五③

 駅前の人と車通りは昼過ぎのこの時間でも多い。里帆は大型商業施設の一階にあるカフェの前で立ち止まると、後ろのラファエルへと小声で話しかける。


「一時間くらいで戻るから」

「分かった。ゆっくりしていてね」


 ラファエルは里帆を笑顔で見送ると、駅前の散策へと向かう。それを感じながら里帆も一人店内へと入る。里帆が案内された席は大きく取られた窓から外の人の往来が良く見える場所だった。

 里帆は手渡されたメニュー表の中からコーヒーと遅めのランチを注文すると、ボーッと大きな窓から外を眺めていた。


(今頃ラファエル、何をしているのかしら)


 ボーッとした思考の中で思い浮かんだのはラファエルのことだった。

 いつもにこにこと笑っている穏やかなラファエルはいつの間にか里帆の傍にいることが当たり前の存在となっていたのだ。


(当たり前? だからって、常にラファエルのことを考えてしまうのは、変じゃないかしら、私……)


「お待たせ致しました」

「!」


 里帆の思考を現実に戻したのは注文した商品を持ってきてくれたカフェの店員だった。里帆はお礼を言うと、目の前に並べられるランチを眺める。おいしそうな香りを漂わせながら、それらは里帆の胃袋を刺激してくる。里帆は胸の前で小さく手を合わせると遅めの昼食を摂っていく。


(このスープ、おいしい。ラファエルにも食べさせてあげたいけど、他の人に見えないならそれも難しいか……)


 食事を摂りながらでも、里帆は無意識にラファエルのことを考えてしまう。

 この気持ちに付いている名前を、里帆はまだ知らない。

 食事を終え、コーヒーで一息つく。間もなくラファエルとの約束の時間になりそうだ。


(少し早いけれど、出る準備をしようかな)


 里帆がそう思いながらコーヒーを飲み干しているときだった。


「おい! あの車……!」

「危険運転じゃないか!」


 なんだかカフェの店内がざわつきだした。


「嘘だろっ? あの車、まさかこっちに……!」

「に、逃げろっ!」


(え?)


 里帆が窓の外へと目をやったときには一台の乗用車がこちらへと、猛スピードで向かってきているところだった。


(嘘っ? 逃げなきゃ……!)


 里帆がそう思った時には、もう既に遅く。




 ガッシャーン!




 乗用車は里帆の座っていた席の辺りへと突撃し、ガラス窓を盛大な音を立てて割って、店内の物にぶつかりようやく止まった。

 里帆はと言うと、店内の奥へとその細い身体を吹き飛ばされて倒れていた。

 身体中が痛みを通り越して熱くなっていく。起き上がろうにも、糸の切れた操り人形のようで全く身体が言うことをきいてくれなかった。


(私、死ぬの……? こんなところで……?)


 何もなすことなく。

 何も残すこともなく。


(ラファエル……。ラファエルに、会いたい……)


 一人は怖い。一人は嫌だ。

 せめて、あの美しい天使が傍にいてくれたのなら……。


(あぁ、そうか。なんだ。私はもう、ずっと前からラファエルのことが……)


「里帆! 里帆!」


 混濁していく意識の中、里帆は聞き慣れた声を聞いた。しかしその声は酷く焦っている。里帆が声のした方を見ようとすると、ラファエルが大きな翼を広げて里帆の視界へと入ってきた。


「酷い怪我っ! 里帆! しっかり!」


 ラファエルは今にも泣き出しそうな顔だったが、それでも里帆は自分の願いが叶ったことに喜びを感じていた。


「ラファエル……、あのね、私……」

「喋っちゃ駄目だ! 里帆!」


(でも、今言わないと……)


 そう思った里帆が、小さな声で呟く。


「好き、だよ……」


 里帆の表情は柔らかく、笑顔のように見える。それを見ているラファエルの瞳には涙が溜まっていた。


(泣かないで、ラファエル……。私の前に現れてくれて、ありがとうね……)


 私の声が、祈りが、どうかこの美しい天使に届いて欲しい。

 里帆はもう、動くことが出来ない。その意識を、静かにゆっくりと手放していくのだった。

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