六①

 気がついたとき、里帆は暗闇の中に立っていた。


(立てて、いるの……?)


 意識を失う直前はあんなにも重く、意思に反してピクリともしなかった身体が、今ここに立っていることが里帆には不思議でならなかった。手始めに里帆は自分の両手を握ったり開いたりしてみる。その感覚が里帆の手には感じられた。どうやら手指は動くようだ。次に里帆はその場でジャンプをしてみる。着地と同時に足裏が地面を捕らえる感触がする。手指に続き、足もしっかり動くことが確認できた。


(どうなっているの……? そもそもここは一体、どこなの?)


 里帆はぐるりと周囲を見渡してみる。するとある一点だけが小さな白い点となっているのが見えた。


(あれは?)


 里帆は暗闇の中で見かけたその白い点に向かって歩き始める。今自分が置かれている状況は全く分からないが、ここでじっとしていてもどうしようもない。そう考えて、里帆は歩き出した。

 しかしどれだけ歩けども白い点の大きさは変わらずにそこにある。どうやらあの場所は、かなり遠いところにあるようだ。


 ずっと歩き通しにもかかわらず、里帆は不思議と疲れを感じなかった。

 里帆は歩く。暗闇の中を、白い点を頼りに。

 暗闇に目が慣れてくると自分を取り巻く闇が、うねうねとうごめいているのが分かる。里帆はぞくりと身震いをすると、白い点に向かって早足で向かう。


 どれだけ歩いただろうか。

 全身に絡みつく暗闇から逃れるかのように歩き続けた結果、白い点は徐々に大きくなってきた。近付いてきて分かったことだったが、白い点だと思っていた物は白い光である。


 里帆はその光の下へと気付けば小走りに近付いていった。やはり疲れは全く感じることがなく、息が乱れることもなかった。

 そのような不思議な現象にも気付かず、里帆は走る。走る。走る。

 それは何かに惹かれているかのように。


 そうして近付いた白い光が、半楕円形の人の爪のような形をなしていく。その先が光溢れ、緑に囲まれている風景が広がっているのが見える。

 里帆は一刻も早くこの暗闇から出て行きたいという一心で走った。しかし。


「嘘でしょ……?」


 光の園と里帆のいる暗闇との間はアンティーク調のガーデンフェンスで区切られ、向こう側へ行くことは叶わない。

 ガーデンフェンスの向こうは光と緑に包まれており、暖かい日差しが差し込んでいる。それはとても穏やかな光景だった。

 里帆はそっとガーデンフェンスに手を伸ばす。少し揺すってみるが、ガシャガシャと音を立てるだけで開く気配は全くない。


(無理、か……)


 そうは思ったものの、里帆は諦めきれずに再びガシャガシャとフェンスを揺すっていく。派手な音は立てるがフェンスに開く気配は全くない。


「こんなところに、悪魔以外で来訪者か?」

「え?」


 ガーデンフェンスを揺する高音に混じって、地の底から響くような低い声がした。突然の声に里帆の両肩がビクリと震えた。


「どうやってこちら側へ来たのだ? 小娘」


 里帆はその問いかけに恐る恐る背後を振り返った。最初に目に付いたのは分厚そうな胸板だった。里帆がゆっくりと顔を上げていくと、黒いフードを目(ま)深(ぶか)に被っている大男の口元が見えた。肌は日に焼けたような褐色だ。かなり見上げる位置に顔があるので長身であることは間違いない。


「小娘、何者だ?」

「私、は……」


 里帆はこの大男の問いかけに萎縮してしまい、即答が出来ずにいる。そんな里帆に目の前の大男は言葉を続けた。


「あぁ、小娘、人間か?」

「あ、はい。三浦里帆と申します」

「……。あぁ、お前がラファエルの……」


 大男から出た聞き覚えのある名前に里帆は目を見開く。


「どうして、ラファエルのことを?」

「……」


 里帆の質問に大男は答えない。代わりに上からじっくりと里帆を見つめていた。


「あ、あの……?」

「……、お前を中へと入れてやろう」

「中?」


 フードを被ったその様子からは、男の表情は全く分からない。里帆が黙って男の動きを目で追っていると、男はガーデンフェンスの前に静かに右手をかざす。そうすると男の右手から真っ白な光が放たれ、フェンスへと吸い込まれていった。光が吸い込まれた先では縦に一本の筋が出来上がる。その黒い筋が少しずつ太くなり、そこからガーデンフェンスが割れていく。そしてゆっくりと音もなく開いていく。


「さぁ、中へ」

「あ、ありがとうございます。あの、あなたは?」

「俺の名はウリエル。審判の場で会おう」


 ウリエルと名乗った男は左手で里帆の背中を押す。押された里帆は前につんのめりそうになりながらゲートの中の、光の中へと入っていくのだった。




 中に入った里帆はすぐに後ろを振り返ったのだが、そこにはウリエルと名乗った大男の姿も、入ってきたはずのアンティーク調だったガーデンフェンスも跡形もなく、ただ暖かな日差しに包まれた緑があるだけだった。


(何が起きているの?)


 呆然と立ち尽くす里帆の耳に残っているのはウリエルからの言葉だった。


『審判の場で会おう』


(審判の場って、何?)


 一体今、自分の身に何が起きているというのだろうか。


(そうだ、ラファエル……。ラファエルは、どうしているの?)


 気がかりなことも出てきたが、里帆にはそれを確かめるすべが全くないのだった。とにかく里帆は歩き出すことを決める。前を向き、足を一歩踏み出したその時だった。


(あれ? 私の服が……)


 里帆は違和感を覚えて立ち止まる。自分の足下を見てみると靴のような履き物は履いておらず、裸足の状態だった。それだけではない。自分が着ている服も、白の七分袖ワンピースである。袖と裾には白い繊細な同じレースがあしらわれていた。また、事故に遭ったときにはまとめていた長い黒髪もおろしている。

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