そしてその結果に基づいて天国、または地獄へ行くことが決まるのだが、里帆の場合はそもそもまだ死者ではないのだ。そのためまずはその生死から量らなくてはいけなかったのだが、善悪を量る天秤ではそれもままならなかった。

 そうなるであろうことも予想し、今回の審判では神の声を聞くことが出来るガブリエルを呼んでいたのだが。

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